2-24 駆け引き
ストームはシャインの言葉に、口をあんぐりと開けて驚いていた。
「今……何て言ったのかい? よく聞こえなかったよ」
シャインは挑発的な態度でストームを見つめた。普段は穏やかなあの瞳さえも、今はなんと強気に光っていることか。
「海賊ジャヴィールは、お前の気を引くために俺達が打った芝居さ。お前を捕まえるよう命令を受けたんでね」
「ほんとかい?」
ストームの動揺をシャインはお互い様だと内心野次った。
こっちだって無名の海賊(ストーム)を捕らえるため、この四日間苦労させられたのだ。
ストームはシャインの首筋に長剣の刃を突きつけながら、値踏みするようにその顔を覗き込んだ。
「おや。明るい所で良く見たら随分見目のいい坊やじゃないか。今さっき、あんたはジャヴィールを『副官』って言ってたけど、ホントにあんたみたいな坊やが、あたしを――この『海賊ストーム』様を、捕らえる命令を受けたってのかい?」
「そうだ」
「ふうん。あたしも随分焼きが回ったもんだ。まあいいだろう」
ストームはシャインからジャーヴィスへ視線を向けた。
「確かにおかしいとは思ったよ。このジャヴィールってやつは、どうも海賊らしくなくてさ。お堅い海軍の人間だ、って言われたほうがぴったりくる」
「そういうことだ。だから、俺達はお前の言う“海賊の掟”とは関係ない」
それを聞いたストームは、いきなり大口を開けて、は、は、は、と笑い出した。
マストを震えさせんばかりの、よく通る声だ。
シャインはその迫力に一瞬気後れした。
「だからってあんた達を見逃せというのかい? 坊や。あんたは私を捕まえるんじゃなかったのかい?」
ストームは手にしていた長剣をシャインの首筋から鼻先へと突きつけた。
その刃の表面はしっかりと研がれて青白く光っており、ひとつの曇りもない。
シャインはストームを真っ向から見返した。
「部下の命には代えられない。シルフィードを返してくれ。そうすれば、今回はお前を諦める」
「艦長!」
たまらず後ろにいたジャーヴィスが叫んだ。
もう海賊ジャヴィールでいるつもりはさらさらないらしい。
「ちょっと坊や、まわりの状況を見てから物をお言いよ。どうみたってあんたらの命は、このあたしが握ってるんだよ? あんたはあたしと取引できる立場じゃないんだ」
ストームの言葉に、シャインはさもがっかりした表情で肩をすくめた。残念そうに彼女から視線を外し、小さく嘆息する。
「海賊だったら2000万リュールでその命を助けるのに、海軍とはその交渉の余地すらないのか?」
「なんだって?」
ストームが小さな目を目一杯見開いて喘ぐようにつぶやいた。
ジャーヴィスはシャインの考えが読めず、息を飲んで彼の背中を見つめた。
「おやおや……これは、
「お気遣いどうも。お前に船を奪われたら結果は同じでね。だったら、部下を返してもらいたいのさ。お前にとっても損な話じゃないと思うが?」
長い睫の影に縁取られたシャインの瞳が、意味ありげに、突き付けられたストームの刃を見つめていた。
そっと右手を上げる。
ストームが動くなと叱咤する前に、シャインの指は彼女の剣の刃をゆっくりと滑らせていた。
「きれいなものだね。血の曇りが全くない」
少しばかりの驚嘆を込めてシャインは呟いた。
「……あたし達はむやみやたらと人を殺さないんだ。よく覚えておきな坊や」
「それは失礼」
シャインはストームの敵意が込められた視線をやんわりと受け止めた。
軽く頭を下げて彼女に謝罪する。
ストームはシャインの行動に、態度に、戸惑っている様子だった。
気取られてはならない。
こちらに有利な取引へと持ちかけなければならないのだから。
その緊張感が自分の中で高まるのを感じる。
「坊や。あんたは命が惜しいのかい?」
シャインの真意を探るためだろうか。
先程までのふざけた態度がストームの言葉尻から消えた。
「それは勿論。やりたい事がまだ沢山ありますからね」
シャインはふっと言葉を吐いた。
ストームの足元でじっと痛みに耐えているシルフィードの具合を案じ、ジャーヴィスはきっと怒り心頭なんだろうなと思いながら、囚われの水兵達へと視線を巡らせる。
誰も失わせるものか。
決して、誰ひとりとして。
その命を。
ストームが口を開いた。
「この条件なら、あんたと交渉してやってもいいよ。そう、3000万リュールで手を打とうじゃないか。お頭にジャヴィールは、もうエルシーア海から逃げたと報告して、奴からもらうはずだった2000万リュールを彼に納めれば、それ以上の詮索はされないんでね」
「残りの1000万リュールが、お前の手数料か?」
「そうさ。もっとふっかけてもいいんだよ」
「いや……3000万なら大丈夫だ。いいだろう」
シャインは迷うことなく即答した。
それに驚いたのはジャーヴィスだ。ストームも目をぱちくりさせている。
「待って下さい艦長! そんな大金、どこにあるっていうんです?」
「そうだよ坊や。3000万といえば、あんたの給料でも払える額じゃあないだろうに」
ストームが身構えた。
「言っとくけど坊や。あたしを見くびらないでおくれよ。『ここにはないが、別の場所に金を置いてある』なんて言われて、ほいほいついていくのは駆け出しの海賊だよ。あたしゃ、そんな手には乗らないからね?」
「ああ。わかっている」
ストームが構える長剣の刃を間にはさみ、シャインはストームへ頷いた。
次の言葉を紡ぐ前に軽く息を吸って、気持ちを落ち着かせる。
「心配しなくても金はここにある。俺自身が、3000万リュールだからな」
「なっ……!」
ストームが再び剣の刃をシャインの首筋に突きつける。
「冗談にも程があるよ!」
「こんな時に冗談なんて言うわけないだろう! 現金はないが、俺の身代金をアドビス・グラヴェールに要求すれば、きっちり3000万リュール支払ってくれる!」
「アドビス……アドビス・グラヴェールだって……?」
ストームの顔から一気に血の気が引いていくのをシャインは見た。
エルシーア海で海賊をしているのなら、彼の名は聞いたことがあるはずだ。
エルシーア海から海賊を駆逐し、今もなお睨みを利かせているあの男のことを。
「どうしてあんたの身代金を、『エルシーアの金鷹』が支払うんだい。まさか、あんたは――」
「ストーム、お前がグラヴェール中将を知っているなら、この件から手を引いた方が身の為だぞ!」
ジャーヴィスの鋭い声が辺りに響いた。
「う……うるさいね! どうするかはあたしが決めるんだよ」
「お前が虜にしようとしているのは中将のひとり息子なんだ。彼の身代金を間違ってでも中将に要求してみろ! 海軍はどこまでもお前を追い続けるぞ!」
「ジャーヴィス副長!」
シャインはこれ以上ジャーヴィスにしゃべらせないよう鋭くその名を言った。
ジャーヴィスが驚いて口をつぐむ。
「黙っていてくれ。交渉は俺がしている」
「しかし」
シャインは縋るようなジャーヴィスの視線に向かって首を横に振った。
皆を助けるために、ストームにうんと言わせなければならない大切な交渉だった。
ストームの顔には明らかに迷いが生じ始めている。
父親の名を告げた時から危惧してはいたが、ここで交渉を打ち切られるわけにはいかなかった。
「ストーム。お前も知っている通り、『ノーブルブルー』(海賊拿捕専門艦隊)はジェミナ・クラスにいない。しかも、海軍は人手不足でね。だからお前のような小物は、本来後方業務の俺が仕方なく捕縛を命じられたのさ。こんなに力の無い海軍の状態はそう長く続かない。今が千載一隅のチャンスじゃないのか?」
ストームは分厚い唇をふるふると震わせ、迷っているようだった。
「坊や……今の海軍の状態はあたしもそう思うけどね。ただ、あたしのことを“小物”よばわりすることは許さないよ! あんたの父親が“金鷹”だろうが、知ったこっちゃないね。あたしは20年海賊をしてきたんだ。今更、海軍を怖がるなんて馬鹿馬鹿しい! 心配することはないよ、あんたの申し出を受けようじゃないか。アドビスの息子という素性もわかったことだしね」
シャインは満足げに微笑をたたえていた。
交渉の第一段階をクリアしたのだ。けれど、まだ気は抜けない。
「では、ストーム。シルフィードをまずは返してくれ。彼は治療が必要だ。大事な俺の航海士なんだ」
ちらりとストームが甲板に横倒しにされているシルフィードを見た。
ひどくつまらなそうに。
「そんなにこいつの腕が惜しいのかい」
「当たり前だ。優秀な人材を失うのは船にとって大きな痛手だ」
ストームは足元に転がっているシルフィードをじっと見つめ、やれやれと肩をすくめた。
「じゃ、さっさとあたしの船に乗るんだね。そうしたらこいつは返してやるよ」
ストームはあごで副頭領に、シャインを自分の船に連れて行くよう指示した。
だがシャインは首を振った。
「ちょっと待ってくれストーム。俺は逃げない。だがお前は海賊だ。俺がお前の船に乗れば、他の部下達を解放してくれるのか……確証が持てない。だからまずは、先にそちらの誠意を見せてもらいたい」
ストームはヒューっと口笛を吹いた。その分厚い唇を小さくすぼめて。
シャインの要求が気に食わない様子だ。
「だったらこっちも約束するよ。あんたがあたしの船に乗ったら、子分共を引き上げさせるって。それじゃあ駄目かい?」
ストームのしたたかさは底が知れている。
シャインはこの交渉に、一切、妥協するつもりがなかった。
「今すぐお前の手下を全員退去させろ。俺の部下はあのまま、ミズンマストの前で待機させる」
案の定、ストームは大口を開けてからからと笑った。
「バカ言うんじゃないよ。誰がそんな事を信じるかね!」
「……じゃ、嫌でもそうしてもらう」
シャインは静かに呟くと、突き付けられているストームの刃を素早く両手で握りしめた。それをぐいっと引き寄せて、自らの首筋にぴたりと押し当てる。
「な……なにをするつもりだい!」
ストームはシャインから剣を離そうと、柄を握る手に力を込めた。だがそれは吸い付いたようにシャインの首から離れない。
「お前が手下をまず先に退去させなければ、3000万リュールはここで消えるってことさ」
シャインの声は驚くほど落ち着き払っていた。動揺の欠片すら、その青緑の瞳には宿っていない。まるでこうなることを知っていたかのように。
いや、始めからそれだけを、ただそれだけを狙っていたのだ。
利用できる物はすべて利用する。それが自分の命であっても。
でなければ、生きている価値がない。
今まで生かされていた『意味』がない。
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