第17話 父と母
空は、まだ暗かった。
若衆が母に縄を噛ませる。目覚めることなく済んだ。父にも縄を噛ませようとする。
瞬間、父が眼を開けた。
「触るなっ」
飛ぶように退く。若衆が素早く首を掴んだ。馬乗りになり、父を抑え込む。
「今の内だ」
仲間と協力して父に縄を噛ませる。二人掛かりでひっくり返し、手首を縛った。父は唸りを発して身悶えする。若衆が腹を殴った。それで大人しくなった。表情には強い敵意が残っている。
母も手首を縛る。若衆が頬を軽く叩くと眼を覚ました。欠伸をして、右手を動かそうとする。声を漏らしたが、くぐもった音しか出なかった。
「今日、解死人として死ぬんです。私たち親子三人とも」
母の顔は蒼白になった。
「大人しくしている限りは若衆も何もしません」
母が暴れようとする。直ぐに、若衆が抑え込んだ。
「兄貴、行きましょう。夜が明けると面倒です」
源市が言う。武平は頷いた。
父は忍ぶように静かに歩いていく。母は呆然としたような足取りで後に続いた。武平は最後尾で、両親の背中を注視する。
屋津村に入ると、数人の男が立っていた。
「まさか、お前が解死人になるとはな、円房」
佐助が声を掛けてくる。武平は何も答えなかった。
「何か言えよ」
佐助が呟き、武平の後ろに続いた。
多見村の入り口に類蔵が佇んでいた。一瞬、眼が見開かれる。即座に身を翻した。
「案内します、着いて来てください」
語気に、微かな棘があった。
小山に挟まれた見通しの利かない地に、新河、多見の有力者たちが待っていた。近くに民家はなく、田畑もほとんどない。
武平たちを座らせると、源市が進み出た。
「興田に通じていた男とその妻その子を解死人として連れて来た。後はそちらに任せた」
「ご苦労だった」
伊十郎は自村の若衆に指示を出す。見張りを交替すると、源市たちは帰って行った。
「お前の糞親父が興田に通じていたってのは本当か、円房」
「本当です」
「なら、何故お前が来た」
「求められた解死人が、三人だからです」
「そうか」
伊十郎は押し黙った。
不意に、類蔵が飛び出してきた。武平に走り寄る。勢いのまま殴り倒した。母も蹴り、父の胸倉を掴み上げる。
「俺の弟は、お前たちのせいで死んだ。どうしてくれる」
手が震えていた。眼から涙が零れる。父は、澱んだ目で見返していた。
武平は起き上がり、座り直した。
「その対価が私たちです。いたぶるなり殺すなり、好きにしてください」
類蔵は父を突き飛ばし、刀を払った。
「止めろっ」
伊十郎が怒鳴る。類蔵は刀を振り上げた。そこで、動きが止まった。
「何だよ」
呟き、鞘に納める。振り返り、足を引き摺るように下がった。
「取り敢えず、二人を起こせ」
若衆が、倒れた両親を乱暴に座らせた。
「誰が解死人であろうがどうでも良い事だ。と、言いたいところだが、円房が来るとは思わなかった。これだと事情が変わってくる」
伊十郎は隣に立つ若衆から刀を受け取り、武平に歩み寄った。
「円房よ、両親を殺せ」
赤子が、啼き始めた。
武平は顔を上げ、伊十郎を見つめた。
「どういう、事ですか」
「言葉の通りだ。お前の手で両親を殺せ。両親を殺すほどの覚悟を、俺たちに示してみろ。そうすれば俺たちは納得しよう」
「待て、勝手に決めるな」
背後から声が上がる。伊十郎は、武平を見たまま言った。
「なら聞こう。この先円房の力を抜きにして、簡単に生き抜けると思っているのか。それほどまでに大中井、興田は甘い敵か。違うだろう。今、俺たちは円房を失うわけにはいかない。この男が先頭に立ってこそ、活路は開けるのだ」
背後の者たちが口をつぐむ。伊十郎は笑みを浮かべた。
「円房。俺たちに、小柳に、篠ヶ坪の誠意を見せてくれ」
刀を、差し出してくる。
赤子が、啼いていた。徐々に大きくなっていく。全身が無数の赤子に包まれる。穴と言う穴に口を当てて大声で啼いている。周りの騒めきが遠くなっていく。
間もなく、喧噪が消えた。赤子の鳴き声だけが響いている。
武平は、刀を掴んだ。赤子の啼き声は耳に馴染んできた。夜の喧騒が蘇ってくる。
「俺に、何を求める」
「好きに殺せ、方法は問わない」
伊十郎は笑っていた。武平は刀を払い、鞘を投げ捨てた。
母の背後で立ち止り、刀を構えた。母の背が小刻みに震えている。発している唸りは声になっていない。武平は息を吐き、母の隣に移動して刀を振り上げた。
母が、見てくる。顔は涙と鼻水に塗れていた。唇を頻繁に動かし、しきりに瞬きする。目は赤くなり、口から血が流れた。
刀を振り下ろした。
血が噴き上がる。母の首が落ち、転がった。遅れて、躰が倒れる。
鈍く光る血が夜に広がっていく。虚ろになった母の眼が、武平を見ていた。母の骨を断つ感触が、手に染み付いている。
「次は親父だぞ」
伊十郎が嬉しそうに言った。
武平は父に歩み寄り、刀を振り上げた。父は眼を見開いて地面を見つめていた。その頬が絶えず動いている。
父が、顔を上げた。噛ませた縄が切れている。歯を剥いた。武平の喉笛に飛び掛かってくる。
刀を振るっていた。
父の頭部は二つに割れ、刀は首にまで達した。手元は血と脳漿に濡れ、服にも掛かっている。場に、血臭が立ち込めていた。
刀から手を放す。父が足元に倒れた。拍子に刀が外れ、血溜まりに落ちる。柄巻きが見る間に赤く染まった。
「見事だ、円房」
伊十郎が近寄ってくる。顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「これで、満足か」
「ああ、何の文句もない。次は親の首を大和守様に見せに行け。それで、今回の件は水に流れる」
「分かった」
落ちた刀を拾い、父の首を根元から落とす。母の首を断つ感触が躰に回り、循環しながら膨れ上がっていく。
「このまま持って行くわけにはいかないだろう。桶か何かを持ってこせろ」
伊十郎が若衆に指示を出して、一人に服を脱がせた。
「その血に濡れた格好ではまずい。それに着替えろ」
武平が血を拭って着替えると、桶を吊るした天秤棒が届いた。桶に両親の首を入れて蓋をして、天秤棒を担ぐ。
「篠ヶ坪に伝えておこうか」
「必要ない。俺の口から言う」
夜は、まだ明けていない。小柳領に行き、幡南大和守の館を訪ねた。桶の中身を見せると館の庭に通される。
しばらくして、大和守がやってきた。その視線が庭に並べた両親の首に向く。武平と眼が合うと、微かに笑った。
「円房、と呼んだ方が良いか」
「いえ、武平のままでお願いします」
「そうか。して、その二つの首は誰のものだ」
「両親です」
「ほう。誰が斬った」
「俺が斬りました」
大和守は、声を上げて笑った。
「良い顔になったな、武平。おい、あれを持ってこい」
近習の手から、布に包まれた棒状のものが大和守に渡された。
「南の戦場にいたなら知っているかもしれないな」
布を広げると、鉄砲が現れた。
「種子島ですか」
「やはり知っていたか。我が家にも二つしかない代物だ。使い方は知っているか」
「はい。仲良くなった足軽から教わりました。一通りの事は出来ます」
「流石だな。近う寄れ」
言う通りにすると、大和守が鉄砲を突き出した。
「お前に貸す。良いように使え」
「ありがたく受け取らせて頂きます」
鉄砲を手に取る。近習が道具一式を持ってきた。
「その桶に入れて持って帰れば良い。それなら目立たないだろう。不足があれば言いに来い。直ぐにでも用意しよう」
武平は、いくつかの道具を触った。
「いえ、十分です。大抵の事はこれで何とでもできます」
「頼もしい事だ。時は目の前に迫っている。その際はお前が中心になるだろう。篠ヶ坪や千樹寺の生死はお前の手腕に掛かっている。心しておくが良い」
肩が痛む。神経に突き刺さってくる。
「覚悟は、できています」
「心配などしていない。お前はやり遂げるだろう。篠ヶ坪の鬼の生き様、儂に見せつけてくれ」
大和守が去って行く。足音は来た時よりも軽かった。
夜明けは、まだ遠い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます