5-62 目は口ほどに物を言う

 ノイエはアドビスが黙っていることをいいことに冷ややかな声で続けた。


「もしもあなたの息子がリュニスにいて、その国の軍服をまとっているのが本当ならば。グラヴェール家がリュニスに通じていると思われても仕方がない。いや事実そうなら私は王都へ赴き、そのことを陛下に報告しなければならないだろう」

「……」


 アドビスは声を発しない。ただノイエを威圧するように睨みつけている。

 どうだ。何も言い返せまい。

 ノイエは自分の憶測が当たっていることを確信した。

 すべてはこの男と彼の息子が鍵を握っている。

 ノイエは瞳を伏せて、アドビスに同情するように微笑した。


「エルシーアの金鷹といえば、エルシーア海賊どもは言うに及ばず、あの<六卿>ですら震え上がったそうだが。でも……あなたは弱くなったな。守るものがあると人は弱くなる。いや、それが弱味となってしまうのだ。一時間後、エスクィア中将と共に会議室へ来るのだ。グラヴェール参謀司令官。あなたの任官とアノリア奪還のため作戦会議を開く」


「待たれよ」

「何だ?」


 ノイエは眉間を曇らせ、渋々、扉の前で身動きせずに立つアドビスを見上げた。


「閣下がお望みとあらば、私も自分が把握しているリュニスの情報をお教えしよう。だが私もあなたに訊ねたいことがある」

「ほう?」


 ノイエはアドビスの言葉に興味を覚えた。彼がこう持ちかけてきたからには、それだけ価値のある情報を握っているのだろう。


「何を訊きたいのかは、あなたの情報を吟味した上で答えよう」


 アドビスはノイエに向かって軽く頭を下げた。猛禽を思わせる鋭利な眼は少しもノイエに服従するそぶりが見えないが。


「では早速申し上げるが――リュニスはエルシーアとの戦争を望んではおらぬ」

「何?」


 ノイエは自分の声が僅かに裏返った事に内心舌打ちした。


「どうしてそんなことがあなたにわかる? 現にリュニスは国境を侵し、アノリアに攻め込んできたのだぞ」


「いいえ。リュニスのバーミリオン皇子は、ダールベルク家とのを望んでいた。だがそれをあなた方が拒んだため、実力行使でアノリアへ乗り込んだのだ」


 ノイエは額に嫌な汗が浮かぶのを感じた。微動だにしないアドビスの青灰色の眼は、ノイエの動揺を探る様にひたとこちらに注がれている。


「我がダールベルク家との対話、だと?」


 掠れた声を何とか平常に戻す努力をしながら、ノイエはわざと驚いてみせた。

 アドビスは唇を噛みしめたまま静かにうなずいた。


「私の得た情報によれば、約ひと月ほど前から、アノリアにリュニス国籍の船が入出港できなくなったそうだ。一方的に港を封鎖されて困ったリュニス側は、その理由を尋ねるために使者をダールベルク家に派遣したとある」


「……ほう」

「それは事実かな? ダールベルク閣下」


 ノイエは苦笑しながら肩をすくめた。


「私は参謀司令官に任命されてアスラトルにいたから、それは父にきいてみないとわからない。だが港で疫病騒ぎがあったという報告の記憶がある。それでアノリア港を一時閉鎖していたと考えられるな」


 ゆらりとアドビスの長躯が動いた。

 何だ、この威圧感は。

 ノイエは無意識のうちに背中を扉に預け、アドビスを見上げていた。


 天井の眩いシャンデリアの光がアドビスの頭上に降り注ぎ、落ちた影がノイエに覆い被さる。

 息苦しさを覚えてノイエは襟飾りをつけた首に手を伸ばした。

 闇の中で唯一の光――青灰色のアドビスの眼だけが瞬いていた。


「ダールベルク閣下。『何故』アノリア港を閉鎖したか、その理由が大事なのではない。リュニスがアノリアに攻め込んだのは、その理由を聞くために送った『使者』が、未だに戻らないからなのだ」


「し……使者、だと」


 ノイエはやっとの思いで口を開いた。


「そう」

「使者など……私は知らない」

「……」


 アドビスの感情のこもらない目は、ノイエの顔のすぐそばまで迫っていた。

 否――そういうふうにノイエは錯覚した。

 額に浮かんだ冷たい汗がこめかみから頬を伝い、首筋まで落ちてくる。

 扉に背中を預け、体を支える両手にも汗をかいている。


 落ち着かねば。

 頭ではわかっているが、体の反応は抑えることができない。


 何故なのだ?

 この男はどこで、その情報を得ることができたというのだ?

 そのことは私と父、そして彼女しか知らないはずだ。


 沈黙していてはアドビスの問いを肯定することになる。

 何か返事をしなければならない。

 でも口が、舌が、麻痺したようにこわばっている。


「ダールベルク閣下。偽りは申されるな」


 今度は本当にアドビスの顔が間近にあった。


「目は口ほどに物を言う。あなたは私を真っ直ぐ見ることができぬようだ。それだけ動揺すれば、誰でもあなたが嘘をついていることがわかる」

「――馬鹿なことを!」


 ノイエはアドビスの影を振り払う様に濃紺のマントを翻し、部屋の中央へ歩きだした。今度は正面からアドビスの顔を睨みつける。


 よかろう。

 ここは譲歩してもいい。

 どのみち、あなたにできることは何もないのだ。

 私のために艦隊を率いて、そしてリュニスと戦うのだ。


「リュニスの使者などどうなったかは知らない。勝手に来て勝手に帰ったのだろう? 使者が戻らぬなど、それこそリュニスのいいがかりだ。私はエルシーア海軍統括将として、領土に上がり込んだ侵入者を最後の一人まで追い払う!」


「ダールベルク閣下。少しは冷静になったらどうだ。いつものように」

「私はいつも冷静だ」


「参謀司令官としてあなたをお諫めする。戦などやろうと思えばいつでもできる。だがリュニスにはディアナ様がいらっしゃる。あなたの伴侶となる方だ。今、事を起こせば、ディアナ様のお命が危うくなる上、国王陛下も、エルシーア三大公爵家の公女を万一リュニスに殺害されたとなれば、リュニス本島への出兵をお考えになるだろう。だがもしもあなたが――いや、ダールベルク家が、本当にリュニスの使者を意図的に捕らえているのなら、リュニスに人質交換を持ちかけて、無用な戦を避けることができる」


「それがあなたの目的か。 アドビス・グラヴェール!」


 目の前の靄が不意に消え失せ光が射した。


「残念だがそれはできない。リュニスの探している使者など、私は――」

「ノイエ様――」


 ノイエは口元を歪めながら、不意に開いた部屋の扉へ注目した。

 そこには退出したはずのロヤント海軍書記官が、ほっそりとした指を扉に這わせてこちらを見ている。


「ロヤント海軍書記官……」


 ロヤントは妖艶な笑みを唇に浮かべて、するりと部屋の中に入った。


「申し訳ありません。閣下には退出を命じられましたのに。でも、気になるお話をされていましたので」

「あなたはご存知のようだな。ロヤント」


 ノイエが言葉を発する前にアドビスが口を開いた。

 ロヤントはうんざりした面持ちでアドビスを一瞥した。


「……そういう所、未だ抜け目ないわね。『老鷹』」


 ふっと、アドビスが不敵に笑んだ。

 ノイエはこの二人のやり取りを複雑な思いを抱きながら眺めた。よく考えたら、ノイエが参謀司令官になるまで、ずっと裏でエルシーア海軍の予算や艦船配備などを牛耳っていたのはだったのだ。


「そうよ。リュニスの使者は、確かにこちらでその身柄を預かっています」

「――ロヤント!」


 ノイエは思わず彼女の名を呼び捨てていた。

 ロヤントは腕を組んだまま右手をゆっくりとあげて、ノイエを戒めるように左右に振った。


「ノイエ様。あなたの目的はほぼ果たされましたわ。めでたく海軍統括将の地位を得られましたし、後はアリスティド公爵家の末娘ディアナと結婚すれば、あなたもエルシーア三大公爵家に名前を連ねる権力者となりましょう。けれどこのままリュニスと戦争を起こせば、あちらに捕らわれているディアナ様の命の保証はしかねますわ。なんたって、私がお預かりしているリュニスの使者は、バーミリオン皇子のですからね」


 ノイエは戸惑っていた。

 ロヤントがアドビスの前で、自分たちがこの数か月の間仕組んできた計画をべらべら話し始めたからだ。


「あら、リュニスの使者の正体を聞いても驚かないのね? さてはもう知ってたの? アドビス」


 アドビスは大きく表情を崩すことなくうなずいた。


「そこまでは知っている。問題なのはその居場所だった」

「ああ、本当に嫌。大っ嫌い! できればあなたがその情報を得る前に、海軍から追い出したかったわ」


 ノイエは無意識のうちに唇を噛みしめていた。

 結局はロヤントの掌の上で踊らされていたということだろうか。

 ノイエの機嫌が悪くなったのを察したのか、ロヤントが隣にすり寄ってきた。


「ノイエ様、そんなお顔はおやめになって? まさか本気でリュニスと戦争がしたい、なんて仰らないわよね? 海軍統括将になれば、軍艦の配備は元より、必要ならアノリアへ南方司令部を作ることだってできるわ。リュニスがアノリアへ侵攻した既成事実はあるんですもの。国王陛下が異論を唱えなければ、議会だって速やかにそれを承認するでしょう」


「ロヤント海軍書記官……」


 ロヤントは魅惑的な深い青の瞳を妖艶に細め、くすみのない美しい金髪を震わせながら呟いた。


「すべてはアドビス・グラヴェール。あなたがアノリアの防衛をおざなりにしていたせいよ。ダールベルク家は確かに財力はありましたが、年々増え続けるリュニス人の犯罪にとても困っていましたもの。ノイエ様がその事態を憂い、国を動かすためにとった手段が多少強引であったとしても、あなたに文句を言われる筋合いはありませんわ」


 ロヤントとアドビスはしばし互いを睨みつけたまま沈黙した。

 やがて口を開いたのはアドビスの方だった。


「アノリアの防衛の件では、私にも非があった事は認める。だがノイエ・ダールベルク。あなたのとった手段を私は人として軽蔑する」


 アドビスはそれだけを端的に言うと、ロヤントとノイエに背を向けた。


「待て。アドビス・グラヴェール」


 渋々というかんじでアドビスが首だけを後方に回す。

 ノイエは深く息を吸い、アドビスに向かって頭を垂れた。

 伯爵家の後継ぎとして生まれた自分が、貴族階級の中でも最下位の人間に頭を下げるなど、これが最初で最後であろう。


「確かに私は、自分の野望のために多くの人間を踏み台にしてきた。けれどその犠牲の上に自らが生かされていることを忘れてはいない。あなたの息子を含めて」


 憮然としていたアドビスの顔が不快と困惑に歪んだ。


「犠牲だと? 戯言ざれごとはご自身の中で呟き、口には出さぬことだな。ダールベルク統括将閣下。私の息子は自らの意志でその道を選んだ。決してあなたのためではない!」


 アドビスは退出の挨拶もなしにノイエの部屋から出ていった。


「閣下の御前だというのに。相変わらず粗野な振る舞いは変わらないわね」


 厄病神でも追い払うかのように、ロヤントが扉に向かって軽く手を振る。


「ロヤント海軍書記官」


 ノイエは額に浮いた汗を手で拭った。

 アドビスは怒って出ていってしまったが、どのみち彼はノイエに従わなければならない。

 今海軍を辞めてしまったら、リュニスに送り込んだ彼の息子やディアナを見捨ててしまうことになるからだ。


「リュニスと交渉のための使者を立てて欲しい。そちらが望むなら、こちらも人質交換に応じる用意があると」

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