11『二人だけの逃避行』

「あ! ミヤくん! 海だよ!」

 楽しそうに浜辺へ走っていく柊。重たいバッグなどものともしていないその姿に、若干の苛立ちを覚える。柊は波にかからないギリギリのところで、僕に手招きをしてきた。

「ミヤくんもおいでよー! 海だよー!」

 一体海の何に興奮しているのか………スーツケースを持ち上げ、しぶしぶ彼女のところへ向かうと、柊は足元に落ちていた貝殻を拾った。それは、自然のものとは思えない程に白かった。

「ミヤくん! これ綺麗だね!」

「そうだね」

「あげる!」

「いいよ……あんたが持ってなよ」

「ミヤくんにあげたいの! はい!」

 半強制的に渡される。こんなものをもらっても何の役にも立たないのに、何故だがそこまで悪い気はしなかった。

 柊と浜辺を歩く。スーツケースの重さに、途中途中で立ち止まって休んだ。スカイブルーには海の青が映り、濃厚な青色に輝いていた。その両目が僕を見る。

「ミヤくん。これからどこに行く?」

「ひとまず眠れそうな場所。雨を凌げそうなものが無いときつい」

「そうだね! よし! 探そう!」

 意気揚々と僕のスーツケースを持ち上げ、進み出す柊。慌てて彼女の後を追った。

 私も行く―――そう言ってからの準備は素早かった。柊は大きなバッグに適当な洋服を詰め、キッチンにあったお菓子類もありったけ詰め込んだ。そして僕にピッタリとくっついてきたのだ。どうせ一日も経ったら諦めて帰るだろうが、この調子だとそれも怪しく思えてくる。このまま連れていったら、あらぬ誤解も生まれそうだし……。

「ねえ、さっさと帰れば? ルキが心配するよ」

「やだ!」

 やだじゃねえよ。そんな思いで柊を睨むと、柊はぐっと拳を握って僕を強く見つめた。

「ミヤくんと一緒にいるからね!」

 何故こんなにも僕につきまとってくるのだろうか。何のメリットも無いのに、家まで飛び出して……。

「ミヤくん?」

 まあいい。僕は自分のことだけ考えていよう。今はとにかく、あの家から離れることが先決だ。

 僕らは浜辺から離れ、住宅街を歩いた。夕日に照らされた街はオレンジに染まり、学校帰りの子供達や買い物帰りのおばさん達とすれ違っていく。柊から取り返したスーツケースは、ゴロゴロゴロゴロと相変わらずうるさく鳴いていた。

「ここ、どの辺だろうね」

「ルキの学校は見えないし、大分遠くに来たと思うよ。引き返すなら今のうちだよ」

「引き返す? そんなことしないよ! ミヤくんと一緒にいるから!」

 ダメだこりゃ。本当に帰れなくなっても知らないからな。心の中でそう忠告する。

 その後しばらく歩いていると、小さな公園が見えてきた。ちょうどドーム状の遊具もあった為、僕らはその中で一晩過ごすことにした。

「ふふっ! なんだか変わったお泊りみたいで楽しいね!」

 無邪気なその言葉に苛立ちを覚え、僕はあえて無視した。ブルーシートを広げ、靴を脱いでその上に乗る。柊もシートの上で座り、持ってきた大量のお菓子を引っ張りだした。

「食べよ! お腹空いちゃった!」

 スナック菓子の袋を開け、バリバリと食べる柊。僕はチョコレート菓子をつまんだ。だんだん辺りが暗くなっていき、公園のたった一本の電灯が光を放つ。柊はドームの穴から外を覗いた。

「この辺静かだねー。誰も通らないし……」

「怖くなった? 帰ったら?」

「ううん! 帰らない! ミヤくんを置いていけないもん!」

 いつまでそんなこと言ってられるものか―――ぼんやりとそんなことを思い、僕は空腹を感じないくらいに腹を満たした。そしてスーツケースからバスタオルを取り出し、それを毛布代わりに、小さく寝転がる。

「もう寝るの?」

「余計な体力は使いたくないから」

「そっか……じゃあ私も」

 背後でもぞもぞと動く音がする。「おやすみ」と小さく呟かれた声には答えなかった。



 暖かな日差しに目が覚めた。目をこすりながら起きると、隣では柊がまだ眠っていた。しかし彼女は何も掛けておらず、寒そうに身を丸めていた。

「はあ……」

 思わずため息がこぼれる。仕方無く、持っていたバスタオルを掛けた。柊はしかめ面をしたまま、もごもごと寝言を言い始めた。

「………た……」

「た?」

「たす………け……て………」

 よく見ると、柊は涙を流していた。何度も何度も助けを呼んでいる。その姿に、何となく放っておけなくなった。おそるおそる柊の頭を撫でてみると、助けを呼ばなくなった。

「へへ………」

 笑ってるし。単純かよ。なんだか面白くなってきて、柊の頬を少しつねってみた。

「ううううう……」

 今度は苦しそうな表情になった。人の寝顔なんてろくに見たことがなかったから、余計に面白い。次は何をしてやろうかと考えていた最中、パチリと大きなスカイブルーの目が開かれた。

「………ミヤくん?」

「…………」

 直前に手を離していたからばれてはないが、あまりにも顔を近付けすぎた。これじゃまるで、寝込みを襲おうとしていたように思われても……。

「おはよう」

「お、おはよう……」

 普通に挨拶され、普通に返してしまった。柊は起き上がり、体を思いっきり伸ばした。

「うー……やっぱ布団じゃないから体が痛いねえ」

「そ、そうだね」

「あれ? もしかしてミヤくん、タオル掛けてくれたの? ありがとう!」

「いや、それはついさっきだけど……」

「ミヤくんは優しいね!」

 何故だが妙に心が痛む。こいつの寝顔で遊ぶのは今後やめよう。密やかに僕は決意した。

「今日はどこに行くの?」

 お菓子を頬張りながら、柊が上目遣いに僕を見る。僕は素っ気なく答えた。

「とにかく遠くへ。それでお金を稼げる場所を探す」

「そっか! 頑張ろうね!」

 ………こいつ、本気で言っているのか?

「あのさ、まさかあんたも働く気?」

「え? うん、もちろん!」

 即答する柊を、僕は思わず凝視した。あっけらかんとする柊は、変わらずお菓子を食べている。

「ミヤくんだけ働かせるわけにはいかないでしょ?」

「あのさ………身元の定かでない子供が働ける場所なんて限られるんだよ? 最悪、女のあんたは身を売ることになるかもしれない。それでもいいって言うわけ?」

 初めて躊躇うような表情を見せた柊。これで素直に帰るかもしれない。さらに追い打ちをかけようとすると、柊が先手を打ってきた。

「私の心配をしてくれるなら、一緒に家に帰ろうよ」

「は? 帰らないよ」

「ルキってああ見えて、意外と強いんだよ。私も頑張って強くなるから、一緒に住もうよ!」

「そよ風も吹かせられない魔導士なんてアテにならないし」

 うぐぐ、と黙り込む柊。ルキが強いのはたしかに信じる余地はありそうだが、それなら尚更帰ることなんて出来ない。

「ルキやあんただってグルの可能性があるし、のこのこ帰れないよ」

「グル? あの人と?」

「そう」

 僕が『あいつ』から逃げ出した次の夜に、僕はルキと出会った。それからしばらくして柊家に行き、一週間も経たない内にあの青年がやって来た。

 常識的に考えればあまりにも早すぎる。僕が柊家に来る可能性をあらかじめ知っていたとしか思えない。そしてそのことを知っていた人物が、あの青年に教えた可能性が高い。

 それは誰か? もう一人しかいない。

「………ルキ……?」

「そう。ルキにしか不可能なんだよ」

 柊は困惑したように目を揺らした。

 ―――とは言いつつ、一つ不自然な点がある。あの青年が言っていたことだ。

「君のお父さんに、ここのことを報告しないとね」

 それはつまり、『あいつ』は僕の居場所を知らないということだ。それはルキがグルではないという証拠にもなり得る。最も、あの青年とルキが直接連絡を取り合っていないという前提に基づくのだが……。

 それに、その後の発言にも疑問を抱いた。

「帰りたくないなら、早くここから出ていくといい」

 それはまるで、「さっさと逃げろ」と言っているようにも聞こえた。あの青年は一体何を考えているのだろうか?

「ルキがグルだとは思えないよ。だってルキは、誰かを売るようなことしないもん」

 自信に満ちた声で返す柊。僕も強い口調で反論した。

「可能性はあるよね。あの家に僕を招いたのは紛れもなくルキだし、絶対信用出来るとは言い難いよ」

「ルキは、ミヤくんが困っていたから助けただけだよ!」

「僕を売ったって可能性もある」

「ルキはそんなことしない!」

「現に『あいつ』に居場所がばれた」

「偶然だよ! それか、ルキは脅されて……」

「とにかく、僕は帰らない。帰りたいなら一人で帰りなよ」

 僕は荷物をまとめた。ブルーシートも片付け、ドームの中から出る。慌ててついてきた柊は、重たいバッグを引きずりながら隣を歩いた。

「私も行く! 働く! やっぱりミヤくんを置いていけないもん!」

「………勝手にすれば」

「うん! 勝手にする!」

 にこりと笑い、柊はバッグを肩にかけた。後悔するだろうに―――いつか絶対、帰りたいと泣き始めるだろう。自分で決めたのだから、そうなったのは自分のせいだ。未来の僕はきっとそう言う。

 しかし、なるべくならそんな未来、見たくはないとも多少は思っていた。

「働くの初めてだから、なんだか楽しみ!」

 これから遊園地にでも行くかのように、柊は胸を躍らせていた。すれ違う人達は、おかしなものを見るような目で僕らを一瞥する。平日の午前だからか、見かける人々は女の人ばかりだ。しかも大半は、小さな子供を連れている。

「ミヤくん、どんなお仕事したい?」

「出来るものなら何でもいいよ」

「そうなの? 私、カフェで働いてみたいなー! 制服も可愛いし、コーヒー作るのとか面白そうだよね!」

「あのさ、遊びじゃないんだけど。生死がかかってるってこと、本当に分かってる?」

「分かってるよ! でも……」

 柊は一切の穢れのないような、キラキラとした瞳で笑った。

「夢とか願望とか、少しでも可能性があるなら、望んでもいいと思うんだ!」

 別に発光していたわけではない。しかし柊が眩しくて、僕は彼女を直視することが出来なかった。希望に満ち溢れた彼女に、僕はやるせない虚無さえ感じていた。

 僕には到底無理だ。幸せに包まれた希望、そして苦痛に縛られた絶望を知ってしまったから。

 ――――――もう二度と、絶望の沼に落ちたくないから。

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