5-96 憎しみを捨てることができたなら

「ど、どうしたんだよ、ジャーヴィス。お前がそんなことを言うなんて」

「ずっと考えていたのだ」


 ジャーヴィスがミリアスの隣の船縁へ近付き肘をついた。


「何故あの人が――グラヴェール艦長だけが、あの事件の重荷を背負わなければならないのかと。私と彼の立場は紙一重だったんだ。負傷したのがあの人で、重い選択をなさねばならなかったのは、私だったかもしれなかったんだ」


「……やめろ、ジャーヴィス。お前は何も悪くない」


 ヴィズルは唇を噛みしめた。


「悪いのは俺なんだよ。世間が見逃しても、お天道様――正義の神アルヴィーズは見逃さない。俺が重ねた罪は両手じゃ数えきれねぇ。だから」

「ヴィズル。お前こそ何馬鹿なことを言っているのだ!」


 ジャーヴィスの瞳は言葉以上に怒りに満ちていた。


「確かにお前は元海賊で本来なら縛り首だ。だが、私は海賊に対するそうした処罰の仕方にも疑問を持っている。いや、海賊という存在が何故生まれてしまうのか……国を持たず海をさすらう生き方しかできない者に、何かしら救済の手を差し伸べることはできないのか。罪を犯した者を罰するのは当然だが、お前が過去犯した罪を悔い改め、あの人のために自分の身を犠牲にするつもりだとしたら、それはお前の自己満足だ」


「ジャーヴィス」


「お前が裁かれれば遺族は納得するやもしれん。所詮人の命はそれを奪った者の命で贖うしかないのだろう。だが『月影のスカーヴィズ』は世間ではすでに死んでいるのだ。だから二度目の死は無意味だ。お前に望むとすれば、自らの犯した過ちを忘れず、他者のために役立つよう生きて、少しでも罪を償え」


「……」


 ヴィズルは俯いた。急に恐ろしくなったのだ。

 もしも、シャインやジャーヴィス達と出会わなかったら。

 計画通りノーブルブルーを壊滅させ、先代『月影のスカーヴィズ』を殺したと思っていたアドビスもこの手にかけていたらどうなっていただろう。

 エルシーア海賊をエルシーア海に復活させ、海賊としての名を轟かせ、さらなる罪を犯していたのだろうか。


「ミリアス、お前はヴィズルのことをどう思っている?」

「えっ」


 ミリアスはずっと黙り込んでいた。

 ヴィズルの突然の告白に頭の中が混乱してしまったのだろう。


「僕は……」


 ミリアスは両手を握り締めながら、ヴィズルの顔を見つめた。


「……僕は……本当のことが知りたい。何があったのか、あの夜の真実が知りたい。何故父の船を襲撃したのか、知りたい。父を殺したのが本当にお前なのか、知りたい。お前が、何故そんなことをしたのかが知りたい」


「いいだろう。俺のことならすべてあんたに話す。そのつもりだったからな」


ヴィズルはうなずいた。



 ◇



 空に浮かぶ星々の灯が淡く溶けて、東の海上には最初の朝日が顔を見せようとしていた。ヴィズルの話をミリアスはじっときいていた。


 ヴィズルが自分の母親である先代『月影のスカーヴィズ』を殺した仇を討つべく、アドビス・グラヴェールを狙っていたこと。自分がエルシーア海に帰ってきたことを知らしめるために、彼が設立した海賊拿捕専門艦隊「ノーブルブルー」を殲滅させようと思ったこと。同時にアドビスに恨みを持つ海軍の軍人、ツヴァイスがヴィズルに協力し、ノーブルブルーを架空の海賊が出る海域へ誘き出し、アストリッド号を沈めたこと。


「アストリッド号が沈められたことで、海軍省はノーブルブルーのファスガード号とエルガード号を帰還させることを決めた。その命令書を運んだのが、シャインのロワールハイネス号だ。俺はツヴァイスからロワール号の航海長の席が空いていることを知って、シャインに近付いた。シャインは何の疑いももたず、俺はロワールハイネス号の航海長となって、探していたノーブルブルーの二隻の元へ行くことができた。


その目的はもうわかってるだろう。俺はノーブルブルーを殲滅させることを目的にしていたからな。ジャーヴィスが命令書をファスガード号へ持っていくためロワールハイネス号を下りた時、俺は彼女を一人で制圧した。


シャインは航海中、嵐で海に投げ出されて行方不明になっていたから、この時奴はロワール号にはいなかったんだ。で、ちゃっかりファスガード号に救助されてたんだがな。


 その後俺は乗っ取ったロワール号でエルガード号へ乗り込み、予め水兵として乗せていた手下どもと一緒にこいつを奪った。後は宵闇に紛れてファスガード号に砲撃を喰らわせて沈め、エルガード号も自沈させるつもりだった」


「……つもりだった?」


「ああ。俺の計画は結果的には成ったが、シャインがファスガード号の指揮を執ったことで、俺はエルガード号に乗せていた多くの手下を失った。大方、ルウム艦長の部下――お前の父親の訓練が素晴らしかったんだろうな。傾いたファスガード号は撃てて二回しか砲撃できなかったのに、その二回目で見事にエルガード号の火薬庫を吹き飛ばした。


俺は沈むエルガード号の恐ろしい渦をなんとか泳ぎ切ってファスガード号へ乗り込んだ。そこには乗組員を退避させ、一人残るシャインがいた。俺の目的はもう一つあった。俺からすべてを奪ったアドビスへ、今度は奴の大切なものをすべて奪ってやると。俺はシャインに助けにきたと嘘をついて、奴を油断させ殺そうとしたができなかった」


「なんだと」


 ジャーヴィスが驚くのも無理はない。

 ヴィズルは肩をすくめた。


「俺はシャインを殺せなかった。あいつの反撃を受けて退却せざるを得なかったのさ。恥ずかしい話だがな。でも燃えるファスガード号の甲板で、シャインが俺に言ったことを今でもよく覚えている。俺はシャインに言ったんだ。お前がエルガード号に乗っていた俺の手下を殺したんだと。けれど奴は――」


『君が、俺にそうさせた。俺はふりかかる火の粉を払わねばならなかった。君が燃やした“憎しみの炎”を! 俺はファスガード号の者達を守りたかった。だって、彼等には彼等を待っている者がいるからだ』


 ヴィズルは伏し目がちにミリアスを見た。


「今ならよくわかるぜ。シャインの気持ちとその言葉の意味が。シャインはファスガード号を守るためにエルガード号を砲撃した。傾いて浸水し、いつ沈むかもしれないファスガード号で、エルガード号の奪還は難しかっただろう。シャインは戦うしかなかった。そうしなければ、俺がファスガード号を沈めていたからだ。文字通り、ふりかかる火の粉をファスガード号の乗組員のために、自らの手で払ったんだ。お前だったら、お前がシャインの立場だったらどうする? ミリアス?」


「僕は――」


 ミリアスは拳を握りしめぶるっと体を震わせた。

 その顔はすっかり血の気が引き青ざめている。


「そう――僕の聞きたかった真実はまさにそれだ。あの夜、ファスガード号とエルガード号に何があったのか。海軍省の調書では、単に海賊に船を奪われて戦闘となり船が沈んだとしか書かれていなかった。そんな端的な報告で、大切な家族を奪われた僕たちは納得できるはずがない。事情は――これでよく、わかった。あんたへの感情や行為は別にして、真実を語ってくれたことに礼を言う。ありがとう、ヴィズル」


 ヴィズルは顔をしかめたまま黙っていた。


「ミリアス、君の父上の死の顛末てんまつなら、私が語ることができる」


 ミリアスはジャーヴィスの方を向いてゆっくりと首を横に振った。


「ありがとうございます。でもそれは知っています。僕はダールベルク統括将――いえ、当時は中将閣下ですが――あの方のご協力で、ジャーヴィス艦長の調書を読みました。一番読みたかったグラヴェール艦長の調書は、ダールベルク中将閣下にも在りかがわからず叶いませんでしたが――ラフェール提督を砲撃から身を挺して守った。父らしい最期です。


だからこそ僕は、何故と思わずにいられなかった。父はノーブルブルーで二十年以上も海賊船を取り締まっていた。ずっと勝ち続けることがどれほど難しいかわからなくもないけど、あの父が海賊にあっさりやられるなんて、僕は……僕は認めたくなかったんだ!」


 ミリアスは拳を目元に当て溢れてきた涙を払った。


「僕はずっと願っていたんだ。早く父に追いついて、一人前の海軍士官になって、一緒にファスガード号へ乗るんだと。父は僕が来るのを『待っている』と言ってくれた。厳しい外洋艦隊で船乗りとしての技術を高めて、一発で任官試験に合格して、やっと、やっと父の船に乗れるだけの実力をつけたのに……!」


「ミリアス」


 ジャーヴィスはしゃくりあげるミリアスの肩を黙って引き寄せた。


「……やっと追いついたと思ったのに。僕は、僕は……!」


 ヴィズルは二人に背を向け昇りゆく朝日に視線を向けた。

 何故か今朝の朝日は燃えるように赤かった。周囲の空を紅に染めていく。



『君が、俺にそうさせた。俺はふりかかる火の粉を払わねばならなかった。君が燃やした“憎しみの炎”を! 俺はファスガード号の者達を守りたかった。だって、彼等には彼等を待っている者がいるからだ』


『シャイン……!』

 反論しかけたヴィズルの言葉を、シャインはその一瞥いちべつで遮った。


『もちろん君の仲間にも、その帰りを待っている者がいるはず。そして、大切な存在であったはず。君が憎しみに囚われなければ、彼等はもっと違った生き方ができたんじゃないのか? ヴィズル、君だって……!』



 そうだよな。

 今更後悔などして、死んでいった者が浮かばれるわけではないが。


 けれど大切な人を失い、残された者の悲しみや苦しみは自分も味わった。

 それを晴らそうとして憎しみに身を任せた。

 しかしそれは憎しみが憎しみを呼び、新たな悲しみを生み出しただけだった。

 これほど虚しいと思ったことはない。


 だがあの時憎しみを捨てることができたなら。

 そこで得るものはあっただろうか。

 違う人生を歩むことができたのだろうか。

 俺が失わせた多くの命は――。


 ヴィズルは朝日に背を向け、静かに目を閉じた。

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