第9話 中稲の収穫
中稲は実りを迎えていた。日中の風にも寒気が混じり始めている。多くの者は落胆の色を示しながら収穫作業をしていた。
「幸い野分は免れたが、やはり実が少ないな」
惣左衛門が吐息混じりに言う。手伝いに来ていた武平は、手を止めて囁いた。
「あまり堂々としていると他の者に勘付かれます。気を付けてください」
「そうだな、うっかりしていた。気を付けよう」
「そうしてください。漏れるときは意外なところから漏れるものです」
二人は収穫を再開した。刈った稲がある程度溜まると、もっこに乗せて運び、稲架に掛ける。それを何度も繰り返し、中稲田の過半数を刈り終えた。
昼時になって武平が休憩していると、惣左衛門が近づいてくる。
「早稲に比べれば、中稲の凶作はさほどでもないな」
「はい、収穫日は少し伸びましたが、登熟不良などはありませんでした。稲熟も起こらず、米の出来そのものは、そう悪いものではないと思います」
惣左衛門は頷いた。
「実の数が少ないことを除けば確かにその通りだ。これは登熟不良よりも分かりやすいが、収穫量はどう見積もっている」
「七つから七つ五分、といったところです」
「まだ少し甘いな。おそらく六つ五分から七つだろう。生らなかった実は早稲の収穫分よりも多い。恐ろしい事だ」
「郷蔵にはどれだけ納めさせるんですか」
「本音を言えば納めさせたくはないが、当然、そんな事をさせるわけにはいかない。不信感を抱かせず、負担を軽減をさせるにはどれだけの量が適していると思う。早稲ほど切羽詰まってはいないが、色々とあって塩梅が難しい」
ちくりとした痛み。最近では、肩の奥に痛みの虫が棲みついているような気がする。
「最終的な調整は晩稲ですれば良いかと。晩稲の様子はどうですか」
「例年に比べれば収穫量は多少落ちるだろう。だが野分さえなければ、八つを下回ることはない筈だ。上手くいけば十分に九つを上回る。この辺りは野分の少ない土地だ。楽観しても良いだろう」
「であれば、不作分の免除を基準として少し厳しくしても良いと思います」
「儂もそうしようかと考えていたが、それで大丈夫なのか。今は大事な時期だ。それで村が崩壊しては元も子もないぞ」
「晩稲の収穫が見込めるなら、他の者も多少は我慢できます。早稲分は納めさせていないのですから筋も通ります。それに甘い顔をしているようでは興田殿にも勘付かれます。厳しく当たるのが最善でしょう」
「なるほど、その通りだな」
武平は立ち上がった。
「収穫に戻ります」
「待て。千樹寺に納めるのを手伝ってくれ。もう刈ってあるから後は運ぶだけだ」
「分かりました」
背負いもっこに稲を入れ、千樹寺に運んだ。境内には定妙しかいない。縁に腰掛けて書物に眼を通している。
武平は声を掛けず、稲架に稲を掛けていく。
「ご苦労」
背後から定妙の声がした。押し殺したような足音が寄ってくる
「何もしなくて良いんですか」
「興田一族の俺は、大人しくしていた方が良いだろう」
定妙が隣に並ぶ。武平は手を止めずに言った。
「やはり、気付いていましたか」
「これでも勘は良い方だ。まあ、何かやっているな、程度だけどな。詳しい事は和尚にそれとなく教えられた」
「和尚は話したんですか」
「それとなく、だ」
定妙は笑った。稲を掛け終えると武平は向き直る。
「気付いていない風を装っておいてください」
「当然だ。面倒事はご免だ。でも、小柳には気を付けろよ」
「勿論、警戒はしています」
「小柳は不気味だ。油断するなよ」
定妙は縁に足を進める。武平は田に戻った。
もっこに稲を入れていく。円照と惣左衛門が千樹寺に入っていくのが見えた。武平がもっこを背負って境内に行くと、定妙とすれ違う。
「和尚が呼んでいる」
「分かりました」
定妙は千樹寺を出て行く。本堂では円照と惣左衛門が待っていた。
「稲は後で良い、話がある」
円照が手招きする。武平はもっこを降ろして本堂に上がった。
「何かあったんですか」
惣左衛門が、重苦しい息を吐いた。
「事が、動きそうなのだ」
赤子が身じろぎする。耳元に這い寄ってくる。
「小柳家か興田殿が何かしているんですか」
円照が口を開いた。
「小柳が戦支度をしているらしい。また、興田殿も戦支度をしているとの事。どちらが先に動き始めたかは分からない」
「情報の精度はどの程度ですか」
「小柳については又聞きだ。幡南殿だけなのか小柳全体なのかは分からない。興田殿については確かな事実だ。まだ動き始めたばかりだがな」
「興田殿の様子は」
「小柳が戦支度をしているものとして動いている、そのような雰囲気だった。小柳も動いているものと見て、まず間違いないだろう。とはいえ、興田殿がしている事といえば武具と兵糧を集めている事と、いつも以上に鍛錬に力が入っている事、その程度だ。まだ動くつもりはないのだろう」
「大きな戦になるか、それとも稲薙ぎ程度なのか、そのどちらかでしょう。もしかすると生ヶ原の戦いの再来となるかもしれません」
惣左衛門は黒髭を撫でながら、唸りを漏らした。
「生ヶ原の戦いか。あれは大変な戦だった。なにしろ両軍の総大将が死ぬほどの戦だったからな。兵の数も一万を優に超えただろう。あの時のように、大中井と小柳が矛を交える大戦になるのか」
「あくまで、かもしれないです。小柳の目的は全く別のところにあるのかもしれません。ともかく現段階で答えを出すのは不可能です。さらなる動きを待つしかないでしょう」
「それしかないか。まあ、いざ動くとなれば兵が集められる。それから動いても遅くはないだろう。しかし、儂らと無関係ということが有り得るのか」
「まず、ないでしょう。ただし、直接的には無関係という事は十分にあります。所詮、数村の寝返りです。大勢への影響は小さい。小柳と興田殿が何か考えているかは分かりませんが、当面は稲薙ぎと考えて良いかと。大戦が起こるのならそれだけ情報も出てきます。対応に動く時間も確保できるでしょう」
「一度、話し合う場を設けるべきか」
惣左衛門が呟くと、円照は首を振った。
「それは止めた方が良い。慌てて動くとそこから解れが生まれる。今は個々の村で動き、息を殺して状況を窺っているのが得策だろう。肝要なのは普段通りに振る舞う事だ。それは忘れてはならない」
武平も首肯する。
「同感です。今は年貢の減免を願い出る方が、よほど大事です。何か伝えることがあるのなら類蔵を使えば良い。どうせ綿密な連携など不可能なんですから、無理に手を繋ぐ必要はありません」
「そうだな、共倒れなど何の得にもならない。それでは和尚、減免の願いをよろしくお願いします」
「既に触れている。心配するな」
「毎度毎度、ありがとうございます」
「これも務めの内だ、気にするな。興田殿も減免には前向きだった。遠からず良い返答があるだろう」
「そうですか。また何かあれば相談に来ます」
惣左衛門は一礼して出て行った。武平は稲を稲架に掛けてから、千樹寺を後にする。
中稲田に歩を進めていると、父の姿が見えた。屋津村の方向から軽い足取りでやってくる。その顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「よお、武平。血の臭いがしてきたな」
「何か、あったんですか」
「知らないのか。小柳と興田が戦支度をしてるんだよ。いやいや、楽しくなってきたな。期待してるぜ」
「それを、どこで聞いたんですか」
「屋津でだ。なんだ、疑ってるのか」
「いえ、そういうわけではありません」
「まあ何でも良い。お前がどう思うが知ったことかよ。戦は起こる、必ずな。大戦だと良いが、稲薙ぎでも良い。戦は戦だ」
「戦に加わるんですか」
父は眉をひそめ、顔を近づけてきた。
「お前が、行くんだよ。決まってるだろうが。下らない事を言わせるなよ」
「それは決めるのは、あなたではありません」
「いや行くよ、お前は。なんて言っても、俺はお前の父親だからな。なんだかんだと言って、俺の酒代を稼いでくる、博奕代を稼いでくる。いつもそうだった。今回も頼んだぜ、俺の孝行息子よ」
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