5-91 青き闇の中へ(2)

「そのようなことができるというのか? まさか、この娘が?」

「はい。我々は人為的に『船の精霊』を作ることができないか考えました」


 技術者は硝子の箱へ視線を向けた。


「そしてこの『船鐘シップベル』を媒体に、船を操ることに成功したのです。これが『船の精霊』の力の源です」


「見た所ただの銀の鐘ではないか? そして何故硝子の箱に入れておるのだ?」


「はい。硝子に見えますが、これは水晶を削り出して作った箱であります。そして鐘の表面を聖純銀で覆っています。何しろ鐘からあふれる力がすさまじいので……」


「力、とな」

「陛下、まずはお目にかけた方が早いでしょう。私と一緒に少し後ろへ……」


 技術者は国王を少し下がらせた。青い瞳の少女は憑かれたように鐘を見つめていた。すると、呼応するように鮮やかな青い微光が船鐘の外側を縁取りはじめた。


「なんだあの光は」


 シャインは嫌な予感を覚えた。まるで人の深層心理を探るような感覚。

 以前、ヴィズルの短剣を突き付けられた時を思い出した。

 あの時の感覚に似ている。

 魔鉱石ブルーエイジは餌食となる人間の、心の奥底に潜む思い出したくない記憶を掘り起こし、最上の糧として貪るのだ。


「『船鐘・エクセントリオン』を起動させます。マリエル、始めろ」


 技術者が少女へ手で合図した。マリエルは硝子の箱の外側から両手を添えた。その瞳の色が冴えた青――ブルーエイジの『青』に染まる。


「錨を上げろ」

「抜錨します」

 

 技術者の命令で、船首甲板から、がらがら鎖が鳴る音がした。

 船を一つ所に繋ぎ止める錨が海面へと姿を現し、瞬く間に巻き上げられる。


展帆てんぱんせよ」

「了解しました」


 マリエルは鐘が納められている硝子の箱に両手を付いた姿勢で顔を上げた。

 一際青い光が一瞬周囲にほとばしる。

 無機質なマリエルの声だけが響く。


「各マストに帆を展帆……括帆索ガスケット解きます」


 マリエルの声に合わせて頭上が騒がしくなった。三本のマストそれぞれで畳まれていた帆が上から順番に縛っていたガスケットが解けたのだ。従来なら百名の水兵をマストに登らせなければ一斉にできないことだ。


帆桁ヤードを引き下げます。上下索ハリヤード……よし」


 それぞれの帆が勝手に広がる。最初は一番前のフォアマスト。一番大きな面積の帆から。同様に真ん中のメインマスト、最後尾のミズンマストの帆が広げられる。斜め横からの風を受けて白い帆が縦皺を作る。


転向索ブレース回します。帆足綱シートを固定……エクセントリオン、前進します」

 

 甲板が小刻みに揺れる。ぎりぎりと無人の舵輪が回る音が周囲に響く。

 これらにかかった時間はほんの数秒だ。

 国王は船が勝手に動くことに余程驚いたのか、両手の拳をぐっと握りしめ、頭上で帆桁ヤードが動くさまを見上げている。

 

「なんと……!」


 白いマントを風になびかせ技術者が国王へ笑いかけた。


「陛下、これから港を一周いたしましょうか」

「これは凄い。まるで『船の精霊レイディ』が宿り、自ら船を動かしておるみたいだ。そうだ。儂も『船鐘シップベル』に命じてみたい」


 国王は硝子の箱に収められている船鐘へと近づいた。

 そこには箱の上面に両手を置き、ブルーエイジの放つ光に照らされて、青く光る瞳を見開いた少女マリエルがいる。


「な、なりません陛下! ブルーエイジと意思の疎通ができる人間は、今はしかいないのです」


「何故じゃ。こんな小娘にできて、儂にできない理由がわからぬ! ええい、試しにさせてみよ」


 国王は技術者の腕を振り払いマリエルの肩に右手をかけた。


「娘、儂と代わってくれ」

「……」


 マリエルは声を発しない。瞳は相変わらず青い色を灯しており、無表情のままである。彼女の意識は多分、船鐘のブルーエイジと同期状態にあるのだ。

 だが国王はマリエルの肩を掴むと強引に後ろへと下がらせた。

 その拍子にマリエルはよろめき、甲板へと倒れた。


「陛下! 

「うるさい。エクセントリオン、エルシーア国王が命じる。最大速力で前進せよ!」


 国王が船鐘を入れていた硝子の箱に手を置いた。するとそれが一斉に砕け散ったのだ。国王の体が宙を舞い、ミズンマストの根元へ背中からぶつかる。

 暴力的ともいえる青い光が甲板を乱舞しはじめた。


「へ、陛下! ご無事ですかっ」


 白いマントをひらめかせ、近くにいた技術者の青年が国王へと駆け寄る。国王はミズンマストに背中を預け座り込み、両足を広げたまま、がくりと頭を下げてうなだれた格好でいた。


「……なんだと。儂に、命じるとは……」


 ぶつぶつと国王が独り言を漏らす。

 右手が持ち上がり、するりと腰の佩刀の柄に指がかかる。

 

「マリエルを起こせ! 『船鐘シップベル』との接続を切り離せ! 陛下、鐘から離れて下さ…!」


 立ちはだかった技術者の白マントの中心が赤く彩られていた。

 ぎらりとした刃がその背中から突き出している。


「ごちゃごちゃうるさい……」


 王の足元へ刺された青年がずるりと倒れた。大きく息を吐きながら、王は独り言を呟いている。顔を上げたその瞳は、ブルーエイジの青色に染まっていた。


「……儂に命令するな。儂は西の大陸の覇者、エルシーアの王ぞ……」


 抜刀した王を止めようと兵士や技術者が集まるが、皆、王の剣に刺されて倒れた。技術者がマリエルと呼んだ少女――シャインにはロワールにしか見えない彼女が、ゆっくりと起き上がる。その瞳はブルーエイジの青を映してはいない。


「お、おやめください陛下っ!」


 甲板は地獄と化していた。船鐘から狂ったような青い光が満ち溢れていた。それに触れた人々が、狂気に憑かれた顔と共に互いを殺しあっている。


「……なんてことなの!」


 マリエルが息を飲んで立ち尽くしている。船鐘は目に痛いまでの青い光を放射線状に放ち、歓喜の声をあげているかのようだった。


『……くっ』


 シャインは体が船鐘に引き寄せられるのを感じた。自分は魂の存在である。人の魂が結晶化した存在の『ブルーエイジ』は、何故か人の魂を求めてそれを喰らうのである。

 船鐘の中の空間で、そこにある『船鐘』に吸い込まれてしまったら。これこそ青の女王が危惧していた状況となる。シャインの魂も『船鐘』と同化してしまう。


『シャイン、最後のチャンスよ。マリエルに指輪をはめて!』


 ロワールの声でシャインは我に返った。マリエルが青い光を放つ船鐘に向かって歩き始めたのだ。


「止めなくちゃ……ブルーエイジに皆、魂を食われてしまう…!」


 シャインは悟った。

 こうやって彼女マリエルは『生身』のまま『船鐘』へと入り、この暴走を止めたのだ。

 そしてシャインと出会うまで、『船鐘』と共に在り続けたのだ。


!」


 シャインはマリエルの右手を背後から掴んだ。

 ロワールと同じ顔をしたマリエルが、水色の彼女本来の瞳を見開いて驚きの声を上げた。明らかにシャインが見えているのであろう。


「私が抑えないと! あの『悪魔ブルーエイジ』は外に出してはならないものなんだから!」

「わかっている」

「あなたは……!」


 シャインはうなずいた。


「戻るよ。

「えっ」

「俺を信じてくれ。君が見ているのは『船鐘シップベル』の過去の記憶だ。現実じゃない!」


 シャインはそっとマリエルの右手の人差し指に『巫女の指輪』をすべらせた。


「ストレーシア! 今だ」


 同時にシャインの視界は青い光に満ち溢れた。

 何も見えない。

 でも何故か恐ろしくはなかった。

 大切な人が傍にいるのを、確かに感じることができたから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る