4『初めての夜』
案内された部屋には、ベッドやクローゼット、丸テーブルや本棚があった。見覚えのある配置だ。リビングから二階のこの部屋までにもいくつか部屋はあったが、どこも同じ家具が揃っているのだろうか。もしそうだとしたら、いつでも誰でも迎え入れ可能ってことか。金持ちのお節介は贅沢だな。
「私の部屋、隣だから何かあったら言ってね」
柊はそう言って自室へと戻った。僕は部屋にスーツケースを入れ、真っ黒なベッドに飛び込む。ちょうどドアの上に時計が掛けられており、もうすぐ二十三時になろうとしていた頃だった。白い天井をぼんやりと眺めていると、今日のことが脳裏によみがえってきた。
柊未来という少女との出会い、そしてルキという男との再会―――自由になったばかりの僕が二人に受け入れられ、住む場所まで提供された。偶然にしても、運が良すぎたとしか思えない。
いや………これは本当に偶然なのだろうか。あまりにも出来すぎている気がする。ルキと初めて出会ったあの後、もらったお金で何とか生き延びていた。しかしそれもいずれ限界に達する。だから僕は結局、ルキの優しさに甘えた。ルキの優しさを信用した。
でも、もしルキが『あいつ』の仲間だったら? もし『あいつ』と連絡を取り合っていたら? 僕が『あいつ』から逃げ出した次の夜、ルキと出会った。『あいつ』からルキに情報が行っててもおかしくない。
ぞくりと背筋が震え、勢いよく起き上がった。部屋を見回すが誰もいない。ベッドから転げ落ち、無我夢中でドアへと駆けた。ドアノブを思いっきり押すと、勢いで体が回転して部屋の外へと放られた。廊下に倒れ込み、思考が停止する。ドクンドクンと心臓は高鳴っていた。やっと拍動が正常になってきた頃、僕はゆっくりと立ち上がった。おそるおそる部屋へと戻り、ドアを閉める。
いざとなれば、窓から逃げることが出来る。逃げ道はあるんだ。焦ることはない―――僕は再びベッドに沈み込んだ。しばらく目を閉じてみたものの、眠りにつくことは出来なかった。やっぱりどうしても、ドアの方が気になってしょうがなかった。
カチカチカチカチカチ―――時計の音が気になってきた頃。目をやると、もう二十四時を過ぎていた。体は疲労で眠たそうにしているが、脳は活発に動いていた。それもこれも、全て『あいつ』のせいだ。くそっ、眠れない―――。
「ミヤくん、起きてる?」
突然のノックと声に僕は飛び起きた。再び高鳴る心臓を抑えるように胸の辺りを掴み、ベッドの上で硬直する。おそるおそるドアへと近付いた。そろりと開け隙間から覗き込むと、銀色の髪をした少女が立っていた。
「大丈夫? 眠れないの?」
心配そうな小声に、僕は安堵の息を吐いた。ドアを開けると、柊は緑色のトカゲのような形をした大きなぬいぐるみを抱えていた。その全長は、彼女とほぼ同じくらいだ。僕はそれを指差して問いかける。
「何それ」
「これ? 抱き枕だよ。可愛いでしょ。『ムトーくん』っていうの」
むぎゅっとムトーくんを抱きしめる柊。心なしか、ムトーくんも嬉しそうな表情をしたように見えた。きっと二人は昔からずっと一緒にいるのだろう―――そう思い、僕は適当に同意をしておいた。
「ところでミヤくん、眠れないの?」
柊とムトーくん、四つのスカイブルーの瞳に見つめられる。その視線から顔を逸らしながら、僕は小さく頷いた。
「………まあ」
「不安なの?」
「不安?」
「うん。だって新しいお家だから、なかなか寝つけないのかなーって思って」
仮にも血が繋がっている同士か。お節介なところはルキにそっくりだ。そう思うと、ため息がこぼれた。
「ありがとうしばらくすれば寝れるからおやすみ」
「待って!」
ドアを閉めながらまくし立てたが、ドアと壁にムトーくんを差し込まれてせき止められてしまった。ムトーくんは首を挟まれた衝撃からか、目玉が飛び出した。目の前で起きたグロテスクな光景に思わず絶句する。ムトーくんの背後から、柊は僕を強く見つめた。
「ミヤくん! 眠くなるまでお喋りしよう!」
「は? なんで? しないから。ていうかムトーくんが……」
「しよう! するの!」
「いやしないから。それよりムトーくん………おいちょっと!」
無理矢理ドアが開かれ、僕ごと部屋に押し入ってきた柊は、丸テーブルの近くに座りこんだ。僕も隣に来るように言われるが、当然僕は抗議した。
「出てってよ。寝れないじゃん」
「まだ眠くないんでしょ? 喋ろうよ!」
「嫌だ」
「ダメ! するの!」
駄々っ子のように言われても、ほとほと迷惑なのだが。いくら言っても聞こうとしない為、ついに僕は諦めてドアを閉めた。柊の向かいに座り、丸テーブルに頬杖をつく。
「で、何を話すの?」
「うーん………じゃあね、ミヤくんの誕生日はいつ?」
ムトーくんを、声と合わせるように小刻みに揺らす柊。最後にムトーくんは首を傾げた。相変わらずバネで繋がった目玉は飛び出たままだ。なるべく直視しないように、僕は短く答える。
「三月八日」
「えっ、ほんと⁉ 実は私、三月九日なんだ! 一日違いだね!」
キャッキャと嬉しさのあまり、思いっきりムトーくんを締めつけた柊。ムトーくんの目玉がびよびよと揺れる。しかし柊は全く気にしていなかった。しかもそのままずりずりとこちらへ近寄ってくる。
「じゃあ一緒にお祝いしようね!」
「いいよ別に。誕生日なんて」
「ダメ! お祝いするの! それで、一緒にプレゼント交換しよ!」
「なっ………勝手に決めるなよ」
「プレゼント交換楽しいよ! 絶対やろうね!」
満面の笑みを見せつけられ、仕方無く頷いた。満足した柊は、元の位置へ戻っていく。締めつけから解放されたムトーくんは心なしか、ぐったりとしていた。
「楽しみだなあ! 早く三月にならないかなあー」
「この間終わったばっかりだよね」
「そうなんだよねえ……でも、六月はムトーくんの誕生日なの! お祝いの用意しておかなくちゃね!」
お前にも誕生日あるのかよ―――そんな目で見たら、柊はムトーくんの目玉を元の位置まで引っ込めていた。まさか抱き枕の誕生日までも祝うとは、柊の幼さ……いや、奇怪さには素直に驚いた。
当の柊はというと、作業が済み僕の顔をじっと見つめていた。
「ミヤくんどお? 眠くなってきた?」
「なるわけない。むしろ覚醒した」
「そっかあ。私もね、ここに来たばかりの頃はなかなか寝つけなかったんだよ」
だから僕も同じだと思って来たわけか。ありがた迷惑とはこのことだ。寝つけなくても、僕は誰かと話したい気分にはならない。柊にはちゃんとそのことを伝えよう。じゃないと、毎晩ムトーくんと押しかけられる気がする。
「あのさ……僕、誰かと話したい気分じゃなかったんだけど」
「そうなの? さっきすごく怯えていた目をしてたから、てっきり怖がっているのかと思ったんだけど……」
怯えていた目?
僕が―――いつ?
「嘘だ」
「本当だよ」
柊が再びずりずりと、僕の隣に移動してくる。そして、僕の膝の上にムトーくんを乗せてきた。
「ムトーくんを抱きしめると安心するよ。貸してあげる」
「いいよ……こんなの」
「ダメ。すぐ寝つけるようになるまで、ミヤくんはムトーくんと一緒に寝るの」
ムトーくんを押し付けられ、しぶしぶそれを抱きしめた。むにっとしていて、たしかに抱き心地は良い。しかしこんなものがあっても、僕は安心して眠れるわけではない。ムトーくんを床に置き、僕は柊を睨んだ。
「勝手なことしないでくれる? 今は喋りたい気分じゃないし、抱き枕で快眠出来るわけじゃない。僕は柊じゃないんだよ」
「でも………」
「あと、男の部屋に無防備で入るのもやめた方がいいよ。拳銃があるからって安心しすぎない方がいい。ここは僕のテリトリーだ。夕方のようにはいかないかもよ?」
「み、ミヤくんは悪い人じゃないから……!」
「そう断言出来る根拠は? まだ出会って一日も経っていない人間をそんなに信用出来るの? そうだとしたら相当馬鹿だね、あんた」
困ったように柊は口を開き、しかし何も言わず俯いてしまった。それでもまだ出ていこうとしない彼女に、僕は追い打ちをかけた。
「こんな夜中に僕と部屋にいたことがルキにばれたら、たぶん僕はこの家から追い出されるよ」
「えっ……⁉」
「当たり前じゃん。大切ないとこが男と二人で夜な夜な同じ空間になんていたら……そう疑うのは当然だと思うけど?」
「ミヤくんはそんなことしないってルキも信じてるもん!」
「だから、その根拠は? なんであんたらは無条件に人を信じるわけ? 何かあったら後悔するのはあんたらなんだよ?」
柊と視線を絡める。スカイブルーの瞳は揺れ動き、困惑の色を帯びていた。小さな手は僕の冷え切った手を取り、優しく包み込んだ。
「ミヤくん……そんなに私達のこと、嫌いなの? 何にそんなに怯えているの?」
――――――だから、怯えてるって何なんだよ。なんでこいつには分かるんだよ。体が震えているわけでも、声が震えているわけでもないのに。
普通に―――話しているはずなのに。
「ミヤくん?」
「………じゃあ教えてよ。あんたは、何を根拠に「怯えている」なんて言っている? 僕の何を見て、そんなことをほざいている?」
柊は目を瞬かせた。唖然とする彼女の隙をみて手を離そうとするが、それを許さないと言わんばかりに強く握られた。
「ドアの隙間から覗いた時もそうだったけど、今もすごく怯えた目をしているよ」
その言葉が信じられなくて、思わず目を見開いた。手を離され、自然と僕の手は目元へと向かう。触ったところで分かるわけなどない。答えの得られないその手を、柊は再び包み込んできた。
「大丈夫だよ。ここには、ミヤくんをいじめる人は誰もいない。私もルキも、ミヤくんの味方だよ」
ふんわりと笑う少女に、一人の女の顔が重なった。明確に覚えているわけではないが、笑うその口元はとてもよく似ているように思えた。
――――――――――――大丈夫。守ってあげるからね。
「おかあさん………」
呟いてから、ハッと我に返った。柊は不思議そうに僕を見ている。慌てて彼女の手を離し、顔を逸らす。冷えていたはずの体は、湯船にでも浸かっているように熱くなってきた。
「お母さん……?」
柊に言葉を反芻され、さらに体温が上がった。ベッドに上がり、枕に顔をうずめる。その後を追うように、耳元で柊が囁いた。
「お母さんって、言った?」
「うるさい……何でもない。間違えただけ」
「でも今、言ったよね? もしかしてミヤくん、寂しいの?」
「違う!」
がばりと顔を上げると、柊と目が合った。嘲笑もせずキョトンとしている柊に、無性に恥ずかしくなって再び枕に顔を隠した。
「…………寂しいわけじゃない。ただ、懐かしく思っただけ」
「お母さんと会っていないの?」
「もう死んだから」
出来れば思い出したくなかった。まだ生きていた頃のことも、死んだ後のことも、思い出したら辛くなる。無論、誰かに言うつもりもなかった。
「………そっか。ミヤくん、辛かったんだね」
そう言われながら頭を撫でられた。その手を払っても、柊はしつこく撫で続けた。睨み付けると、柊はにこりと笑った。
「私も辛かったから分かるよ。でも、ルキがこうして撫でてくれたから、だんだん元気が出たんだ」
「………僕は撫でられても元気にはならない。ていうか、辛いわけじゃないし」
「よしよし。ミヤくんには私もルキもいるからねー」
人の話を聞かず、子供をあやすように撫で続ける柊。いい加減うざったくなって、彼女の腕を掴んで引き離した。柊はくすくすと笑っている。
「なんだか、ミヤくんに少し近付けた気がする」
「むしろ僕は遠ざかりたくなったけど」
「じゃあ頑張って近付いていくね!」
迷惑だからやめろ。そう言うと、「私がやめても、きっとルキもミヤくんと仲良くなりたいだろうし、近付いてくると思うよ!」と笑顔で返された。本当にあり得そうだ。どうにか二人のお節介から逃れる方法を模索しておいた方が良さそうだ。
それから柊は好き勝手に喋り、一時間程経った頃、ようやく部屋から出ていった。嵐が去った後のように静まり返る室内。ベッドに仰向けに倒れ、襲いかかる眠気に身を任せていた。どんなに不安でも、所詮生理現象には勝てないのか。もしかして、柊はこれを狙っていたのだろうか。僕を眠らせる為に、僕を疲れさせようと喋りに?
「そんなわけ……―――」
あるはずない。あの少女が、そこまで考えているとは思えない―――そう思ったところで、僕は意識を手放した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます