3『やりたいこと』
熱くなった体によって、意識が現実に戻された。湯船から出て、脱衣所へ向かう。タオルで体を拭きながらぼんやりと思った。
いくら何でも、やっぱり浅はかだったかもしれない。見ず知らずの男の、しかも先住人までいる家にノコノコとやって来て住まわせてもらうなんて、絶対裏に何かあるに決まっている。取り返しがつかなくなる前にここから出ていこう。
「あっ、おかえりー!」
ルームウェアに着替えリビングに戻ると、柊が笑顔で出迎えてくれた。彼女の向かいにはルキが、缶を持ってへらへらと笑っている。その顔は何故だか、瞳と同じように赤い。
「おかえりぃーミヤぁー」
近付くにつれ酒臭さが増していった。ルキが持っていたのは缶ビールだった。柊の隣に座ると、既に空けられた二本の缶がテーブル上に見えた。
「何これ……」
「ルキ、またお酒飲んじゃったの」
「飲んだって、短時間でこんなに……?」
「ミヤぁ、君も飲むぅ?」
「飲むわけないだろ」
「ルキ、くさーい」
本当に臭い。口にガムテープを貼っ付けて外に放り出してやりたい気分だ。ルキはグビグビと酒を飲み、空になったのか、ぐしゃりと缶を潰した。
「あーあ。無くなっちゃった」
「まだ飲む気なの? くっさいんだけど。飲むなら出てって」
「ここ私の家だけど⁉」
「臭い」
「ルキ臭いー」
柊が鼻をつまんでルキから顔を逸らす。その拒否が相当嫌だったのか、ルキはしゅんとしてからあげをつまんだ。
「ねえ、それでさっきの話なんだけど……」
「ん? なあに⁉」
声をかけると、急に嬉しそうに笑いながら顔を上げるルキ。酒のにおいに自然と体が仰け反るも、ぐっと堪えて酔っ払いを睨み付けた。
「僕、どこかで働くよ。それでここの家賃を払う。それか……」
「働くぅ? 子供が何言っているの。それに家賃はいらないよ」
「そういうわけにはいかないから」
借りを作りたくないし。そう付け足したら、ルキは真っ赤な顔でふにゃりと笑った。
「君は真面目なんだね。でもダメ。外で働くなんてさせないよ」
「なっ……」
「十六にも満たない子が働くなんて許さないよ、私は」
「は……? 僕、十六だけど」
「えっ⁉」
ルキと柊が同時に驚いて僕に振り向いた。目を丸くして、唖然と口を開けている。何をそんなに驚いているのか尋ねると、柊がぐっと顔を近付けてきた。
「わっ、私より年上なの⁉」
「今年で十六だけど」
「一つ年上だ! えっ、すごーい!」
「じゅ、十六……⁉ じゃあ今、十五……⁉ うっ、嘘だ……!」
キラキラと目を輝かせる柊の背後で、ショックを受けたように頭を抱えるルキ。二人の反応はあまりにも不可解だ。何をそんなに驚くのか。
「見た目通りの年でしょ。そんな大袈裟な」
「てっきり小学生だと……」
「は?」
「私もー! だってすごく幼い顔をしているんだもの!」
「童顔にも程があるよ……! いや、待って、本当に十六? アメリカンジョークかな?」
「あっ、なるほどー! アメリカンジョークかー! 私、日本人だから分からなかったよ! アメリカはこういうので笑うんだね!」
「アメリカンジョークじゃないし、そもそも僕も日本人だし。童顔なんて言われたの、初めてなんだけど」
ものすごい速さで目を瞬かせる柊とルキ。その反応に多少の腹立たしさを覚えたので、再びルキを睨んだ。
「それより話を戻すけど、十六だから働いてもいいってことだよね」
「えっ⁉ いやいやいやダメっ! 絶対ダメ! 余計にダメ!」
「なんで? 年齢はクリアしてるじゃん」
「連れて行かれちゃうよ⁉ 君、童顔だから怪しいおじさんに連れて行かれちゃうよ⁉」
「意味が分からないけど」
「世の中にはね、可愛い男の子が大好きなおじさんがいるんだよ! だから連れて行かれちゃうよ!」
「いや、全く意味が分からない。あんたのこと?」
「違うよ! 失礼な!」
「いやだ! ミヤくんが連れて行かれちゃうのはいや!」
柊が抱きついてきた。引き剥がそうと彼女の体を押すが、離れてもしつこく引っ付いてくる。やがて腕が疲れたので、諦めてされるがままにした。
「ミヤくん行かないでー!」
「なんで誘拐される前提なんだよ。僕、男だし」
「男の子が好きな男の人だっているはずだよ!」
「ルキのこと?」
「そう!」
「待って! 違うよ! ミク、間違った情報は流さないで!」
必死に抗議出来る程には酔いが醒めたようだ。柊の頬をつねりながら、ルキは僕を横目で見た。
「誘拐されるか否かは置いておいて……。何にせよ働くのは断固反対。働くってことは、その責任を負うってことだよ? 世間知らずの君にそんなこと出来るの?」
腹が立つ言い方だが、反論出来ない。ルキは柊を解放し、空き缶をキッチンへと持っていく。帰ってくると、空き缶ではなく水の入ったコップを持っていた。
「出来ないよね。君はまだ、大人に守られるべき子供なんだよ」
「でも………僕は……」
「そうだなあ……。ミヤ、何かやりたいことはあるかい?」
「やりたいこと?」
そんなの、考えたこともなかった。ただただ、外に出たい、自由になりたいってことだけを考えていたから、その後のことなんて―――。
「………じゃあ、学校にでも行く?」
沈黙を続けていた僕の頭に、ルキがぽんと手を乗せた。慌ててその手を払う。見上げると、ルキは水をひと口飲んで言った。
「学校に行ったら、やりたいことも見つかるかもよ?」
「………そうは思えないけど」
「そうかな?」
「でも、色んな人とお友達になれるよ!」
柊がずいっと顔を近付けてくる。ぶつかりそうなくらい近付くもんだから、咄嗟に彼女の肩を押し返した。それでも柊は、そのまま嬉々とした声を上げる。
「同じ年頃の人達と仲良くなれるよ! だから、それだけでも楽しいと思うなあ!」
「そうそう。学校なら安心安全だし。どう?」
スカイブルーと赤の視線が僕を貫く。僕はどうすればいいのか分からなかった。学校に行くべきか否か―――どちらが良いものなのか分からない。学費だってかかるし、そういう面でもまたルキに貸しを作ることになる。
でも―――僕は強く目を瞑った。閉じ込められる以上に嫌なものは無い。自由にしてもらえるのなら、学校に行くのも悪くないのかも。
「あ。じゃあ、学校で働いてもらおうか!」
「学校で……働く?」
柊と共にルキを見上げた。ルキはコップの水を飲み干し、赤い目を光らせた。
「私の学校に在籍して、そこで私の仕事の手伝いをしてもらおう。それなら良いだろう?」
「あんた……学校を持っているのか?」
「まあね。中高一貫校で、四十人で一クラス、それが学年ごとに十クラスあるマンモス校なんだ。凄いでしょ。でも去年開校したばかりの新設校だから、理事長だっていうのに私も大忙しで大変なんだよ」
「私もそこの生徒なんだ」
十クラス……ということは、一学年だけでも四十人×十クラスで四百人………規模が大きすぎる。そんな学校の理事長………こいつ、きっとかなり金を持っているんだろう。だから、僕みたいなのが一人増えようが、痛くも痒くもないのかもしれない。
「それで良いかい? ミヤ」
「……分かった」
「うんうん。よかったよかった。じゃあ早速明日から学校だから、寝坊しないようにね」
差し出された手。ルキを見上げると、ニコニコと笑っていた。しぶしぶその手を握ると、強く握り返された。
「ようこそ、ミヤ。これからよろしくね」
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