16『少女の選択』

 ここは「あそこ」とは違う。出れたとしても、圧倒的な数の力の前に倒れ、再びこの檻にぶちこまれる。そして、痛みを与えられる。気付いたら抵抗をする気さえも失っていた。

 もう、助かる術はない―――少年は視線を落とした。ボロボロの自身の足の横に置かれた、食事の乗った二つの盆。どちらも同じものが乗っているが、片方のパンは少しちぎられていた。そのかけらは冷たい床の上に転がっている。

 ぐう、と腹が悲鳴を上げた。スープのにおいにつられ、ぐうぐうと泣き続けている。それでも少年は食事を摂ることはなかった。ぼんやりと虚空を見つめ、時が過ぎるのを待っていた。

 静寂が続く。

 そういえば今日はまだ誰も来ない―――ふと頭をよぎった疑問に興味は無かった。少年はやがて眠りについた。小さな寝息が闇に響いた。


「………く………くん……」

 どれだけ時間が経っただろうか。ふと何かが聞こえた気がして、少年は目を覚ました。檻の外、向かいの檻から何かが聞こえる。少年は重たいまぶたを開き、虚ろな目を凝らした。暗闇に浮かぶ、スカイブルー。「それ」は必死に檻から腕を伸ばしていた。

「宮くん! 大丈夫⁉」

 ミヤは覚醒した。そこにいた人物に驚き、考えるより先に体が動いていた。檻まで駆けていき、「それ」を確認する。

 やはりそうだ―――銀色の内巻き、シャツと短いズボン、優しく笑うスカイブルーの瞳の少女を、ミヤは知っていた。

「ミク……?」

「宮くん! よかった、生きてた……」

 ほっと胸を撫で下ろす未来。ミヤはエネルギーの足りない脳を必死に動かした。

 何故ここにミクが? 彼女は逃がしたはずなのに―――ミヤはハッと気付き、檻に掴みかかった。

「捕まったのか……!」

「うん。宮くんを助ける為に」

「は……?」

 未来は檻を握り、強くミヤを見返した。

「宮くんを助ける為に捕まったの」



 轟音が鳴り響いた。ルキは急いで部屋から飛び出し、音の方へと向かった。それは地下牢からだった。ここ最近ピタリと止んでいた、ミヤの抵抗だ。

 どうしてまた―――彼の胸の内には不安が沸き起こっていた。地下牢の扉を開けると、平然と歩くミヤと対面した。彼の背後にはニヒルとミデン、そして未来もいる。

「ミヤ……」

「ルキ。僕らは帰る。ルキも来る?」

「は……?」

 ミヤは真剣な顔だった。真剣にルキと向き合っている。傷だらけの足を動かし、ゆっくりとルキへと近付いていく。

「あの家はルキのものだし。家主がいないと困るんだけど」

「私は……帰らないよ」

「ふうん。それって、弟に逆らえないから?」

 瞬間、ルキの体が硬直した。ミヤは彼の目の前で、紫色の瞳を見上げる。

「弟に力でも封じられてるの? それで歯向かえない。違う?」

「…………どうしてそう思ったの?」

「ミクが言ったんだよ」

 ちらりと背後に紫の視線が移る。未来は天使と悪魔に守られながら、じっとミヤ達を見つめていた。ルキは唖然と彼女を見る。

「ミクが………どうして……?」

「さあ。でもたしかに、言われてみると納得のいく点はいくつかあったよ。あんたの発言とか」

 ミヤはフン、と息を吐き腕を組んだ。

「あんたが使ってみせた魔法は、「闇」だけだった。十分強かったけど、ニヒルに無効化されてもそれしか使ってこなかった。そのせいで他の悪魔達に捕まったけどね」

 ルキはごくりと息を飲んだ。彼の脳裏には、ミヤが牢屋から逃げ出した光景が思い出されていた。ミヤは何度も天使と悪魔を召喚し、逃亡を試みていた。しかし、多勢に無勢。捕獲に参加していたルキも、いつかの柴犬や男子生徒を侵していたあの「闇」で対抗していたのだ。ミヤの言うように、ニヒルによって無効化されたが、彼はそれでもその攻撃を止めなかった。

「なんであんたは同じ方法を選び続けた?」

 紫と赤の視線が絡み合う。前者は相手を探らんとする強い意志がこもっていた。対して後者は、思わぬ質問にうろたえていた。

「あ、当たれば君は行動不能になるからね」

「ふーん。ミデンにも同じことを思ったの?」

「あ、ああ」

「そりゃ馬鹿ってもんだせ? 魔王の兄さんよォ」

 ケラケラとミデンが笑う。

「どんなにアンタが強力な闇を出しても、悪魔相手には効果は半減以下だ。そんなこと、普通分かるよなァ? 魔王さんは効かないって驚いてたけどよォ」

「私の魔力は強力だ。そこらの悪魔でも同様の効果が期待出来る」

「だろうなァ。アンタの闇は強力だった。ただオレには効かないというだけで」

 ルキがミデンを睨む。ミデンは気にせずミヤに言い放った。

「主さんよォ。やっぱおかしいなァ、こいつは。ここまで強力な魔力を持っていながら、手札が一つなわけないんだよ。絶対に他にも隠し持っている」

 ミヤはこくりと頷いた。しかし咄嗟にルキがそれを否定した。

「私はこれだけを極めた! だからこそこの強さなんだ! 手札はこれだけだよ!」

「ハッ! 笑えるねェ。手札がたった一つって、主さんじゃないんだから……なァ?」

 ミデンの嘲笑をミヤは無視し、ルキを見上げた。

「じゃあもう一つ質問。手札が一つだけって言うなら―――どうやってミクを作ったの?」

 やってしまった―――ルキの顔がそう言っていた。ミデンは勝ち誇ったように笑い、ミヤも少しだけ口角を上げた。

「あんたでしょ、ミクの記憶を構築したのは。言わずもがな、そんなこと魔法でしか出来ないよね」

「ッ……!」

「たぶんあんたは弟のせいで、必要な魔法しか使えなくなったんじゃないの? それなら納得するけど」

「違う……! 違う……!」

「なんでそんなに否定するわけ? 僕らが助けてやろうかって言ってるんだけど」

「え……?」

 未来がミヤ達のもとへ歩み寄り、ルキの手を取り包み込んだ。

「無理矢理嫌なことさせられてるんだよね? 妹さんを人質に取られて」

「な………なんで……⁉」

「言ってたでしょ? 「妹は外に出られない」って」

 ハッとしてルキは唇を噛みしめる。

「そもそもミクの記憶にあんたの妹は構築されていなかった。だから適当に誤魔化せばよかったのに、あんたはわざわざそんなことを言った。それって……」

「私達に、助けを求めたんだよね?」



 ―――――――――――――兄様。



「っ……ダメだ!」

 ルキは未来の手を振り払った。彼女に背を向け、胸をぎゅっと握り締める。

「違う……ダメだ……」

「なにが? どうして?」

「自由になりたくないの? ルキ」

「それは………そうだけど……」

 ぐっと未来に腕を引かれたルキ。その隙間から、ミヤが扉へと飛び込んでいった。慌てて追いかけようとするルキの腹に拳を叩き込むミデン。完全に油断していたルキは、苦しそうにむせた。

「主様を絶対に守れよ、悪魔」

「わーかってるよ。テメェらもしくじるなよ」

「うん、任せて」

 ミデンはミヤを追って地下牢から出ていった。困惑するルキの腕をぎゅっと握る未来は、彼に笑みを向けた。

「大丈夫。宮くん達ならきっと、悪い王様を倒してくれるよ」

「違う! それはダメなんだ!」

 薄暗い地下牢に響いた怒号。ルキは拳をプルプルと震わせ、ギッと未来を睨んだ。

「ナキを殺そうとすれば………ユキが殺される……!」

 震える声はか弱かった。沈黙が流れる。未来はルキの手をもう一度強く握り、スカイブルーの瞳を光らせた。

「やっと言ってくれた」

 ルキは泣き崩れた。ぽろぽろと涙を流す彼に、未来も同じ目線までしゃがみこむ。

「私達を犠牲にしてまで、その人のこと、大切に思ってたんだよね」

 未来の言葉に頷くルキ。うな垂れる無力な男を見下ろし、少女は小さく呟いた。

「―――「あなた」も大変だったんだね」

 泣き顔を上げるルキ。スカイブルーの瞳はにこりと笑った。その瞳は何か強い自信があり、同時に安心感を与えるような雰囲気を帯びていた。未来は真剣な面持ちになり、ルキに問いかける。

「ユキは、どこにいるの?」

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