9『捕まる恐怖』
たまに夢を見るの。同じくらいの年頃の男の子と女の子、その二人と私が遊んでいる夢を。知り合いじゃないのに、どうしてだかとても懐かしく思えるの。二人はとても優しくて、とても面白い人。
それに魔導士だから、私が魔法を教えているの。変な話だよね。私は魔法なんて全然上手くないのに、夢の中じゃあとっても上手に使えるの。二人はなかなか上手く出来なくて、でも少しずつ上達しているのが分かるの。それがすごく嬉しくて、ずっとこの時間が続けばいいのにって思うの。
でも……。
「いつも、殺されるの」
急に声のトーンが変わり、僕は柊を上目で見た。彼女はみそ汁の器を両手で持ちながら、その水面をぼんやりと眺めている。果たして意識は現実にあるのか、どこか別の何かを見つめているような目をしていた。
「急に場面が変わってね、私、いつの間にか傷だらけなの。痛みは無いけど起き上がれないし、二人はいなくなってるし。それで、知らない男の人が私を見下ろして何か言っているの。聞き取れなくて、だんだん意識が無くなっていって、それで目が覚めるの」
「………殺されてるの? それ」
「そう……思うんだけど……」
曖昧な返しだ。鮭の身をほぐしひと口食べていると、柊は器をテーブルに静かに置いた。
「私にもよく分からないんだ。夢だから痛みは無いし、たしかめる術なんて無いんだけど……」
「ふーん」
「ルキにも相談してみたけど、両親が亡くなって不安定なんじゃないかって言われた」
「そうなんじゃないの?」
うん―――肯定はするものの、柊は納得のいかない顔で首を傾げた。
「でも、それだったら親が出てくると思うんだよね」
「まあ、たしかに」
「ミヤくんはどう思う?」
どう思うと訊かれても、赤の他人の僕が何か分かるわけない。そう返すと、柊は少し悲しそうに俯いた。
「そうだよね………ごめんね。変なこと聞いちゃって」
その後しばらく沈黙のまま、僕らは夕食を摂っていた。
柊は一体どんな答えを期待していたのだろうか。明確な答えが知りたかったのだろうが、僕に訊くのは全くのお門違いだ。それとも、知り合って間もない人間に答えを求める程、その夢に悩んでいるのだろうか。深刻に悩んでいるようには見えなかったけれど。
「ところでミヤくん! ミヤくんはどんな料理が好き?」
急に話題が変わり、柊はパッと表情を明るくさせて見つめてきた。箸をテーブルに置いて、僕はコップを手に取る。緑茶をひと口飲んで、ぼそりと呟いた。
「……特に無い」
「えっ、無いの? 一つも?」
「うん」
「そっかあ。じゃあ作ろう!」
は? 何を言っているんだ―――思わず柊を凝視した。柊は目をキラキラとさせ、胸の前で両手を握りしめた。
「好きなものがあると、ごはんが楽しみになるよ! それにこっちも作り甲斐があるし!」
「別に楽しくなくてもいいんだけど」
「そんなこと言わずに! 鮭はどお?」
「……普通」
「そっかあ。じゃあ明日はハンバーグ作るね!」
柊は楽しそうに言った。食事なんて楽しくないし、楽しくなくてもいい。そう言っても柊は聞かず、空になった皿をキッチンへ持っていき、「お風呂に入ってくるね!」とリビングから出ていってしまった。
全く自分勝手なやつだ。そう思いながら、僕も夕飯を完食する。キッチンへ行って皿を洗い終えると、着信音が部屋に鳴り響いた。ドアの傍にある電話の受話器を取ると、聞き慣れた男の声が聞こえてきた。
「もしもし、ミク?」
「僕だけど」
「ミヤか。私だよ」
何の用か訊くと、ルキは声を潜めて言った。
「実は今日、帰れそうにないんだ。だから、ちゃんと戸締りして寝るんだよ」
「……そんなことかよ」
「そんなことって……大事なことだよ。それと、絶対に外に出てはいけない。分かったかい?」
なんだそれ。出るつもりなんてなかったけど、理由を訊いてみた。ルキは少し間を置いて、短く答えた。
「………最近変な人がうろついているからだよ」
「あんたの言っていた、「怪しいおじさん」?」
「……そう。だから、外へ出てはいけないよ。分かったね?」
嘘だな―――そう確信し、僕は適当に返事をしておいた。疑うように唸ったルキだったが、無視して受話器を置いた。ルキは何を心配しているのだろうか。桂のこともあったし、過剰になっているのかもしれない。
僕は玄関へ向かい、扉をそっと開けた。特に変わりない夜が広がっている。生暖かい風が吹き、目にゴミが入った。目をこすって開くと、敷地の前を通り過ぎる少女が見えた。紫色のツインテールを靡かせ、金色の瞳は僕に気付かず道の先を見ている。やがて少女は塀の奥に隠れていく。
見間違いかと思い、僕は思わず駆けていた。息を潜めて少女の行った先を覗き見るが、電灯に照らされた道には既に少女はいなかった。
今のはたしかに―――桂新奈だった。この辺りに住んでいても不思議ではないが、あんなことが起きた後だ。僕の身辺を調べているのかもしれない。警戒しておかないと。
「こんばんはー」
目先に集中していた僕は、背後からかけられた声に体を過剰に震わせた。振り向くと、黒いローブ姿の青年が笑いながら立っていた。橙色の細い髪は揺れ、赤い瞳は暗闇に妖しく光っていた。
「君、ここのお家の人?」
「………あんた誰?」
「俺、最近ここらに越してきたんだ。ここの家随分大きいから、どんな人が住んでいるのかなーってずっと思っててさ」
胡散臭い。無言で睨むと、人の良さそうな青年は困ったように苦笑いを浮かべた。
「そんなに睨まないでよ。ただ訊いてみただけじゃないか」
「……………」
「はいはい。分かったよ。未成年に話しかけると勘違いされかねないしね」
僕はもう一度青年を睨み、家の方へと足を運んだ。「ああ、そうだ」と、背後から明るい声が追ってくる。
「君のお父さんに、ここのことを報告しないとね」
―――――――――――――――は?
振り向くと、青年は不敵に笑っていた。その背後に『あいつ』がいる気がして、全身が震えた。青年は家の敷地にズカズカと入ってくると、僕の耳元に顔を近付けた。
「俺、君のお父さんを見かけたんだ」
「ッ……⁉」
「すごく君のことを心配していたよ? 良いお父さんじゃないか」
――――――――――――外へ出られると思うな。
「いっ……嫌だっ……!」
逃げようとしたが、肩を掴まれて制止させられた。赤い瞳が間近に迫る。そこには、恐怖に震える少年が映っていた。
「何が嫌なのかな?」
「うるさいうるさい……! 捕まりたくない……! もうあそこには……!」
「捕まる? 何を言っている? 帰るんだろう?」
「違う……!」
「ミヤくん!」
反射的に振り向いた。玄関の前にいたのは、ルームウェアに着替えた柊だった。髪は濡れたまま、拳銃をこちらに構えている。スカイブルーの瞳は青年を睨んでいた。
「あなた誰……? ミヤくんに何をしているの!」
「別に。親切しようと思っただけだよ」
青年に肩を引かれ、低い声が耳元で囁いた。
「帰りたくないなら、早くここから出ていくといい」
ドン―――と押され、バランスを崩した僕は芝生に倒れこんだ。柊が慌てて駆けてくる。彼女に支えられながら背後を見ると、青年は何事もなかったかのように去っていった。姿が見えなくなると、一気に全身が脱力し倒れそうになった。
「ミヤくん! しっかり!」
「ごめん……大丈夫だから」
「全然大丈夫そうに見えないよ! とにかく中に入ろう!」
よろよろと倒れそうになりながら、僕は何とか家の中へと入る。リビングのソファーに倒れ込むと、柊は不安そうに僕の顔を覗き込んだ。
「ミヤくん……さっきの人……誰なの?」
「……分からない。けど、見付かっちゃいけない人だった」
「え……?」
あまりにも早すぎる。一体どこで情報を手に入れたのだろうか。ここに来て一週間も経ってないっていうのに。
まさか―――ルキが……?
「やっぱり信用するべきじゃなかった……!」
「え……? ミヤくん……?」
腕に力を入れて起き上がる。が、震える力では支えきれず、再びソファーに沈み込んでしまった。もう一度起き上がろうとすると、慌てて柊に止められた。
「ミヤくん! すごく震えてるよ⁉ 顔色も悪いし……」
「うるさい……早くここから逃げないと……!」
「逃げる⁉ 何言っているの⁉ もうさっきの人はいないよ⁉」
「だから逃げるんだよ!」
怒鳴ると、視界が一瞬揺れた。力が全く入らなくなる。震えも一層増した気がする。自分の体なのに制御出来ない。柊の顔がぼやけて見える。
「ミヤくん……?」
「はやく……にげなきゃ……はやく……」
焦る気持ちとは裏腹に、倦怠感が押し寄せてくる。柊の手のひらが額に触れた。ひんやりとしていて気持ちいい。
「ミヤくん⁉ すごい熱だよ⁉」
熱なんて、そんなのあるはずない。そんなことより早く逃げないと―――しかし無情にも、意識は闇へと落ちていった。最後に見えたのは、必死に僕を呼ぶ柊の姿だった。
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