17『解放への選択』

 兵を剣で薙ぎ払ったミデンは、扉を蹴り開けた。けたたましい音と共に、あらゆる視線が一斉に向けられる。その中央で、一段と鋭い視線を向ける青年がいた。

「……ミヤ? 何故ここにいる。兄上はどうした」

 ナキは低く呟いた。ミヤとミデンは赤い絨毯の上をずかずかと歩く。ある程度彼と距離を置いたところで立ち止まり、玉座に座る魔王を睨んだ。

「ルキを解放してもらう」

「兄上を? 急になんだ。兄上は君達を騙していた悪魔だぞ?」

「いいから解放しろ」

 ナキはくすりと笑い、足を組んだ。

「断る。君も牢屋に戻るんだな」

「僕はもう捕まらない」

「まだ魔王軍に勝てるとでも思っているのか?」

 ミヤの背後で兵達が武器を構える。ミヤの合図とナキの合図は同時に出された。兵が一斉にミヤ達へと駆け出す。ミデンも駆け出し、向かってくる兵を剣で迎え撃った。ガキン、ガキンと金属の重なる音が響く。しばらくすると、兵達は皆ミデンの足元に倒れ、立ち上がることが出来なくなった。

「なっ……⁉ さっさと倒せ! 何をしている!」

 ナキが兵達に叫ぶが、彼らはそれに応えることは出来なかった。ミデンが剣を肩に乗せ、やれやれと呆れた声を出す。

「これだから暴君は。少しは兵のことも気遣ってやれよなァ?」

「なんだと……⁉」

「人間界の侵略で最近忙しいんだろ? そりゃ兵だって疲れてるわけだ。オマケに、主さんがここに連れてこられた頃よりもだいぶ数も減ってる。蹴散らすのは簡単になるってもんだ。いやァ、楽勝楽勝」

 にたりとミデンが笑うと、ナキは唇を噛みしめた。そのあまりの力に、じんわりと血が溢れる。その色とよく似た赤い瞳はギラギラと怒っていた。

「貴様……! 人間の分際で……!」

「心外だなァ。オレはれっきとした悪魔だぜ? アンタとは敵対するけどなァ」

「黙れ! オイ! 兵を全てここに集めろ!」

 ナキが叫ぶ。彼の最も近くにいた兵がじりじりと扉の方に身を運ぶが、ミデンもそれを捉えていた。空気が張り詰め、一歩動けば斬りつけそうな、そんな雰囲気をミデンは醸し出していた。蛇に睨まれた蛙のように、兵は動けなかった。

「何してる! 早く行け!」

「可哀想なこと言うなよ。アンタだって死にたくないもんなァ?」

「う………!」

「早くしろ!」

「うっうああああああああ!」

 兵は走り出した。剣を構えて扉へと。その途中にはミデンがいる。ミデンは薄く笑い、剣を振るった。兵の胸から血が飛び出し、兵は倒れた。

「この……役立たずが!」

 ナキは舌打ちして立ち上がった。玉座に立てかけていた剣を持ち、鞘から抜いて構える。

「オレが貴様らを殺してやる」

「やっとやる気になったか。戦えねェのかと思ってヒヤヒヤしてたぜ」

 ナキが駆け出す。ミデンに剣を突き出すが、彼はナキの頭上を飛んで背後についた。ナキの背に剣を下ろすが、振り向いたナキの剣で止められる。ギリギリと刃の擦れる音、次の瞬間ナキは壁際へと飛んだ。直後に銃声が響く。銃弾はナキのいた場所を通過しただけだった。ミヤは舌打ちし、ナキに拳銃を再び構える。

「主さんよォ、手ェ痛めるなよ? あとオレを撃つなよ?」

「分かってる」

「チッ……! 人間が……!」

 ナキはミヤへと目標を変え、壁を蹴って飛んだ。素早くミデンが反応し、ナキに剣を振るう。再び二本の刃は重なった。しかし、今度はナキが何度も剣を振るい金属音が鳴り続ける。全て剣で受け流しているミデンは、一瞬の隙を突いてナキの左脇腹に蹴りを入れた。ナキの体が吹っ飛び、玉座へ吸い込まれるように飛び込んだ。その瞬間、一発の銃声が響く。

「ナーイス、主さん」

 ミデンがミヤに笑いかける。ミヤの構える拳銃の銃口からは、微かに硝煙が昇っていた。その銃口が向く先には、胸を押さえ苦しむナキがいる。押さえている辺りの服は、じわじわと血で濡れていた。悪魔はギロリと人間を睨む。

「ミヤ……! 貴様あ……!」

「このまま殺せそうだなァ。どうする? 主さん」

「ルキが戻るまで待つ。拘束しろ」

「りょーかい」

 ミデンがナキへと近付き、彼の左腕を引っ張りあげた。痛みで苦しむナキは、しかし不敵な笑みを浮かべた。

「ハッ………兄上は……ユキのところに行ったのか……?」

「さァな。そうなんじゃねェの?」

「ククク………馬鹿な兄上だ……」

 喉の奥で笑うナキ。ミデンが彼の傷口に足を落とすと、ナキは小さな悲鳴を上げた。

「まずその口をどうにか黙らせたいな」

「兄上の魔力が戻った時………兄上は絶望に染まる……!」

 力ない笑いを続けるナキに、ミヤは一抹の不安を覚えた。扉の方に視線を向け、先程別れた未来達を思い出す。

 彼女らは大丈夫か―――そう思った直後、彼の耳を爆音が貫いた。

 そして次の瞬間には、彼の体は砂煙で包まれていた。



 時は少しだけ遡り、ミヤと別れた未来が、ルキから『ユキ』の居場所を聞き出した頃。未来とルキ、それからニヒルはユキのいるという地下最奥へと向かっていた。そこはミヤが捕らえられていた地下牢よりもずっと下の―――地獄にまで届くのかと思える程に地下深い場所だった。三人はひたすら暗い階段を降りていく。たいまつで壁に映る影は、主達よりもずっと大きく不気味だった。

「ユキ―――ユニラキ・ジル・トリガーは、私とナキの妹だ。ユキは私に懐いていて、とても元気な子だった」

 ルキの声が辺りに反響する。未来は彼の大きな背を眺めた。

「私がナキに反逆され捕まった時、彼女もまた捕らえられていた。ナキは私を従わせる為に彼女を人質にした。そして私はユキを生かす為、魔力を取られナキのしもべとなった」

「ひどい………」

 未来の静かな憤りにルキは頷いた。

「ナキは、私から取った魔力を水晶に封じ込め、それをユキに持たせて幽閉した。それだけだと私が力を取り戻してしまう可能性があったから、ユキを見張る魔獣も幽閉させたんだ」

「今のあなたじゃ、倒せないんだね」

「そう。情けないことにね……」

 消えてしまいそうな男の声。未来は咄嗟に、前を歩くルキの肩に手を乗せた。

「頑張って助けよう」

「……ありがとう。ミク」

「お礼は………宮くんに言って」

「ミヤに?」

 赤い目玉がちらりと後ろを見る。未来はルキから手を離し、その手を胸の前で握った。

「宮くんがいたから、私は助かった。だからこうして助けに来ることも出来た………そうでしょ?」

 スカイブルーの瞳が淡く光る。ルキは「そうだね」とだけ言って、再び前を向いた。彼女の言葉に、どことなく違和感を覚えたルキだが、追究するつもりはなかった。

 三人はやがて、地下最奥にたどり着いた。鎖で堅く守られた扉に、ニヒルが剣を振り下ろす。鎖はバラバラに切られ、おそるおそる中へと入る。真っ暗な室内。はぐれないようにルキは未来の手を握った。

「気を付けて。魔獣が……」

 ルキの言葉を遮るように、突如咆哮が彼らの耳を貫いた。ドシン、ドシンと地響きも鳴る。目の前に現れた二つの巨大な赤い目玉―――直後、再び「それ」は吠えた。

「グオオオオオオオオオオオオオッ!」

 次々と、壁にかけられていたたいまつが灯る。そこは円状のだだっ広い空間だった。天井は高く、十メートルはあるであろう巨大な狼も余裕で収まる程であった。銀の毛を逆立たせる狼は、未来達に牙を向けた。

「お下がりください。ここは私が引き受けます。ミク様とルキ様はユキ様の元へ」

 ニヒルが剣を構え、未来達の前に出る。その背に不安の声がかけられた。

「あんなに大きな魔獣と一人で戦うの⁉」

「今優先すべきは、ルキ様の力の解放、そしてユキ様の解放です。番人がこの一匹であれば、私だけでも時間稼ぎは可能です」

「でも……!」

「分かった。頼むよ」

 ルキは未来の手を引き、狼の脇から部屋の奥へと走った。狼は彼らに噛み付こうとするが、ニヒルに首を斬りつけられ、動きが止まる。赤い目玉がギロリと動く。そこには、挑発するような笑みを浮かべるニヒルが映っていた。

「来い、魔獣。私が相手になってやろう」

「グオオオオオオオオオオオオオッ!」

 狼がニヒルへと噛み付く。ニヒルは後方へかわし、狼もそれを追いかけた。ルキと未来はその隙に部屋の奥へと向かい、扉を見付けた。入り口と同じように鎖で閉ざされ、素手では解くことが出来なかった。困り果てるルキの隣で、未来が鎖へと右手を振り下ろす。一瞬の強風、次の瞬間には鎖は切断されていた。思わず目を丸くするルキ。

「ミク……⁉」

「話は後! 早く行こう!」

 未来に促され、ルキはしぶしぶ頷いた。扉を開け中へ入る。そこは狭い部屋だった。天井も低く、たいまつも数個程しかない。部屋の中心で座っていたのは、真っ黒なドレスを着た少女だった。ルキと似た橙の細い髪を床まで垂らし、胸には赤子程の透明な水晶玉を抱えている。虚ろな赤い瞳がルキと未来を見付けると、小さな頭はカクンと傾いた。

「…………にいさま……?」

「ああ、そうだよ………ユキ……!」

 ルキは涙をこらえた笑みを浮かべ、ユキへと歩み寄った。呆然と自身を見上げる妹を、優しく抱き締める兄。

「ごめんね………でももう大丈夫。もう自由になれるからね」

「自由に……?」

「ああ。今解放してあげる」

 ユキが抱えていた水晶玉を、ルキが取り上げる。すると水晶玉は光を放ち、ルキの体内へとゆっくり取り込まれていった。完全に取り込まれると、ルキは深呼吸を一つし、薄く目を開ける。自身の全身を眺め、きゅっと拳を握った。

「戻った……」

「大丈夫? ルキ」

「ああ。早くミヤの元へ行こう。ユキ、立てるかい?」

 ルキがユキに手を差し出す。彼女は無機質な瞳でルキを見上げた。じっと見つめ、何かを言うわけでもない。不審に思ったルキは、困ったように首を傾げた。

「ユキ?」

「………ああ、兄様………元に戻られてよかった……」

「ユキ……?」

「わたしは………嬉しいです……」

 ユキが笑顔を見せる。その瞳には涙が溢れていた。何かを言おうとルキが口を開く。しかし、彼が言葉を発することは叶わなかった。何故なら―――。

「さようなら……兄様」



 ――――――――――――ドォオオオオオン



 轟音と衝撃が、彼を襲ったからだった。

「なっ……⁉」

 あまりに突然で、ルキの体は吹っ飛ぶ。壁に背中を思いっきり打ち付けるが、彼はすぐさま辺りを確認した。コンクリートの破片が次々と落ちてくる。もはや部屋は形を留めておらず、崩壊を始めていた。未来が頭から血を流して気を失っている姿が、視界の端に見えた。一方、ユキの姿はどこにも無い。

「ユキ⁉ どこだ⁉」

 未来を抱え、ルキはユキを探し回る。その間にも崩壊は進む。仕方無くルキは部屋から飛び出した。そこも崩壊が始まっており、ニヒルや魔獣も状況に困惑していた。

「ルキ様!」

「ニヒル! ミクを頼む! 私はユキを探して……」

「ユキ様はあちらです!」

 ニヒルが指差す先は、はるか上空だった。地上の城は突き破られ、ここからでは見えるはずのない夜空が確認出来た。満天の星空を背景に蠢く一匹の獣―――細長い胴体は赤い鱗で覆われ、黄色い二本の角は鋭い。赤黒い血のような目玉は、ギョロギョロと辺りを見回していた。

「あれは………ドラゴン……?」

 ルキが呆然と呟く。どうして急にドラゴンが? 疑問に思いながらその胴体を目でたどっていくと、腹の辺りに異物が見えた。手足を含めた体後ろ半分はドラゴンに取り込まれ、意識が無いのか、目をつぶって動かない全裸の少女……。

「ユキ⁉」

 そう。それはユキだった。ユキはドラゴンに取り込まれていた。その事実に、ルキの頭は混乱した。

「なんでユキがあいつに⁉ どういうことなんだ⁉」

「ルキ様! 地上へ!」

 パニック状態のルキを促し、ニヒル達は地上へと飛んだ。壊れた城の残骸と共に兵達がそこらに転がっている。ルキは未来を地面に寝かせると、再びドラゴンを見上げた。

「ユキが………ドラゴンに……⁉」

「あれは身売り召喚ですね……ユキ様はあのドラゴンを、命と引き換えに召喚したのでしょう」

「何故ユキがそんなことをする!」

「そういう契約をさせられてたんじゃねェのか?」

 黒い翼を羽ばたかせながら空から降りてくるミデン。彼に抱えられていたのはミヤだった。二人がルキ達の前に降り立つと、ルキはミデンに詰め寄った。

「どういうことだ!」

「だから、アンタの弟にそういう契約させられてたんじゃねェのってことだよ。アンタが力を取り戻したら、妹はドラゴンを召喚するってな」

「そんなこと出来るの?」

「ああ。なんてったって、契約魔法は悪魔の十八番だからな」

 妖しく笑うミデンに説明を求めるミヤ。悪魔は得意気に言葉を綴った。

「何かの条件をつけて他者と契約を結ぶのが契約魔法だ。悪魔はそれでよく、契約の対価として相手の魂を食らったりする。で、今回は妹と契約を結んだんだろうってことだよ」

「生かすかわりに、ルキを元に戻したらドラゴンの生贄にするって?」

「まあそんなとこだろう。契約魔法は両者が納得すれば成立するからな……さしずめ、無理矢理納得させられたってところか? いやァ、悪魔の鑑だなァ? アンタの弟は。惚れ惚れするぜ」

 ルキは唇を噛みしめた。怒りで震える拳を抑えることが出来ない。彼らの間に沈黙が流れる。ドラゴンは口から火を吹いたり、長い尾で目に付くものを壊したり、やりたい放題に暴れていた。そんな光景を見上げながら、ミヤがぼそりと呟いた。

「ユキはもう死んじゃってるの?」

「さあなァ。ドラゴンはあの少女の魔力で動いているから、もしかするとまだ可能性はあるかもな」

「本当?」

「ええ。ユキ様の体が見えるということは、完全には取り込まれていないのでしょう。息があるかは分かりかねますが……」

 ミヤはユキを見て、隣のルキを見る。ルキは怒りに震えながらも、悲しみに暮れていた。ミヤは、ルキの足元で眠る未来にも視線を落とす。血を流す彼女をしばらく見つめ、ミヤは決心したように再びドラゴンを見上げた。

「ユキを助けよう」

「主様⁉」

「ハッ! 本気か⁉ 主さんよォ!」

 その場の全員がミヤを凝視した。ミヤは「本気だ」と言って、ルキに向き直る。

「このまま黙って見てたら、確実にユキは死ぬよ。それでもいいの?」

「でも………ユキはもう……」

「可能性はある。だったら助けるでしょ。それとも、こうもアッサリと見捨てるような間柄なの?」

「そんなわけない!」

「じゃあ助けようよ」

 ミヤはルキに手を差し出した。

「あんたは、僕やミクを犠牲にしてまでユキを守ろうとした。そうまでして守りたかった妹を、そんな簡単に諦めてもいいの? もう生きていないとしても、遺体だけでもあのドラゴンから取り返そうとか思わないの?」

 ルキは唖然とミヤを眺めた。彼の体は傷だらけだ。そうさせたのは紛れもなく自分―――そうだ。私はユキの為に彼を見捨てた。ミクを見捨てた。それなのにここで彼女を見捨てるなんて、そんなこと出来るわけがない。

「………そうだね。ミヤの言う通りだよ」

 力強い目でミヤを見返すルキは、腰に携えていた杖を手に取る。

「ユキをあいつから解放しよう」

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