5-37 ロワール姫はご立腹
「シャインの馬鹿バカばかぁ~! 一週間で戻ってくる約束だったじゃない!? 一体何してたの?」
商港に係留してあるロワールハイネス号に戻ったシャインを、予想通りロワールの金切り声が出迎えた。
「話し声をきかれるとまずいから、取りあえず部屋に入らせてくれ」
ロワールの存在に気付く一般人は真夜中の商港にいないだろうが、表向き死んだ人間になっているシャインの姿は見られる可能性がある。
「俺は甲板にいるから、お前は好きなだけロワールの相手をしてこいよ」
「じゃ頼むよ。ヴィズル」
「ああ」
シャインは後部甲板の昇降口から階段を降りて、船尾の艦長室へ入った。窓から入る朧げな薄明かりを頼りに机に近付き、引き出しを開けて手探りでマッチを取る。机の上のランプに明かりを灯し、シャインはようやく周囲を見回して、いつも仮眠の時に横になる長椅子へ腰を下ろした。
「やっぱり、ここにくるとほっとするな」
「わたしだって……やっと『ほっ』としたわよ」
シャインは出入口の扉の前に立つ、紅髪の少女へ顔を向けた。
緩やかにうねる髪をふわりとなびかせながら、ロワールは足音をたてず(精霊だから当然だが)シャインの所へと歩いてきた。
小さな口元をきゅっと結び、水鏡のように澄んだ瞳をシャインのみに向けている。抑えきれない不安を隠すように、彼女はわざと怒っているようだった。
それを察したシャインは長椅子から立ち上がった。
「ごめん。ちょっといろいろあって、帰ってくるのが遅く――」
ロワールが歩みを止めた。シャインから数歩離れた所で立ち止まる。
「皆が言ってたの」
ロワールは顔を俯かせ、声を震わせながら呟いた。
「シャインが――シャインが、岬から海に身を投げて死んじゃったって……」
シャインは自殺の狂言がロワールに知られていた事を知って、その事実に体を強ばらせた。
「い、いや。その。それは――」
「皆あなたのことを心配してここにきたわ。料理番のルミルや、ファラグレール号のシルフィード航海長やクラウスちゃん。造船所からホープさんだってここにきて私に訊ねたの。『シャインは戻ってきてないのか?』って。『戻ってないわ』って答えたらホープさん、『お屋敷の門には喪中の花環がかけられていた』ってつぶやいて、ここでわんわん泣いてたわ。
私は……そんなこと信じられなかったけど、自信がなかった。あなたは
あなたが帰って来ないのに勝手に水や食料とか積み込むから、私、怒ったわ。『私はシャインが帰ってくるまで、絶対にここから動かないから』って。でも、ヴィズルは積み込み作業をやめなかった。皆、ヴィズルがこの船を買い取ったんじゃないかって噂してたわ。一体何を考えてるのかわかんないけどシャイン。あなたが帰ってくるまで、私、もうどうしていいのか……本当に……本当にわかんなかったんだから!!」
「ロワール……」
シャインはロワールに近付いて、しゃくりあげる彼女の肩を抱いた。
「君や皆に心配かけてすまなかった。でもちゃんと生きてる。理由があって、まだ世間に俺は死んだ存在でいなければならないけど」
「シャイン」
ロワールの不安感が徐々に薄れていくのをシャインは感じた。
「君を放ってはおかないって言っただろう? だからちょっと遅くなったけど約束通り戻ってきた」
「戻ってきたけど、遅すぎるわ」
ロワールはすっかり拗ねてしまっている。
彼女が機嫌を直すのも時間がかかりそうだ。
シャインは抱擁を解いた。ロワールの顔が見たかった。その場に片膝を付いて彼女と同じ目の高さになるようにする。覗き込んだロワールの顔は、人間の少女のように白い頬に涙の筋がついていた。
「それは本当にすまなかった。だけど……」
シャインはロワールから視線をそらし溜息を吐いた。
「今回の事でわかったよ。陸はしがらみの多い場所だということが。早く海に出て、君と一緒に今までのように気ままな航海を続けられればそれでいい。それだけでいい……」
「シャイン。どうしたの? 何かあったの?」
「いや……」
口籠るシャインの心にロワールの心が触れてくる。
シャインのことを気遣うように、そしてとても慎重に。
それに気付いたシャインは、頬に触れようとするロワールの手から逃げるように立ち上がっていた。
彼女に隠し事をするつもりはないが、胸の内をすべてさらけだすのも抵抗があった。自殺は狂言ということになったが、岬から身を投げようとしたのか、足を滑らせてしまったのか。
彼女の事を忘れて死の誘惑に屈した己の弱さを――知られたくなかった。
「シャイン。どうして心を閉ざすの? それに何でシャインが『この世にいない存在』でなくちゃいけないの?」
ロワールの疑問は当然だ。けれどそれはシャイン自身も感じている。
ディアナ公爵令嬢の件は気になるが、何故、自分なのだろう。
アドビスは以前より話をしてくれるようになったが、参謀司令官の職が長かった彼は、どの部署に誰を充てて何をさせるかという考え方が骨の随まで染み込んでいるのだ。
そしてこの件はアリスティド統括将も絡んでいるだろう。
ディアナがリュニスに囚われているのなら、誰かがその真偽を確かめに行かなくてはならないからだ。
しかしアドビスが息子の身を本当に案じるなら、こんな危険な役目を担わそうとするだろうか。結局は
シャインは頭を振って前髪を払いのけた。
だめだ。
卑屈になってはいけない。
シャインは再び小さく溜息をついた。
口元にかすかな笑みを浮かべながら。
「事情は追々話すよ。ロワール、明日俺達はアスラトルを発つ。リュニスに行かなくてはならないんだ」
「リュニス……?」
ロワールが小首をかしげてシャインの顔を見上げる。
「そう。エルシーア大陸をずっと南下した所にある、まだ行った事のない南の国だよ」
ふっと脳裏をリオーネの横顔がよぎった。
『私はもう何年もリュニス語を話していないけれど……』
シャインは目を閉じた。
顔を知らぬ、けれど自分を産んだ
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