5-53 名前の所以(ゆえん)
「現アルベリヒ陛下とバーミリオン皇子の父親が、先代の皇帝ロードよ。ロードには実兄デューク皇子と、腹違いの弟、カイゼル皇子がいたの。でも兄のデューク皇子は母親の虚弱な体質を受け継いで体が弱かったから、自然と次の皇帝は軍部を取り仕切っているロードがなるものと思われていたわ。
でも死に瀕した彼らの父皇帝は、自分の後継者に、皇位継承権第三位の末弟カイゼル皇子を指名したの。これで皇宮は大混乱。いや、予定が狂って怒ったのはロード皇子。
そりゃそうよね。当然自分が皇帝になると思い込んでいたロードは、すぐさま異母弟カイゼル皇子の所に向かったわ。ロードが急いで彼の所に行ったのは、カイゼル皇子は外交を担当していたから、リュニス本島以外の島の領主達と仲がよかったわけ。
あ、リュニスは大小様々な島々を皇帝の一族が統治している国なの。当然、死んだ皇帝の遺言は彼らにも伝えられていたから、ロードは領主たちの反発を予測して、着々と彼らと戦う準備をしていたわけよ」
「で、結局、ロード皇子が内乱に勝ち、皇帝になったのですね」
アリサは葡萄を口の中に放り込んだ。
「結果的にはそうみたいね。ああそう。それで思い出したわ。カイゼル皇子のことなんだけど、彼は諸島を外遊中に、とある島で伴侶となる女性と巡り合ってそこに帰化したの。でね、その島っていうのが、何を隠そうあの『クレスタ』なのよ」
「……」
「これって偶然の一致かしら。カイゼル皇子は島の娘と結婚して、皇位継承権を十八年も前に放棄していたんですって。そういえばここだけの話ですけど、父皇帝はカイゼル皇子を呼び戻したい一心で、後継者に指名したっていう噂ですわ」
「それだけカイゼル皇子を気に入っていたんですね」
「気に入るもなにも。皇帝は正妃フリーゼ様よりも、お妾のリースフェルト様を愛していたんですもの。彼女との息子――カイゼル皇子が余程愛しかったに違いませんわ」
「……リースフェルト」
シャインはどきりとして口を開いた。
「あっ」
アリサも自分が言った名前に驚いて目を見開く。
澄んだ瞳をシャインに向けながら、アリサは声を弾ませて訊ねてきた。
「あなたの『お名前』を知った時、女官全員の話題になったんですよ。どうしてかしら。どうして陛下はあの方の名前をあなたに下さったのかしら?」
「そ、それは俺の方が知りたいです」
唇の端がぴくりと引き攣る。
「陛下は女性の身でありながら男の名を語り、リュニスの内乱を収めるために奮闘した方だと仰ってましたが……」
アリサが静かに頷いた。
「リースフェルト様――本当のお名前はリーゼリング様。カイゼル皇子の母親で、かつ、リュニス皇帝海軍の陣頭指揮を執られた将軍の一人。実はカイゼル皇子、流行病ですでに亡くなっていたそうなの。
長兄デューク皇子は体が弱く、父皇帝崩御後は自分も床から起き上がれなくなったものだから、リュニスの次期皇帝候補はもうロード皇子しかいなかったわけ。でもカイゼル皇子の死には、諸島の領主たちが何人も疑問視していたの。それを知らせたのが他ならぬロード皇子だったからよ。
軍部を強化し、領主たちを始終威圧してきたロード皇子がリュニスの次期皇帝になる。反発した領主たちは内乱を起こした。それを収めるため――奮闘されたのがリースフェルト様。彼女はロード皇子を皇帝にするため戦ったわ。正妃フリーゼ様が亡くなってから、幼いロード皇子をカイゼル皇子と同様に面倒をみていらっしゃったそうだから。
リュニスの島々を再び統一し、彼女は周囲の反対を押し切って、クレスタ島に向かったそうよ。その頃からクレスタは暴風が吹き荒れる危険な海域となって、近づく船は皆海に沈んでしまったそうなの。結局リースフェルト様は、リュニス本島に戻ることがなかった」
「……」
結局話はまたクレスタ島へと戻った。シャインはアリサが空になったカップに再び茶を淹れてくれたことに礼を延べ、かの島へと想いを馳せた。
皇帝アルベリヒがシャインにかの女将軍の名前をつけたのは、クレスタが関係しているのだろうか。
「本当にどうしてかしら。ひょっとしたらリース様は、あの方とどこか似ていらっしゃるのかもしれないわね。多くの功績を上げた方だけど、ロード皇子はリースフェルト様を疎んじておられて、肖像画の一枚も残っていないの」
「……実は」
シャインは皇帝アルベリヒにこのようなことを言われたとアリサに語った。
『リュニスでは、そなたのように青緑の目を持つ者は、海界との関わりが深いと信じられている。実際、『深海の青』の衣を纏ったそなたを見ていると、そなたは深海の青き闇の中でも自ら光を放つ真珠のようだ。我が一族にも、その海の色が似合う者がいた。リースフェルト。その者は女の身であったが、自ら男の名を名乗り、軍艦に乗り込み各諸島の内乱を制圧した偉大な武人だ。そなたをみると彼女を思い出す。よかったら彼女の名を受け継いで欲しい。きっとそなたを守るであろう』
「そ、そうなんですか! きゃっ、これで今週は随分懐が温かくなりそうだわ」
アリサが立ち上がって瞳をきらきらさせた。
「え?」
アリサの言う意味がわからずシャインはただ彼女を凝視する。
「うふふー。実は誰が一番最初にリース様の名前の
鼻歌を歌いながらアリサが立ち上がってくるりと軽やかに回る。
「か、賭け?」
「そうー」
きらきらと満面の笑みを浮かべてアリサが再び舞う。
「他にも何故リュニスに来られたかとか、その
「あ、アリサさん! なっ、なんですか、それっ!」
シャインの脳裏にメリージュの警告が浮かんだ。
『いいですか、リース様。この宮殿で何が一番怖いかというと、壁に耳ありそこに女官あり、なのです。女官を甘くみると痛い目にあいますわよ』
シャインは慌てて席を立った。冗談ではない。
そこまで注目されていれば、いずれ、ディアナのことも彼女達に知られてしまう。リュニスに来た目的は口が裂けても絶対に話せない。
「あの、俺はただのしがない商人ですから。一生懸命調べていただいても、面白いことなんて何一つありませんよ?」
「あらあら。そんなに身構えられると、余計裏があるんじゃないかと気になりますわ」
「あ、では! お茶とお菓子ありがとうございました。明日も早いので、俺はこれで兵舎に戻らせていただきます!」
シャインはいそいそと厨房から退出した。
背後でアリサがからからと笑い声をあげている。
「リース様、おやすみなさい。また明日、お会いしましょうね♡」
勘弁して欲しい。
心の中でそう叫びながらシャインは兵舎に向かって走り去った。
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