7『家族』
その夜、柊が風呂に入っている間、僕はルキの晩餐に付き合わされていた。
「待ってくれている人のいる家って……いいよね」
ずるずるとうどんをすすり、その味と言葉を噛みしめるルキ。あえて何も返さずに本を読み進めていると、短く名前を呼ばれた。
「ミヤ」
「…………」
「待ってくれている人のいる家っていいよね」
ちらりと視線をやると、期待のこもった目で見られていた。うん、そうだね―――という肯定の言葉を待っているような、それでいてそれ以外の意見は聞き入れないような、そんな一方的な目をしている。
何なんだこいつは―――面倒くささもあったが、ルキには何故か反骨精神もあった為、肯定でも否定でもない返事を返した。
「結婚しないの?」
「え?」
「そんなこと言うくらいなら、結婚すればいいじゃん」
するとルキは、目をまん丸にして沈黙した。どういう反応なんだそれは。そんなに想定外の発言だったのか―――しかしルキは、突然ぷっと吹き出した。
「結婚願望から言ったんじゃないよ、私は」
「じゃあなんでそんなことを?」
「君達がいるから言ったんだよ」
ますます分からない。そう言い返すと、ルキはかぼちゃの天ぷらをひと口食べた。
「ミクとミヤがいるこの家に帰れるなんて、幸せだなーって思って言ったんだよ」
「はあ……」
「君達の為ならって思うと、嫌な仕事も頑張れそうだよ」
「あんたって本当にお人好しだよな」
「え? 何だい急に」
パクパクと、天ぷらが口の中に吸い込まれていく。僕はテーブルに本を置き、カップの取っ手に指を絡めた。そのまま口元へ近付け、ココアをひと口飲む。ルキも緑茶に手を伸ばした。
「私のどの辺を見て、そんなことを思ったんだい?」
「柊はともかく、僕のことまで拾ったし。いくらお金があるからって、なかなかするようなことじゃないと思うけど」
「うーん、そうかな?」
食事を進めるルキに、僕は続けて言った。
「詳しいわけも聞かずに子供を家に招き入れるし、下手すれば犯罪モノじゃないの?」
「なっ……! 私はいかがわしい気持ちなんて持っていないよ!」
「いかがわしい? 子供相手に? 何言ってんの?」
沈黙が流れる。「だから……」と何か言いたげにしているルキだったが、僕の顔を見て、「何でもない」と話を打ち切った。何だったのだろうか、自分から言っておいて。
「ああ……純粋な君達が幸せに生きられるのを願うばかりだよ……」
空になった器をテーブルに置き、ソファーの背にもたれるルキ。虚空を見つめながら、両手を胸の前でぎゅっと握った。
「さっきから何言ってんの? 気持ち悪いんだけど」
「気持ち悪い⁉ 私は君達の無事を願ってだね……」
「無事を願うって……戦争にでも行くわけでもないのに」
ルキはすくりと立ち上がり、僕の頭に手を乗せた。すぐに振り払おうとその手首を掴むが、ルキの複雑そうな顔に動きを止められた。微笑を浮かべているが、悲しそうな色を帯びた赤い瞳に釘付けになる。手は僕の頭をなだらかに撫でた。
「………ルキ?」
頭から頬へ、手のひらが滑る。大きな手に頬を包まれ、ひんやりとしたそれが体温を奪っていく。二つの赤から目を逸らすことが出来ない。赤はだんだんと視界を奪っていく。呪いにでもかかったのか、体の動かし方が分からなかった。どんどん迫ってくるルキに、僕はどうすることも出来なかった。
「ただいまー! 気持ちよかったよー!」
呪いを吹き飛ばすような、明るい声―――僕はようやく顔を動かすことが出来た。柊がドアの前で、僕とルキを交互に見てパチパチと目を瞬かせている。
「ルキ? ミヤくん? 何しているの?」
「ミクおかえり。いや、ミヤって本当に十六歳なのかなーって思ってさ」
パッと頬から手が離れ、あっけらかんとして笑うルキに、柊は何の疑いも持たずに近付いた。楽しそうに雑談する二人を横目に、僕は疑念の目を向ける。
今のは何だったのだろうか。何故、悲しそうに僕を見たのか。どうして僕らの無事を願い出したのか。
お人好しの裏に何かある気になってしょうがない。だとしても、この男は答えてくれないだろう―――僕は諦めて、風呂へと向かった。体を温めて上がった時には、その些細な疑問は忘れ去っていた。
*
さあ寝ようとそれぞれ自室に戻った直後、当然のように柊が来訪してきた。入れないように格闘するものの、体力の無い僕はついに彼女の侵入を許してしまった。柊はムトーくんを連れて、ベッドに座る。
「ごめんね、ミヤくん。新一年生は入学式で、他の学年より時間が早いこと、忘れていたの」
改まって言い、柊がぺこりと頭を下げる。別に気にしていないと返すと、柊は安堵の息を吐いた。
「よかったあ。嫌われちゃったらどうしようかと思ったよ」
「そう思っているなら無理矢理部屋に来ないでくれる?」
「それはイヤ!」
柊を退出させよう作戦は失敗に終わった。彼女はムトーくんをむぎゅっと潰しながら、床に座る僕の顔を背後から覗いてきた。
「ミヤくんはどの辺りに住んでいたの?」
「どの辺りって……」
「ここから遠いの?」
「そうだな」
「へえー。私はね、隣町に住んでたんだよ! 春になると綺麗な桜並木になるところがあってね、家族でよく見に行ったんだ!」
「ふーん」
僕の空返事など何のその、柊はぺらぺらと地元の自慢話を語り始めた。特に家族との話題が多く、とても楽しそうに話していた。
それを聞き流しながら、僕はふと思い出した。家族でお花見に行った時のこと―――幼かった僕は、ピンクに染まる桜に興味津々だった。母さんはそんな僕を抱き上げ、近くで桜を見せてくれたりした。父さんと兄さんは花より団子……早く弁当を食べようなどとうるさかったが、楽しい思い出だった。
――――――また、みんなで来ましょうね。
「ミヤくん?」
いつの間にか目の前に柊の顔があった。慌てて顔を逸らす。
「……ごめん。ちょっと考え事してた」
「お母さんのこと?」
それには答えなかった。沈黙が流れる。いい加減部屋から追い出そうと口を開いた瞬間、勢いよくドアが開かれる音が耳を貫いた。
「ミヤー! ミクー! 遊ぼーう!」
真っ赤な顔をしたルキだった。ルキは、ふらふらとおぼつかない足取りで部屋に入ってきた。追い返そうと立ち上がった直後、何かにつまずいたルキが倒れてきた。僕も巻き添えを食らい、床に倒れる。
「あははーごめんねミヤぁー」
「邪魔! 早くどけ!」
「ミヤー、君やっぱり小学生なんじゃないのぉ? 小さいよぉ?」
「くっさい! 酒臭い! 喋るな飲んだくれ!」
へらへらと笑いながら僕の全身をさするルキ。気持ち悪くて、脳天に肘を思いっきり落とした。一瞬うめき声を上げ、ルキは脱力する。急いでルキをそこらに転がし、僕はベッドの上に避難した。
「ルキ、また飲んだんだね」
「毎日飲んでるのか? こいつ……」
「ううん。二日連続は初めてだよ」
柊が不思議そうにルキを見下ろす。酔っぱらいは床に突っ伏したまま、寝息を立てていた。まるで死んだのかと思う程に静かな寝息だ。だからといってここで眠っていい理由にはならないが。
「はあ……仕方無い。こいつの部屋どこ?」
「え? ミヤくん、ルキを連れていくの?」
「そうするしかないじゃん。じゃないと僕が眠れない」
「ミヤくん、ルキのこと持ち上げられるの?」
そんなに僕は非力に見えるのだろうか。これでも男子だし、柊より年上なんだぞ―――そう思いながら、僕はルキを背中に乗せ、立ち上がろうとした。しかし、足はプルプルと震えるばかりで、全く立つことが出来なかった。
その体勢のまま、しばらく沈黙。やがて僕はルキを落とし、そいつの腕を掴んで引っ張った。
「よし。行こう」
「うん。こっちだよ」
ずるずるとルキを引きずり、僕と柊はルキの部屋へと向かった。何か背後でうめいている気もするが、幻聴だろう。
ルキの部屋は階段から一番近い部屋だった。中は僕の部屋と同じ造りで、唯一異なるのは、丸テーブルは無くデスクがあることだけだった。そのデスクには物が散乱しており、特に書類でいっぱいだった。ルキをそこらに置き去ると、柊はデスクへと近付いていく。
「ルキったらこんなに散らかして……ん?」
「どうした?」
「この人……誰だろう?」
僕もデスクに近付いた。柊が指差していた先には、写真立てで飾られた一枚の写真があった。ルキとよく似た橙の長い髪を風に靡かせ、にこりとこちらに笑みを浮かべている……黒のドレスがよく似合う少女だった。背景には、夜闇の中でライトアップされた噴水が見える。
「すごく綺麗な子だね!」
「そうだな」
「ルキの彼女かな?」
「さあ……」
しかし、こうして部屋に飾る程なのだから、大切な存在に変わりないのだろう。僕らはそういう結論に達し、部屋を後にした。それぞれ自室に戻り、眠りについた。
*
翌朝、リビングに向かうと、ルキがソファーに寝転がっていた。顔色は悪く、ぶつぶつと何かを呟いている。僕が向かいのソファーに座ると、ゆっくりと片手を上げた。
「おはようミヤ……良い朝だね……」
「どの口が言ってるんだよ」
「いやあ……飲みすぎた……慣れないことをするもんじゃないね……」
どうやら二日酔いになったらしい。あまりにも体調が優れないので、今日は仕事を休むんだとか。酒に潰れて欠勤とか、迷惑極まりないだろう。
「ミヤくんおはよー!」
キッチンから柊が現れ、こんがり焼けた食パンを持ってきてくれた。一枚もらい、マーガリンをぬって食べる。柊も隣に座り、パンにかじりついた。
「ねえルキ。どうして昨日もお酒飲んじゃったの?」
「………ストレス……」
「えー? ルキも大変なんだねー」
そう聞くと、ルキは結構な役職を持った大人なんだと改めて感じた。ただのお節介なおじさんじゃないんだな。
「ねーねー。じゃあ、部屋にあった写真立ての人、誰? 彼女?」
柊が尋ねると、急に真顔になったルキ。ルキは何か言いたげに口を少し開くが、ぎゅっとそのまま閉じてしまった。ごろんと僕らに背を向け、ぼそりと呟く。
「妹だよ」
「妹? へー! 綺麗な人だね!」
「ありがとう」
「妹さんはいくつなの? ルキの学校に通ってる?」
「いや、通ってないよ。故郷にいる」
「ルキの故郷?」
興味津々に柊が食いついた。パンを全て飲み込み、オレンジジュースを飲み干す。コップをテーブルに置いたところで、ふと柊が首を傾げた。
「………ん? あれ? ルキの妹ってことは……私のいとこでもあるんだよね?」
「そうだな」
「妹さんと会った記憶………無いなあ……」
うーん、うーんと必死に思い出そうと頭を抱える柊。僕もパンを食べ終え、すくりと立ち上がった。時計をちらりと見て、苦悩する柊に言い放つ。
「忘れてるだけでしょ。それより、そろそろ行かないとまずいんじゃない?」
「え? ……あっ! もうこんな時間⁉ 早く準備しなきゃ!」
バタバタと駆け、柊がキッチンへ皿を片付けにいく。戻ってきたところでリビングから退出しようとした瞬間、ルキに呼び止められた。僕と柊は同時に振り向く。ルキは起き上がってソファーに座っており、気分が悪いながらも笑みを浮かべていた。
「記憶にあるわけないんだよ………妹のことは」
「………?」
「妹は………外に出られないから………」
含みを持たせたその言葉の真意は、その後一切教えてもらえなかった。
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