第15話 父の借金

 自宅に帰った武平は、腰を落ち着けてしばらく動かなかった。


「何してるの」


 玉が帰って来た。背中には息子をおぶっている。微かに、寝息が聞こえた。


「考え事だ」


「そう。今日は休みじゃなかった筈だけど、良いの」


「朝決まった事だからな」


「そうなの」


 玉は納得したように言い、眼を伏せた。


「あの、今日の戦の事なんだけど。やっぱり、また起こると思う?」


「この凶作だ。起こるだろう」


「あなたも行くつもりなの」


「必要になれば行くだろうな」


 玉は、武平の正面に座った。


「良いの? もう少しぐらいゆっくりしても、誰も文句は言わないと思うけど。多分、父さんも加勢してくれるだろうし」


 武平は眼を逸らし、窓から空を見た。


「必要になれば、だ。必要にならなければ行くつもりはない」


「その時がこないと、思ってるの」


「さてな。先のことは分からない」


 沈黙が訪れた。


 少しして玉が動き出す。家を出ようとする時、武平は声を掛けた。


「息子は任せたからな」


 玉は呆けたように首を傾げ、苦笑した。


「もう下手は打ちません」


「俺には出来ない事だ。お前に任せたからな」


「はい、任せてください」


 玉は嬉しそうに言い、家を出て行った。


 武平は仰向けになり、天井を眺める。しばらくすると源市がやってきた。


「兄貴、話を聞きました」


 武平は上体を起こして座り直した。


「こっちに来て良いんですか」


「今のところは他所から解死人を引っ張る方向で話は進んでいます。違う案が出たら呼んでもらえるようになってますから大丈夫です。それよりも犯人探しの方が大変でしょう。どうするつもりなんですか」


「特には」


「できる事はないんですか」


「あまり大っぴらにして騒ぎを広めるのは避けるべきですが、そうすると取れる手がほとんどなくなる。するにしても村の中だけです」


「告げ口した奴がこの村にいるとは限らないでしょう」


「だから、手の打ちようがないんです」


「伊十郎の奴に良いようにさせておくんですか」


「伊十郎殿はどうでも良いんです。とにかく小柳、大和守様の疑惑だけは解かなくてはならない。機嫌を損ねては年貢の免除や銀の褒美どころか、村を滅ぼされます。それを思えば三人の解死人など軽いものでしょう」


 源市は眉をひそめた。


「そうかもしれませんが、黙って解死人を差し出すのも癪でしょう。勿論、興田が自力で気付いた可能性はあります。ただ俺たちも気を付けて行動していた。となれば誰かが告げ口をしたと考えるのが自然です。それに、興田は俺たちの寝返りを知っているんですから、人目を憚る必要も無い筈です」


「それは違います。興田殿は私たちには解死人を求めなかった。つまり、私たちの村だけは興田殿の元に戻る余地があるということです。今はまだ寝返りの件は広まっていないのでこのような事も出来ます、しかし事が表に出てくると、この件とは無関係の他の村の寝返りを防ぐため、私たちにも厳しく当たらなければいけません。たった三人の命で両勢力に渡りを付けられる。安いものでしょう」


 源市は息を吐き、口を開く。不意に、荒い足音が近づいてきた。


「武平、大変だよ」


 母が、家に入って来た。


「何かあったんですか」


「金貸しが人を寄こしてきたんだよ。直ぐにでも金を返せって、恐ろしいのが家に推し入ってきて。今、お父さんが大変な事になってるんだよ」


 武平は、ゆっくり立ち上がった。


「借りたものは、全て返した筈ですが」


 母は眉尻を下げ、上目遣いをした。


「いや、私も止めたんだよ。だけどお父さんが言うことを聞かなくて、大戦が起こるからそのどさくさで踏み倒せる、なんて言って。気付いたら大金を借りてたんだよ」


「残りはどれくらいあるんですか」


「もうほとんど残ってなくて」


「分かりました。今、どこにいるんですか」


 母の顔色が明るくなった。


「自宅だよ、さっき言っただろう。早くしておくれ、お父さんが死んじまう。そうしたらあいつらが私のところに来るじゃないか。そんなのご免だよ」


 武平は息を吐き、家を飛び出した。


 村外れのあばら家に、分厚い背中が見えた。


「何があったんですか」


 男が家から出てきた。中には見知らぬ男が二人いる。暴れた形跡はなさそうだ。

「取り込み中だ。後にしてくれ」


「父はどこにいますか」


 男が笑みを浮かべた。


「お前、あの屑の息子か。丁度良い。お前ら、ちょっと出て来い」


 男が二人、くぐるように出てくる。隙間に見えた父は、にやつきながら座り直した。


 中心の男が口を開く。


「俺たちもよ、暴力は振るいたくないんだ。だから手早く話をつけようか。お前の親父が借りた金は銀で五十匁。それに利子がついて、五十五匁だ。相応の価値さえあれば、何で返しても良い」


「よく五十匁も貸しましたね」


「それは貸すだろう。俺たちのところで借りたのは初めてだが、最後にはきっちり返済する事で有名だぜ、お前の親父はよ。まあ、本人が返したなんて話は一度も聞いた事はないけどな」


 男たちは声を上げて笑った。父が声を飛ばす。


「返さなくて良いぞ、武平。借りたのは数日前だからな」


 男の一人が素早く振り返った。


「黙ってろっ」


 父は不敵に笑う。


「いいや、黙るか。商機を見誤ったのはお前たちだろうが。その責任を俺におっ被せるのは筋違いだろう」


「おいおい。それが、借りた奴の吐く言葉かよ」


 中心の男が家に入る。残りの二人は入り口を塞ぐように移動した。武平は、一歩も動かなかった。


「約束を破ったのはそっちだろう」


「確かに、無茶言ってるのは俺たちだ。だからこそ利子は五匁で済ませてるわけだ。別に一括で返せとは言ってない。今日のところは二十匁で帰ってやる。流石にそれぐらいは残ってるだろう」


「残念だがこれっぽっちも残ってない。全部使っちまった」


 父は笑みを崩さなかった。男が溜息を吐く。


「大物だよ、お前は」


 踵を返し、家から出てきた。


「というわけだ。父親の不始末は息子がつけろ。さっき言ったとおり銀二十匁相当だ。それで数日は我慢してやる」


「分かりました。直ぐに取ってきますので、このまま待っていてください」


「安心しな。この時期に無駄な騒ぎを起こすほど頭はいかれてない」


 武平は家に飛んで帰った。蓄えから銀二十匁を抜いて走り戻る。一つ一つ確認しながら男に手渡した。


「確かに、銀二十匁を頂戴した。利子の追加はなしだから安心しな。残りは銀で三十五匁だ。数日中に来るかもしれないし、しばらく来ないかもしれない。ただ、用意だけはしておけよ」


「無駄金払いやがって」


 父が呟く。男が、父を睨んだ。


「仕方がない親父だな。お前ら、少し可愛がってやれ」


「来いよ、返り討ちにしてやる」


 父が立ち上がった。男が二人、家に入っていく。


「止めるか」


 残った中心の男が言った。


「度が過ぎるようなら。ある程度は自分で対処するべきです」


「そうかい」


 殴り合いが始まった。直ぐに父は殴られる一方になる。


「気になったんだけどよ。借りた金を返すのは、そのある程度に含まれないのか」


「一人だけの問題ではないですから」


「他にもいるのか、大した家族だな。捨てちまえば良いのによ。俺なんか糞親父は殺して、母親は売ったぞ。年増だけに酒の肴にしかならなかったけどな。ああ、あの時の酒は、えらく旨かったな」


 男は含み笑いを漏らした。


「それでも、親ですから」


 争いが終わった。男は銀を懐に仕舞う。


「所詮、他人だ。そして、俺も他人だ。好きにしな」


 男たちは去って行く。仰向けに倒れた父が、躰を起こした。顔は変形して痣が出来ていたが、表情には余裕があった。


「武平、止めなかったのは良かったぞ。大事なこの時期、無駄な騒ぎを起こすのは馬鹿げてるからな。殴られた程度で大儲けできるなら安いものだ」


「何か、しているんですか」


「お前には関係ない事だ。用が済んだなら早く帰れ」


 武平は目礼して、源市のもとに向かった。


「密かに、父の行動を見張ってください」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る