4-14 相容れぬもの(2)

「リオーネ。私は自らの責務を果たしているだけにすぎぬ」

「いいえ」


 先程よりずっと力強く、凛とリオーネが言い放つ。


「あなたはリュイーシャを失ってから、人柄が変わってしまいました。お気持ちは分かりますわ。私だって……つらかった。けれど姉は、あなたを助けたくて、生きていて欲しくて、術者の禁忌を犯したのです。それなのにあなたは……何かに憑かれたようにエルシーア海をかけめぐり、自ら戦いを求めておられるようでした。海軍の軍人としての務めだからという理由ではありません。あなたは……海賊を憎み、死に場所を探している……」


 アドビスはファイルから目を上げて、口元に不敵な笑みを浮かべた。


「海軍と海賊は本来相入れぬものだ。エルシーア海から海賊船の最後の一隻を駆逐するまで、私の戦いは終わらない」


「アドビス様……」


 リオーネはしばし口を閉ざし、肩を震わせた。自分を心配しているその心を察しながら、けれどもアドビスは敢えて彼女の方を向かず呟いた。


「だが二十年待った甲斐があった。そなたが胸を痛める事も、まもなくなくなるだろう」

「アドビス様、それは……」


 だがアドビスはリオーネの声に応えず、再びファイルへ集中した。リオーネが何か言いたげに自分を見つめる気配を感じる。しかしアドビスは顔を上げなかった。


 リオーネが小さく嘆息し、ケープの金細工が不機嫌そうに鳴る。軽く頭を垂れ、退出するためリオーネがきびすを返していった。

 その時、シャインの字を追うアドビスの目に、気になる一文が止まった。




『――アストリッド号には昔の仲間を乗り込ませた。水兵として五年間』


 アドビスは頬杖をついて青灰色の目をしかめた。

 さらに行を追う。


『――エルガ-ドもまた然り。信じていた者に裏切られる者の気持ちなど、あの男にはわかるまい』



 アドビスはファイルを閉じて、おもむろに立ち上がった。その慌ただしい音に、リオーネがアドビスの方へ振り返る。


「まさか……」


 アドビスの脳裏にひとつの可能性が浮かび上がる。

 新規に大量の人員を雇う場合、ノーブルブルーだと司令官であるツヴァイスの承認が必ずいるのだ。ツヴァイスは何も知らなかったのだろうか?


 だが事情を聞こうにも、アストリッド号の艦長兼、艦隊の総指揮をツヴァイスから任じられていたラフェールや、エルガード号艦長ディスポラ、ファスガード号艦長ルウム。この三人は船と運命を共にして既にこの世にいない。先日個人的に尋問した、士官の生き残りであるファスガード号副長のイストリアも、いきなり襲われたと繰り返すばかりで、実は海賊である水兵達が、どんな手段で船に乗り込んでいたまで知らなかった。


「アドビス様、大丈夫ですか?」


 リオーネの声にアドビスは我に返った。

 両手を握った拳に力が入っていたので、それを静かにゆるめる。


「大丈夫だ。少し、気になる事があってな。リオーネ、すまないがそなたに頼みができた」


 アドビスは将官服の上着の内ポケットを探り、銀の懐中時計を取り出した。

 蓋を開けて時刻を確認すると、19時をすぎたところだ。


「下の詰所へ立ち寄り、シャインを至急ここへ連れてくるよう言ってくれ」


 アドビスは執務席の引き出しを開けて、白紙の命令書を取り出しペンを走らせた。


「……アドビス様」


 机の正面に立っているリオーネが、いつになく浮かない顔で声を漏らした。

 アドビスが差し出した命令書を、蔑むような視線で見つめている。


「リオーネ、急いでくれ。私はあれから聞きたい事があるのだ」

「アドビス様。それは、海賊を捕らえるため……ですか?」

「そうだ」


 アドビスはいらいらした口調でつぶやいた。けれども片頭痛に襲われたように眉間をしかめ、重苦しい表情のリオーネは命令書を受け取ろうとしない。


「どうしたリオーネ。シャインは間借り先に戻っているはずだ」

「――どうして、あの子なのです」


 その細い喉から絞り出すような声は、じつに苦し気だった。

 リオーネは真っ向からアドビスを見据えていた。


「シャインはもう充分、自分の務めを果たしたではありませんか! 何故そっとしてくれないのです。あんなに辛い目にあったというのに。あなたは何一つあの子に優しい言葉をかけて下さらない。いつも、ご自分の事ばかり――!」


 リオーネは不意に口を閉ざした。感極まって大きく頭を振り乱しアドビスから目を背ける。


「リオーネ」


 アドビスは眉をしかめた。彼女の気持ちはわからなくもない。

 先月大切な弟子の一人である、海原の司を務めていたハスファルを、アストリッド号が襲撃された際に失ったばかりなのだ。その時の心労が重なり気が昂っているのだ。


 うつむいてしまったリオーネの、軽くウエーブした白金の髪の一房がぱらりとその青白い顔に落ちた。


「お願いです……あの子を、シャインを、あなたの憎しみに巻き込まないで下さい。私はリュイーシャのように、シャインを失いたくないのです」


 新緑の葉に宿る夜露のしずくが、リオーネの白い頬の上を伝っていた。


 アドビスはリオーネの流す涙を見ながら唇を噛みしめた。左まぶたの古傷が、この二十年、海賊を狩る事にかまけて作った体中の傷が、一斉に疼く。


 リュイーシャという名を聞く度に。

 その面影を色濃く見せつける、シャインのまなざしを見る度に。


 アドビスは傷の疼きをうっとおしく感じながら、できるだけ穏やかな表情を浮かべようと努力した。


「案ずるな、リオーネ。シャインにはただ、もっと詳しい話を聞きたいだけなのだ。シャインしか知らない事がある。それを私は聞かねばならぬ。だから、話が終わったら、当分あれを船に乗せない事を約束しよう」


「本当……ですか?」


 かすれた声でリオーネが言った。消え入りそうな、とても小さな声だった。


「ああ。何なら二人で<西区>の屋敷ですごせばいい。執事のエイブリーが喜ぶだろう。そなたも疲れているのだ。いろんなことがあったからな。ここを離れて、静かな場所で休むのだ、リオーネ」


 アドビスは席を立ち、リオーネの傍らへ歩み寄った。右手を彼女の細い肩へ回して扉へと導く。


「大丈夫ですわ……。取り乱してしまってすみません」


 ゆっくりと扉まで歩いてきたリオーネは、目をそっと伏せて頭を下げた。

 アドビスも思わず彼女へ軽くうなずいてみせた。


 リオーネは今までずっと、本当の母親のようにシャインの事であれこれと気を配ってくれていた。リュイーシャを死なせてしまった負い目から、父親らしく振る舞えない自分の代わりに。

 アドビスにとっても、リオーネの存在はとても大きかった。

 彼女がいなかったら、自分はもとい――シャインはどうなっていただろう。

 物思いに耽っていたアドビスの前に、リオーネがさっと右手を差し出した。


「命令書は出しておきます。けれど、アドビス様。シャインのこと、約束守って下さいませ」

「わかっている」


 アドビスは再びうなずいた。その約束を違えるつもりは毛頭ない。

 安心したリオーネが、やっと目元をゆるめて微笑んだ。


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