6『はめられた罠』

「………本当なんだね?」

 コクりと頷くと、ルキは深いため息を吐いた。両隣からは鋭い視線が僕に送られている。後頭部に当てられたプレッシャーに息を飲み、僕はルキを見上げた。

「僕は魔法で体を無理矢理動かされた。僕の意思で刺したわけじゃない。ナイフだってあの女のものだ」

「そう信じたいんだけどねえ……」

「理事長。正気ですか?」

 カチャリと、プレッシャーが強くなる。両手を拘束する鎖をどうにか外せないかと試みていたが、ヘタに動かすとトリガーに指をかける音がして緊張がさらに走った為、ひとまず諦めた。男達は自身の上司に強い口調で反論する。

「こんなもの狂言です。彼は確実に桂新奈を殺そうとしていました」

「ミヤに限ってそんなこと……」

「理事長、この生徒とお知り合いですか?」

 右隣の男がルキを睨む。ルキは小さく笑いながら頷いた。

「ちょっと知り合ってね」

「…………まさか、息子さんではないですよね?」

「息子ではないよ」

 ルキが席を立ち、僕の前でしゃがんで顔を覗きこんできた。その眼差しは真剣なものだった。

「ミヤ。もう一度訊くよ。君の意思で刺したわけではないんだね?」

「ああ」

 理事長室に沈黙が流れる。赤い目玉には、顔を強張らせる少年の姿が映っていた。

「………分かった。君の言葉を信じるよ」

「理事長!」

「何かあれば、私が責任を取る」

 ルキの言葉に、男達は黙りこんだ。後頭部に突きつけられていた銃も離れ、男達は部屋から出ていき、僕とルキだけが残った。ルキは僕の拘束を解き、フカフカのデスクチェアに沈み込んだ。

「ビックリしたよ。まさか君に、殺人未遂の容疑がかかるなんて……」

「はめられたんだ。あの女子に」

「そうだとしても証明出来ないからねえ……まあ、これからは気を付けて」

 何か納得が出来ない。言うなれば僕の方が被害者だ。一体あの女子は、何のつもりで僕をはめようと?

 あっ、とルキが思い付いたように横目を向けてきた。

「そうそう。それで、君に頼もうと思っていたお仕事っていうのは……」

「揉め事の鎮火だろ?」

「正解。今回みたいに沈静化してくれればいいよ。間違っても死人だけは出してはいけないけどね」

 何故魔導士と一般生徒を同じ学校に在籍させたのか。そう問いかけると、ルキはばつの悪そうな表情でもごもごと答えた。

「だって………どんな子でも受け入れたいって思ったから……」

「その結果、魔導士がイキって怪我人が出たって?」

「まさかそんなことをするとは思わなかったんだもん……」

 しゅんと落ち込むルキ。やっぱりこいつは人が良すぎる。いつか理事長職もかすめ取られるんじゃないかと思う。

 ルキが缶コーヒーを口につけた直後、バンッと勢いよく扉の開いた音が響いた。ルキの肩が跳ね上がると同時に、手から缶コーヒーが滑り落ちた。やかましい悲鳴をバックに振り向くと、部屋に入ってきたのは柊だった。柊は驚いた表情で僕を見る。

「ミヤくん⁉」

「柊?」

「ミク! コーヒーこぼしちゃっただろう⁉ 部屋に入る時は必ずノックするように言ったじゃないか!」

「中等部まで話が流れてきたの! 高等部で暴れた人が理事長室に連れて行かれたって……」

「それだけでここに?」

「ルキ、その子を退学させちゃうのかと思ったから、慌てて来て……でもまさかミヤくんだったなんて!」

 柊も大概お人好しだ。赤の他人の為に息を切らせて走ってきたなんて信じられない。もしもこの二人が、もっと早くに僕の存在に気付いていたら―――そんな可能性も考えたが、すぐに考えるのをやめた。過去の話をしても仕方が無い。こうして今、自由になれたのだから良いじゃないか。

「ミヤくん、何があったの?」

 漂ってくるコーヒーの香りを嗅ぎながら、柊にざっと事情を話す。すると彼女は、頬を膨らませて怒りの声を上げた。

「ヒドイよ! ミヤくんを陥れようとするなんて!」

「………信じるんだ」

「え? ウソなの?」

「いや、本当だよ」

「なら許せない! ルキ、その子に話を訊いてみようよ!」

「そうだね。彼女が回復次第、事情を訊いてみようか……」

 何か大事な書類にでもぶちまけたのか、ルキの同意は今にも泣き出しそうな震え声だった。やる気に満ちている柊とは正反対だ。

 僕らは理事長室を後にし、噴水広場までやって来た。空を見上げると、青を漂う白が、時折太陽を隠し光を遮っていた。柊は僕の隣を歩きながら、ボクサーのようにパンチのふりをする。

「悪い人だったら、私の拳をお見舞いしてあげるよ!」

「危ないからやめた方がいいと思うけど」

「大丈夫! 私、魔導士なの! だからミヤくんのこと守れるよ! 安心してね!」

 満面の笑みを向けられ、一瞬心臓がドクンと高鳴った。思わず胸に手を当てたが、その後は普通に拍動を続けている。あの時の毒がまだ少し残っていたのだろうか?

「ミヤくん?」

「何でもない。あと、僕も魔導士だから」

「あっ、そっか。ミヤくんはどんな魔法が使えるの?」

 あまり自分から言いたくなかったから、さっき事情を話した時も魔法のことは濁したのに。しかし柊の期待のこもった瞳で見つめられると、どうも断り辛い。一瞬躊躇ったが、なるべく小さな声で答えた。

「……召喚魔法」

「召喚⁉ すごいね! 何を召喚するの⁉」

「声が大きい! ―――天使と悪魔だよ」

「天使と悪魔⁉」

 さらに大きな声に、僕は咄嗟に柊の口を両手で押さえつけた。

「声が大きいって言ってるだろ⁉」

「んんんー! んんんー!」

 両手を合わせて何かを訴える柊。そっと手を離すと、柊は「ごめんね」と一言謝り、ぐっと顔を近付けてきた。

「でも本当にすごいね! 天使と悪魔を呼べるなんて!」

「別に………僕自身は戦えないし」

「でもすごいよ! いいなー! 私も……」

「あんたは何の魔法を使うの?」

「私? 私はね、風を操る魔法が得意なんだ!」

 そう言いながら、柊は右の人差し指を立て、下から上へと腕を振り上げた。しかし特に風は吹かなかった。柊を凝視すると、彼女は照れ臭そうに頭をかき始めた。

「実はまだ、指一本分の風くらいしか吹かせられなくて……」

「……そよ風にも満たないってこと?」

「うん。ルキ曰く、「呼吸くらい」なんだって。台風みたいに吹き荒れるようなイメージは出来てるんだけど、なかなか出来なくて……魔法って難しいねえ」

 だからといって、いきなり台風並の風を吹かされても困るけれど。柊はブンブンと腕を上下に振りながら僕を見た。

「ミヤくんは、生まれた時から魔導士?」

「………まあ」

「そっかー! いいなあ……私も生まれた時から魔導士だったら、もっと早く上手くなれたのかなあ?」

「………僕も最近まで出来なかったよ」

「えっ、そうなの?」

 コクリと頷いた。そして脳裏によみがえる、破壊された地下室。砂煙の舞う中、僕は二人の男に見下ろされていた。



 ―――――――――かしこまりました、我が主よ。



「何かコツとかある?」

「コツ?」

「うん。魔法を使う時のコツ。早く一人前になりたいからさ」



 ――――――お祈りすれば、君も一人前になれるだろう。



 無理矢理思考を断ち切った。「コツなんて無い」と答えると、柊は残念そうにしょぼくれた。

「そっかあ……やっぱり練習あるのみなんだね」

「…………」

「ミヤくん、ありがとう! なんだかやる気が出てきたよ! 私、絶対魔法を使えるように頑張るね! よーし! まずはイメトレだー!」

 勝手に元気になり、一歩前を歩く柊。その姿に、僕はある種の疑問を感じていた。

 ――――――こいつは、どうやって魔導士になったのだろうか?

 後天的に魔導士になる方法なんて、聞いたことがない。魔力は遺伝によって有無が決まるはずだ。無理矢理体内に魔力を入れたっていうのか? それが出来るとしたら、もっと魔導士の人口が多くてもいいような気もするが……。

「ミヤくん?」

 歩みが遅かったのか、柊が振り向いてきた。彼女に今の疑問を尋ねると、柊は腕を組んで首を傾げた。

「実は、あんまり覚えてないんだよね。ルキに拾われた後っていうのは明確なんだけど……」

「ふーん……」

「でも、そんなに珍しいことじゃないと思うよ。ルキも特に何も言っていないし」

 それから僕らは、それぞれの校舎へと戻っていった。僕が教室に入ると、一瞬ざわりと騒がしくなった。怯えたような、敵意を持ったような視線を浴びせられる。その中を歩いていき、荷物を置いていた席に着いた。

 クラスメイト達はヒソヒソと、僕を見ながら何かを喋っている。聞き取るつもりもない。誰かと親しく出来るとも思ってなかったし。『あいつ』に捕まらず自由にいれる場所なら、僕はどこでもいい。

「おい! そういう言い方はないだろ⁉」

 少しして、突然前方で上がった怒鳴り声。目を向けると、二人の男子に一人の男子が食ってかかっていた。

「あいつは、暴れていたやつらを止めてくれたんだぞ⁉」

「でも殺そうとしていたじゃないか!」

「何かの間違いだ! そう、手が滑ったとか……」

「手が滑って殺されそうになるなんて、とんだトラブルメーカーだな」

 二人の男子はそう吐き捨て、僕を一瞥して教室から出ていった。残された男子は俯き、悔しそうに拳を握り締めていた。

 柊みたいなお人好しは、意外といるものだな―――そう思いながら僕はリュックを持ち、その男子の方へと向かっていった。僕に気付いて顔を上げた男子に言う。

「名前も知らない僕の味方なんて、しない方が得だと思うよ」

 男子は何か言いたげに口を開いた。しかし僕は、それを待たずに教室から出ていく。あからさまに僕を避ける生徒達の視線の中、廊下を歩きながら僕は不思議に思った。

 何故、あんな風に人を信じることが出来るのだろうか。クラスメイトの反応の方が、よっぽど自然で健全だ。あの男子には恐怖が無いのだろうか。味方なんてして自分に近付いてきて、あの女子と同じ目に遭うとは思わないのだろうか。


 ――――――ああ、裏切られたことが無いのか。だから、無条件に人を信用出来るのか。あの男子も、そして、柊も。


「羨ましい人生だな……」

 思わず笑みがこぼれた。馬鹿な考えをする前に、僕は足早に校舎から去っていった。

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