2-12 海賊ジャヴィール現る

「よーし、いっちょ、おっ始めるぜ~!」


 シルフィードはロワールハイネス号の船首を右に向けるべく舵輪を回した。

 目前には並んで浮かんでいる二隻の貨物船が迫ってくる。その距離が縮むにつれて、甲板の様子がはっきりと見えてきた。


 目につくのは、一様に赤っぽい(ただし、随分くすんでいる)色のバンダナを頭に巻き付けた人間だった。彼らは、白刃きらめく長剣を持ち、メインマスト中央部付近の甲板へ商船の船員達を集めていた。


 ロワ-ルハイネス号は商船――セレディア号の右舷側へ船体を寄せていった。

 シルフィードが船首を風上へ向けて速度を落としていく。まるで計算したかのようにロワールハイネス号はセレディア号へ横付けすると静かに止まった。



「さあ、いくぞ!」


 貨物船へ向かって一斉に鈎のついたロープが飛んだ。

 それは船縁へひっかかり、ロワール号の水兵達がたくましい腕力にものをいわせ引っ張る。船との隙間がみるみる狭まり歩き板が渡された。


「一気に乗り込め!!」


 今まで船縁の下に身を潜めていたジャーヴィスが、抜刃して貨物船の甲板へ下り立った。彼に続けとばかりに、半月刃を持った水兵達も乗り込んでいく。

 彼らの不意の出現に、海賊達は一斉に身構えた。


「なんなんだよ! オマエらは!!」


 上ずったかん高い声が響いた。

 ジャーヴィスは声のした後部甲板を見た。ロワールハイネス号と違い、二階部分がない水平な甲板なので、すとんと後ろまで見通せる。


 ミズンマスト最後尾の前に、ひょろっとしたまるでモヤシのような男が、両手で持てる位の大きさの樽を抱えて立っていた。


「無駄な抵抗はよせ。こっちはお前達を狙い撃ちできるんだからな!」


 不敵な笑みを浮かべたジャーヴィスは、そう叫ぶと抜身の長剣を振り合図した。

 ロワール号の各マストにある檣楼トップに待機していた見張りが、海賊達の足下めがけ一斉に威嚇射撃をお見舞いする。


「くそっ……!」

「うわぁあっ!」


 何人かの海賊は身にまとっていたマントに風穴を開けられて、肝を冷やし甲板へうずくまった。ある海賊は、自分の足下に開いた弾痕を見て真後ろにひっくり返った。


「おっ、オマエら……何者なにもんだぁっー!!」


 後部にいたあのモヤシ男は、絶叫して樽を抱えたまま、ゆっくりとジャーヴィスの方へ歩いてきた。どうやら、海賊としては貧相なこの男が頭領のようだった。


 肩を寄せて、ぶるぶると震えている商船の船員達を間に挟み、ジャーヴィスと赤い装束をまとった海賊達は睨み合った。




 ◇◇◇




『ようし、いいぞジャーヴィス副長。そのまま連中をひきつけてくれ』


 モヤシ男がジャーヴィスの方へ向かったのを確認して、シャインはロワールハイネス号の船尾の手すりへ上がり、セレディア号へと飛び移った。


 着地と共に猫のように身をひねって、セレディア号の舵輪の影に潜む。前方には船内へ下りるための開口部があり、その屋根が身を十分隠してくれそうだ。


『本当に何とかしてくれる? 本当に助けてくれるの?』

『大丈夫だから、もう大丈夫だから。誰もあなたを壊させたりしないわ……』


 おどおどしたか細い少女の声と、彼女を勇気づけようとしているロワールの力強い声が聞こえる。セレディアって、言っただろうか。

 彼女の姿が甲板にないところから、きっと船倉でひとり心細い思いをしているに違いない。


『本当に本当に……大丈夫? 早くあいつをなんとかして! あいつ、私の船長に、積荷を隠しているはずだ、出さないと船をぶっこわす! って、怒鳴ってたの。私……私……』


『大丈夫よ……セレディア。私、ちゃんと来たでしょ。私は海軍の船なんだから。だから、信じて。私の船のみんなを。きっと何とかしてくれるから』



 彼女達のやり取りを聞いて、シャインはふと思った。

 ロワールはセレディアの呼び声に気付いていた。多分、その姿が見える前から。


 たまたま、向かっていた方角と一致していたから、セレディア号を見つけることができたが。これがまったく反対だったら、彼女は自ら船を動かして、セレディアを助けに行っていたかもしれない。


 今後はこんなことが多々あるかも。

 シャインは軽くため息をついた。




 ◇◇◇




 一方、甲板では睨み合いが続いていた。


「オマエら、この船は俺達“赤鮫団”のエモノだぞ。後から来て横取りするなんて、海賊として恥を知りやがれ!!」


 薄汚れた赤い布をボサボサの頭に巻き付けたモヤシ男は、ひょろ長いその不健康そうな腕で、樽を小脇に抱え吠えた。


 赤鮫団――そんな海賊は聞いた事がないな。

 そう思いながらジャーヴィスは、反論しようとして開きかけた口を閉じた。


 我々は――。

 海軍だと正体を明かすわけにはいかなかった。

 今自分は、本当に不本意ながら“海賊ジャヴィール”なのだ。



「うるさい! 海賊するのに恥なんてあるか! それよりケガしたくなければとっとと失せろ。今なら見逃してやるぞ」


 ジャーヴィスは目一杯の敵意を込めて、モヤシ男を一瞥した。その気迫に一瞬気後れしたモヤシ男だったが、彼はもとのふてぶてしい態度に戻った。


「失せるのは、テメエの方だ……兄ちゃん。船を吹っ飛ばされたくなければ、黙って出ていきな!」

「何?」


 おもむろにモヤシ男は右手をズボンのポケットへ突っ込むと、小さな白い石を取り出した。


 発火石だ。

 それは表面を特殊な加工がしてあるので、擦り付けるだけで火がつく、携帯用の発火装置だった。


「火薬か。ふん……」


 モヤシ男が先程から大事そうに抱えている、樽の中身を察したジャーヴィスは目を細めた。モヤシ男のしようとすることがわかったロワール号の水兵たちは、お互いの顔を見合わせた。一抹の不安が彼らの中に広がっていく。



「火を着けたらどうだ? お前も一緒に吹っ飛ぶがな」

「なっ……なに言ってやがる……」


 ジャーヴィスはこうした脅しが二番目に嫌いだった。

 こんな事で臆してたまるか。

 怯む様子も見せず、モヤシ男に向かって歩き出す。


「とっ、とっ、とまれぇっ! 本当に吹っ飛びたいのかよ!」

「吹っ飛ぶのはだ」


 近付いてくるジャーヴィスに、モヤシ男はぶるぶる震えながら、樽をひっしと抱え後ずさった。彼の後ろには、後部ハッチ、舵輪があり、さらに下がれば手すりを乗り越え、海に落ちるしかない。


「とまれって言ってるだろっ!!」


 だが、ジャーヴィスは応じない。じっとモヤシ男を睨みつけ、手にした長剣を顔の前で構えた。


「うわあああっーーー!」


 その凍り付くような視線に耐えきれず、モヤシ男は樽に発火石をこすりつけた。

 ボッ! とオレンジ色の小さな炎が燃え上がった。

 その炎が男の顔に浮かんだ、ゆがんだ微笑を照らし出す。


「くらいやがれ!」

「……何っ!」


 モヤシ男が燃えさかる発火石を持ったまま、樽を持ち上げ、ジャーヴィスに向けて投げ付けようとした。


 その時。



「うがあ……!!」


 モヤシ男がいきなり顔面から派手に倒れた。

 ジャーヴィスはその手にしている発火石を蹴り飛ばし、火薬の入った樽から急いで離した。樽は素早くシルフィードが抱えて海の中へと投げ込んだ。


「……危なかったね」


 一瞬肝を冷やし、まだ顔が引きつっていたジャーヴィスは、目の前に立って小剣を持ち、微笑するシャインの姿をみとめた。


 シャインは後部甲板で物陰に隠れ、音もなくモヤシ男に近付くと、その剣の柄で後頭部を殴ったのだ。


「もう少し早く、やって欲しかったんですが。こうなる前に」


 ジャーヴィスは大きく息を吐いた。

 急に心臓がばくばくと鼓動していることに気付いた。

 いつモヤシ男が樽に火をつけて爆発させるだろうか。

 モヤシ男を船尾に追い詰めながら、今か今かとシャインの行動を待っていたのだ。


「すまない……さあ、残りの連中も片付けてしまおう。ジャヴィール頭領」

「それは、そういう言い方は……止めて下さいっ!」


 ジャーヴィスはすぐさま抗議した。




 ◇◇◇




 自称“赤鮫団”と名乗るこの海賊達(総勢18名)をしっかりとロープで縛り上げ、シャインはロワールハイネス号の船倉へ閉じ込めた。

 モヤシ男が倒れた時点で子分達の戦意は喪失していた。檣楼トップから甲板を狙う威嚇射撃が効いたのか、ほとんどの者がその場から動けずにいたのだ。


 ジャーヴィスは例の極楽鳥のふりふり帽子を目深に被っていた。そして未だに肩を寄せ合い、怯えた目つきでこちらをちらちら見ている、セレディア号の船員たちへ歩み寄った。


 ジャーヴィスが立ち止まると、船員達は彼とできるだけ目を合わせないように顔をそむけた。

 その仕打ちに――あくまでもジャーヴィスの受けた心境だが、心が立っていくようだった。


 投げ槍になりそうな自分をやっとのことで抑えて、ジャーヴィスは船長とおぼしき人物へ話しかけた。


「奪われた積荷があれば……戻しますよ」


 だが船長らしき人物(五十代の頭の薄い、苦労皺の目立つおじさん)は、こちらを見ようともせず、頭をぶんぶん振って、ひしと仲間にしがみついた。


「いらん! そんなものいらんから早くどっかに行ってくれッ! どうせお前も海賊だろうが!」


 ジャーヴィスは真っ青な瞳を悲し気に伏せた。

 実は……と、何度も言いそうになる自らの素性をやっとのことで飲み込む。


 今――私はエルシーア海軍のジャーヴィスじゃない。

 私は――。


「そうだ。私達は“海賊ジャヴィール”だ。三流茶葉の他に大した荷もないようなので、これにて帰る。お前達もまた海賊に襲われないよう気をつけるんだな」


 ジャーヴィスはそうつぶやくと、黒マントをさっとひるがえし、ロワールハイネス号へ乗り込んだ。


「えっ……?」


 何もしない彼に驚いたセレディア号の船長は、立ち去っていくロワールハイネス号と、拿捕された海賊船をぼんやりと見送っていた。


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