5‐72 救出作戦

 シャインは手短にメリージュのことをヴィズルに話した。

 ヴィズルはこれはついていたといわんばかりに大きく頷いた。


「……で、お前はいつまでここにいる気だ? そろそろ潮時だろ」


「ヴィズル。そのことで急いであの人に伝えて欲しいことがある。リュニスは人質交換にやってきたエルシーアの艦隊を待ち伏せしてそれを殲滅させようと考えている」


「なるほど。リュニスも久しく錆びついていた野心っていうのが、今回の事件のせいで燃え上がったというわけだな」


 シャインは明けゆく薄闇の中、ヴィズルの冗談めかした顔を鋭く睨みつけた。


「茶化さないでくれ。大事なことだ」

「ああ、わかってるさ。でも、俺だって調子の悪い時があるんだよ。何しろリュニスとエルシーアは距離があるからな。リオーネさんが意識を遮断すれば、俺の念話も届かねえ」

「なんだって?」


 ヴィズルは浅黒い顔をほのかに怒りで赤くさせシャインを睨みつけた。


「誰だって時間を選ばずむやみに心の中に入られるのは嫌なんだよ。それにアドビスだってリュニスが黙って人質を交換させてくれるなんて、思っちゃいねぇさ。それよりもお前がここから逃げるのが大事だろ。なんか厄介なモノで繋がれてるな。鍵を作る暇はねぇから、鎖を切っちまうか」


「ちょっと待ってくれ、ヴィズル」


 シャインは手首を拘束する鉄の枷をよく見ようと、岩壁に身を寄せたヴィズルへ首を回した。


「今は駄目だ。もうすぐ夜が明けるし、俺は塔に閉じ込められているディアナ様を連れ出すつもりだ」

「シャイン様」


 今までシャインとヴィズルの会話を黙って聞いていたメリージュがはっとした口調で声を出した。

 メリージュはシャインの身を案じ、危険を顧みずここに来てくれたが、シャインがディアナを連れ出すことを知った今、その作戦を黙っていてくれるだろうか。

 けれどそれは杞憂だった。

 メリージュは慈母のように優しげな微笑を浮かべてシャインを見つめていた。


「……ディアナ様の部屋の鍵は私が持っています。他に必要なものがあれば、私がご用意いたします」

「メリージュさん」


 メリージュは心配いらないという風に首を振って微笑んだ。


「大丈夫です。あの方を残してリュニスから出ていくわけには参りませんのでしょ? それに……」


 メリージュはしばし俯き、込み上げた感情を抑え込むように低い声で付け足した。


「私の人生を――クレスタの民の人生を狂わせたリュニス皇家に、少しくらい痛手を与えたい……」


 シャインはメリージュの本心を知り、胸にずきりと痛みが走るのを感じた。

 同じだ。

 彼女もまた、復讐という狂気に取り付かれようとしている。

 かつてヴィズルがそうであったように。


 いや……。

 シャインはそれを自分のなかで否定した。メリージュにはそこまでの強い思いは感じられない。幸いなことに。


「へえ。あんたが鍵を持ってるなんて都合が良いな」


 話がうますぎる。またそんなことを思っているのだろうか。ヴィズルが探るような視線でメリージュを眺めた。


「俺はまだあんたを信用したわけじゃねぇ。本当は、あのお姫さんを閉じ込めている部屋の鍵を、今すぐこちらに渡してもらいたい所だが……」


 メリージュはきりっとした目を細めて首を振った。


「それはできません。あの方の身の回りのお世話をするのが私の役目。鍵がないと、塔の衛兵に怪しまれます」


 ヴィズルは唇を歪め肩をすくめた。


「わかってるって。じゃ、ここから逃げ出す算段を話し合うことにしようぜ。な、シャイン」

「ああ」


 シャインは短く返事をした。


「二人共、もう少し近くまできてくれ」


 シャインはヴィズルとメリージュを呼んで、小声で自らの計画を話しだした。




 ◇◇◇



 リュニスから逃げ出すには早ければ早いに越したことがない。

 リュニスもエルシーアも、表向きは人質交換の交渉に応じるとしているが、腹の中ではこれを利用して 相手を騙し討ちにすることを考えているだろう。


 太陽が沈み洞窟が再び闇に覆われる頃。打ち合わせ通りにヴィズルがシャインの所へやってきた。潮が満ち始めているので、はやヴィズルの腰の所まで海水が流れ込んできている。


 ヴィズルは角灯に被せていた黒い布を取り払い、シャインの顔をのぞきこんだ。

 シャインはその明かりに目をしばたかせながら笑って見せた。

ヴィズルは何も答えず、小さく頷いた。角灯の持ち手を口にくわえて左手を腰に回す。そこから細長い金属のような棒を取り出す。


 ヴィズルはシャインの手首を拘束する枷についた鎖を細長い金属の棒――ヤスリでこすり始めた。

 流石にこの枷の鍵はヴィズルでも外すことができなかったのだ。長年海水と潮風にさらされたせいで内部が錆びついており、下手にいじくると錠が壊れる恐れがある。そうなれば時間を無駄にするばかりか、最初から枷を岩壁に固定している鎖を切った方が安全で確実だった。


 ヴィズルはものの五分でシャインの右手の枷の鎖を切った。

 左手のそれも同じ時間で。

 水面に切れた鎖が音を立てて落ちる。


 シャインは自由になった両手を思わずさすった。二昼夜とはいえ、ずっと同じ体勢を強いられていたのだ。手先は冷え切って冷たくなっており、感覚が鈍い。錆びついてざらつき、ヤスリのように内側から手首をこする枷も早く外すことができればありがたいが、それはロワールハイネス号に戻ってからだ。


 シャインの枷の鎖を切ったヴィズルは、角灯を右手に持ち直し、洞窟の奥の方に垂れさがっているロープを掴む所だった。昨日メリージュが、それを使った後、そのままにしていったものだ。

 ヴィズルがロープを掴んで先に登る。シャインはヴィズルに手を借りて、同じように水牢の上部へと這い上がった。


「……人の気配はしねぇな」


 ヴィズルがつぶやいた傍で、シャインは打ち合わせ通り、メリージュが岩陰に隠していた籠を見つけ手元に引き寄せた。中には乾いた近衛兵の軍服が靴も含めて一式入っている。


 水牢の出入口は基本的に鍵がかけられていない。よってすぐに宮殿の中に入ることができるのだ。けれど濡れた服だと水滴が落ちて、見回りの近衛兵に気付かれてしまう。シャインは軍服を着こみ、愛用のブーツを脱ぎ捨てた。


「悪いけどヴィズル。俺のブーツを持って帰ってくれないか。気に入ってるんだ」

「ちっ、仕方ねえな。けど、本当にお前一人で大丈夫か?」


 ディアナの囚われている塔へはシャイン一人で向かう。


「ディアナ様のいる塔へは行ったことがある。上手く連れ出せたら、すぐロワールハイネス号で逃げられるよう、君に待機してもらわねばならない」

「それはそうだが……」


 ヴィズルの懸念はよくわかる。

 シャインはそれを振り払うように立ち上がった。


「夜明けまでに戻らなかったら、君はエルシーアへ向かってくれ。リュニスがエルシーアを不意討ちしようとしていることをアドビスに伝えて欲しい」


 ヴィズルの夜色の瞳が一瞬だけ曇った。


「シャイン。俺は――」


 シャインは珍しく弱気な表情を見せたヴィズルの肩を右の拳で軽く突いた。

 口は悪いが存外ヴィズルという男は温かな情を持ち合わせているのだ。


「じゃ、また後で会おう」


 ふっとヴィズルが唇の端を歪ませて笑んだ。


「ああ。わかったぜ」


 シャインはヴィズルが差し出した角灯を受け取った。

 急がなくてはならない。


 シャインはメリージュから教わった順番で、暗い通路を歩いて行った。やがてそれは数十段ある階段の前へと出た。ここを昇ればリュニス宮殿の地下牢へと通じているはず。


 数分間階段を上り続け、シャインは重い木製の扉を慎重に押し開いた。

 扉を開く前に人の気配がないかは確認済みだ。地下独特の冷たい湿った空気が鼻腔を刺激する。


 メリージュの話によれば、地下牢は北宮殿と南宮殿の間にあり、中庭を通って西に進むとディアナのいる物見の塔へ行けるらしい。


 シャインは足音を立てないように注意しながら、壁際に沿って歩いて行った。ある一定の間隔で松明が灯されているが、その光量は暗くて弱い。時々罪人のうめき声だろうか。低くくぐもった唸り声が地の底から湧いた死者のそれのように響いている。


 枝道のない一本道をシャインは進んだ。やがて鉄格子の扉の前に佇む、黒と赤の縦縞の制服をまとった牢番が二人いるのが見えた。ここは詰所も兼ねているのだろう。


 机と二脚の木の椅子があり、卓上には恐らくメリージュからのさしいれだろうか。籐の籠に入った酒の瓶と焙った鶏肉が入った皿が見える。牢番は眠そうに時折大きな欠伸をして目元をこすっている。


 二人はシャインのいる通路に背中を向けて、鉄格子の先をうつろな目でながめていた。このまま待っていれば、二人は眠ってくれるだろうか。

 だが生憎シャインには時間がない。

 シャインと別れたヴィズルは港に戻り、ロワールハイネス号をあの洞窟の近くまで移動させるだろう。

 それがリュニスの港を監視する連中にばれれば、はや追っ手がかかり、ディアナをエルシーアへ連れて帰る手段が失われる。失敗は許されない。


 シャインは潜んでいた壁の陰から静かに姿を現すと、そのまま足音を立てずに牢番の背後へ近づいた。 二人がシャインの気配に気付く前に、首筋に手刀を一発ずつ叩きこむ。


 牢番は後ろを振り返ることなく石床に倒れた。シャインは背の高い方の牢番が、腰に鍵の束を持っていることに気付いた。どれかがシャインの手枷を外す鍵かもしれない。


 シャインは牢番から鍵の束をとりあげた。ここはディアナを塔から連れ出して逃げる時にも通らなければならない。

 シャインは牢番が腰に巻いている赤い布をほどいた。それでさるぐつわをして、意識が戻っても声が外部にもれないようにする。一番近くの牢に牢番の体をひきずって、その中に入れると門扉に鍵を下ろした。取りあえず、サセッティ近衛兵隊長が牢の様子を見に来ないかぎり大丈夫。


 シャインは再び地下牢の出入口へ戻り、そこを開ける鍵を探した。鍵の束は十本ほどしかなかったが、生憎くじ運が悪かったのだろう。一番最後に残った鍵がそうだった。やっとの思いで地下牢を抜け、シャインは地上の土を踏みしめた。


 中庭の雰囲気に溶け込ませるためだろうか。地下牢の入口の壁は覆い繁るつる草のたぐいがびっしりと絡みついていた。外はやや風があり、北宮殿の蝋燭の明かりが窓越しにいくつも輝いているのが見える。

 時刻は零時前。警備は宮殿内の方が厚く、城壁の衛兵は宮殿の外を警戒しているので、この中庭はどちらかといえば警戒が薄い。


 シャインは中庭の木々の陰に隠れながら、ディアナが閉じ込められている北宮殿の端――物見の塔へと向かった。こちらも扉以外はびっしりとつる草が覆っている。さながら緑の垂幕を下したみたいに。

 もしも計画通りに事が進んでいるなら、この塔の一階にいる衛兵は、メリージュが眠り薬入りの酒を差し入れしたせいで眠っているはずなのだ。


 シャインは扉の取っ手に手をかけた。中から物音は一つとして聞こえない。

 そっと手前に引いて扉を開くと、そこには長い黒髪を一つに束ね、きりっとした目元の女性――メリージュが、今か今かとシャインの到着を待っている所であった。

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