2-11 襲撃(2)

 ロワール。

 シャインから聞いた、この船に宿る“船の精霊レイディ”の名前。

 彼女は今の所、シャインにしかその姿を見せない。

 それがジャーヴィスも含め、他の水兵たちは少し悔しく思っていた。


「どうして彼女は、俺達に姿を見せてくれないんでしょうね~?」


 舵輪を握る航海長シルフィードが柄にもなく落ち込んでいたので、ジャーヴィスは『お前、大丈夫か?』と声をかけてしまうほどだった。


「俺の師匠のじいさまが言ってたんですぜ。『船の精霊レイディ』が見える人間は、船乗りがだって。俺だって船を操るのには、多少の自信があったんですけどね……」


 ジャーヴィスはシルフィードの隣に立つと、無精髭がぽつぽつと生えたその顔を眺めた。口元に意地悪い笑みを浮かべながら。


「顔じゃないのか?」

「えっ?」

「お前と艦長の決定的な差だ。船の精霊レイディなのさ」

「だあぁぁ~! それじゃ、俺は一生ムリ、ってことじゃないですか!」

「そういうことだ。諦めろ」

 


 彼女の存在は処女航海の時、実際に姿を見てわかってはいる。

 確かにジャーヴィスは実際ロワールと会って話をした。

 

船鐘シップベルを外して』


 彼女は自分が宿る『船鐘』のせいで、ロワールハイネス号が危険に晒されると思っていたようだが、船は無事に処女航海を終えて、ジェミナ・クラス港に着いた。

 甲板ではとても不思議なことがあったと後で詳細をシルフィードから聞いたが。


 シャインと彼女がロワールハイネス号を動かした時以来、ジャーヴィスは彼女の姿を見ていない。


 シャインに正式に紹介はしてもらったものの、残念ながら今は、ジャーヴィスにはロワールの気配の“気”の字も感じなかった。





 ◇◇◇




 シャインは引き出しを開けて携帯用の望遠鏡を取り出すと、それを掴んで海図室から出た。続いて黒いマントを風に翻しながらジャーヴィスが飛び出す。


「あっ、艦長。報告しようと思ったんです。ほら、右舷前方二時の方角です。エルシーアの貨物船が海賊に襲われています!」


 船首から走ってきたのは見張りのエリックだった。


「一時停船しているのかまったく船が動かないし、二隻ずっと寄り添っているので、どうしたんだろうって思ってたんですが」


 エリックの報告通り右舷前方約800リール(1リール=1メートル)先ぐらいの所に、白と赤の帆を持つ二隻の船影をシャインは認めた。


「ストームでしょうか?」


 シャインは携帯用の望遠鏡で船を見た後、小さく首を横に振った。


「違うな。帆装は両方横帆船ブリッグだ。ストームは二本マストの縦帆船、スクーナーだから……」


 シャインは隣にいるジャーヴィスへ一言命じた。


「東へ針路変更だ」


 だがジャーヴィスはすぐに動かなかった。

 じっとシャインを見つめていた。


「やはり、助けに行くのですか? ここで寄り道すれば、アバディ-ン商船の定期便を襲えなくなりますよ」


 シャインはふっと笑った。彼の言う事は最もだった。

 でも何を重視しなければならないか。その答えだけは明確だ。

 シャインは日の光にエルシーア海と同じ青緑の瞳を煌かせてジャーヴィスに告げた。


「仕方ないさ。マリエステル艦長には後で詫びをいれる。それとも君は、黙って見過ごすことができるのかい?」

「いいえ。我が国の商船が海賊に襲われているのに、見捨てるマネなんかできません」

「よし、じゃあ決まりだ。上手回しをして向きを変えたら、戦闘準備だ」

「はっ」




 ◇◇◇




 ロワールハイネス号の甲板は、一気に慌ただしくなった。

 三本の各マストには、それぞれの担当の水兵がつき、上げ綱を持ち上げるとジャーヴィスの合図とともに帆の向きを変えていく。


 シルフィードの巧みな舵さばきでロワ-ルハイネス号は時計回りに旋回し、今まで受けていた右舷からの風を今度は左舷から受け、東への方向転換を無駄なく終えた。



「みんな武器を取ったら左舷側で待機だ。姿勢を低くして姿を隠していてくれ。見張り担当の者は、銃を持ってマストの檣楼トップに上がってくれ」


 自らも小振りの小剣を手にしたシャインは、それぞれの部署へ指示をして回っていた。あの二隻との距離ははや、200リール程に縮まっている。


 目をこらせば人影らしいのも見えるし、右の貨物船がエルシーア国籍の旗を上げているので、左側の赤色の帆を持つ貨物船の方が海賊船であることは確かだ。



「シャイン、早く助けてあげたほうがよさそうよ。なんか、あの海賊の親玉、怒っているみたい」


 後部甲板への階段を上り前を見ていたシャインに、ロワールが話しかけてきた。

 シャインは彼女の姿を見て安堵した。

 口調ははきはきしているし、その姿も人間と同じように見える。

 何より彼女は生気に満ちていた。


「大丈夫そうで安心した」

「えっ?」


 ロワールは一瞬わけがわからないという風に水色の瞳を見開いたが、すぐにそれを細めて微笑した。


「ありがとう。私はいつだって大丈夫~。なんたって『船の精霊レイディ』は、私を心から愛してくれる人達の『想い』で生かされているんだもの――知ってるでしょ?」


 鮮やかな紅の髪を風に舞わせその中でロワールが微笑む。

 何の見返りも求めず、本心からの笑顔を見せてくれるのは彼女だけかもしれない。

 シャインは戦闘準備中だったことも忘れ、暫しロワールに見入っていた。


「ちょっとシャイン! 何、ぼーっとしてるの? 早くセレディアを助けなきゃ!」


 頭に軽い衝撃を覚えた。

 ロワールが拳を握りしめて、シャインの頭を叩いたのだ。


「あ、ああ。そうだった。って、ロワール」


 我に返ったシャインはロワールに尋ねた。


「何で船名がわかるんだい? まだそこまで俺には……見えないんだけど」


 ロワールハイネス号は襲撃を受けているエルシーアの商船の左舷側へ近づいている。よって船尾に書かれている船名のプレートは見えないはずなのだ。


「セレディア号の『船の精霊レイディ』が、私に教えてくれたのよ。あ、セレディアは襲われている貨物船の方よ。赤い帆の――あの薄汚れた、きったない船に精霊はいないわ」


 シャインは舌を巻いた。

 思わず緊張を解いて、感心したようにロワールをながめる。


「本当なんだ。君達って――これぐらいの距離で会話する事ができるんだ」


 おやとロワールが細い眉をしかめてシャインを見上げた。


「あ、何。今、シャインったら、の『船の精霊レイディ』の事、考えてたでしょ?」

「ええっ? いやそんなことない」


 脳裏をアバディーン商船の精霊――メリィの姿が過っただけなのだが。


「しまった、って何焦ってるの? 確かに私は――彼女に比べたら……」


 顔を下に俯かせロワールは自らの体に視線を巡らせた。


「もうちょっと、時間がかかるわよね……私はまだ、新造船だし……」

「ええと、ロワール」

「何?」

「ちょっとセレディアに聞いて欲しいことがあるんだ」


 シャインは無理矢理話題を変えた。

 ロワールはふふんと口元に笑みを浮かべると、両手を後ろに回してシャインの顔を覗き込んだ。


「いいわ。この話はまた後で」


 シャインは額に手を当て軽くため息をついた。

 メリィの言う通りだ。

 確かに船の精霊というのは、嫉妬深い――。


「シャイン?」


 ロワールの顔は笑みを作っているが、目が全く笑っていない。


「ああ、すまない! ええと、セレディアに聞いてくれ。海賊たちは何人いるかって!」


 船の精霊は心を読む。何度同じ失態を晒せばいいんだろう。


「わかったわ。聞いてみる。だけどその代わり」


 黙って立っていれば可憐な少女が、やはり目が笑っていない氷の微笑でシャインに告げた。


「私にあなたの時間を少しくれる? 後でお話しましょう。いいわね、シャイン」

「……ああ……」


 背筋に冷たいものが伝っていくのをシャインは感じた。

 ロワールはシャインの動揺に満足感を覚えたのか、ふふんと口元に笑みをたたえ瞳を閉じた。


 じっと集中する。

 目の前に刻々と近づく貨物船――セレディア号へ自らの言葉を伝えているのだろう。やがて彼女の水色の瞳が再び見開かれた。


「シャイン、わかったわ。相手は18人よ。だけど海賊の頭はすごく興奮してて……船尾を早く押さえろって、セレディアが言うの。何で? って、聞いたんだけど、彼女ちょっとパニックに陥っちゃって……」


「ありがとう。船尾で何やっているんだな。セレディアを怖がらせるようなことを」

「そうなの」

「わかった。じゃ、後は俺に任せて、君はマストの上から高みの見物をすればいい」

「へー、自信満々ね」

「そういうわけじゃない」


 シャインはロワールと別れて船尾の舵輪の方へ行った。そこにはシルフィードとジャーヴィスがいる。


「ジャーヴィス副長、シルフィード航海長。君達に頼みがあるんだ」


 二人は怪訝な顔をしてシャインを見つめた。




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