5-60 激震

「グラヴェール補佐官、ご丁寧な解説、若輩者の私のためにありがとうございました。海軍の懐事情は理解できました」


 ノイエはこの話題を自ら切り上げることにした。

 ここで一気にアリスティド統括将を追い込もうと思ったが、焦ることはない。

 ノイエが勧告書を使用しなくても、アノリアを奪われた責任をアリスティド統括将は免れないのだ。


 席を立ち、ノイエはアドビスに向かって軽く一礼した。

 そしてアリスティド統括将へ話題を変える許可を求めた。


「防衛費の件はまた別の機会で話し合うことにして、これからはいかにしてアノリアを奪還するか、それについて議論すべきだと思います」


「おおそうだノイエ。わが領民をこれ以上苦しませてはならん」


 やっと落ち着きを取り戻したのか、ダールベルク伯爵が椅子に体を沈ませ安堵の息を吐いた。


 父は肉体的にも精神的にもそろそろ限界だ。鼻筋の通った優美な横顔が印象的なノイエと、丸顔の父は全く似通った所がないが、その心情は誰よりも察することができる。


「アリスティド閣下、ならびに「六卿」エルシャン・シー・ロードの皆様方。ここからは機密保持のため、限られた人数で議論をさせていただきます。私と閣下、そして……」


 ノイエは先程から自分を試すかのように、挑戦的なまなざしを向けるアドビスへ意味ありげな視線をくれた。


「グラヴェール補佐官。あなたもこのまま残っていただきたい。私に報告することがあるはずでしょうから」


 勿論、アドビスに聞きたいたいことがあるのはノイエの方だ。

 アドビスは了解した印に黙ったまま静かに頷いただけだった。


 ノイエの言葉で、ダールベルク伯爵、および「六卿」の五名はアリスティド統括将の部屋を退出した。

 彼らを見送って扉を閉める。それを待っていたかのようにアリスティド統括将の声が響いた。


「ノイエ、ディアナの居場所が確認できた。やはりリュニスに捕らわれておるそうだ」


 アリスティド統括将に『名前』で呼ばれて、ノイエはわずかに口元を緊張させた。アリスティド統括将はアスラトル領主の実弟だ。ノイエがディアナと婚姻を結べば彼とも縁戚関係になる。


「彼女は……無事、なのですか」


 夜半にかかる銀月のような、物静かな女性ディアナ。

 硝子でできた箱庭で大切に育てられたあの繊細な女性が、リュニスという異国に攫われて、果たして今生きているのか。


「ああ。それを確認した。少々やっかいな問題も一緒にだが」


 アリスティド統括将の表情はやや暗い。傍らの椅子に腰をかけていたアドビスが、不意にゆらりと杖を握ったまま立ち上がった。

 ノイエは自然とそれを見上げていることに気付いた。

 圧倒されるほど背の高い男だ。


「――問題、ですか。それよりも気になるのは、どうやって閣下がディアナ様の情報を得られたのです? オーラメンガー中将配下の諜報部員達は、リュニスまで潜り込むことなどできませんし――」


 ノイエは自らが発した言葉にはっとなった。

 そうだ。


「リュニスといえば、興味深いことを思い出しました。グラヴェール補佐官、あなたは我々に隠し事をしておられる。それを報告してもらうために、ここに残っていただいたのですが」


「隠し事?」


 鸚鵡返しに呟くアドビスの声は至って平静を保っている。


「人払いをしたのはあなたに真実を述べていただくためです。私はあなたが自分の息子の自殺を虚偽に報告し、彼をリュニスへ潜入させたことを知っています」


「……本当か? アドビス」


 アリスティド統括将が傍らに控えるアドビスの長身を見上げる。

 アドビスは沈黙を保ったまま、おもむろに瞳を伏せた。


「グラヴェール補佐官。返答されよ」


 ノイエがしびれを切らせる寸前でアドビスが口を開いた。

 最初に出たのは重苦しい溜息。


「……ダールベルク参謀司令。まさか、領民思いのあなたに、そのようなことを言われるとは思いませんでした」


 ノイエは顔をしかめた。


「どういう意味です? 私はあなたに、あなたの息子の自殺は虚偽だったのではと訊ねているのだ」

「そう仰る根拠は?」


 アドビスの目はどこか苦しみを抱えるように、暗い輝きを放っている。


「根拠もなにも……そういう情報を耳にしたので、あなたに事実を再度確認しただけだ」

「つまり、明らかな証拠はないということか」

「グラヴェール補佐官!」


 ノイエは叫びながら頬に熱を感じた。

 憶測を口に出した。それをアドビスに見抜かれていることを悟ったからだった。

 だがアドビスは青灰色の目をノイエからそらし、再び深々と溜息をついた。


「まだ独り身のあなたにはわかるまいが、いや、父上のダールベルク伯爵ならおわかりになろう。親にとって一番の不幸は、子に先立たれることだ。そして私は……今度も、愛する者をこの手で守ることができなかったのだ」


 金色の鷹の柄がついた杖を右手で握りしめ、アドビスはふらりとノイエに背を向けた。


「気分が優れぬので、これにて失礼する」

「……グ、グラヴェール補佐官! 待て。話はまだ――」


 ノイエは部屋を退出しようとするアドビスの背中に向かって呼びかけた。


「ノイエ、もういい!」


 追いかけようとしたノイエをアリスティド統括将の声が一喝する。


「しかし! 私は彼から話を聞かねばなりません。これが本当なら、グラヴェール補佐官は……」

「ノイエ」


 席からアリスティド統括将が立ち上がった。急ぎ足で歩き、戸口を自らの手で押さえる。ノイエはしばしアリスティド統括将の老獪な目を覗き込んだ。


「お前の目的はわかっている。ノイエ・ダールベルク。お前は我がエルシーア海軍統括将の座が欲しいのであろう。焦らなくとも、それは近々お前のものになるだろう」

「……アリスティド閣下……私は」


 ノイエは僅かに唇を震わせながら、けれど内心はこみ上げてくる笑いを懸命にこらえていた。

 アリスティド統括将は、アノリアをリュニスに奪われたこともさることながら、兄公爵の娘ディアナが攫われたことも自分の過失として責任を感じているのだ。


「私のために、これ以上グラヴェール家の者をおとしめるな。そなたが参謀司令官の地位を使って、閲覧制限をしている『ノーブルブルーの悲劇』の資料をルウム艦長の息子に与えたことはわかっている。それが結果的にシャイン・グラヴェールを自殺に追い詰めたのだ」


「まったく、閣下も人聞きの悪いことを仰られますね。私が彼を追い詰めた? 彼は確かに誠実そうな青年でしたが、自殺したのは私のせいではありません。でもそこまでおわかりならば話が早い」


 ノイエは腕を組み、薄氷色の瞳を細めてアリスティド統括将に笑って見せた。

 何者にも恐れを抱かず、大胆な野望を抱く青年貴族の冷たい笑みを。


「お望みとあらば、グラヴェール家のことは私の胸の中にしまい不問にしましょう。だがその代価は当然『あなた』に支払っていただきます」


 ノイエは黒の軍服の内ポケットを探り、純白の雪を思わせる封筒を取り出した。

 封筒は金色の封蝋で封印されている。そこに記された紋章は冠を戴く一角獣。

 エルシーア国王の指にはめられている指輪と同じ紋章である。


「それは、国王陛下の委任状……」


 アリスティド統括将の喘ぐ様な、喉の奥から絞り出された声をノイエは冷たく聞き流した。

 これでこの老人の心臓に、致命傷になる杭を打ち込むことができた。


「あなたの早急なる退陣を陛下は望んでおられます。オディアル・アリスティド統括将閣下」




 この一週間後。

 エルシーア海軍本部では、アリスティド統括将が自ら辞任するという出来事に激震する。

 その後継は、弱冠三十二才という若さで異例の昇進を果たしたノイエ・ダールベルクであった。


 正式に海軍統括将となったノイエは王都ミレンディルアへ赴き、コードレック国王と議会へアノリア奪還のため、ひいてはエルシーアの国土を守るための戦争を主張した。


 そしてそれは、速やかに承認されたのだった。

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