4-38 等価交換

 早くこの建物から抜け出して、島のどこかにあるロワールハイネス号を探しに行きたい。だが――。


 シャインは牢屋の鉄格子越しにストームを見ながら、けれどそこから立ち去ることをためらっていた。


 ストームの言うように自分はロワールの居場所を知らない。見当もつかない。

この建物の中に、今どれだけヴィズルの手下がいるのかもわからない。


 牢に入れられる時、通った通路はそんなに複雑ではなかったが、見張りをやりすごせるような、身を隠せる物陰がなかったような気がする。


 シャインの現実を理解した心境を察したのか、錆びた鉄格子を両手で握りしめたストームが、再び猫なで声で口を開く。


「坊や、どうだね? あんたは船を取り戻したい。あたしはその隠し場所を知ってるし、ここを出るための手助けをしてもいい」


 シャインは油断なく辺りに気を配りながら目を細めた。

 ストームのことだ。きっと裏があるに違いない。

 けれど有益な情報を得るためには、それなりの見返りを払うのがこの世の中の仕組みでもある。


「取引と言ったな」


 そうシャインが言うのをストームはとても待ち望んでいたらしい。顔の中央で小さめの緑の瞳が、らんらんと力強く輝いてきた。


「他にも知りたいことがあれば教えてあげるよ。その分は別に手数料を頂くがね」

「金……か」


 別に意外な答えではない。むしろ彼女らしいというべきか。

 シャインが一瞬遠い目をすると、ストームは怒ったように頬を膨らませた。


「なんだい、文句あるかい? 言っとくけど、それ以外あたしと取引する方法はないからね! 何しろこっちは、保釈金の返還を頭に求められてるんだよ。1500万リュール」


 シャインは黙ったまま肩をすくめた。ストームという女は本当に金しか興味ないのだろう。となれば答えは一つしかない。


「折角の申し出だが一人でなんとかしてみるよ。第一今の俺は、1500万はおろか1リュールも持ち合わせがないんでね」


 シャインが再びきびすを返す。


「ま、待ちなって!! いいや、あんたは持ってるじゃないか。あの指輪を! ブルーエイジの指輪だよ」


 シャインがちらりとストームを見やる。

 指輪。

 重い右腕を左手で持ち上げ、包帯からのぞく右手の人差し指に視線を落とす。

 シャインが眉をしかめ、同じように鉄格子に顔を押し付けて、食い入るようにのぞくストームの声が重なった。


「「――ない!」」


 ガシャン、と鉄格子を揺さぶるストーム。


「ど、どこへやったいんだい!? あんた、そこにはめてたんだろ!」

「……」


 あれは死んだ母親の形見の品。

 そして、唯一アドビスが自ら手渡してくれたもの。

 どこで無くしてしまったのか。

 無くさないよういつもこの指に帯びていたのに。


 じっと自分の右手を見るシャインをよそに、ストームはあごが外れる程の大口を開け、そして全身から力が抜けてしまったように、鉄格子にすがったままずるずるとその場に座り込んだ。その落胆ぶりはさながら生ける屍のよう。


「あああ……。あれさえあれば――5000万リュールの値はついていたはずなのに――っ!」


 よほど悔しかったのか、ストームの頬には大粒の涙がとめどなく流れ落ちている。それを冷ややかに見ながらシャインは思った。ストームが自分に会いに来た理由を。

 腕の具合をみると言っていたがそれは口実で、本当は指輪が目当てだったに違いない。


「きっと眠らされた時に、誰かにとられたんだろう。悪いなストーム。これで俺は本当に、金目のものを持っていないことになる」


 うなだれていたストームが、ぶるっと全身で武者震いをした。


「――ああ、わかったよ!」


 鼻息荒くそういきまき、キッと視線をシャインに向ける。


「あの指輪はあきらめた! だが、あんたが無事にここから出られた暁には、いくらか……1200……いや、500万でいい! 代価を後から支払うっていうのはどうだい?」


 膝を立て、じりじりとストームは立ち上がった。その目には先程とは違って、別の強い意志が燃え上がっている。金への執念ともいえるほどの……。

 シャインはストームを哀れに感じた。


 きっと海軍に捕まったせいで、彼女の立場と威厳は海賊たちの中で一番低いものに墜ちてしまったのだろう。そんなことを考えながら、シャインはスト-ムに対して一つ腑に落ちないことがあった。


「ストーム、なぜ俺に構う? 俺がここから逃げ損なって捕らえられても、お前には関係ないことだろう」

「そ、それは――」


 ストームの目が泳ぐ。声も少し震えているようだ。

 反対にシャインは余裕を帯びた笑みを浮かべた。ストームが焦っている理由がわかった気がする。


「ひょっとして、ここへ来た事をヴィズルに知られたくないんだな?」

「……!!」


 ストームが分厚い唇を噛みしめて目を見開く。


「俺が逃げ損なって捕まったら、当然俺の代わりにこの牢にいるお前が疑われる」

「坊や……後生だから……」


 両手を顔の前で合わせ、ストームの緑の瞳がうるみだす。捨てられた子犬、もとい、しわくちゃの顔をしたそれのように。

 図星か。

 シャインは困ったように左手を上げて前髪を払うと、小さくため息をついてストームの顔を見た。


「――本当にロワールハイネス号の隠し場所を知っているんだな?」

「も、もちろんだよ!!」


 鉄格子を両手で握りしめ、灯火のような希望を見い出したストームの顔には喜色が浮かんでいる。


「坊や、この部屋の窓から外を見たかい?」


 シャインはうなずいた。


「ああ。外は海で、おそらくこの下は崖になってるんだと思うが」


「そうさ。この島は北側をのぞいて全部切り立った崖で覆われている。だが、ちょうどこの辺りは、崖と崖に隙間が空いていてね、あんたの船はそこに隠されているって寸法よ」


「……何だって?」


 シャインは弾かれたように牢の小窓を見つめていた。

 この真下にロワールがいたなんて。こんなに近くなら、彼女の気配を感じることができたはずだ。


 けれど。わからない。

 ロワールがそこにいる、という感じがまったくしない。

 船にいるときのように、いつもどこかで見られているような。

 あるいは自分に語りかけてくるような――心の声とか。

 シャインは額に手を当てて首を振った。当然の言葉が口をつく。


「本当なのか?」

「嘘をついてどうするのさ? あたしはあんたに船の隠し場所を教えて、無事にこの島から出てくれなきゃ、1リュールも金を手にできないんだよ!」


 こと金が絡むとスト-ムの鼻息は荒くなる。

 それに彼女の言い分はもっともだ。嘘をついたところで何の得にもならない。


「疑って悪かった。それで、船の隠し場所にはどう行けばいい?」

「この城塞を出たら崖に沿って西に向かって歩いて行けばいい。岩を削って作った下に降りる階段が見えてくる」

「ストーム……」


 感謝するように見つめるシャインへ、ストームは不敵に微笑した。


「だけどね、そう簡単に船をあそこから出すことはできないよ。なんせ、崖と崖の幅がとても狭いから、船を真っ直ぐに進ませないと出られないんだ」

「……」


 しばし押し黙ったシャインへ、ストームは安心させるように言葉を続けた。


「何、あんたの船にはレイディがいるじゃないか。彼女の力で船を動かしてもらえば何とかなるはずだよ。現にうちの頭は、船の精霊を操ってあそこに入れたらしいんだ。また聞きだから、確かな話ではないけどね」


 いいや、恐らくその通りだろう。ヴィズルならそれだけの力を持っている。

 シャインは左手を無意識に口元へ添えながら、ストームの話を聞いてよかったと思っていた。自力で抜け出し、ロワールを求めて島中捜しまわっても、ひょっとしたら見つけることができなかったかもしれない。


「ストーム、もう一つ聞きたいことがあるんだが……」


 肩を揺すってストームが笑い声を立てた。


「ふっふっふっ……。さっきの情報は、あたしを信用してくれるために無料、ってことにしておくよ。ここからは代価をいただく。あんたが無事に島から出られたら、あたしに700万リュール支払っておくれよ」


 驚いてシャインはストームを睨みつけた。


「ちょっと待て。さっきは500万だって言ったじゃないか!」

「700万。それ以上はまけられないよ」


 伏し目がちのストームの目が、したたかさをうかがわせるように妖しく光る。


「……」


 どうやら自分に選択の余地はないらしい。シャインは鉄格子の前のストームに歩み寄り顔を寄せる。


「……500万ということにしておいて、本当に抜けだせることができたら700万支払う」

「今度はだましっこなしだよ、坊や」


 シャインはゆっくりとうなずいた。

 ストームを信じている証拠に、牢の鍵を取り出して扉の鍵穴にそれを差し込む。

 カチリと小さな音を立てて鍵が外れた。


 ストームが扉から後ずさり、片手を上げてシャインを手招きする。

 シャインは静かに扉を開けて再び牢の中に入った。

 ストームが小窓のある西側の壁に背を預けて腰を下ろしたので、シャインも向かい合わせになるようにその場に座った。


「で、何を聞きたいのかい?」


 シャインはうなずいて答えた。


「ロワールハイネス号には俺の部下が乗っていたはずだ。彼等もここに閉じ込められているんだろう?」


 ストームは両腕を組み、記憶を探るように首をかしげた。


「ああ……連中かい。あいつらは頭が解放してやったよ。ちょうど三日前だ」

「三日前……それで?」


 この島に連れてこられた日だ。自分と行き違いになったらしい。

 シャインは先を話してくれるよう、ストームをうながした。


「頭が何を考えているのか知らないけど、浜に大型の雑用艇を浮かべてね、連中をそれに乗っけたんだ。自力でアスラトルへ帰りつければいいけれど……」

「待ってくれ、ストーム」


 乗組員が無事だったことに安堵しながら、シャインは別の不安が頭をもたげるのを感じた。


「まさか、ろくに食料や水を持たせず、このエルシーア海に放り出したんじゃないだろうな」


「それは大丈夫だろうよ。頭に言われたあたしが一週間分用意したからね。それにこの島は、思いのほかアスラトルの近くにあるんだよ。北に向かって針路をとり、あんたのスクーナー船なら約四日。乗組員を乗せた小船なら一週間ぐらいで帰れるはずだ」


「……そうか」


 まさかヴィズルのアジトの島がこんな近くにあろうとは。そして幸運な事に乗組員達は、すでにヴィズルから解放されていた。彼等がちゃんとアスラトルへたどり着けるかどうか心配であるが、乗組員の中には航海士のグラッドがいるし、士官候補生のクラウスも彼の補佐ができると信じている。


 ――皆が無事に帰れますように。

 シャインは胸の内でそっと祈った。


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