第10話 仲間割れ
減免の願いの返答があった。武平は惣左衛門に連れられて千樹寺を訪れる。
「半分、ですか」
惣左衛門が眼を瞠る。円照は頷いた。
「うむ。ただし、これ以上の減免は一切認めない。受け入れるか拒否するかの二つに一つ。結論は早急に出せ、との事だ。晩稲については野分が起こらなくとも減免を認める用意があるとの事だ。起こった場合は相応の減免を認めるとの事。ご当主と次郎三郎殿、両人の確約を頂いた」
惣左衛門の顔から血の気が引いていく。
「もしや、寝返りを悟られたのでは」
「その可能性は低いでしょう。無論、否定はできませんが」
武平が言うと、惣左衛門は安堵の息を吐いた。
「そうか。しかし根拠はあるのか」
「はっきりとした根拠はありません。ですが、小柳に隣接する多見の村ならともかく、この村にこれほど寛容な判断を下す理由はありません。おそらく、来る小柳との戦に備えて領内の火種を消しに来たんでしょう。だからこそ、寝返りを悟られたとも取れますが。怪しい動きがあるという程度は掴んでいてもおかしくないと思います。しかし、実力行使に出ていないのでまだ大丈夫だと思います」
「それが妥当なところだろう」
円照が頷く。惣左衛門は座り直して口を開いた。
「二人がそう言うなら。しかしもし悟られたとして、どこから漏れたのだ。千樹寺の出入りだけではそこまで至れないだろう。未然に防ぐという意味でも、誰かが裏切った可能性を考えるべきではないのか」
「現時点では推測すらできないでしょう」
「無駄というのか」
「するにしても、この村の中だけです。他の村の者を疑うにしても情報が足りない。それに不和が生まれます。仮に興田殿が寝返りを悟っていたとして、誰かが裏切ったと考えるのは早計です。興田殿が村々の様子から違和感を見つけ出し、自らその考えに至ったのかもしれません。この状況で疑心暗鬼になるのは分かりますが、内部から崩れては本末転倒です」
「なるほど。今はまだ静観するに留めようか。一先ず、減免について伝えるとしよう。武平、人を呼ぶのを手伝ってくれ」
村の主だった者を集め、中稲の減免が伝えられた。反対する者は誰もおらず、直ぐに表向きは受け入れると言う結論が出た。
皆が千樹寺を後にしていく。半四朗だけが、本堂に残って本尊に手を合わせていた。
「もう大丈夫だ。何か言いたいことがあるのだろう」
惣左衛門が声を掛けると、半四朗は顔を上げた。
「話がある。しかし、重大な事だ。ここでは話せない。今夜、御鉾神社に人を集めてくれ。人選は例の者だけだ」
その表情には固さがあった。
夜は更け、御鉾神社に篠ヶ坪村の有力者が集められた。
「それで、何の用だ」
儀作が不機嫌そうに言った。
「頻繁に集まると村の者に怪しまれる。それを承知で呼んだのだろうな」
半四朗は儀作を正面から見据えた。
「無論。それほどの大事だ」
視線を外し、それぞれに眼をやる。
「減免について、誰もが疑惑を抱いたと思う。各々の考えは別だろうが、これについて私はこう考える。興田は私たちの寝返りに気付き、無言で誘っているのだと。つまり、この誘いに乗るなら何もしないが、これでも小柳に付くようなら容赦はしない、とな」
儀作が半四朗を睨んだ。
「起請文を忘れたか」
源市が、微かに腰を浮かせる。半四朗は動じなかった。
「誰も、裏切るとは言っていないだろう」
「ならばどういう意味だ」
「起請文の内容に触れない範囲で興田に通じる。これなら事がどう転んでも村は安泰だ」
儀作は鼻で笑った。源市が腰を落ち着ける。
「そんな都合の良い話が、あれば良いがな」
「心配するな。そもそも、こちらには興田当主の甥である、定妙殿がいるのだ。和尚も興田と懇意にしている。やりようはいくらでもあるだろう」
「馬鹿の妄言だ。具体案を示せ」
「良いだろう。まず、興田にそのまま通じるのは不可能だ。起請文に署名しているからな。ただ恩を売っておき、仕置きを軽くしてもらうことはできるだろう。また、寝返りが失敗に終わった際、すぐさま興田に事を伝えれば、寝返りの咎は許されるかもしれない。これは起請文には触れないと思うが和尚に確認が必要だろう。ともかく、減免のお蔭で餓死者は格段に少なくなる。もう一度寝返りについて考えても良いのではないか。これが、私の言いたいことだ」
しばし、沈黙した。
惣左衛門が大げさに咳払いする。
「武平、起請文の件は問題ないと思うか」
「起請文に書かれたのは、裏切りの禁止という曖昧なもの。和尚に確認した方が良いと思います」
「私見で良い」
「では。裏切りというのは、一味同心からの裏切りを指しています。そして一味同心の目的は、小柳への寝返りにあります。ということは一味同心が意味をなさなくなれば、問題はなくなるという事です。つまり、寝返りが成功するか完全に失敗すれば、起請文には触れないでしょう」
「一先ずは恩を売っておくしか方法はなさそうだな。後は、素早く密告できるよう体制を整える事ぐらいか」
儀作が、呆れたように息を漏らした。
「話は分かった。だが、俺は反対だ」
「何故だ」
半四朗が問う。また、儀作は息を吐いた。
「両方の勢力に話をつけ、村の存続の可能性を高める。その発想は間違ってはいない。しかし、それは内部分裂の可能性を孕んでいる事を忘れてはいないか。選べるものが一つしかなければ結束は容易い。しかし、それが二つになれば急激に難しくなる。そして、結束させようと動けば解れが見えてくる。興田は、直ぐにでもその解れを察知しよう。それに、興田に通じようとしていた事が露見した場合、小柳がどう動くか。褒美を反故にされるどころか滅ぼされる恐れすらあるのだぞ。安心を求めるのは良いが、二兎を追って一兎も得られないでは話にならない」
「ではどうする。私たちが寝返りを決めた要因は、今年の凶作が理由だ。興田殿が減免を認めたお蔭で、必ずしも寝返る必要はなくなった。ここは、間違いなく転機だ。もう一度、寝返りについて議論しても良いのではないか。事が大きく動く前の今なら、いくらでも手は打てる。それに解れが生まれると言うが、それは他の村と話した場合だろう。この村だけの動きなら解れは生まれない。仮に小柳に露見したとして一体何の問題がある。そこに付け込まれるようなら、そもそも起請文に触れる動きだったという事だ」
「なるほど、確かに問題はない、後半はな」
「前半の、どこに問題がある」
「恩の売り方を間違えば他の村に不信感を与える。それが解れになるだろう。そして、現に今解れが生まれている」
半四朗の眉が、微かに動いた。
「ほう。言うな」
「そもそも、お前は根本を間違っている。最悪なのは寝返りが失敗し、興田に一件を悟られることだ。違うか、半四朗」
「そうだ」
「ならば、小柳に身を置いて事を静観する事こそが肝要なのではないか。少なくとも、滅多矢鱈と動き回るのは下策だろう。それに両勢力に渡りをつけると言うが、安全を求めるのと安心は求めるのは、似ているようで別物だぞ。お前が求めるのは村の安全か、お前の安心か、どちらだ」
半四朗の眼が鋭くなった。儀作の表情に変化はない。
「無論、村の安全だ。だがな、もしもの場合を考えられないなら、お前はここにいるべきではない」
儀作は笑った
「誰も、そんな事は言っていないだろう」
「どうするつもりだ」
「つまり、解れが生まれなければ良いのだ」
「この場が存在する以上、それは避けられないぞ、お前の言葉を借りるならな」
「話し合えばな。話し合わなければ解れは生まれない」
「つまり、誰かに一任させると言うのか。誰にさせるつもりだ」
「俺やお前、惣左衛門では不満が出てくるだろう。源市はまだ若い。和尚は信頼できるが、結局は村の者ではない。ならば、一人しかいないだろう」
儀作は、武平に眼をくれた。
「武平、お前がやれ」
半四朗も武平を見つめ、ゆっくり頷いた。
「なるほど、最も適しているのは確かに武平だろう。しかし、何をさせるつもりだ」
「それも含めても武平に任せる。全てにおいて解れが生まれなければ、俺に文句はない」
「良いだろう。このまま話しても結論は出そうにない。それなら武平に任せる方がよほど建設的だろう。武平ならば、よもや馬鹿な事はしないだろうからな」
惣左衛門は溜息を吐いた。
「儂は、どちらの意見も一理あると考えている。だからこそ意見は割れるだろう。故に、武平に任せることに異論はない。源市はどうだ」
「兄貴であれば文句はありません」
惣左衛門は武平に向き直った。
「この件、お前に任せた」
肩が重い、痛い。赤子が向こうに座っている。今にも口を開こうとしている。
「総意であれば、私に異論はありません」
儀作が立ち上がった。
「話はこれで終わりだろう。俺は帰らせてもらう。あまり頻繁に集まるのは不都合が多すぎるからな」
「そうするか。あまり長時間話すのも良くはないだろう」
惣左衛門も腰を浮かせる。
「ああ、そうだな」
呟くように言った半四朗は、遠くなる儀作の背中からしばらく眼を逸らさなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます