第4話 減免の願い

 惣左衛門が円照に呼び出されたのは柴論争の数日後だった。それからしばらくして、惣左衛門は武平の家に赴いた。


「何の用ですか」


 惣左衛門は、重々しく口を開いた。


「実はな、減免の為、早稲分の指出を提出するように要請があった」


「和尚の指示ですか」


「いや、興田殿からの要請だ」


「良かったではないですか」


 首を振り、惣左衛門は嘆息した。


「何故、この時期なのだ。それが分からない。理由の分からない厚意ほど不安なものはない。興田殿は何かを企んでいるのではないか。それこそ、早稲分の減免だけは認めて中稲と晩稲の減免は認めないと、そう話を持って行くつもりではないのか。それが真実であれば、こちらも動く必要が出てくる」


「減免に応じた理由は数日前の柴論争でしょう。早稲の登熟不良を始めとした凶作が、あの論争の原因だと分かっている筈です」


「儂も十中八九はそうだと思う。しかし、指出の提出は領内全ての村に要請されているという。この村と屋津村だけに指出を求めるのは分かるが、何故、全ての村にまで求める。まさか一つの村に減免を認めるなら、全ての村にも減免を認めなければならない、などと殊勝に思っているわけもないだろう」


「おそらく、事が起こっていないだけでどこの村も似たような状況なんでしょう。気に病むことはないかと」


「そうだとは思うが」


「それに、指出を求めているのは早稲分だけでしょう。ならば、本当に早稲分だけの話なのかどうかを、しっかりと確認すれば良いだけではないんですか」


「和尚もそう言っていたし、心配ないとも言っていた。だから問題ないとは思うが」


 惣左衛門は唸り声を発し、俯いた。


「どうしたんですか、いつになく気弱な様子ですが」


「胸騒ぎがするのだ、凶作であることを除いてもな。柴論争はお前と和尚のお蔭で戦にならずに済んだが、火種そのものが消えたわけではない。また何かあれば、例え小さな諍いだとしても、今度こそ血が流れるだろう。どちらが勝とうと禍根は必ず残る。それに他の村に合力を頼むとなれば、多額の費用が必要だ。そうなれば何年もの間、借金に苦しむことになる。戦など起こらない方が良いに決まっている」


「源市がいれば、若衆の抑えは大丈夫でしょう」


「どこで、誰が、何を起こすかは、誰にも分からないのだ。源市一人では漏れも出てくるだろう。そして儂らでは、若衆を力尽くで止めることはできない。だからこそ、武平。お前の力が必要なのだ」


 重い。両肩がじくじく痛んでくる。


「私がいてもいなくても同じことです」


「そんなことはない。柴論争についても、お前がいなければ和尚が来る前に死人が出ていただろう」


「事を収めたのは和尚です」


「お前が皆を鎮めていなければ、和尚の言葉に耳を貸す者はいなかった。これは和尚も認めていることだ」


「源市でも同じことはできたでしょう。私だからできた事ではありません。高く評価して貰えるのはありがたいですが、あまり過ぎると源市の機嫌を損ねることになります。今一番大事なのは私ですか、源市ですか」


「源市だ。しかし儂の胸騒ぎは、そのような事を言っていられる程度のものではないのだ。頼む、村の平穏に力を貸してくれ」


 惣左衛門は深々と頭を下げた。


 武平は、しばらく何も言わなかった。惣左衛門も微動だにしない。重圧が全身に掛かってくる。下からは海鳴りに似た轟きが聞こえていた。それは耳を澄ませば済ますほど、甲高い啼き声に変わっていく。


「分かりました、頭を上げてください」


「力を貸してくれるのか」


「いえ。ただ、眼を配る程度はしましょう。それ以上は源市の立場を冒すことになる。源市を慕う若衆は多くいます。その者たちが暴れるかもしれないのが現状です。若衆の頭株は、あくまでも源市です。それは忘れないようにしてください」


「分かった。気を付けよう」


 惣左衛門はもう一度頭を下げて、武平の家から出て行った。


 少しして、息子をおぶった玉が帰って来た。


「父さんとすれ違ったけど、どうしたの」


「ただの挨拶だ。気にするな」


 訝るように、玉は細い眉を寄せた。


「本当に」


「俺が、信用できないのか」


「そうじゃないけど」


「なら、良いだろう。些細なことを気にしても、何があるわけでもない」


「それはそうだけど」


 玉は首を傾げながら、家に上がった。




 源市が矢を放った。弦音が響き、矢は的の中心に刺さった。源市が息を吐くと、幼子の竹丸が歓声を上げる。


「凄い、また的中だ」


「鍛錬すれば、お前もこのぐらいはできるようになる。矢を取ってきてくれ。そうしたら教えてやる」


「分かった」


 竹丸は的に走り寄り、矢を抜こうとする。木の的に深く刺さった矢は簡単には抜けない。矢を折らないようにしながら試行錯誤しているが、助けを求めてくる様子はなかった。


 源市は笑いながら、溜池の傍に座る武平の横に腰を下ろした。


「弟はどうですか」


「負けん気と冷静さの両方があります。良い男になるでしょう」


「でしょう。おまけに俺に似て顔も良い」


 言って、源市は声を上げて笑った。


「用はこれですか。それとも何か教えた方が良いですか」


 源市は瞬時に顔を引き締めた。


「そうしても貰えるとありがたいんですが、本題はそれとは別です。柴論争以降の屋津村について、耳に入れてほしいことがあるんです」


「何かあったんですか」


「うちの村では柴論争については終わったことになっていますが、屋津村には依然、不満の種は残ったままです。正確な内情までは分かりませんが、火種が燻り始めている可能性もあります」


「惣左衛門殿には」


「既に。和尚にも同じように伝えています。二人とも俺と同じ考えでした。兄貴はどう考えますか」


「所詮、他所の村の事です。若衆が短気を起こさないよう眼を光らせる以外にすることはないでしょう。そちらも既に動いているんでしょう」


「それは勿論。ただ、合力関係の確認はしないで良いんですか」


「目と鼻の先に興田殿がいるんです。もし必要だとしても、それは惣左衛門殿がすること。若衆が気にする必要はありません」


「兄貴が言うなら、俺はそれに従います」


 竹丸を見守っていると、間もなく全ての矢を抜いて駆け戻って来た。


「全部抜けた」


 竹丸が笑顔で掲げる矢には、欠けている箇所のあるものは一つもなかった。僅かに木の滓を付けただけで、どれもこれも作りたてのような綺麗さを保っている。


「良くやった。約束通り教えてやる」


 源市が子供用の小さな弓を手に取ると、竹丸は首を振った。


「そっちはもう良い。それより刀を振ってみたい」


 源市の腰にある二本を指差した。


「これは駄目だ」


「何で」


「良いか、竹丸。腰に下げた刀は自分だけのものだ。常に身に着けて、例え家族だろうと、自分以外の奴には触らせるな。もし触った奴がいたら殺しても良い。刀ってのは、それぐらいの物なんだ」


 竹丸は首を傾げた。


「なら、何で武平は刀を持ってないの」


 源市は言葉に詰まり、腰に何も差していない武平を見た。


「私には、必要のない物だからです」


「どういう意味?」


 源市は慌てたように口を開いた。


「刀に頼る必要がないくらい強いからだ」


「そうなの」


「そうだ。うちの村の男だけが二本を差せているのは、兄貴と千樹寺のお蔭だ。お前も元服した時には名と二本を貰う。俺の二本も兄貴が用意してくれたものなんだぞ」

「何で兄ちゃんが答えるの」


「強さは、自分で語るものではないからだ。ほら、弓の鍛錬を始めるぞ、持て」


「ううん、分かった」


 釈然としない様子の竹丸を、源市は手取り足取り教え始める。


 しばらくして、母がやってきた。


「武平、源市」


「何かあったんですか」


 武平は立ち上がりながら訊いた。源市が微かに顔をしかめる。


「和尚が二人を呼んでる。直ぐに来てほしいって」


「分かりました。源市」


「ちょっと待ってください」


 源市は、母と竹丸を交互に見る。何かに気が付いたように母が手を叩いた。


「竹丸は私が相手をしようか」


「いえ、必要ないです。竹丸、一人で家に帰って大人しくしてろ。何かあったら千樹寺まで来い。分かったな」


「家、直ぐそこなんだけど」


「分かったのか、分からなかったのか」


 源市の語調が荒くなる。竹丸は首を縮め、慌てたように家に駆けて行った。


「そうだ。武平、お父さんの事なんだけど」


「何かあったんですか」


 母は、躊躇うように言った。


「このままだとまた借金をしそうなんだ。だから早いうちにお父さんにお金を渡しといてくれないかい」


「分かりました。今日中に渡しておきます」


「助かるよ」


 母は笑みを浮かべる。源市が武平の肩を押した。


「行きましょう」


 歩き出して少しすると、源市が頭を下げた。


「さっきはすいません」


「何のことですか」


「兄貴の母さんの申し出を断ってしまって」


「気にしないでください」


「助かります」


 千樹寺の本堂に行くと、円照と惣左衛門が待っていた。武平たちが着座するのを待って、円照が懐から書状を取り出した。


「早稲分の減免について、興田殿より返答があった。細かい部分は省くが、不作分は免除するとの事だ」


 源市が円照に詰め寄った。


「それは本当ですか」


「ほかの村も似たようなものだ。篠ヶ坪だけ厳しいわけでも甘いわけでもない。これを確認してみろ」


 円照が差し出した書状を、源市は勢いに任せて奪い取る。それから食い入るように中身を改めた。


「確かに。兄貴もどうぞ」


 武平は手振りで断ると、源市は円照に書状を返した。


「一先ず伝えはした。これにどう対応するかはじっくり考えれば良い。それと、中稲晩稲の減免についても出来次第で認めるとのことだ。その点については心配しないで良い。次郎三郎殿から確約を頂けた」


 惣左衛門は唸り、源市は腕を組んで黙った。誰も話そうとしないのを見て、武平は口を開く。


「早稲分はほとんど手元に残りませんが、妥当な対応でしょう」


「その通りだ。興田殿の肩を持つわけではないが、良くやっている。ほかの地域ではもう少し厳しい取り立てになりそうだという。噂では一切の減免を認めず、不作分を軍役で賄うように達示があった村もあるとか。興田殿を責めるのは酷だろう」


「だからこそなのです、和尚」


 惣左衛門が言った。


「強硬手段に出るのは明らかに利に合わない。さらに減免を願うにも、禍根を残す割には利が少ない。しかしここで甘いところを見せてしまうと、中稲晩稲の際に付け込まれる恐れがある」


 源市が頷いた。


「俺も同意見です。ただそうなると、他の村と一丸になって意見しないといけない。でも、屋津村との一件で出来た確執は、確実に残っています。果たしてこの状況で一丸となれるでしょうか。下手をするとその前に、若衆同士で戦が起こるかもしれません。これ以上の減免を望むのは難しいと思います」


 惣左衛門は、源市に目をやった。


「若衆を抑えるのはできそうにないか」


「屋津の連中に顔を合わせない限りは、俺一人でも十分に抑えられます。しかし顔を合わせてしまえば、抑えるにも限度があります。それも相手が屋津の若衆ならかなり厳しい。それは、兄貴がいても同じ事だと思います」


「そうなのか、武平」


「源市の言う通りです。早稲分は少ないのですから、余計な波風を立てるよりはほとぼりが冷めるまで待って、事を起こす方が懸命だと思います。起こさずに済むのが一番ではありますが」


 沈黙が訪れる。


 少しして、円照が立ち上がった。


「何、直ぐに答えを出すことでもない。他の者に減免の件を伝えて、それから考えると良い。儂は用があるのでここで失礼させてもらう」


「分かりました。後日、意見を伝えに来ます」


「急くなよ」


 円照が千樹寺を出て行く。惣左衛門も腰を上げた。


「取り敢えず減免について伝えよう。村の主だった者を集めてきてくれ」


 武平と源市が歩き回り、村の有力者を本堂に集めた。


 減免の件を伝えて意見を募ったが、意義のあるものは上がらなかった。場もあまり紛糾せず、直ぐに減免をそのまま受け入れるという結論が出た。

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