第6話 村の寝返り

 夜、鎮守の御鉾神社に篠ヶ坪村の有力者たちが集められた。


「まず、これから話す事は一切の他言を禁ずる」


 惣左衛門が言うと、半四朗が口を開いた。


「それは話の内容によるな」


 隣に座る儀作も頷いた。


「その通り。お前に押し付けられる謂れはない」


「良いだろう。ただし聞いた以上は、なんとしてでも守ってもらう。それほどの内容だ。こちらも容赦はしない」


 儀作が鼻を鳴らした。


「とりあえず話してみろ」


 惣左衛門は伊十郎の誘いと円照の見解を伝えた。


「それだけの情報で寝返れだと、話になるか」


 儀作が腰を上げる。その前に、源市が立ち塞がった。


「退け」


「一歩でも動けば、斬ります」


 儀作は源市を睨みつけた。


「良い度胸だな。若い衆の頭が惣左衛門に尾を振ったか。それとも、穀潰しの倅に尻を弄られたか。見上げたものだな」


 儀作は距離を詰める。源市は、刀に手を掛けた。


 辺りは林に囲まれ、村の灯は入ってこない。境内の仄かな灯りに二人の儚い影が揺らめている。涼風は、冷気を帯び始めていた。


 赤子が啼いている。血の匂いに誘き寄せられて啼いている。


 武平は、微かに腰を浮かせた。


「そう興奮するな、儀作よ」


 半四朗が言った。


「今は身内で争っても仕方がないだろう。どちらに転ぶにしろ、話し合ってから決めれば良い。情報が足りないのならまた後日に話せば良い。下手な騒ぎは村に、お前自身に災いを呼ぶぞ」


 儀作は己の禿頭に手をやり、源市を睨みながら撫でる。息を荒く吐くと、腰を下ろした。


「良いだろう。惣左衛門、お前はどう考えている」


「儂は、寝返るべきではないと考えている。興田殿の本拠地である赤井城は、直ぐ眼の前にある。寝返れば篠ヶ坪は最前線に立たされることになるのだ。興田殿は郡代を務め、千の兵を率いるほどの力を持っている。しかも主君は、六国を治める大中井家だ。屋津と多見を敵に回すのと、興田と大中井を敵に回すのなら、当然、屋津と多見を敵に回そう。二村が攻めてきても、興田殿に助成を頼めば十分に対処できる」


 半四朗が、蓄えた白鬚を梳くように弄った。


「戦のみを考えれば無難な選択ではあるな。源市、若衆を率いるお前はどう考えている」


「どのみち血は流れるでしょう。俺たちからすれば、どちらを選んでも最前線に立たされることに違いはない。興田と小柳、優勢な方に付くまでの事です」


「なるほど。ある種、立ち位置は我らと同じか。それでお前はどうだ」


 言って、半四朗は武平に眼を向けた。


「本来であれば、私はここにいて良い人間ではありません。どのような結論が出ようともそれに従うつもりです」


 儀作が鼻で笑った。


「武平よ、親父は羽虫以下だが、お前のそういうところは好きだぜ。自分の立場を良く弁えている。そこの若いのにも見習ってほしいぐらいだ」


 半四朗が髭を弄る手を止めた。


「止めろと言った筈だ、儀作。事を徒に荒立てるな。お前こそどう考えている」


「簡単な話だ。戦は目に見えている。なら、より強い方に付く。当たり前の判断だ。悩むまでもない」


「源市と同じ意見か」


 儀作が、半四朗を睨んだ。


「それは、喧嘩を売っているのか」


「事実を言ったまでの事」


「一緒にするな。俺は、興田などという小物は勘定に入れていない。郡代など呼ばれているが、一円を支配しているわけではない。所詮は筆頭程度だ。千の兵も一族衆やらを含めた数だ。興田自身は五百の兵が精々だろう。俺たちが付くのは、大中井か、小柳か、だ。そこを勘違いするな」


「ほう。思いの外、冷静だったな」


「見くびるな。それで武平、お前から見て、大中井と小柳の力はどうだ。還俗して戦に行かなくなったとはいえ、つい最近まで戦場にいたんだ。ある程度は知っているだろう」


「噂も含まれますが」


「構うか。誰から聞いても噂の域は出ない。ならば、お前の口から聞いた方が多少は信用できる」


 針の刺さったような痛みが、肩を貫いた。


「では。勢いがあるのは小柳家です。十年ほど前に、足利家の仲介で大中井家と和睦して以降、大中井家が治める北の不安はなくなり、今や三国の守護職を務めている程です。大中井家を除けば、この辺りでは最も大きな勢力です。一方、大中井家には陰りが見えています。今でも六国の守護職を務めてはいますが、数年前の地後家との戦にて配下の裏切りにより大敗。その際に子を失っています。それ以降は政務への関心を失い、さらには戦に長けた者を遠ざけている、と言われている有様です」


 儀作は腕を組んだ。


「なるほどな。現時点ではまだまだ大中井が優位だが、将来的には分からないか。そういえば、大中井と小柳は縁戚だったよな」


 惣左衛門が頷いた。


「そうだ。十年前の生ヶ原の戦いが痛み分けに終わり和睦となった際、大中井の姫が嫁いで来ている。確か、小柳の嫡子はその姫との子ではなかったか」


 武平は首肯した。


「その通りです。今の小柳家の当主の正室が、その大中井家の姫です。小柳家が何かを画策していない限り、嫡子は当主と正室との子で間違いないかと」


 半四朗が重苦しい唸り声を発する。


「縁戚を結んでおいて、大中井と小柳は戦を起こすのか」


 儀作が不愉快そうに眉間に皺を寄せた。


「武士の、それも大勢力の頭が考えていることなんて、俺たちに分かるわけがないだろう。分かっている事実は、小柳が伊十郎に話を持ち掛けた、それだけだ」


「問題はそこよ」


 半四朗が言った。


「その話自体、想像に過ぎないだろう。小柳に寝返る以上、小柳が関わっているのは確かだ。だが、それが小柳の謀だと考えるのは早計だろう。どこか別の勢力が、大中井と小柳の仲を裂こうとしているのかもしれない。例えば、大中井の力を分散させたい地後の仕業かもしれないぞ」


「一つ勘違いをしているな。この引き抜きは興田と、隣接する陽指城主の幡南の争いだ。あくまでも、表向きはな。大中井からすれば、たかが数村が隣国に寝返ったところで現地の興田に対処をさせるだけの事。そしてそれは、小柳にしても同じ事。精々が小競り合いだ。それにあの伊十郎が、小柳を動かせるほどの謀ができるか。多見を含めた三村にもそんな奴はいない。小柳が伊十郎に話を持ち掛けたのは、事実と考えて良い」


「なるほど、その点については確かにその通りだろう。しかし、目的は何だ。和尚は千樹寺を出城にするつもりだ、と言っているようだが、それは立派な戦を示している。幡南は小柳の一門だ。幡南と興田が戦を起こせば、必ず大中井と小柳の戦に発展する。これをどう説明するつもりだ」


「俺が知るか。小柳の一門である幡南が、大中井傘下の興田に仕掛けている。これが事実だ。それ以外は想像の域を出ない」


 熱しかけた口論に、惣左衛門が口を挟んだ。


「儂ら篠ヶ坪からすれば、血が流れるのは避けようがない。少なくとも寝返りの誘いを蹴れば、確実に血は流れる。一先ず、柳に寝返るという事で議論を進めるのはどうだ」


 儀作と半四朗は了解を示した。


「では、和尚の予想が正しければ千樹寺が出城になり、篠ヶ坪は最前線に立たされることになる。そうなった場合、どう対処するかが問題になる。戦による人死に、人攫い。稲薙ぎや放火、夜盗もある。田の用水については川なので問題はないだろうが、何かを混ぜられる恐れはある。心配事は山積みだ」


 半四朗が気弱に唸った。


「しかし、五年間の年貢の免除は大きいぞ、特に今年はな。あと半月もすれば中稲の収穫になるが、梅雨の影響を受けて稔実数が少ない。早稲ほどではないが、かなりの凶作になる。晩稲は今のところは順調に見えるが、どうなるかは分からない。麦の収穫前までにどれだけの死人が出るか。これが落ち着きを見せるのは来年の中稲を収穫してからだろう。それまで丸一年もある。それに来年は凶作にならないという保証もなければ、はっきりとした対策があるわけでもない。五年間の年貢の免除は破格の褒美だぞ」


 儀作が頷いた。


「確かに、魅力的ではある。五年間の免除となればかなりの蓄えができるだろう。しかし、最前線に立たされる対価としては安過ぎはしないか」


 惣左衛門が口を開いた。


「おそらく、何かしらの軍役が課されるのだろう。年貢を免除するとは言え、流石に最前線の村を遊ばせてはおかないだろう。ただ他に褒美があり、それを伊十郎に中抜きされている可能性はあるな」


「その時は、伊十郎を締め上げるだけの事だ」


 儀作が薄く笑う。半四朗が眼をやった。


「つまり、寝返りを支持すると言うのか」


「例えばの話だ。傾いてはいるがな」


「お前の気性には、やはり寝返りが合っているか」


「半四朗、そう言うお前はどうなんだ」


「悩みどころだな。興田に告げ口した場合、どれだけ備えをしても屋津と多見の攻撃で数人は死ぬだろう。しかし、大中井と小柳の最前線に立たされることはない。凶作については、何の対策もないか。寝返った場合は最前線に立たされるが、五年に及び年貢を免除される。得の少ない安定を取るか、得の多い不安定を取るか。一長一短と言えるな」


「得の少ない不安定ですか」


 源市が呟く。惣左衛門が続きを視線で促した。


「気になっていたんですが、俺たちが寝返らなかった場合、他の村はどうするんでしょうか。他の三つの村だけで寝返る可能性も否定できないでしょう。そうなれば、この村が最前線に立たされることに変わりはないですが」


 半四朗は感心したように息を吐いた。


「なるほど。今まで和尚の言葉を前提に進めていたが、確かに尤もな意見だ。その場合は寝返る方が有益だな。興田の戦に備えができていればの話だが」


「俺は、さらに寝返りに傾いたって程度だな」


 惣左衛門は長々とした唸りを漏らす。


「儂は、なんとも言えない。だが、これ以上話しても進展はなさそうだ。一先ず、寝返るという事で伊十郎に伝える。おそらく一味神水が行われるだろうから、それまでに確とした方針を決める。それで良いか」


 儀作と半四朗は賛同を示し、源市も頷いた。


「この度の話し合いは、この場にいる全ての者の同意がない限り、一切の他言を禁止する。この内容で起請文を書くが、異存はないな」


「無論」


 儀作が言うと、半四朗も頷いた。


「では武平、頼んだ」


「分かりました」


 武平は、懐から矢立と午玉宝印を取り出した。




 翌日の夜、再び御鉾神社に集まった。


「伊十郎に寝返りの件を伝えて来た」


 惣左衛門が言った。


「まず儂らが寝返らなかった場合、伊十郎たちがどうするかについての返答はなかった」


 儀作が鼻を鳴らした。


「当然だな。それより問題は、寝返りを決めた後、俺たちは何をするのかだ。まさか、興田に堂々と宣言するわけはないだろう」


「小柳が興田に侵攻する際に軍勢を素通りさせること。寝返りはそれまで伏せておくこと。その後は小柳に年貢を納めること。この三点だ。勿論、年貢を納めるのは五年後だ」


 半四朗が腕を組んだ。


「五年というが、どこから数えて五年なのだ。今年から数え始めたとして、小柳はいつまで経っても兵を起こさなければ、年貢の免除に意味はないぞ。よもや興田に納める分は自分たちでどうにかしろ、などと言う気ではないだろうな」


 儀作が首を振った。


「後半は有り得ないな。俺たちが興田に年貢を納めないことを宣言しては、寝返りを伏せている意味がない。だが、前半は有り得る話だ。伊十郎はなんと言っていた」


「伊十郎は小柳の誘いがあった事は口にしたが、それ以外の事については何も答えなかった。一味神水を行った後、小柳の者から詳しい話があるとの事だ」


「全てを伝えるわけはないか。一味神水を行う前に話し合う機会があるんだろうな」


「ああ、一味神水は千樹寺で行われる。その際に寝返りについて話すとの事だ」


 半四朗が眉をひそめて白髭をさすった


「千樹寺か。それは小柳の指示か」


「いや、分からない」


「もし小柳の指示であれば、やはり小柳は千樹寺が欲しいのか。もし小柳の指示であれば、無理にでも千樹寺を絡ませようとする意志を感じるな」


「考えても仕方がない事だろう。それで、どうする」


 惣左衛門が問いに儀作が答える。


「対価を考えれば小柳に寝返るべきだ。ただ、最終的な結論は伊十郎の口から直接聞いて決める」


 半四朗はおもむろに頷いた。


「ほぼ同意見だ。不安を上げるなら小柳の将来だ。大中井に潰されては元も子もない」


「その時は、大中井に属せば良い」


 言って、儀作は源市に顎をしゃくった。


「俺も寝返りに賛成です。しかし最後に話が決裂した場合、どうするんですか」


 儀作は笑みを浮かべた。


「簡単よ。千樹寺の周りに武装させた若衆を伏せておく。合図を出せば一斉に飛び出して伊十郎たちを追い返す。それと同時に、興田に事を伝えて加勢を頼む。後は、興田が良いようにするだろう」


 血の予感。赤子が啼いていた。武平は慎重に口を開く。


「追い返すだけですか」


「無論、場合によっては全員殺す。いや、そっちの方が後々楽か」


 惣左衛門が首を振った。


「殺すのは控えた方が良いだろう。解死人を求められるかもしれないからな。だが、若衆を潜ませるのは賛成だ。その案で行くとしよう」

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