5-52 海神の巫女

 使用人達の居住区の隣には巨大な納戸があって、そこには様々なものがしまわれていた。シャインは納戸の隅に置かれたランプに角灯ランタンの火を移した。


「確かこの辺に、予備の茶器を置いてたのよね……」


 整然と箱に納められたそれらに何が入っているのか、シャインには皆目見当つかない。アリサは棚と棚の間を行き来して、納戸の戸口の前に置かれた手押し車の上にそれらを積み重ねていく。

 シャインはアリサに呼ばれて、女性一人で持つには重すぎるいくつかの箱を運んでやった。


「ここはこれだけでいいわ。厨房に茶器を運んでおいたら、洗っておいてもらえるから」


 納戸を後にして、約十箱分の茶器を厨房に運び、それらが欠けたり傷の入ったものがないかを確認して、ようやくアリサが安堵の息を吐いた。


「ああ~もう私一人でどうしようかと思ったけど、リース様のお陰で助かりました」

「確かに……これだけの量となると大変だ」


 茶器を運ぶのはたやすかったが、それらの点検の方がずっと時間がかかり、流石のシャインも集中力が途切れる寸前だった。思わず出た欠伸を噛み殺していると、シャインの鼻を爽やかな香りがくすぐった。


「夕食の残り物ですけど、蜂蜜と林檎の焼き菓子があるのでお茶を淹れました。さ、そちらに座って」


 厨房の片隅にある使用人達の机で、シャインはアリサが淹れてくれたお茶を口にした。ほのかに甘い花の香りと香辛料の辛味が絶妙だ。


「これはリンドブレン産のメシマローズティー。やはり本場の方がよい香りでいいですね。エルシーア王都では王室御用達の銘柄だが、茶葉にカビが生えやすくてなかなかこれほどの品質のものが手に入りにくいんですよ」


 向かいに座るアリサが驚いたようにシャインの顔を見つめた。


「リンドブレンはリュニス北西部の島よ。仰る通り、お茶の有名な産地ですけど。まあ、リース様がお茶に詳しいなんてびっくり」


 シャインはやわらかい湯気をあげるお茶を再び口につけながら、目を伏せ息をついた。


「今回は茶を商おうかなって思っていましたので」

「ひょっとして、それでリュニスにいらしたの?」


 シャインは返事の代わりにアリサに向かって微笑んでみせた。

 メリージュがシャインに警告した通り、女官達はこうやって様々な情報を得て、様々な人物とやりとりをしているのだろう。


「お茶に関してはまだ勉強中の身でして。そうだアリサさん。今夜手伝いをしたお礼に、リュニスで人気のある銘柄とかご存知でしたら、教えていただけると嬉しいです」


 だがアリサはばつが悪そうに、えくぼのある口元をすぼめて首を振った。


「ごめんなさい。私、そういうのは疎くて。でもメリージュならいろいろ知ってると思うわ」

「そうなんですか?」


 若いアリサの方がそういうことに関心をもっていそうだと思って話題を振ったのだが。


「私はしがない農家の出で、かろうじて宮殿にお仕えすることができた身分だから……リンドブレン産のお茶も、エルシーアの王様が飲むような高級ものと知らなかったし。でもメリージュはすごいの。彼女も他所の島の平民の出だけど、賢くて努力家で、今はリュニス宮殿の女官長。そうそう。彼女、アノリアにも少しだけいたことがあるって言ってたわ」


「……アノリアに?」


「ええ。でもアノリアになじめなくてこっちに戻ってきたみたい。けどね、リース様。ここだけの話なんだけど」


 アリサが声を潜めて手招きしたので、シャインは彼女の方へ少し上半身を乗り出した。


「メリージュは、あの『クレスタ島』の出身なの」

「……」


 シャインは黙ったままアリサの顔を凝視した。


「その島が、何か?」


 アリサが失言だったといわんばかりに両手で口元を覆った。


「あ、やっぱりご存知ないんだったら忘れてくださる? ただの小さな島ですから」


 アリサの狼狽ぶりには気になるものがある。


「知っています。名前だけですが。クレスタ島は、母と叔母の出身地なんです」

「……!」


 アリサが言葉を失ったかのように口を開いたまま沈黙した。

 シャインは反対に言葉を続けた。


「けれど俺はエルシーアで生まれました。母は俺が赤子の時に事情があって亡くなりましたから、実は顔もよく知らないのですが」


「メリージュが……あなたを見てひどく取り乱していたわ。訊ねてみたけど、あなたにはリュニス人の血が入っているって。それだけしか話してくれなかった」


「アリサさん」


 同時にシャインの脳裏には、皇帝の謁見のための支度を整える時に、シャインの顔を見たメリージュの動揺する様が甦っていた。


 シャインの母の名を口にしたメリージュ。彼女がクレスタ島の出身なら、在りし日のリュイーシャを知っていても不思議ではない。問題は彼女が何故、リュイーシャのことで動揺したかだ。


「さっきも言いましたが、俺は母の顔を知りません。ですが彼女を知る人は皆、俺が母に似ているといいます。ひょっとしたら、メリージュさんもそう思われたのかもしれませんね」


「だとしたら、とても綺麗な方だったと思うわ。『深海の青』の衣装をお召しになったリース様、まるで海神の巫女のようで鳥肌が立ちましたもの」


「海神の巫女?」


「ええ。昔、クレスタ島にいたそうです。リュニス本島から遥かに南下した、絶海の孤島なのですが、あそこは複雑な海流が入り混じった特殊な海域らしくって、始終海が荒れることで有名なのです。


 クレスタ島は、別名「風の生まれる場所」ともいわれます。その海流がぶつかり合うことで風が発生するからです。海で生まれた風はクレスタ島を必ず通ります。島の住人は、海神・青の女王と契約をして、彼女に選ばれた者に風を操る力を授けてもらい、島を守ってもらっていたそうです。


 今はあまり知る人が少なくなったんですが、先・先代の巫女はとても美しい人だったそうで、こぞって船乗りがその姿をみようと、クレスタ島に立ち寄る航路を選んだそうよ。でも……今はクレスタに巫女はいないんですって」


「何故いなくなったんですか?」


 アリサはゆっくりと頭を振った。


「わかりません。巫女はもちろん、今のクレスタ島には近づくことすらできないのです。まるで島を護るかのように、ものすごい強さの風が四六時中、島をとりまいているらしくって。二十三年前ぐらいから、みんなクレスタのことは「魔の島」と呼んで恐れてます」


「では、クレスタ島の住人は?」


「私にはわかりませんわ。彼らが今も島に住んでいるのかいないのか。メリージュなら知っているかもしれませんが、昔の話をしたがらない人なので、私の口からこれ以上は……もう……」


 同じだ。

 シャインは温くなった茶をすすりながらアリサの話を聞いていた。


 シャインの母の妹である叔母のリオーネも、自分がリュニス出身であることは教えてくれたが、クレスタ島でどのような生活をしていたのか、そのことについて語ることはなかった。アドビスにしても然り。


 シャインがリュイーシャのことについて知っているのは、かつてアドビスの部下であった今は亡きツヴァイスが語った範疇はんちゅうのみである。


「何があったんでしょう――二十三年前に」


 ぽつりとシャインは言葉を漏らした。

 えっ、とアリサが戸惑いがちに返事をする。


「リオーネさんもクレスタ島のことは話してくれない。自分の故郷なのに」

「リオーネさん?」


 アリサの問いかけにシャインは我に返った。


「あ、ああ。です」


 なあんだと、少々がっかりした様子でアリサが苦笑する。


「本当に何があったのかしら。ただ……二十三年前というと、私も生まれたばかりだからよく知らないけれど、リュニスも皇位争いの内乱があって当時は大変だったんですって」


「皇位争い?」

「ええそうよ」


 アリサは机の上に置いてあった赤く熟れた葡萄の房に手を伸ばした。

 一粒掴んで小皿の上に置く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る