5-10 迷路の庭園

 アリスティド公爵令嬢ディアナと、ダールベルク伯爵子息ノイエの婚約を祝う祝賀会は内輪向けのものであった。招待状を持った客のみが祝賀会が行われている庭園に入る事を許され、随伴者の入場は固く禁じられた。それでも二百名を超える人々が招かれているのは、エルシーア国で王都に次ぐ二番目に大きな街、アスラトルを治めるアリスティド公爵家の貫禄だろう。


 ディアナには年が十才以上離れた次期公爵の地位を継ぐ兄と、すでに嫁いだ姉二人がいて、未婚なのは彼女一人だけだった。


 十七才で成人扱いされる貴族の娘としては、少々遅い結婚である。両親のアリスティド公爵夫妻は、この末娘を愛するが故に心配もしていた。


 彼女の母親はエルシーアと今も対立を続けている、北の軍事国家シルダリア人の血が二分の一ほど入っており、ディアナもまたその血を色濃く受け継いだ容姿をしていた。


 エルシーア人は北方(王都出身者)は濃い茶色の髪に青い目をした者が多く、南部(アノリア~アスラトル地方)は金髪が多い。

 ディアナは月光のように殆ど銀に近い金髪に、淡いすみれ色の瞳を持つ娘だった。本人もエルシーア人とかけ離れた自分の容姿に劣等感を感じていたのだろう。そして実年齢より二、三才大人びてみえるしっかり者のせいか、縁談があっても今まで中々まとまることがなかった。


 

 アドビスとシャインは庭園へと案内された。


 館へ入る白い大理石の階段には、アリスティド公爵夫妻と面会するため、すでに多くの来客が列を作っていた。


 祝賀会の開催時間は15時の予定だった。一時間早く来たのはある意味正解だったといえる。主だった招待客はまだ到着していないのか、数十分の待ち時間で、アドビスとシャインはアリスティド公爵夫妻と面会できた。


 夫妻はアリスティド家名物の『迷路の庭園』が一望できるテラスで仲睦まじそうに並んで立っていた。ディアナの婚約の祝辞を述べると公爵夫妻は、やっと心配事がなくなったことを安堵するかのように微笑んだ。


 そして公爵の方からもアドビスに、足の怪我の回復と、弟である海軍統括将の補佐役に就いた祝いの言葉をかけてもらった。


 続いてシャインも公爵夫妻と挨拶を交わしたが、ふと祝賀会が催されている芝生の広場の方へディアナとノイエの姿がないことを口にした。


「ディアナは今、支度を整えている所ですの。ノイエもそうでしたわね。あなた。(アリスティド公爵夫人は隣の夫の顔を見上げた)準備ができ次第、皆様には館にお入りいただいて、二人の婚約を発表する事になっております」


 物腰柔らかな上品な笑みを浮かべて公爵夫人はシャインに言った。

 淡いすみれ色の瞳と銀髪のせいか、笑い方もディアナに良く似ていた。


 いや、ディアナが母親に似ているというべきか。


 アドビスとシャインは公爵夫妻に一礼して、挨拶の順番を待つ次の招待客の為にその前を離れた。振り返ると公爵との面会を待つ人々の列はずらっとつづいている。このぶんでは、祝賀会の開始時間はきっと遅れる事になるだろう。


 公爵の前を下がったアドビスとシャインの前に、黒服の給仕が盆に載った酒のグラスを持ってきた。アドビスがそれを二つ取ろうとしたのでシャインは断った。


「いらないのか?」

「はい。今は結構です」


 アドビスはグラスの酒で唇を湿らせた。だがその鋭い目は何か興味をひかれたかのように、庭園の一角を眺めている。シャインはその視線を追った。


 芝生には白いクロスをかけられた机がいくつも並べられ、招待客が自由につまんで食べられる一口大の大きさに盛られた料理や果物の皿が載っている。


 そんな席の一つに、白い海軍の礼装に身を包んだ一団が、一人の高官を囲んで談笑しているのが見えた。彼等の中心にいるのは、やや小柄の体格だが、遠目からみても存在感の強さを感じる金髪の男性だ。


「アリスティド統括将閣下……」


 アドビスはグラスの酒を一気に干した。


「どうやら閣下も顔見せに来たようだな。私も挨拶に伺うとするか。お前はどうする?」

「あ、はい……」


 シャインはアリスティド統括将の周りにいる黒軍服将官の取り巻きを見つめた。顔しか知らないが、彼等はエルシーア海軍の主要部署・六部門を任されている長たちだ。通称・六卿とも言われ、彼等だけが『海軍卿エルシャン・シー・ロード』の呼称をつけることが許されている。


「この場は遠慮しておきます。まだ休職中の身でありますし」


 シャインがロワールハイネス号の艦長として現役中であったとしても、将官以上である彼等の存在は雲の上にも等しい。


「アリスティド統括将閣下がお呼びになられていますよ」


 そうこうしているうちに、統括将の方がアドビスに気付いた。まあ、アドビスは常人より遥かに背が高いので、この会場内で彼より大きな男はいないだろう。

 統括将が気さくな笑みを浮かべ、アドビスに向かって白い手袋をはめた手を振っている。アドビスも右手を上げて一礼した。


「シャイン、私は閣下の所へ行ってくるが、お前は――」

「一人で大丈夫です。適当にこちらで時間をつぶしていますから。アリスティド閣下には、また日を改めて休暇のお礼に参上しますとお伝え下さいますか」

「わかった。伝えよう」


 アドビスはシャインを一瞥してから踵を返すと、アリスティド統括将が待つテーブルへと歩いて行った。

 

 さて、祝賀会が始まるまでどうやって時間をつぶそうか。

 アリスティド公爵邸の自慢の庭を眺めながらシャインが思案していた時。


「あの、シャイン・グラヴェール様でいらっしゃいますか」


 名前を呼ばれてシャインは振り返った。そこには細身の黒い服に白いエプロンをつけた若い女中が立っていた。右手に暖かな湯気をたてる紅茶のカップを載せた銀の盆を持っている。


「はい。そうですが、何か?」


 シャインが答えると、女中はソーサーに載った紅茶のカップを差し出した。高い足つきの瀟洒な茶器だ。


「主人のディアナより、お持ちするよう言い付かっておりました」


 シャインはソーサーを女中から受け取った。

 ほのかにエルシャンローズの香りがする紅茶だ。シャインも商った事がある、エルシーアでは特に女性に人気のある花茶だ。


「ありがとう。ディアナ様にお礼をお伝え下さい」


 女中はシャインに軽く頭を下げてその場を去った。

 確かディアナは祝賀会のために支度をしているはずだ。いつ自分が来た事を知ったのだろう。

 シャインはエルシャンローズの小さな花びらが一枚浮かべられた紅茶の香りを愉しみながら、ソーサーとカップの間にはさまれていた紙片をつまみあげた。


 

 『庭園でお待ちしております。向かって左側の入口から入って下さい。

  最初の角を左に曲がると噴水がございます。そちらで。

  ディアナ』



 シャインはつまんだ紙片をそっと懐にしまった。

 ディアナが自分を呼ぶ理由がわからないが、祝賀会が始まってしまったら、主役である彼女は他の来賓達に囲まれっぱなしで、個人的に話す機会はないだろう。


 一応友人として婚約のお祝いを言うつもりではあるが、その一言すら言えるかどうか。シャインはできるならディアナと会いたくなかった。けれど招待状をもらってここに来た以上、やはり一言も言葉も交わさず帰るのは実におかしな話だ。


 周囲を見回すとそれぞれの机で招待客は挨拶周りや談笑に忙しい様子。公爵夫妻もまだ面会を求める客に囲まれていた。


 シャインは紅茶を一口含み、残ったそれを近くの机の上に置いた。

 折角の機会だ。ディアナにあの時の非礼を詫びて、ついでに婚約のお祝いも言ってしまえば、ここに来た目的は達せられる。


 アリスティド公爵邸の庭はとても広く、中でも一番の名物は、樹木や生け垣で作られた、遊び心がふんだんに盛り込まれた『迷路の庭園』だった。シャインはディアナの手紙にある通り、左右と真ん中、三ケ所ある庭園の入口のうち左側の道を進んだ。


 実はシャインはアリスティド家の庭園で、本当に迷子になったことがある。

 十才ぐらいの頃だっただろうか。何か用事があって、アドビスがシャインを伴いアリスティド公爵邸に来たことがある。アドビスと公爵が話をしている間、退屈を紛らわすためにシャインはこの庭園に足を踏み入れたのだが。


 それが運の尽きだった。

 実際、アリスティド公爵邸の庭園では、新米の女中などが毎年一人は迷子になって捜索隊が組織されるらしい。


 シャインはあっさり庭園に迷い込み、出る事が叶わず途方に暮れた所で一人の少女に出会った。

 シャインより年下の少女は上質な素材のドレスを纏い、鼻歌を歌いながら、さまざまな野草が花を咲かせている花園で花冠を作って遊んでいた。

 それがディアナとの最初の出会いだった。

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