5-78 親子の進言
どよめきの後、静まり返った室内に乾いた笑い声が響いた。
ノイエのものだった。
ノイエは席から身を乗り出し、正面に立つシャインをひたと見据えた。
「そのような人質交換の手順はきいてない。まさか、リュニス皇帝に言われてここへ来たのか?」
「いいえ」
シャインは否定した。
ノイエがそう問いかけてくるのは至極当然のことだ。
「リュニス皇帝はアノリアをエルシーアに渡す気はありません。実は、リュニス側が人質交換をする前に、アノリア沖でエルシーア海軍の艦隊を待ち伏せするという計画を知りました。このままでは艦隊が壊滅する怖れがあり、それを閣下にお知らせするため、私はディアナ様をリュニスから連れ出したのです」
「何だと?」
ノイエの表情が見る間に硬く強張っていく。
「グラヴェール参謀司令官」
ノイエが鋭くアドビスの名を呼んだ。
「あなたは私にいわれたな? リュニスはエルシーアと戦争をする意志はない。人質交換で戦を避けることができると。話が違うではないか!」
アドビスは腕を組んだまま黙っている。
シャインは前に進み出た。
「ダールベルク閣下。父の話は本当です。私がそう報告したからです。リュニス皇帝は私に、エルシーア側に捕らわれている要人を取り戻したいと話していました。アノリアへバーミリオン皇子を向かわせたのもそのせいです。
ですが、ダールベルク伯爵がアノリアから逃亡し、エティエンヌ様も見つからなかったので、リュニスはアノリアを制圧しました。リュニス皇帝は人質交換を希望していましたが、その後、今までと同じようにアノリア港が使えるのかどうか、それを疑問視していました。ですから、折角手に入れたアノリアを手放すのが惜しくなったのです」
「……なるほど」
今まで沈黙を守っていたアドビスがつぶやいた。
ノイエはシャインとアドビス、その両者の顔を互いに訝しみながら眺めた。
「しかしその情報の信憑性はどれほどのものだ? シャイン・グラヴェール。いや、リュニスの軍服をまとい、リュニスの名を使う君を、我々は信用してもいいのだろうか?」
「ノイエ様」
張り詰めた空気の中でディアナの声が凛と響いた。
ノイエが眉をしかめて隣に座るディアナへと顔を向ける。
「シャイン様は身の危険を顧みず、私をリュニスから助けて下さいました。そして、皆様に危険が迫っていることをこうして伝えて下さったのです。何故そのお心をお疑いになるのですか!」
「……ディアナ様……」
軽く溜息をついてノイエはゆっくりと頭を振った。
「私はエルシーア海軍の全権を預かるものとして、いかなる時も状況に惑わされてはならないのです。まして、情に流されるわけにはいかない」
「ノイエ様、私は……」
ノイエは白手袋をはめた右手を上げて、抗議するディアナの言葉を遮った。
「わかりました。ここは一つディアナ様のお気持ちを優先して、彼が我々に危険が迫っていることを、わざわざ知らせてくれたということにいたしましょう」
「……」
ディアナが納得できない、という様子でノイエを睨みつける。
ノイエは再び鋭利な水色の瞳をシャインへ向けた。
「そう……解せないのは、君のその格好と態度だ。エルシーアへ戻るつもりなら、さっさとそんな服は脱いでここに留まればいい。リュニスがアノリア沖で待ち伏せているのなら、こちらも準備を整え彼らを迎え撃つまでだ」
「お言葉ですが、ダールベルク閣下」
シャインは強い口調でノイエの言葉に割り込んだ。
「私はリュニス、エルシーア、共に最小限の損失でこの騒動が収まることを望んでいます。ですから、エティエンヌ様の身柄を私に引き渡して下さい。私がリュニスまで彼女を送り届ける間、閣下はリュニスの援軍が到着する前に、アノリアを制圧していただきたいのです。アノリアを制圧すれば、リュニス側の士気も下がるでしょう」
「何だと?」
シャインはちらとアドビスを見た。
彼ならシャインの考えに同意してくれるはずだ。
「――ダールベルク閣下。私もその考えに賛成だ」
シャインの思いが通じたのか、口を開いたのはアドビスだった。
「グラヴェール参謀司令官。まさか、これはあなたの入れ知恵か?」
アドビスが低い声で笑った。
「入れ知恵もなにも。ここでぐだぐだ話をしている時間が惜しいだけだ。我々はもうディアナ様を確保した。リュニスに対して何も恐れるものがないのだ。ならば、リュニスの艦隊がアノリアに来る前に、ここを制圧した方が後々の交渉が有利になる。本当はリュニスの人質も手元に残しておきたいが……」
アドビスは絡めていた両手を解き、シャインを見上げた。
青灰色の瞳がひたとこちらへ向けられる。シャインはアドビスが自分を信じて疑っていないことを、その眼の中に見た。
「人質はリュニスへ返した方がいいだろう。寧ろそれがあちら側の望みだ」
「……」
ノイエは黙り込んだまま腕を組み、机の一点を凝視している。
「いかがですかな、ダールベルク閣下」
アドビスは考えるだけ時間の無駄だといわんばかりに、ぶっきらぼうな口調でつぶやいた。
シャインは内心どきどきしながら、アドビスとノイエのやり取りを見つめていた。これらはあくまでもシャインが実際見聞きしたことをまとめ、考えた結果だ。
もしもリュニス皇帝が本気でアノリアを欲するなら制圧は容易ではない。エルシーア側の損害も大きなものになるだろう。
「……わかった。あなた方親子の進言を採用することにしよう」
ノイエがさっと席から立ち上がった。
「グラヴェール参謀司令官。ただちにアノリア奪還のための作戦を実行せよ。ジャーヴィス艦長は、グラヴェール参謀司令官の指示を他の艦船へ連絡。あ、その前に、私の副官スティールを呼んでくれ。士官部屋にいるはずだ。ディアナ様を部屋へ案内して欲しいと伝えてくれ」
「はっ」
ジャーヴィスが席からいそいそと立ち上がる。
アドビスもその長身が部屋の天井にぶつかる前に首を横に向け、立ち上がった。
「シャイン。リュニス艦隊の規模はわかるか?」
アドビスに問われ、シャインは小さく首を振った。
「アノリアに駐在している正確な数はわかりませんが、軍用ドロモンが三隻と、三等クラスの軍艦が一隻配備されてますので、千名は下らないかと」
「わかった」
「アドビス」
部屋を出るため扉に近づいたアドビスへ、ヴィズルがさっと耳打ちした。
「俺達を十隻のドロモンが追ってきた。それらがアノリアへ向かっていると思った方がいいぜ。昨日だ」
「……うむ」
アドビスはヴィズルの肩を軽く叩いて部屋を出ていった。その後をジャーヴィスが続こうとしたが、やおら彼はヴィズルに険しい表情で近づいた。
「な、なんだよ……」
ヴィズルとジャーヴィスは水と油だ。この二人がたがいに歩み寄る所をシャインは見たことがない。
「グラヴェール艦長を頼む。もう死亡説はこりごりだからな」
「……ふん」
ヴィズルは小さく鼻で笑った。
「あんたたちがアノリアを制圧してくれたら大丈夫だぜ」
ジャーヴィスがむっとした表情を浮かべてヴィズルを睨みつけた後、彼がこちらを見ていることにシャインは気付いた。
ジャーヴィスは相変わらずの生真面目ぶりだ。濃紺のケープがついた艦長服も様になっている。
目が合った。
シャインは今度はジャーヴィスを無視せず安心させるように微笑した。
「ジャーヴィス艦長、ご武運を」
ジャーヴィスが強張った笑みを返す。
「あなたも……お気をつけて」
ジャーヴィスは左手を挙げてそれを額につけた。シャインはつられて同じように挨拶を返した。
ジャーヴィスは踵を返し扉の向こう側へいそいそと消えた。
部屋の中にはノイエとディアナ。シャインとヴィズルの四人が残された。
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