5『登校初日』
「ミヤくん、起きて」
ゆさゆさと体を揺すられる。呼ばれているような気がするが、目を開けて確かめる気力は無かった。しばらくそのまま揺すられていると、今度は頬に僅かな振動を感じた。
「ミヤくーん、学校遅れちゃうよー」
ぺちぺちと頬を叩かれている気がする。「学校」という単語に、だんだんと脳が覚醒し始めた。ゆっくり瞼を開いていくと、銀色の髪を垂らす少女がいた。スカイブルーの大きな瞳は、ほっとしたように淡く光っている。
「よかったあ起きて。おはよう、ミヤくん」
むくりと起き上がると、僕は黒いベッドで寝ていたらしかった。白い壁に囲まれた部屋に、窓から差し込む暖かな光。一瞬ここがどこだか分からなくなったが、すぐに昨晩のことを思い出した。
「僕の部屋か……」
「そうだよ。ここは昨日から、ミヤくんのお部屋だよ」
柊がにこりと笑う。よく見ると彼女は赤い襟に、グレーと黒で白地に模様されたセーラー服を着ていた。髪も内に巻いており、身なりが整っている。
まじまじと見ていると、柊は僕に何かを差し出してきた。受け取ってみると、それは服だった。セーラー服と同じように模様されたブレザーに黒のズボン、赤いネクタイと白のシャツ。
「それ、ミヤくんの制服。リビングに置いてあったから、ルキが用意してくれたみたいだよ」
「ルキは?」
「先に学校に行ったよ。いつもルキは朝早いんだ」
時計を見ると、まだ朝の七時だった。どうやら本当に仕事が忙しいらしい。受け取った制服に着替え、朝食も摂って一通り用意も済まし、僕は柊と家を出た。鍵を閉める彼女の隣で辺りを見回す。
「学校って、ここから近いのか?」
「うん。すぐ傍にあるよ」
道路に出ると、柊は右方向へと指差した。その先には、坂の上―――ここよりもかなり高い位置に建つ建物がある。
「あれが学校?」
「そうだよ。あそこに全ての校舎が揃っているんだって」
柊と共に学校目指して歩き出す。だんだんとなだらかな坂道になっていき、ひたすら真っ直ぐ歩いていった。少女や青年など、様々な生徒が同じ目的地へ向かっている。教科書の詰まったバッグや重たそうなギターなど、大荷物を持っている生徒は苦しそうに登校していた。お疲れ、と心の中で労っておき、僕らは先へ向かった。
「ミヤくん、学校楽しみ? 今日から新学期だから、お友達も作りやすいと思うよ」
暑すぎず寒すぎず、まさにちょうど良い陽気の四月の今日は、たしかに新たな生活を始めるにはふさわしい日だろう。だからと言って、他の生徒のように期待に胸を膨らませているわけではないが。
「友達なんていらないけど」
「そんなのダメ! 絶対作るの!」
「いらないよ、そんなの」
「いるの! お友達いたら楽しいよ⁉」
「だから、別にいらないって」
そんな押し問答を繰り返すこと五分。ようやく学園門の前に到着した。無駄な争いも相まって呼吸が荒くなった僕とは対照的に、柊は涼しい顔をしている。
「この門は青龍門って言って、中等部の三年生校舎に一番近いんだ。高等部の一年生校舎に一番近いのは白虎門。だけどうちからじゃ、ここから入って学園内を歩いた方が全然近いと思うよ」
「そ、そう……なん……だ……」
「ミヤくんどうしたの? 疲れてる? 大丈夫?」
からかいではなく、本当に心配そうに僕の顔を覗き込む柊。その純粋な気遣いに何となく恥ずかしくなって、僕はそっぽを向いてしまった。その視界に、僕らをじろじろと見て通り過ぎる生徒達が映る。中には、ヒソヒソと仲間内で話しながら通り過ぎていく生徒もいた。
「ミヤくん?」
「………何でもない。行こう」
僕らも青色の門―――青龍門をくぐる。入って早々、目の前に見えた校舎は中等部のものらしい。柊は校舎の方を指差した。
「奥に進んでいくと道が分かれているけど、真っ直ぐ進めば高等部の校舎エリアに着くよ。他の道は部室棟や施設棟だから、間違えないように気を付けてね」
「分かった」
「迷ったら近くの人に聞けば教えてくれるよ。じゃあミヤくん、終わったら青龍門で待ち合わせね!」
柊はそう言い残して、中等部の校舎へと入っていった。僕は言われた通りの方向へ足を運ぶ。校舎や校庭のわきを通っていくと、噴水を中心として四方に伸びる道のある、広場のような場所に着いた。道外は芝生で覆われ、ベンチもいくつかある。道の先にはそれぞれ校舎が見えるが、生徒達は皆高等部の方へ向かっていた。
僕も噴水を挟んだ反対側へ、道なりに進んでいった。迷うことはない。逆に、これで迷うなんてどれだけ方向音痴なんだ。
やがて一つの校舎にたどり着いた。中に入ると吹き抜けになっており、両脇に階段が、中央の奥に扉があった。近付いてみると、その扉には「職員室」と書かれたプレートが掲げてあった。
振り向いて、階段を上っていく。中央の四角く空いた空間を囲う柵からは一階が見下ろせた。その反対側に教室が並び、ドアには張り紙が貼ってあった。そこには名前がズラリと並んでいる。僕の名前を見付けると、そこは一年二組だった。
おそるおそる入ると、中は薄暗く誰もいなかった。黒板を見ると、「入学式!」とだけ大きく書かれている。
教室中に並ぶ机には、バッグやリュックが置かれていたり、横のフックにぶら下がっていた。その内窓際の一番後ろの席には、何も荷物が置かれていなかった。そこにリュックを置き、辺りを見回す。
入学式ということは、皆どこかに集まっているのだろう。しかし、場所が分からない。適当に歩いていればたどり着くだろうか。
というか、柊と一緒に来たのに遅刻したのか、僕は。まだ登校中の生徒もいたし、もしかしたら新一年生だけが早い集合時間だったのかもしれない。
僕は席を立ち、校舎から出ていく。奥にも校舎があり、そこへ向かった。中に入ると、扉だけ一つある空間だった。その扉の前には一人の女子生徒がいた。紫色のツインテールを揺らし、扉の隙間から奥を覗いている。近付いていくと、女子は僕に気付いて振り向いた。
「…………何?」
金色に光る両目。何をしているのか問うと、女子は扉を一瞥し、声を潜めて言った。
「隠れているの」
「隠れている?」
「今、中で面倒なことが起きているのよ」
中で面倒なこと? 少しだけ開いた扉から中を覗いてみると、緑色のシートが床全面に敷かれた、体育館のような空間が広がっていた。
その中で、剣を高く掲げる男子生徒が三人、その足元で倒れている男子生徒が数人、彼らを囲むように身を寄せ合っている多くの生徒がいる。何が起きているのか尋ねると、女子は呆れたように息を吐いた。
「あの三人が突然暴れたのよ。「俺達が一番強いんだー」ってね」
「なんで?」
「そんなのこっちが訊きたいわよ。でも確かに実力はあるみたいで、何人か止めに入ったけど敵わなかったのよ」
それであの倒れた生徒か。ひとまず状況は分かった。そして、ここで入学式が行われていたということも分かった。
女子は僕の全身を眺めると、何かに納得したように、ああ、と呟いた。
「あなたね」
「は?」
「ねえ。あなた、強かったりする?」
「いや、別に……」
「じゃあ無理ね……理事長が来るのを待つしかないかしら」
「理事長を?」
「こういう揉め事は、理事長が自ら収めに来るのよ」
私の学校に在籍して、そこで私の仕事の手伝いをしてもらおう―――ルキの言葉を思い出した。
まさかとは思うが、僕がこれを止めなければならないのだろうか? ルキはこういう時に、僕を戦わせようとしていたのだろうか?
「こういう揉め事って、しょっちゅう起きるの?」
「割と頻繁にね。この学園、魔導士と一般生徒が混在しているから、自分は強いんだって暴れる魔導士が多いのよ。特に新年度初めにはね」
一般人にとって「魔導士」は、自分達の平穏を脅かす存在の一つだ。自分達は使えない「魔法」という非科学な力を使う彼らは、言うまでもなく恐怖の対象である。
が、同時に憧れる存在であるのも事実だ。僕も、小さい頃はよく近所の子供に羨ましがられたものだ。
普通、学校や病院など、大勢が集まる場所では、一般人と魔導士は別々にされる。それをしていない学校―――なるほど、それがここの売りなのかもしれない。そして必然的に起こる揉め事を、僕に収束させるつもりなのだろう。
あんたはなんでここにいるのかと女子に訊くと、「ひっそりと理事長を呼びに行ったの。今は理事長待ち」と素っ気なく答えた。
「あなたは遅刻? 新学期から不真面目なことね」
不真面目なのは否定しない。僕が沈黙していると、扉の向こうから悲鳴が聞こえてきた。女子と一緒に覗くと、暴動を起こした一人が、女子生徒に剣を突き刺していた。
「ハッハッハッ! これで分かっただろ! 俺が最強なんだよ!」
よく見ると、男子の目は充血し、赤黒い血が流れ出ていた。ルキと出会ったあの日の柴犬とよく似た状態だ。まさかあいつも、あの柴犬と同じように―――?
「まずい……」
「え?」
「あいつ、危険だ。触れただけでこっちが毒される」
「でも、今……」
男子が、刺した生徒の首を締めた。苦痛は声にならず、代わりに女子生徒の表情が歪んだ。
僕はブレザーのポケットから筒状の小さな針入れを取り出すと、そこから針を一本取った。鋭い刃先で左腕を浅く切る。痛みと血が溢れた。その血を手ですくい、僕はニヒルを召喚した。体育館の方を指差すと、天使は軽く頭を下げる。
「かしこまりました。では」
ニヒルは扉を開け、体育館の中へずかずかと入っていった。数多の視線が一斉に天使へ注目する。ニヒルは躊躇うことなく暴徒へと近付いていく。男子二人は驚いた様子だったが、赤い涙を流す男子は生徒から手を離し、ニヒルに殺意を向けてきた。
「なんだ? テメェ………ここの生徒じゃねぇな!」
男子生徒が剣を振り回す。最小限の動きでそれを避けるニヒル。隙の出来た一瞬で、ニヒルは男子の腕を掴んだ。
「闇に染まりし魂よ。消えなさい」
次の瞬間、あの時と同じように男子から黒い何かが飛び散った。男子が脱力してその場に倒れる。動く様子がないと分かると、僕はニヒルの元へと向かった。戸惑った様子の残り二人の男子を、横目で一瞥した。
「そこの二人は?」
「正常です」
「分かった。もういいよ」
「お気を付け下さい。主様」
ニヒルが消えていく。それを見届け、僕は未だ流れる血を再び手ですくった。その手を床につけ、力を込める。黒い光が一瞬視界を遮り、目の前に現れたのは、金色の短髪に銀の瞳、黒い布で肌を覆う男だ。背中には漆黒に染まる羽を生やしており、妖しく笑いながら僕の顔を窺った。
「オレをお呼びか? 主さんよォ」
僕は無言で男子二人を指差す。悪魔『ミデン』も倣って見ると、口角を吊り上げて笑った。
「りょーかい。あれ以来暴れられねェのかとヒヤヒヤしてたぜ」
「殺すな。気絶させるだけだ」
「んだよ、つまんねェな」
「お前の主は僕だ」
「ヘイヘイ。分かってますよ」
ミデンはそう言いながら、男子二人へと歩いていく。二人は剣を構え、ミデンと距離を取るように後ずさっていく。ミデンは羽をばさりと動かすと、右腕を水平に振った。そこから何かが勢いよく飛んでいき、男子二人の胸に突き刺さった。それは真っ黒な矢だった。男子二人は気を失い、その場に倒れる。
「あーつまんねェ。今度はもっと手強い相手にしてくれよな」
ミデンはぶつぶつと文句を言いながら消えていった。体育館中に静寂が流れる。驚愕と困惑の視線ばかりに貫かれ居心地が悪い。近くにいた女が、おそるおそる僕に手を伸ばしてきた。
「あ、あの……あなた……」
「あなた凄いわね。天使と悪魔を召喚出来るなんて」
背後から、先程の女子に大きく声をかけられる。振り向くと、ニコニコしながらこちらに来ていた。険しい顔から一転、気持ち悪い程に笑っている。女子は僕の前に立つと、じっと見下ろしてきた。
「天使と悪魔……両極端の存在を従える『中立者』なんて、初めて見たわ。所詮、噂だと思っていたけれど……本当にいたのね。感動ものだわ」
「…………」
「しかも、可愛らしい見た目に反したあなたがそれだなんて」
金色の目が光る。しばらく女子に睨まれたまま、僕は動かなかった。いや―――動けなかった。まるで身体の時を止められたみたいに、手も足も動かすことが出来なかった。
一滴の汗が頬を伝う。意思とは無関係に、僕の体は女子へと近付いた。勝手に動く足を止める手段が見つからない。僕は女子のすぐ目の前に立ち、腕を上げていく。それと合わせるように、女子も自身の腕を上げていった。
―――気付くのが遅かった。
その手に握られているものに。
――――――――――――グチュッ
生々しい音がした。
「え……?」
ずるりと抜ける感触が手に残る。突然倒れる女子に僕は目を奪われた。彼女の腹部からは血が流れ出ている。苦しそうな呼吸は急を要するものだった。
僕は視線を自身の手元に移す。両手には一本のナイフが握られていた。銀の刃は、彼女の腹のように赤く染まっていた。
―――それは、たしかにさっきこの女子が握っていたものだった。僕はそれを受け取り、彼女に刺したんだ。
―――無論、それは僕の意思ではない。
するりとそれは手から滑り落ちた。カランと乾いた音が鳴る。それは、皆の時を動かす音のようにも思えた。
「きゃああああー!」
一斉に上がる悲鳴。何が何だか分からず、僕は男二人に取り押さえられた。白衣を着た男が女子に近寄り、彼女の状態を確認する。
「誰か担架を!」
「先生! こちらの子もお願いします!」
バタバタと、皆一斉に動き出す。怪我をした生徒達は体育館の外へ運ばれていく。担架に乗せられた女子と一瞬目が合った。彼女は痛みに耐えながら、小さく口を動かした。声こそ聞こえなかったものの、彼女はたしかにこう言っていた。
―――――――――あなた、弱いわね。
はめられた―――そう思った時には遅く、僕は引きずられるように体育館から連れていかれた。
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