第18話 決意の目覚め
千樹寺の本堂に、篠ヶ坪村の主だった者が集まっていた。源市が駆け寄ってくる。
「兄貴、無事だったんですか」
「事情が変わった。皆に話す事がある」
一瞬、源市は呆けたような顔をした。
「その喋り方、いえ、分かりました」
直ぐに笑みを浮かべ、後を着いてきた。武平は本堂に上がり、天秤棒を下ろして着座する。一様に、驚きが顔に表れていた。
「事は落ち着いた。その証拠に大和守様から種子島を借り受けた」
桶の蓋を外し、鉄砲と道具一式を見せる。
「大層なものを貰ったな」
円照が息を漏らす。儀作が興味深そうに問うた。
「和尚、それは何ですか」
「轟音と共に、とてつもない速さで鉛の玉が飛び出すのだ。とても数の少ない、しかし強力な武器だ」
「良く分かりませんな」
儀作は首を傾げる。惣左衛門が我に返ったように首を振った。
「そんな事はどうでも良い。武平、何があったのだ」
「父と母を、この手で殺しただけです」
惣左衛門は眼を瞑り、息を吐いた。
「詳しくは聞かないが、この度の事は許されたのだな」
「問題ありません」
「なら良い。事情は話していないが、玉に会いに行ってこい。昨日の夜から帰っていないのだ、心配しているぞ」
「いや、それは後にします。それよりも先に、ここに集まった者たちに言わなければならない事があります」
「何だ」
「今日よりこの村は、俺が率います。文句は言わせません」
「文句を言うとどうなる」
儀作が不敵に笑う。武平は、静かに言った。
「殺す」
儀作の顔から笑みが消えた。
「ついこの間まで死人のようだった男が、言うようになったな」
「御託は結構。受け入れるのか、受け入れないかで答えろ」
「断る。若造に従うなど御免被るわ。十年早い」
「他はどうだ」
武平が訊くと、源市が口を開いた。
「俺は賛成です。兄貴が率いるならこの村は安泰です」
儀作が源市を睨んだ。
「黙れ小童。貴様の意見など求めていない」
「俺だけの意見ではありません。これは若衆の総意です。それとも、それすら否定するんですか」
惣左衛門が進み出た。
「止めろ、二人とも。儀作は良い加減落ち着け。源市も挑発するな」
「そう言うお前どうなんだ。まあ、答えは分かり切っているがな」
「無論、賛成だ。元々、遠からずこの席を譲るつもりだった。自分から言い出すのなら、断る理由はない」
「だろうな。お前は」
儀作は半四朗に目をやる。
「私も賛成だ。これから必要になるのは老人の知恵ではない。若者の腕力だ。武平であれば最適だろう。それだけの能力は十分に備えていると私は思っている。不満はないな」
素っ気なく答え、儀作を見返した。
「なあ、儀作よ。文句があるなら、お前の力を武平に見せつけてやれ。生き残った方が、これからこの村を腕力で率いる。それで良いだろう」
半四朗の口に、微かな笑みが浮かんでいる。
「そこまで無謀ではないわ」
儀作は鼻を鳴らし、武平を睨んだ。
「俺以外の者がこう言っているようでは、認めるしかない。だがな、この前のような腑抜けた様子を一度でも見せてみろ。その時は、お前を殺すぞ。覚悟して篠ヶ坪を率いろよ」
「その時は一度も来ない。心配は無用だ」
「だと言いがな」
儀作は腕を組み、押し黙った。円照が口を開く。
「それで、これからどうするつもりだ」
「まず、定妙に全ての事情を話します。あの男は信用できる。興田に付くこともない。それでいて、興田から情報を引き出せるかもしれない」
「それはどうだろうな」
半四朗が言った。
「定妙殿は生まれも育ちも興田だ。とてもではないが信用できないな」
「俺が、信用できると言っている。問題があるか」
武平が眼をやると、半四朗は俯いた。
「いや、余計な事を言った。忘れてくれ」
「他に意見はないな。次に、若衆は鍛錬の量を増やせ。ただし場所を変え、何度も分けてやる事だ。量を増やした事を悟られてはならない。それとできるだけ怪我は避けろ。今怪我をしては戦に間に合わなくなる」
源市は頷いた。
「分かりました。鍛錬は兄貴も手伝うんですよね」
「勿論だ」
源市は破顔した。
「若衆も喜びます」
「他の者は方々から情報を集めろ。無論、大々的に動くのは止せ。あくまでも内密にだ」
「了解した」
惣左衛門が言う。儀作と半四朗も頷いた。
「話はこれで終わりだ。後は好きにしてくれ」
それぞれが去って行く。武平と円照だけが千樹寺に残った。
「結局、戻って来たか」
「こうなるのは分かっていました。今までは少し休んでいただけです。元々、俺の本性はこちらにある。帰るところに帰って来ただけです」
「それもまた、人生か。自分で選んだ事だ、好きにすれば良いだろう。後ろは我らが支えよう」
「いや、必要ありません。俺はもう僧ではないですから、千樹寺は千樹寺で自らの身を守ってください」
円照は、一度眼を瞑った。
「そうか。そう決めたか」
「それに千樹寺が身を守ろうとすれば、自然とこの村を守る事に繋がります。和尚はそちらに集中してください。この寺は村の拠り所ですから」
「うむ、そうしよう。そろそろ戦支度を始めようか」
「それが良いでしょう。修行に出ていた他の僧も帰ってくる頃です」
「帰還は晩稲の収穫を目途にしている。合わせても六人にしかならないが、大きな力になるだろう。後は小柳の動き次第だな」
「今は牙を研ぐ時。いつでも刀を抜けるようにして事を静観しましょう。次に興田家がどう出るかは分かりませんが、何が起こっても不思議ではありません」
「その通りだ。だが、お前さんはもう休め。昨日から一睡もしていないのだろう。それと、惣左衛門が言った通り妻が心配している筈だ。起きていれば声を掛けてやるのだぞ」
「流石にもう寝ているでしょう。息子も夜泣きはしない性質ですから」
「ならば起きてからでも良い。必ず、声を掛けるのだぞ」
「分かりました」
一礼して千樹寺を後にする。まだ、外を出歩いている者はいなかった。
家に帰ると、玉は起きて待っていた。
「お帰りなさい」
暗闇に、疲れた両眼が見えた。
「寝てないのか」
「少しは寝たけど、あまり寝付けなくって」
玉は苦笑する。武平は正面に腰を下ろした。
「丁度良い。話がある」
「夜帰らなかった事と関係がある?」
「いや、関係はない」
「なら何の話?」
武平は、深々と頭を下げた。
「今まですまなかった」
「どういう事、話しが見えないんだけど」
声に困惑が表れている。武平は頭を下げたまま言った。
「お前には散々迷惑を掛けた。無理やり犯した事は何度もあった。息子の世話も任せきりにしていた。それは、今日限りで全て止める。許してくれとは言わない。ただ、世話の仕方を教えて貰えると有り難い」
玉は、しばらく何も言わなかった。
「嫌です」
「そうか」
鼻を啜る音がした。
「違います。顔を上げてください」
声が震えている。玉を見ると、今にも泣きそうだった
「この子の面倒だけは私が見ます。誰が何と言おうとです」
「その年の子の面倒は大変だろう」
「嫌です。絶対に、私が面倒を見ます。いえ、お願いですから面倒を見させてください。誰にも渡しませんから」
言っている内にも涙が流れる。それを、武平はしばらく見ていた。
「そうか。なら、凶作が落ち着くまではお前に任せる」
「はい」
玉は涙を拭い、子供のように笑った。
武平の全身に張り付いた無数の赤子は、いつまでも啼いている。
太郎が部屋に入ってくると、大和守は笑顔で出迎えた。
「今日は遅かったな。朗報があるぞ」
「大中井家が動きましたか」
頭を振り、大和守はその場に腰を下ろす。
「つまらん。その通りだ。既に戦支度は大詰めを迎え、まもなく出陣するとのことだ。予定通り主に出陣するのは文治派だ。島尾張守を始めとした武断派は留守番を命じられ、全ては我らの企て通りに事は進んでいる」
「おめでとうございます。後は興田だけですか」
「おうよ。武平たちはもう、儂たちを裏切れなくなった。後は、大中井家が大敗するのを待つばかりだ。お前の方こそ順調に進んでいるのか」
「無論にございます。戦後にこちらから誘いを掛ければ、簡単に転がるでしょう」
大和守は大笑いした。
「流石は、儂が見込んだ男だ。しばらくは会えんが心配は不要だな。大戦後にまた会おう、我が片腕よ」
太郎は、おもむろに頭を下げた。
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