4-42 死神

「がぁぁー! いいからよくお聞き。とにかく、ティレグが広間に転がり込んでから、その場にいた船長達はすぐさま自分の船に飛び乗った。ティレグが言った通り、島の近くに一隻のスクーナー船が止まっていて、あっという間にそいつを砲撃したよ。船は炎上してその灯りで沖に向かって行く小さなボートが見えた。


 特に、スカーヴィズを殺されたことで頭に血が上っている船長達は、夢中になってそれを追っかけ、大砲をぶっ放したよ。ここからはあんたも知っている通り、不意に島を襲った大嵐で、海に出ていたスカーヴィズ派の船長達の船はほとんどが大波に飲み込まれ、大破し、沈んでいった。


 あれ程の大きな嵐だ。もとより海へは出ず、島からそれを見ていたロードウェルが得意げに高笑いするのを、あたしは木の影から聞いていた。その時に聞いちまったのさ。奴の独り言を。


『自分の計画で自らを滅ぼすことになろうとは……愚かな女だ。そして、頭たるもの、自分以外の人間を信じてはならんのだよ』


 このロードウェルの言葉を聞いて、あたしは直感した。スカーヴィズの計画は奴にばれていたことを。今アジトにいるスカーヴィズの手下の数は半分以下。しかも、ここで漁村のふりをしている女達が大半を占めている。ロードウェルがエルシーア海を手中に収めるために、これからみんなを皆殺しにするかもしれない。


 あたしは走ったよ。まだ風が泣き叫ぶ暗い木々の間を。島の裏手からアジトの方へ回り込んで、風の音におびえる彼女達を急いで外に出した。

 ロードウェルの手下達は、みんな浜へ出て、嵐の海に沈むスカーヴィズの手下の船を見ていたから、本当に際どいチャンスだった……」


「それで、ティレグはどこにいたんだ? アドビス・グラヴェールを攻撃するために、彼も船に乗っていたのか?」


 ストームはきょとんとしてシャインの顔をながめた。まるで白昼夢を見ているかのように一瞬遠いまなざしを浮かべ、やがて、丸っこい大きな両手で顔を包み込んだ。


「ああーー! お、思い出した!!」

「なっ、何を」


 スト-ムの長い腕がシャインの両肩をがしっとつかむ。


「ティレグは大広間にいたよ。けど、何だか様子が変だった」

「変って、どんな風に」


 ストームはますます興奮してシャインの肩をつかむ力を込める。


「指だよ。指! 右手の小指がなくなってて、血まみれだったから、あたしが止血してやったんだよ。ティレグの小指を切り落とせる奴は、そう沢山はいやしない。スカーヴィズか、あるいは……」


 ストームはごくりと唾を飲み込んだ。


「船でアドビスと鉢合わせしたか……。ティレグがロードウェル側に寝返ったのなら、奴等に襲われるはずがないから、この二つのどちらかに違いないよ!」


 シャインはやっと力をゆるめたストームの手を、自分の肩から外した。

 じんじんする。

 その痛みと合わせて大きくため息をつく。


「……それだけじゃあだめだ。そんなんじゃあ、ヴィズルを説得することなんてできない。ティレグがスカーヴィズを殺したことがはっきりすれば、彼を止めることができるのに……」


 もどかしい。

 答えが目の前に現れたと思ったら、再びそれは真実という名の姿を見せる事なく煙のように消えてしまう。

 肩を落とすシャインへ、ストームが突き放すようにつぶやいた。


「さっきも言ったけど、頭を止めることはできないよ。あたし達エルシーア海賊は、アドビスに殆ど殺されてしまったからね」


 シャインはのろのろとうつむいていた面を上げた。


「……あの大嵐のことを言っているのか? だったらそれは」

「坊や、まだ続きがあるんだよ。嵐が収まってから」


 ストームは軽くシャインの肩を叩き、再びふてぶてしく胸の前で両腕を組む。


「あたしは女達をアジトの裏手にある崖下へ連れていった。そこにはいくつか洞穴が口を開いていてね。何かあった時はそこに隠れるよう、スカーヴィズに言われていたんだ。風がおさまって、あたしは単身外の様子を見に洞窟から出た。そうそう、ティレグとは一緒じゃないよ。指の手当をしてやってから、奴は船が心配だ、とかいいながら出ていっちまったから。


 嵐はすっかり収まって、ただ高めの波がその名残りで浜に打ち寄せていた。再び雲間から月が出て、海上をみたあたしはがく然としたよ。そこにはアドビスの軍艦が浮かんでいて、武装した海兵隊が数隻のボートに乗り込み、浜にちょうど上陸している所だった。もちろん、アドビスもいたさ。


 月をにらみつけるように眼を開き、口と胸から大量の血を流して倒れているロードウェルの死体をブーツで踏み付けて立っていた。

 月の光に照らされたアドビスは、両手を手首まで返り血で染めていたよ。

 よくよく見ると、浜にはロードウェルの他に数人、奴の手下達が切り殺されていて、渚はその流す血で水がどす黒くなっていた。


 島の奥……アジトがある城塞の近くで、ふみつぶされるような潰れた悲鳴が聞こえてね。あたしは恐怖で足がすくんで、しばし木の茂みにしゃがみこんだままその場から動けなくなった。本当に今思い出しただけでも震えが来る。なんてったって、血刀をひっさげたアドビスが、あたしの潜んでいる茂みのすぐ側を、通っていったのさ! アドビスの表情は暗くてよくわからなかったけど、闇よりも深い所から出てきた幽鬼みたいだったよ。


 そう、哀れな海賊を狩る死神。


 一瞬人の気配を探るように足を止めたかと思うと、奴は闇の中でも目が見えるように素早い動きで走っていった。そのあと、血が凍るような悲鳴が聞こえたのは言う間でもないよ。アドビスがいなくなってから、あたしは震える膝に力をこめて、再びみんなが隠れている崖の洞窟まで戻った。


 その戻る途中で、アジトにしていた城塞から火の手が上がっているのを見たよ。アドビスが火を放ったんだ。あそこにはスカーヴィズや皆がため込んだお宝も随分隠してあったんだけどね……。みーんなただの白い灰になっちまった。


 あたし達はひたすら、アドビスに見つからないことだけを考えて、声一つ立てず洞窟に隠れていた。

 やがて日が昇り、スカーヴィズにアジトの位置を教えてもらったせいで海軍の船がやってきたけれど、そんなに長くはいなかった。きっとアドビスが殆どの海賊達を殺したからさ。


 あたしたちは日が暮れるのを待って、おそるおそる洞窟から這い出した。

 島の中で見た光景はもう察しているだろう? どこにいっても、無惨に切り殺されている海賊の死体ばかりだよ!


 あたしたちはすべてを失った。船も、頭も、アジトも、金も。言わせてもらえば、この際アドビスがスカーヴィズを殺したかどうかなんてどうでもいい。

奴がエルシーア海賊を根絶やしにしたことは確かなんだから! だから、奴に対する恨みは決して消えはしないんだよ、坊や」


 ストームはひたとシャインを見据えてから、大きくかぶりを振った。

 シャインはすぐに言葉を返すことができなかった。

 ストームの悲しみに満ちた緑の瞳を見ることで精一杯だった。


 何故、アドビスが海賊を捕らえようとはせず、その命を非情にも奪い続けたのか。その理由はなんとなくだが想像するのは難しくない。


 大義のためならそこまでしない。これは私怨の為せる技。

 アドビスもまた、あの夜かけがえのないものを失ったのだ。

 一度に二人も。


 スカーヴィズとリュイーシャ。

 どちらを愛していたのか。そんなことまでシャインにはわからない。


 けれど自分がアドビスと同じ立場なら、怒りの鉾先を必ずや海賊達に向けるだろう。理不尽だとわかっていても、天を恨みつつ、剣を振るうその手を止めはしない。

 ――エルシーアの海から、海賊という者達を一掃するまで。

 アドビスは今もその暗い思いに囚われたまま、ヴィズルと対峙するだろう。


「どうすればいい?」


 しわがれた声がやっと喉から出てきたが、口にできたのはこんな情けない一言だった。シャインの青ざめた顔を見つつ、ストームがさらに心苦しくなる言葉で追いうちをかける。


「どうすることもできないよ。これは避けられない戦いだ。あの二人が海にいる限り、いつか起きる現実だよ」


「ヴィズルの気持ちも分かる! だけど、大切な人を失ったのは彼だけじゃない。あの人だってスカーヴィズの事をきっと愛していた。そして……俺の母も同じように。だから……だから……なんとかできないのか?」


 ストームはうんざりとシャインから顔を背けた。


「あんたが出しゃばったって、せいぜい利用されるのがオチだよ。戦いたいっていうんだから、好きにやらせればいいじゃないか? えっ?」


 シャインは思わず立ち上がった。

 ストームの他人事のようにいう言い方に、顔が熱くなる程の怒りを覚えて。


「よくもそんなことが言えるな? 考えても見ろ。ヴィズルはあの人に復讐するためだけに生きてきた。二十年という歳月を、そのことのためだけに生きていたんだ。これでもし命を落とすことになってしまったら……あまりにも彼が哀れだ。復讐なんて考えなければ、彼はもっと違った生き方ができたはずなんだ! でも……」


 シャインは不意に口を閉ざしてうなだれた。

 握りしめていた左手を、顔を隠すように滑り落ちた前髪をのせて額に当てる。


「でも、なんだい?」

「……かといって、ヴィズルに今、あの人の命を奪われるわけにもいかない」


 シャインの言葉を聞いて、ストームが思わず吹き出した。

 その神経が信じられなくて、シャインは鋭い視線を彼女に投げ付ける。

 だがストームはそれにひるむことなく、しかし興味深けにシャインを見返した。


「おやおや……あんたの口からそんなことを聞こうとはねぇ。あんたはアドビスの事を嫌っていたと思ってたんだが。一体どうしたんだい?」


 どうして――。


 シャインは乾いた唇を無意識の内に噛みしめ、ストームを見下ろした。

 シャインの胸の中には、それに対する明瞭な答えはまだ出ていない。


 けれど、どうしても嫌だった。

 アドビスに死んで欲しくなかった。


「俺は……あの人の事を今まで全く知ろうとしなかった。けれどストーム。お前やツヴァイス、そしてヴィズル――いろいろな人達に会って、あの人の事を聞いて、もう少しであの人の事が理解できるかもしれないと思ったんだ。俺に見せてくれない、けれど、あの人の本当の姿を……」


「坊や――」


 ストームが膝に両手を添えて、ゆっくりとその場から立ち上がった。

 心なしか、その丸い顔にはシャインに対する同情が見て取れる。

 シャインは小さくはにかんで唇に笑みを浮かべた。


「そういうことで、まずはここを出なければ。ヴィズルはおろか、あの人を止めることができない。ストーム、脱走の算段をそろそろ聞かせてくれないか?」


 ストームは強ばった体をほぐそうと、両腕を上げて伸びをした。


「いいよ。決行は今夜といくかい? 坊や」

「ああ。よろしく頼む」


 シャインは大きくうなずいた。


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