第11話 静かな争い
数日後、夜の御鉾神社に再び集められた。惣左衛門が面々を見渡す。
「今日、類蔵が小柳からの話を持ってきた。内容は、寝返りに際して一人当たり銀十匁を払う、との事だ」
儀作が吐息を漏らした。
「剛毅な事だ。これで、どちらに付くかは決まったな」
「待て」
半四朗が言った。
「確かに、褒美は魅力的だ。だが、それで全てを決めるのは短絡的ではないか。むしろ熟慮するべきだろう」
惣左衛門が頷いた。
「儂もそう思う。既に、小柳と興田殿の戦いは始まっていると見るべきだろう。もしかすると興田殿は、儂らの寝返りに気付いているのかもしれない。少なくとも、焦って結論を出すべきではない」
「興田は何も気づいていない」
儀作の語気が強くなった。半四朗の口元に微かな笑みが浮かぶ。
「根拠は」
「実力行使に出ていないのが最大の根拠だ」
「私たちの背後には小柳が控えているのだぞ。大中井が直々に動くのならまだしも、興田が独自に動くには大きすぎる相手だと思うがな」
「笑わせるな、半四朗。小柳領に隣接する多見や新河ならまだしも、うちや屋津にそんな心配はいらない。むしろ見せしめの為に今直ぐ兵を向かわせるべきだ。そうすれば、寝返りなど立ち消えになる」
「しかしそれでは、多見や新河だけで寝返る可能性は残る。全ての村を領地に留める為に、興田殿は静かに誘っているのだ。ここで機を逃せばそれこそ兵を向けられるぞ。まさか、小柳が守ってくれるなどと府抜けた事は言わないだろうな」
「誰に、言っている」
「お前以外に誰がいる。村の安全がどうとか言っていたが、お前こそ村の安全を考えているのか。その実、褒美を多くせしめたいだけではないのか」
儀作の顔に赤みが差した。
「もう一度、言ってみろ」
半四朗は鼻で笑った。
「そんなに聞きたければもう一度言ってやる。聞き逃さないよう良く聞いておけ」
儀作は、歯を剥いて笑った。
「安心しろ、次はない」
半四朗が口をつぐむ。儀作は腰の刀に手を伸ばした。
瞬間、半四朗が立ち上がった。互いに瞬きせずに睨み合っている。
赤子が、啼いていた。
「止めてください」
源市が、二人の間に入った。
「退け、源市。もろとも斬るぞ」
儀作が睨む。半四朗が刀に手を掛けた。源市も刀に触れ、数歩退く。
「先に動いた方を斬ります」
「なら、まずお前を斬る」
「その隙に半四朗さんに斬られますが、良いですか」
「腰抜けに、その隙が突けるかよ」
半四朗が無言で刀を払った。惣左衛門も腰を上げる。
「半四朗、儀作、良い加減にしておけ。ここは力で物事を解決する場ではないぞ。今からでも遅くない、退け」
「お前の下に付いたつもりはないぞ、惣左衛門。それに、まず止めるべきは刀を抜いた半四朗だろう。違うか」
「半四朗、刀を納めろ。このままではお前が一番の悪者になるぞ」
半四朗は儀作に眼を向けたまま、口を開いた。
「悪いな、私は腕に覚えがない。刀を抜いて、ようやく対等なのだ。儀作が座れば私も刀を納めよう」
惣左衛門は二人を交互に見て、座ったままの武平に眼を向けた。
「全員、座ってください」
武平は、おもむろに立ち上がる。
「神前で血を流す事の意味を、分かっているんですか」
「それとこれとは話が別だ」
「俺は刀を抜いていないぞ」
半四朗と儀作が同時に答える。武平は源市に近づいた。
「源市、退いてください。父上も座ってください」
源市は刀から手を離して腰を下ろした。惣左衛門も戸惑うように座る。
「後は二人だけです。もう、十分でしょう。目指すものは同じ、いがみ合ってどうするんですか」
儀作は、刀の柄を握り直した。
「俺から退く気はないぞ」
「先に立ち上がったのは儀作だ。先に儀作が退くのが筋というものだろう」
武平は息を吐いた。
「分かりました。では、私もここを退きません。相手を斬ると言うなら、先に私を斬ってください。見ての通り無手ですから、反撃される恐れもありません。どうぞ、いつまでも見合っていてください」
言葉が絶えた。
虫の鳴き声や衣擦れの音が聞こえてくる。微かに呼吸の音もしていた。儀作は悠然と立っている。半四朗の額には汗が滲んでいた。
衣擦れの聞こえる頻度が、多くなってきた。
「止めだ」
儀作がその場に座った。
「反撃される恐れがないだと、良く言ったものだ。骨ぐらいは折るつもりだっただろう。流石に良い歳だ、お前相手に荒事は起こしたくはない」
半四朗は深く息を吐き、刀を納めた。
「武平の顔に免じてここは退こう。それで良いな、儀作」
「どの口が。いや、そうだな。武平の顔に免じて、この件は水に流そう」
「ああ、目指すものは同じだ。いがみ合うのも馬鹿らしい」
半四朗が腰を下ろす。武平は向き直り、二人の傍に座った。
「父上、話を進めましょう」
「あ、ああ。そうしよう」
言って、惣左衛門は座り直した。
「小柳は、興田殿の減免により儂らが寝返りを留まるかもしれない、と考えている。故に、褒美を出すと言ってきた。これについては何の異論もないだろう。しかし結果だけを見れば、この件はれっきとした両勢力の水面下の争いだ。問題なのは、興田殿が何を考えているかだ。内情を知らない以上、興田殿が儂らの寝返りに気付いていながら泳がせている可能性も否定できない。もしそうであったら、既に戦は始まっているのだ。悠長にしている暇はない」
儀作が武平に顎をしゃくった。
「興田の件はお前に任せていたが、どうなっている」
「今はまだ静観するべきと思ったので何もしていません。ただ、密告の手筈なら直ぐに整います」
「後はどう恩を売るか、か」
儀作は腕を組み、俯いた。
「普通に考えれば、年貢を多く納めることぐらいだな」
半四朗が言う。惣左衛門は頷いた。
「確実なのはそれしかないだろうな。まさか興田殿の幼子が行方を晦まし、それを助け出す、等という事が起きるわけもない。だがどうする。納める余裕がないから寝返りに動いたのだぞ」
「褒美の一部を前払いで貰えないでしょうか。凶作が根底にあるんですから不可能ではないと思いますが」
源市が述べると、半四朗が感心するように息を漏らした。
「なるほど、それなら可能だろう。例え一匁だとしても、村全体では六十匁近くになる。小柳が年中に兵を起こすのであれば、興田に納める年貢は一度か二度で済む。元々の量には届かないが、銀が六十匁もあれば十分にやりくりはできる。この凶作の最中でそれだけ納めれば、興田の覚えもめでたいだろう」
「待て」
儀作が低い声を発した。
「案には賛成だが、これは裏切りに能いするのではないか。どうなんだ、武平」
「伊十郎殿から寝返りの誘いがあった際、和尚は興田殿に年貢を納めるのが筋だと言いました。そもそも、年貢を納める事と寝返りは別問題でしょう。それよりも他の村の視線を気にした方が良いかと」
「そこが問題か。年貢を多く納めた事は間違いなく気付かれるだろう。解れが生まれるかどうかは微妙なところだが、出来る限り避けるべきだ。何か妙案はないものか」
皆、押し黙った。
「こういうのはどうだ」
惣左衛門が言った。
「儀作か半四朗が、儂よりも多く年貢を納めさせると興田殿に言う。それが認められれば、年貢を多く納める事に不自然さは現れない」
半四朗が首を振った。
「駄目だ。自分からその意見を言ったのは評価するが、うちの村が寝返りを留まったと見れられる恐れがある。それならば今まで通り、惣左衛門が納めさせた方が良い」
半四朗は口をつぐんだ。直ぐに声を上げる。
「いっそのこと、他の村も巻き込むと言うのはどうだ。つまり和尚に頼んで、年貢を多く納めさせるよう仕向けるのだ。おそらく他の村は拒否するだろう。だが、これで年貢を多く納める事に正当性が生まれる。理由はどうあれ、本来納めるつもりのない年貢を一部とはいえ多く納めるのだ。和尚も嫌とは言わないだろう」
「妙案、だな」
儀作が苦々しく言う。惣左衛門は笑みを浮かべた。
「うむ。これなら問題ない」
隣では、源市が感心したように何度も頷いている。半四朗は微笑した。
「では、和尚へは武平が、類蔵へは惣左衛門が話を通す。類蔵で駄目なら、武平が直接大和守様に言いに行く。それで良いな」
武平と惣左衛門は頷いた。
翌日、和尚は快諾した。その数日後には、一人当たり銀三匁の前払いが認められたと類蔵から報告があった。
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