5-79 嫉妬

「リュニスの人質は連れて行くのだ?」


 ノイエの問いにシャインは答えた。


にでも。アノリアへ向かうリュニス艦隊と合流できれば足止めして、そちらの作戦のため時間をいくらかでも稼げると思います」

「そうか……では用意をさせることにしよう」


 ノイエがそう言い終った時、サロンの扉を二度叩く音がした。


「誰だ」

「スティールです」

「入ってくれ」

「失礼します」


 サロンに入ってきたのは、三十前のやや小太りの青年だった。だがその目つきは鋭いものがあり、糊のきいた濃紺の軍服をきちっと着込んでいる。ノイエはディアナの方へ手を差し出した。


「迎えが来ましたディアナ様。こちらの者に部屋を案内させます。まずはそちらでお寛ぎ下さい」

「わかりました。ご配慮ありがとうございます。ノイエ様」


 ノイエの手を取り、ディアナは席から立ち上がった。

 ノイエは従者のようにディアナを扉の方へ連れていった。


「あ……ちょっと待って下さい」


 ディアナが立ち止まった。出入口の前に立つシャインとヴィズルへ向き直る。

 ディアナは深々と頭を垂れた。

 シャインもディアナへ礼を返す。ヴィズルも同様に。


「お二人には本当にお世話になりました。私……」


 感謝の言葉を述べようとして感極まったのか、ディアナが不意に涙ぐんだ。


「ディアナ様、ご心配なさらずとも、我々は大丈夫ですから」


 シャインはそっとディアナへ声をかけた。ディアナは右手を上げて溢れた涙を弾いた。リュニスから逃げ出してきてからシャインの前では一切涙を見せなかったのに、ついに張り詰めていた緊張の糸が切れてしまったのだろう。


 不意にディアナがシャインの背に手を回し、しっかりとその体を抱き締めた。

 彼女の左手首には、シャインが贈った聖純銀のブレスレットが光っていた。


「……どうかご無事でお戻り下さい。シャイン様」

「は、はい」


 流石のシャインもディアナの突然の抱擁に慌てた。声が裏返りそうになるのだけはなんとか堪える。


「さ、ディアナ様。お疲れでしょう。お部屋までご案内いたします」


 ノイエの副官がディアナを諌めるようにシャインから引き離す。


「スティール」


 ノイエのやや硬い声が副官の背中に向けて放たれた。


「ディアナ様をお送りしたら、またここに戻ってくれ」

「はっ」


 ディアナとスティールの姿は部屋から消えた。


「グラヴェール……いや、リースフェルトと呼んだ方がいいのか?」


 ノイエがどっちでも構わないという投げやりな態度でシャインに話しかけてきた。


「リースフェルトでお願いします。そちらの方が父に迷惑がかかりませんから」

「無用な気遣いだな。今回君が起こした騒動……グラヴェール家はただでは済むまい」


 敵意のこもった言葉を吐いたノイエは、ちらとシャインの隣に立つヴィズルを見つめた。


「悪いが、少し席を外してくれないか。私は彼と話したいことがある」

「……なんだと?」


 ヴィズルが憤然とした顔でノイエを睨みつける。

 シャインはその視線を遮るように、ヴィズルの前に立った。


「甲板で待っててくれ、ヴィズル。話が終わり次第、俺も行く」

「……チッ!」


 ヴィズルは不愉快という感情を隠そうとせず渋々部屋から出て行った。


「……」


 シャインはノイエが自分にどんな話があるのか見当もつかなかった。

 強いていえば、周囲を欺いてリュニスへ潜入したことだろうか。

 ノイエは探るような目つきでシャインを見つめていた。


「……全くもって理解しがたい。君の行動は」


 そんな風に言われても。

 シャインは困惑した表情を浮かべた。


「何故リュニスへ行ったのだ? 父親に頼まれたからか?」

「……」


 何故。

 シャインは暫し沈黙を守った。

 ここで迂闊にアドビスのことを話すと、それこそエルシーア国に対する反逆行為だと責められる恐れがある。


「リュニスへ行ったのは自分の意志です。ダールベルク閣下」


 ノイエが目を細めてシャインの正面へ立つ。ノイエの方が拳一つ分ほど、シャインより背が高い。


「自分の意志、か。そういえば、君の父親も同じことを言っていたな。ならば問おう。目的はか?」

「……えっ?」


 いきなりディアナの名がノイエの口から飛び出してきたので、シャインは呆気にとられた。ノイエは実に面白くないという態度で憤然と腕を組み、室内を歩き始めた。


「アドビスに頼まれてリュニスに行ったのはわかっている。現に君はリュニスの情報を父親へ伝えていたからな。だとすれば、ディアナ様の行方を探るためだ。そうとしか考えられない」


「……」

「黙っているということは、私の言うことが図星だからだな?」


 シャインは内心ため息をついた。

 ノイエに嫌われているのはわかっているが、厭味を言うためだけにヴィズルを部屋から追い出したのだろうか?

 こちらを見るノイエの水色の目は冷たさを更に増していた。


「君は自らの意志でリュニスへ行ったと言う。だが私にはそれが信じられない。普通のエルシーア人なら、国交のないリュニスへ行くことなどしない。自殺行為だ。運が良くて強制送還、悪ければ奴隷として売り捌かれる。それぐらい危険な所だからだ。そこまで危険を冒してリュニスに行ったのは、ディアナ様のためか。君は、ディアナ様を愛しているのか?」


 シャインは一瞬言葉を失った。

 ノイエの目は冷たさを通り越して身を切り裂く刃のようだった。


「答えろ」


 沈黙を守るシャインに業を煮やしたのか、近づいてきたノイエが荒々しく左肩を掴んだ。勢い余ってシャインは部屋の壁に後退した。背中に板壁がぶつかる。

 ノイエの指は鉤爪のようにシャインの左肩にかかっていた。

 一本一本、指に力が込められるのがわかる。それが肉に喰いこんで痛い。


「いいえ。そういうつもりでは……」

「嘘だ! そうでなければおかしいではないか! 愛してもいないただ女のために、自らの命の危険を冒してまでリュニスに行くものか! ならば金か?」

「……いいえ……」


 ノイエに掴まれた肩の痛みは耐え難いものになりつつあった。

 シャインはノイエの手を肩から外そうと自分の右手を伸ばした。

 が、ノイエが空いた左手でシャインの手首を掴み阻止する。


「では何のためだ! ディアナ様は……のことを見ている。君のことが忘れられないでいる。それでも君は、彼女の気持ちを否定するのか!」

「ダールベルク閣下……」


 シャインは彼がどれほどディアナを愛しているのかを察した。

 シャインは俯いた。

 左肩は掴まれているが、左手は自由だ。

 それを後ろに回し、左足の深靴を探る。


「黙っていないで、はっきり言ったらどうだ!」


 ノイエが俯いたシャインの顔を上げるため、掴んでいたシャインの手首を放してそれを顎にかける。シャインはその間合いで身を振り解くように体を右へ動かした。


 左肩からノイエの手が離れる。

 そのままシャインはノイエの後方へと回り込んだ。

 顔を引きつらせてノイエが振り返る。

 シャインは左手に短剣を握りしめていた。長靴ブーツに潜ませていたものだ。

 ノイエが近づこうとしたが、短剣に気付いて暫しその場に踏み止まる。


「ダールベルク閣下。私の話を聞いて下さい。私がリュニスへ行ったのは、確かにディアナ様を助けるためです。けれど、彼女への愛故ではありません。それが今の自分にできる、誰かのために自らの命を役立てられる、唯一のことだったのです」


「何だと?」


 頬を怒りで上気させていたノイエの表情が困惑に曇った。

 ノイエの足が一歩前に進む。だが、シャインは短剣でそれを制した。


「近付かないで下さい。私にはまだやらねばならないことがあります。それを邪魔するというのなら、私は閣下を人質にとらなくてはなりません。そんなことをさせないで下さい」


 シャインはひたとノイエを見つめた。熱くなった彼を冷ませるために短剣を見せたが、それを脅しに使うつもりはない。シャインはノイエに短剣を向けたまま、じりじりと扉へ近付いた。

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