5-5 『船鐘』の鑑定

桃色白金ロズ・プラティナ』を丁寧に元の箱に収め、マリエッタはゆっくりと頷いた。

 肩の上で切りそろえた茶色の髪を揺らし、「ちょっとここで待ってて」と、彼女は踵を返した。そのまま工房と他の部屋を区切っているタペストリーをめくって、マリエッタはしばしいなくなった。


「お待たせ。依頼の品はできてるわ」


 今度はシャインが待ちかねたように青緑の瞳を鋭く光らせた。


「聖純銀をここまで細く加工して編み込めるのは。どう?」


 マリエッタは濃紺の天鵞絨を張った宝飾箱を開いてシャインに見せた。

 中には『聖純銀』と呼ばれる不純物が一切含まれていない銀を使い、まるで天使の髪のような極細のそれを、幾重にも編み込まれたブレスレットが入っていた。


「触って確認してみて。重さを殆ど感じないから」


 マリエッタの自信たっぷりな視線を受け止めながら、シャインは手渡された手袋をはめてブレスレットを手にとった。

 軽い。

 本当に天使の髪で作ったようだ。

 極細の銀の糸を幾重にも束ね、編んでいるので、同じ重量の銀を使った鎖より遥かに存在感がある。


「想像以上の出来です。流石、『職人』マリエッタ」


 慎重に宝飾箱にブレスレットを戻したシャインは、目を細めその出来栄に賞賛の言葉を呟いた。マリエッタは苦労したといわんばかりに肩をすくめた。


「それで、この中央の薔薇の中に入れる石は持ってきた?」


 シャインの依頼した『聖純銀のブレスレット』はまだ完成していなかった。

 シャインがマリエッタの依頼である『桃色白金ロズ・プラティナ』を仕入れる事ができたら、留め具の薔薇に無償で石をはめこむ約束になっていた。シャインは再び鞄を開けて、小さな箱を取り出した。


桃色白金ロズ・プラティナと同じ鉱山から掘り出した石です」


 マリエッタはシャインから小箱を受け取り蓋を開けた。


「まあ。これ、『宵の明星エレーネ・エンディミラ』じゃない」

「ほう、ご存知でしたか」


「エルシーアでは残念な事に、色が紫だからあまり人気のある宝石ではないけどね」

「ということは、いやらしい話ですけど、仮にこれを売りに出したらどれくらいになります?」


 マリエッタは作業台のランプを手元に近付け、小箱に納められている親指の爪ぐらいの原石をじっと見つめた。

 透明な水晶が真珠を抱くように、紫水晶を内包した石。その淡い紫色が宵を連想させ、内部で輝く光が星のように見える事から、『宵の明星』と呼ばれている。


「研磨したらすごく綺麗に輝くと思うわ。色もはっきりしてるしとても良い品質。宝石商の知り合いに見せた方がいいと思うけど、多分相場としては80万リュールぐらいじゃないかしら」


「80万」


 マリエッタはシャインの顔色を見て、興味深気に目を細めた。


「あら。安すぎた?」


「いいえ。実はもう一つあるんですけど、そちらを友人の航海士への給金へ充てようと思ったんです。石が少し小さいので更に値が下がるなと……」


 シャインは肩を竦めて笑ってみせた。

 けれどマリエッタは首を振った。


「言ったでしょ? エルシーアでこの色はあまり人気がないって。石自体は珍しいから、他国じゃもっと高値で取引されているわ。まあ、これより小さいんなら……それ相応の値段になると思うけど」


「そうですか」


「でもこのブレスレットにつけるには申し分ない石よ。すごく上品な感じに仕上がりそう」


 マリエッタは石を小箱に戻しうなずいた。


「じゃ、早速石をはめこんで頂きたいのですが……」

「どうしたの?」

「実は明日の昼までに仕上げて欲しいのです」


 えっ、という風にマリエッタの顔が引きつった。


「納期の話はこれからするつもりだったけど、明日の昼ですって?」


 シャインは申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません。もっと早くアスラトルに帰れたらよかったんですが、ちょっと向こうを出るのが遅くなってしまって」


「顔を上げてよ、グラヴェール船長。あなたは私の依頼を完璧にこなして、入手困難な『桃色白金ロズ・プラティナ』を仕入れてくれたんだもの」


 マリエッタがシャインの腕を軽く叩いて微笑んだ。


「……いいわよ。昼までに仕上げておくわ」

「ありがとうございます」

「では、用件の『二つ目』に入っていいでしょうか」


 顔は笑みを浮かべているが、明らかに眉間を曇らせてマリエッタが微笑む。


「そういう約束だったものね。いいわよ」


 シャインは鞄から箱を取り出した。作業台の上にそれを置く。箱の留め金を外して中から濃紺のビロードで包んだ物を取り出した。その大きさは子供の頭ぐらい。

 シャインはマリエッタの顔を伺い見た。黙って見守るマリエッタの額には、うっすらと汗が浮いている。悪寒を感じるのか、両手で二の腕をすり合わせている。

 目線が合うとマリエッタはしっかりと頷いた。


「……私は大丈夫。見せてくれる?」

「わかりました」


 シャインはビロードを取り払った。

 そこにはロワールハイネス号の『船鐘』――正確には『エクセントリオンの船鐘』と呼ばれるそれが姿を現した。マリエッタが確実に船鐘から三歩離れた距離で、遠目からじっと見つめる。


「こうして目の当たりにすると圧倒されるわね……ええと、表面は――『聖純銀』で覆われているわね。縁の飾り装飾の加工がとっても素敵。ホント、傍から見ればただの綺麗な鐘なんだけど……」


 マリエッタは少しだけ顔を鐘の方へ近づけた。


「この寒々しくも研ぎ澄まれた刃のような気配――間違いないわ。この『船鐘』は、魔鉱石『ブルーエイジ』の塊を加工して作られている。そしてブルーエイジの影響を外に出さないために、『聖純銀』で覆っているというわけね……」


 ふらりとマリエッタの上半身が揺らいだ。


「マリエッタさん!」


 シャインは咄嗟によろめいた彼女の体を後ろから支えた。

 青い帽子を被った彼女の頭が動いて、申し訳なさそうにシャインの顔を見上げた。


「……大丈夫。ちょっとブルーエイジの『負の気』にあてられただけ。椅子に座るわ」


 シャインはマリエッタの肩を支えて木の丸椅子に座らせた。

 大丈夫といいつつもマリエッタの顔は蒼白だ。


「ありがとう。はーっ。この鐘、どれだけ大量の『ブルーエイジ』を使ったのかしら。作った奴は絶対発狂して死んでるか、生きてても廃人になったはずよ。もう――頭がずきずき痛くなってやんなっちゃう」


「本当に大丈夫ですか?」


 マリエッタが青ざめた唇に弱々しい笑みを浮かべた。


「シャインさん。これを手にして平然としていられるあなたの神経を疑うわ」


 そう言われても。

 シャインはただ黙っていることしかできない。

 

「ブルーエイジとは……そんなに人に不快感を与える鉱物なのですか?」


 シャインの質問にマリエッタは再び大きくため息をついた。


「『ブルーエイジ』ってね、王都ミレンディルアを取り囲む山々の遥か地下の地層から発見されるんですって。これは言い伝えなんだけど、そこは昔、海底だったそうよ」

「……『水晶の塔』という神話で、そんな話がありましたね」


 シャインの脳裏に子供の頃読んだおとぎ話が浮かんだ。


「そう。海神・青の女王の悲恋で知られるお話。エルウェストディアス――昔のエルシーアの国名ね。かの国の最後の王ノルンの行為で、エルウェストディアスの国土と国民は海中に没したと言われている。その時に亡くなった数多の民の魂の欠片が『ブルーエイジ』だって言われているわ」


 マリエッタが伏し目がちに作業台の上に置かれた『船鐘』を見ている。


「海に呑まれて死んだ人達の魂を閉じ込めた石。だから、他の鉱石よりも圧倒的な『負』の力を秘めている。アレに触れると心の奥底から気も狂わんばかりの恐怖がわき出てきて、それに耐えられない者は自殺しちゃうっていうくらい……」


 鐘を見つめるマリエッタの瞳が不意に細められた。


「あら? いくら魔を封じ込める『聖純銀』でも、これだけの量の『ブルーエイジ』が使われているのに、不快感しか覚えない『気』しか出ていない。何故……?」


「その理由はお答えできると思います」


 シャインは、はっと顔を上げたマリエッタのそれを見つめた。


「『船鐘』の人を操る意思を抑えるために、一人の少女が『船の精霊レイディ』として、この鐘の中に取り込まれたからです」

「……えっ」


 喘ぐように呟いたリエッタの声は、今までの彼女のそれとは少し違って動揺が混じっていた。


「ちょ、ちょっと待って! シャインさん、あの鐘の内側を見せてくれない?」

「え、ああ、はい」


 シャインはマリエッタに急かされるまま、『船鐘』を持ち上げるとその内側を彼女に見せた。

 マリエッタは椅子から立ち上がり、けれど『船鐘』には絶対に触れないようにして、その中を覗き込む。


「どうして、これがここに……!」


 マリエッタが顔を上げた。右手の人差し指で鐘の内側の部分を指し示す。

 シャインが見てみると、そこにはマリエッタが被っている平たい青い帽子に似たそれと木槌を象った文様が刻まれている。


「これはフェイシェル家――初代当主マリエルの紋章なの。金属加工職人が、自分が作った作品に入れる銘みたいなものよ」


 シャインもまたマリエッタと同じく驚きに目を見開いた。


「ではこの『船鐘』は、あなたのご先祖様が作ったという事なのですか?」

「……」


 マリエッタが腕を組んでじっと鐘を見つめている。


「そういうことに……なるわね……私も今、初めてそれを知ったんだけど。だとしたら、この『船鐘』が作られたのは、百年以上昔ってことになるわ」


「――百年」


 シャインは『船鐘』をそっと作業台へ置きなおした。


「……ロワールはそんな前の時代の人間だったのか……」

「ロワール?」


 マリエッタが不思議そうな顔をしてシャインを見上げた。


「ええ。この『船鐘』がどういう理由で作られたのかは知りませんが、『ブルーエイジ』の意思を制御するために存在する少女の名前です。彼女はこの『船鐘』の中に留まることで、その影響を外の人間が受けないようにしているのです」

「……」


 マリエッタ右手で口元を押さえて『船鐘』を凝視していた。

 まるで遠い記憶の束を探るように。


「ブルーエイジの方法……」

「えっ」


 はっとマリエッタが顔を上げた。


「シャインさん。『ブルーエイジ』の採掘は、その存在を感じることができる人間の存在が不可欠なの。確か――初代当主マリエルの日記に、その少女の事について、何か書いてあったような気がする……」


 シャインは気持ちが高揚するのを感じた。


「ひょっとしたら、そこに『船鐘』のことも書いてあるかもしれませんね?」

「ええ」


 疲れた中にも強い光を宿してマリエッタの瞳が瞬いた。


「流石フェイシェル家の初代当主! こんなにおっそろしく巨大な『ブルーエイジ』の塊を加工した挙句、気も触れずにいられたんだから……もう尊敬じゃない。崇拝だわ!」


 マリエッタは椅子から勢いよく立ち上がり、シャインの両手をむずと掴んで強く握りしめた。


「ちょっと時間がかかるかもしれないけど、書庫を漁ってみる! 多分、王都ミレンディルアの実家にあると思うから、何か手がかりがわかったら真っ先に連絡するわ」

「ありがとうございます」


 シャインは心からほっとして頭を下げた。

 この一年何も手がかりが得られなかったので、今は感謝の言葉を述べることしか口に出すことができなかった。


「シャインさん。取りあえずあなたの依頼はちゃんとこなすわ。ブレスレットの方は明日の午後までに仕上げてあげる。マリエルの日記の方は人を遣って取り寄せるから」


 シャインは『船鐘』を再びビロードにくるんで鞄へしまった。

 ロワールの気配はあまり感じられない。不思議な事に、船から降りると声すらも聞こえなくなるのだ。


「マリエッタさん、本当にありがとうございます」

「いいえ。私も先祖の偉大な作品を見る事ができて、今とっても興奮してるの! それではまた明日ね」


 マリエッタが首にかけていた紐を手繰り寄せ、戸口に下ろしていた錠を開けてくれたので、シャインは彼女の店を後にした。

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