13『襲撃』
商店街を駆け抜ける。すれ違う人達には異様な目で見られる。たまに誰かにぶつかるが、気にしている暇はない。
あれから随分と経ったはずだが、一向に柊は見付からなかった。そこまで逃げ足が速いとは思わない。
もしかすると、もう……?
「一体どうすれば……」
何か手がかりでもあれば、あるいは……。
「…………いや、もしかすると……」
柊は家に向かっているのかもしれない。逃げるにしても、こんな知らない土地にとどまるとは考えにくい。
ならば向かう先は地元―――柊家だ。ルキに助けを求めに行くに決まっている。
「―――――ッ」
自然と足が止まった。商店街を抜け、再び閑散とした住宅街で、僕は立ち尽くしてしまった。
あそこに戻るのか? 『あいつ』にばれてしまった隠れ家に? それはあまりにも馬鹿だろう。それじゃあ何の為にここまで来たのか分からない。可能性は高いが、柊が帰るとも断言出来ない。そんなに不確定のまま、リスクの高い方を取る程、僕はお人好しじゃない。
私は信じてるよ! ミヤくんのことを!
なんでこんな時に思い出してしまうんだ。あの無条件の信頼を。あれは柊が勝手に言っているだけだ。僕が何かを返す義理は無い。
そうだ。だって彼女を見捨てれば、僕は自由のままでいられるのだから―――。
――――――――――――ビリィッ
「ッ⁉」
全身に電撃が走ったような感覚に陥った。見上げると、青空に不穏なグレーの雲が、どんどんこちらに流れてきていた。太陽はあっという間に隠され、辺りが薄暗くなる。雲の下を飛ぶ無数の何かがちらほらと見えた。目を凝らしてみると、人のような形をしていた。翼のようなものも生えている。
「あれって………」
見たことがある。それも、つい最近に―――僕の召喚する悪魔だ。それによく似ているような気がした。
心臓の拍動が速くなる。姿はだんだんとハッキリしたものになっていった。それらはやはり人だった。真っ黒い羽を背中から生やして空を飛んでいる、人。
「人じゃない……」
人は空を飛べない。しかし彼らは人の姿をしている。ならばやはり、彼らは………。
「悪魔……!」
悪魔達は散り散りに地上に降り立った。直後、街中で悲鳴が上がった。爆発し、煙を上げている場所もある。駆け出そうとすると、目の前に一人の悪魔が降りてきた。風が吹き付ける。
「おっ! 子供発見」
粘っこい声に無意識に体が反応した。微笑を浮かべる彫りの深い顔。男は翼をたたむと、僕をまじまじと見つめた。
「なかなか可愛らしいね。遊びがいがありそうだ」
「ッ……!」
思わず一歩後ずさった。男はしばらく腕を組んで何かを考えた後、ポンと手を叩いた。
「そうだ! せっかくだし、研究所に送るか!」
研究所? それって一体何の―――悪魔は僕の全身を舐め回すように眺めた。
「補充しろって言っていたし。これで怒られずに済むかなあ」
「………僕を捕まえるのか?」
「ああ。楽しいところだよ。君と同じくらいの子供がたくさんいるよ」
「誰が行くか……そんなとこ」
悪魔はクツクツと笑った。
「そうか。なら、無理矢理ついてきてもらうしかないな!」
悪魔が手のひらに黒球を作り出し、それをこちらに投げてきた。右へ飛んで避けた僕に悪魔が向かってくる。伸びてくる腕を避け、僕はその場から駆け出した。
「逃がさないよ」
背中に何かが突き刺さった。痛みが走るが止まっていられない。すると今度は首にロープのようなものが巻き付いて、体が後ろに引かれた。倒れそうになる僕を、悪魔が背後から支えた。
「いいところだよ? もしかしたら、君は生まれ変われるかもしれない。その可能性を秘めているんだ」
間近で囁く悪魔に体が震えた。まるで自我を持ったように、ロープが首を絞めてくる。息苦しくなってもがくと、背中の鋭利な何かを押し付けられ、痛みが増した。
「がッ……あッ」
「まあ僕は、遊びたいだけなんだけどね。子供って素直でいい反応するからさ」
僕のお腹を押さえる悪魔の腕を掴んだ。引き剥がそうとしてもびくともしない。そこに視線を向けた悪魔は、ん、と疑問の声を上げた。
「これは……ああ、これのせいで君は不自由を強いられていたんだね。可哀想に」
悪魔がブレスレットを撫で、僕の背中に刺さっていたものを抜いた。ちらりと見ると、それは矢だった。
「外してほしいかい?」
「………外せるのかよ」
「ああ。無償で解放してあげよう」
にたりと笑い、矢を握り締める悪魔。その腕を掴み、僕は悪魔を睨み上げた。
「断る。悪魔は嘘を吐く生き物だから」
「―――ハハッ! その通りだな! 利口だよ! 少年!」
悪魔が矢を振り下ろそうと力を加えた。何とか止めているものの、圧倒的に力負けしている。血濡れた鋭利な刃が少しずつ心臓に迫る。
「さあどうする⁉ このままじゃ死んじゃうぞ⁉」
狂ったように悪魔が笑う。僕は意識を奥深くへと集中させた。鎖が取れかかっている「箱」へと手を伸ばす。僕に気付いたのか、「箱」はガタガタと震え出した。鎖を取っていくが、絡まりに手こずってしまう。その間にも矢は、僕の心臓を狙って下降し続けている。
「ほらほらほら! あとちょっとで刺さっちゃうぞ⁉ どうするんだあ⁉」
真っ赤な目を見開き、悪魔はおもむろに顔を近付けてきた。ぐっと、矢も距離を詰める。
――――――こいつは知らない。束縛されていた日々で、僕が「方法」を身につけたことを。普通、それはあり得ないことだから知るはずもないのだけれど。
急いで鎖の絡まりを取る。「箱」から鎖を全て取りきると、「箱」は勢いよく蓋を開けた。「箱」の中から飛び出す、大量の魔力。それらは意思を持ったように僕に降り注ぎ、そして―――。
「ああああああああああああああッ!」
魔力は、僕の中から無造作に放出された。勢いよく放たれた力に、ロープも悪魔も吹っ飛ぶ。僕は膝をつき、胸を握り締めた。止まらない魔力の放出に痛む体、失いかける意識。しかし暴れている場合ではない。コンクリートの道路に垂れた血に手のひらを乗せ、僕は叫んだ。
「来いッ! 二人共ッ!」
次の瞬間、白と黒の光が辺りを包み込む。光の中から現れたのは二人の男―――僕に仕える天使ニヒルと悪魔ミデンだった。
「主様。二度とこのような呼び方はしないよう、忠告申し上げたはずです」
「うっへー。まーたボロボロじゃねェかよ」
ニヒルとミデンがそれぞれ喋る。僕は無言で、ニヒルにブレスレットを見せつけた。ニヒルはそれに手を添えると、小さく呪文を唱えた。直後、ブレスレットは砕けて消え去った。それと同時に魔力の放出が収まっていく。
「賢明ではないですよ。下手をすれば命を落としかねません」
「オレとしてもそれは避けてもらいたいなァ。まだまだ遊び足りねェからよォ」
「説教は……後にしてくれ……」
息も絶え絶え、僕は指差す。二人はその先に目をやった。視線の先には、爆笑する悪魔が立っていた。空を仰いで、声高らかに笑っている。二人は冷たい目でそれを眺めていた。
「うわー……イかれてんなァ」
「貴様が言うな、悪魔」
「アレと同類にしないでほしいね。オレは馬鹿みたいに狂気を振りまいたりしない」
やがて笑いが止むと、悪魔は目を細くして僕を見据えた。
「いやあ………面白いね君は! ますます遊びたくなった!」
「誰が……悪魔なんかと……」
「ああ遊ぼう遊ぼう! 最高の日にしようぜ!」
「話聞かない悪魔程面倒くさいものはないぜ」
「貴様が言うな、悪魔」
悪魔は僕のしもべ二人を交互に見て、興味深そうに唸った。
「天使の方はともかくとして………貴様はただの下級悪魔じゃないか。一人じゃ出世出来ないから召喚獣になったのか?」
「下級? オイオイ、アンタの目は節穴か? オレをどう見たらそんなことが言えるんだ?」
「目障りだ。彼に仕える悪魔として相応しくないな」
悪魔が黒球を作り出し、それをミデンへと投げる。ミデンは腰に携えていた剣でそれを弾いた。黒球は散り去る。
「オイオイ、勘弁してくれよ。またやりがいのない雑魚を相手にしないといけないのか?」
「黙って殺せ、悪魔」
「気分が乗らねェなァ。あんたがやってくれよ。どうせすぐ倒せるんだろ?」
ミデンはニヒルを突き飛ばした。天使は仲間の悪魔を睨む。その背後の僕が頷くと、彼はため息を吐いて悪魔に向き直った。
「………主様の命令だからな」
「よく言った! 頑張れー! ニ・ヒ・ル・く・ん!」
「黙れ」
ニヒルが背負っていた剣をこちらに振ると、光り輝く波動が飛んできた。ミデンは軽々と跳んでよける。ニヒルは構わず、敵の悪魔を捉えた。
「悪魔風情が。視界に入るだけで不愉快だ」
「へえ。中立者に従うのは不満か?」
「貴様に答える義理はない」
ニヒルが飛んだ。真っ白な羽を羽ばたかせ、一気に悪魔へと距離を詰める。聖剣を振り下ろすが、悪魔はギリギリで避けた。ニヒルの顔面に拳が迫るが、彼は体を後ろに傾けて避ける。隙の出来た悪魔にニヒルが光球を放つ。それは悪魔に直撃し、悪魔は膝をついた。
「やっぱり光はこたえるなあ……!」
悪魔が俯く。直後、僕の目の前に影が伸びてきた。それは僕自身の影から現れ、大きな手の形をしていた。咄嗟に背後へと体が傾くが、影の方がスピードが速かった。
「見逃すかっての」
影の手は僕の眼前で、両脇から別の影の手に挟まれて取り込まれた。尻餅をつく僕の一歩前に出たミデンは、ケラケラと悪魔に笑う。
「分かりやすいなァ、テメエ。ひよっこかァ?」
「ひよっことは……初めて言われたよ」
「もっと利口に立ち回らねェと、あっという間だぜ?」
悪魔は笑みを浮かべている。しかし緊張したような面持ちだった。悪魔は立ち上がりざまにニヒルへと拳を振るうが、拳は虚空を殴っただけだった。右に避けたニヒルは、悪魔の腹に聖剣を振る。刃は穢れた身体を走った。後方へ退いた悪魔は、流血する腹を手で押さえた。
「くっ……! 天使が……!」
「私に勝てると思ったか、傲慢め」
驚く悪魔の頭上からテノールボイスが降る。見上げると、ニヒルが剣を振り上げていた。慌てた悪魔が黒球を投げるが、ニヒルは既に剣を振り下ろしていた。強風のように、しかし質量を持った何かのように落ちていく光。それは黒球など簡単に消し去り、悪魔を飲み込んだ。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
悪魔の断末魔が上がる。ミデンは眩しそうに腕で顔を覆っていた。ニヒルがミデンの隣に降り立ち、剣を鞘にしまう。光が止んだ頃には、悪魔の姿は跡形も無かった。
「お疲れさん」
「貴様、主様を不安にさせるような守り方は控えろ」
「この方がスリルがあっていいだろォ? それよりどうするんだ?」
ニヒルの手を借りて僕は立ち上がる。彼の背景は、未だ灰の雲が空を覆っていた。人々の悲鳴も、街を蹂躙する轟音も止んでいない。僕は深呼吸をし、二人を見上げた。
「柊を見つけ出せ。絶対にだ」
天使と悪魔は、対照的な翼を広げた。
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