第16話 三人の解死人

 翌日の夕方に、源市から報告があった。


「若衆に見張らせたところ大当たりでした。借りた金は興田の挨拶料に使ったようです」


「そうですか。私が事に当たりますから、外に数人の若衆を配置しておいてください。ただし、私からの合図があるまで中に入ってこないでください」


「分かりました。直ぐに集めてきます」


 武平は一足先に、父と母の家に行った。


「何の用だ」


 酒作りの仕込みをしていた父が、手を止めずに言った。顔は大きく膨れ上がって変色している。母は顔を赤くしていびきを掻いていた。


 武平は入り口に立ったまま、口を開いた。


「訊きたいことがあります」


「手早く済ませろよ」


「いつ、寝返りに気付いたんですか」


 父が顔を上げた。


「何の話だ」


「もう裏は取れています。興田に通じていたのはいつからですか」


 父は笑った。


「気付かれたか。まあ、気付かれるよな。一応言っておくが、俺が言う前から興田は気付いていたぞ。自分で気付いたのか、他の奴から告げ口されたのかは知らないけどな。どうせ儀作辺りが下手打ったんだろうよ」


「全て、どうでも良い事です」


「ほう、どうするつもりだ」


「周りは若衆が固めています。大人しく捕まってください」


「俺を小柳に突き出すか。親切心で言ってやるが、はっきりとした証拠がない以上、奴等は納得しないぞ」


「他に二人用意しています」


「たった三人で済むのか。となると」


 父は、母に目をやった。


「一人はこいつか。もう一人は誰だ。見当がつかないな」


「親の咎は、子が引き受けるものです」


 父が眼を丸くする。直ぐに、大笑いした。


「出来ると思ってるのか。惣左衛門が意地でも止めるだろう」


「誰であろうと文句は言わせません」


 父の顔から表情が消えた。


「妻と子はどうするつもりだ」


「惣左衛門殿がいます。心配は無用でしょう」


「確かに、そうだろうな」


 父は作業を再開した。武平に眼もくれず、釜の米を掻き混ぜていく。


「逃げないんですか」


「無理だな。それぐらいは分かる」


「一人二人ぐらいなら、運が良ければ倒せるでしょう」


 父は鼻で笑った。


「好き勝手に楽しく生きるのが俺の生き様よ。土台不可能な事に挑戦するなんて、無様な事ができるか」


「今の状況は無様ではないんですか」


「無様なものか。好きにやろうとした結果、野垂れ死ぬ。俺に似合いの死に方だろう。この世の死に方としては上等な死に方だ。眼の前の奴の顔面に、盛大に血飛沫を浴びせて死んでやる。楽しみにしてろ」


 父は忍び笑う。武平は家の中を見回した。荒い作りだが、咄嗟に壊せるほど脆くもない。武器として使えるものは父の腰にある脇差だけだった。


「興田に通じて、何をするつもりだったんですか」


「目の前に金が落ちていたから拾ったまでだ。挨拶料はそれなりに掛かったが、色々と情報を仕入れることができた。良い稼ぎになったぜ。お蔭で春になっても酒が呑めそうだ」


「それが、世話になったこの村にする仕打ちですか」


「村が滅びるなんてのは日常茶飯事だろうが。最後まで村に残った奴が馬鹿を見て死ぬ。上手く見限った奴が最後まで生き残る。俺がこの年まで生きていられるのも、そのお蔭だ。まあ、今回は失敗したけどな。まさかこの状況で、興田があんな強硬手段に出るとは思わなかったぜ。俺も歳だな、読みが悪くなってきた」


「歳なら大人しくしていれば良い」


「大人しくしていれば奪われるのが落ちよ。奪われたくなければ奪うしかない。それがこの世の常だ。歳を取れば奪う力が弱くなる。なおさら必死に奪わないと腕からすり抜けていく。大人しくするなんてのは、始めから無理な話だ。歳を取れば取るほど俺は意地汚くなっていく。そう考えると、この辺りの歳で死ねるのも幸せな事かもしれないな」


「幸せですか」


 父は、大きく欠伸した。


「眠くなってきた。俺はそろそろ寝る。後は好きにしてくれ。それと、こいつは縛っておけよ。間違いなく騒ぐ。面倒だぞ」


「そうですね」


 武平は後ずさりして家から出た。源市が近寄ってくる。


「兄貴が決めた事なら俺は何も言いません。他の若衆も同じです。ただ、一言ぐらいは言って欲しかったです」


「これは、私の問題ですから」


 源市の顔に影が差す。眼を瞑り、頭を下げた。


「余計な事を言いました」


「二人が騒ぐようなら、縛るなり口を塞ぐなり、死なない範囲で好きにしてください。ただし絶対に油断はしないでください。私は惣左衛門殿のところに行った後、また戻ってきます。それまで両親をお願います」


「分かりました」


 武平は惣左衛門の元に行き、千樹寺に連れ出した。境内には数人いる。隅の方に移動して事情を話した。


 惣左衛門は穏やかな表情で、首を振った。


「それは駄目だ。今、お前を失うわけにはいかない。一人の解死人は用意できた。お前の両親とその男で事は足りる。お前が死ぬ必要はないのだ」


「いえ、そうはいきません」


 惣左衛門の顔が険しくなった。


「何故だ、何の問題がある。お前の父だけでも済むところを三人出そうと言うのだぞ。さしもの伊十郎や小柳も、文句は言わないだろう」


「解死人を求められた原因が父にあるとは断言できません。それに伊十郎殿も解死人が欲しくて言っているわけではありません。求めているのは千樹寺を要するこの村の、誠意や決意といったものです」


「それは儂も分かっている。だからこそ解死人を三人出そうと言っているのだ。これで儂らの真意は証明できるというもの。父が興田殿に通じているからといって、お前が死ぬ必要はない。親が罪を犯しても子に罪はない。そうだろう。何もそこまでして背負う事ではない」


「そういった考えは、一切ありません」


「では何故だ。何故、お前が死ぬ必要がある」


「小柳に、誠意を証明するためです」


 武平の両肩を、惣左衛門が掴んだ。


「だからそれは、お前が死ぬ理由にはならないだろう」


「父上。今までどれほど揉めたか覚えていますか」


「覚えている。思えば揉めてばかりだったな」


「そうです。ですが、それも今回で最後です。今まではまだ余裕がありました。ですが、大戦は目前に迫っています。揉めている暇はもうありません。これ以上揉めれば崩壊の道を自ら歩むことになります。それを止めるには、強い結束が不可欠です。私が解死人として出向けば、この村の気持ちも伝わるでしょう。少なくとも大戦までは結束を保てる筈です。この役目、私以上に適している者はいますか」


 肩を掴む手に、強い力が籠った。


「いない、な」


「でしたら、私が解死人となることに異論はありませんね」


 惣左衛門の両手が、滑るように下がっていく。


「玉と息子は、どうするつもりだ」


「妻は強い人です。私がいなくても大丈夫でしょう。息子は、大人になるまでは村で面倒を見てください。私の子ですから、それ以上は不要でしょう。求めるのはこれだけです。他には何もいりません」


「良いのか」


「はい。両親はお世辞にも立派な人ではなかったですが、この村は受け入れてくれました。そのお蔭で私は生まれる事ができました。そして千樹寺も、私を僧として受け入れてくれました。ようやく、恩返しをする時が来たんです。今まで目を掛けて頂き、ありがとうございました」


 武平は微笑んだ。赤子は啼いていない。肩の重圧はすっかり消え去っている。


 惣左衛門は俯き、両手で顔を覆った。


「そのようなつもりで、玉をやったわけではないぞ」


 顔を撫でるように手を下ろし、武平の眼を見つめる。


「いや、何も言うまい。お前の好きにしろ。後は儂に任せておけ」


「お任せします」


 惣左衛門と別れ、両親の家に戻った。源市と三人の若衆が家の周りに立っている。

陽は没しようとしていた。肌に感じる微風も冷たくなってきている。


「後は私が見張ります。逃がすような事はしないので安心してください」


「そんな事、心配してませんよ」


 源市が不機嫌そうに言った。若衆も同じ事を言う。


「なら、最後の日ぐらい親子だけにしてください」


「分かりました。一応、一人置いておくので好きに使ってください」


 若衆たちが去って行く。残った一人は距離をおいて座った。


 武平は、家の入り口に腰を下ろした。


「気は、抜きませんから」


 返事はない。母はいびきを掻き、父は寝息を立てている。不自然な動きはなかった。


 夜が更け、さらに寒くなってきた。武平はみじろぎもせず両親を見つめる。母が寝返りを打った。脚が父にぶつかり、動きが止まる。退かすように父を蹴り、静かになった。


 父が、床を殴った。武平は睨む眼は、爛々と光っている。

 指先の感覚が鈍くなっていた。武平は一度も眼を逸らさなかった。月光が、柔らかく注いでいる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る