2-9 苦労人とお調子者

 シャインは昨日港湾事務所から拝借してきた小船を、自分で漕ぎながらロワールハイネス号を後にした。ジャーヴィスはその姿が小さくなるのをメインマスト前の甲板で見つめていた。



「艦長、今日も朝っぱらから、一人でどっかに行ったんですか?」


 声の主は航海長のシルフィードだった。

 背後に気配を感じたジャーヴィスは、ちらりと後ろを振り返った。


 航海長は例の海賊ルックは着ておらず、真っ白な丸首のシャツに、紺の地味なズボンといった格好だった。


「どうしたんです? 浮かない顔ですね」

「……」


 ジャーヴィスは黙ったまま左舷の縁に手をつき港を眺めた。朝霧はすっかり晴れて視界は良好だ。大小さまざまな船が錨泊しているのが見える。

 ジャーヴィスが佇む隣へシルフィードが並んで、同じように船縁へ手をついた。


「何もできない自分が、歯がゆくてな……」


 喉の奥から声を絞り出すようにつぶやくジャ-ヴィスを見て、シルフィードが顔をしかめた。


「いいんですかい? このままで」

「どういう意味だ?」


 隣に並んだシルフィードを思わず見上げると、彼の人懐こい緑の垂れ目が気まずそうに細められた。


「今回の命令――考えてみれば変じゃないですか? 俺達は後方支援使い走りなのに、いくらロワール号が快速船とはいえ、海賊退治なんて命令おかしいじゃないですか」


ジャーヴィスはため息をついた。


「ふん。意外とカンがいいんだな、お前は」


 それをシルフィードは、単純に褒め言葉として受け取った。


「へへ……やばいことには鼻がきくようになってるんで」

「じゃ、お前のカンは大当たりだな。我々は早くて明日、ストーム拿捕のためにアバディーン商船の定期便を、あくまでもだが襲う事になった」

「なっ……なんですって?」


 シルフィードが一瞬絶句した。



「確かグラヴェール艦長は、海賊ストームを捕らえるためには、『海賊ジャヴィール』というのが、エルシーア海を荒らしているっていう噂があればいいって言ってましたよね?」


「噂ではストームが動かないかもしれない。だから既成事実を作るために、芝居を打つ必要があるとのことだ。まあ、どうせあの人の事だ。最初からその計画だったんだろうがな」


「海賊のまねごとをしなくてはならなくなったのか……まいったなぁ」


 シルフィードがため息交じりに呟いた。伸ばしっぱなしの黒髪を一纏めにした頭を、がしがしと右手で掻く。


「気持ちは、わかる。みんな反発するだろうが、これもストームを捕まえるためにやるしかないんだ」

「でも副長。本当にそれで『海賊ストーム』っていうのは、出てくるんでしょうかね?」

「それは――」


 ジャーヴィスは口ごもった。

 その事は勿論ジャーヴィスも懸念していた。

 シャインは自分の計画を推し進めているが、もしも、それが失敗した時。

 彼は他の代案を考えているのだろうか。



「私も心配している。だからこそ、腹立たしいんだ!」


 ジャーヴィスは右手の拳を振り上げ、それを船縁へ叩き下ろした。


「あの人が艦長だ。私がとかく意見すべき立場ではないのはわかっている。でも行き詰まった時は相談してくれるなり、意見を求めるのが普通じゃないか?」

「ふ、副長……」


 ジャーヴィスはシルフィードが驚いたように自分を見ていることに気付いた。


「なんだ? 私の言う事は間違っているか?」

「いえ。そうは思っていません。ただ……」

「ただ――何だって?」


 シルフィードは唇を引きつらせながら、ジャーヴィスをうかがうように呟いた。


「副長の機嫌が悪いのは、別の理由があるからかなと思いまして」

「別の理由……」


 ジャーヴィスははっと我に返った。


「そうだ。お前の言う通りだ。シルフィード!!」

「へっ、いや、は、はいっ!」


 突然名前を呼ばれたシルフィードが船縁から手を離して直立不動の姿勢を取る。


「シルフィード。お前も今朝、私が焼いたパンケーキを食べたな?」

「え、ええっ? あ、はいっ!」

「不味かったか?」


 両腕を胸の前で組みジャーヴィスはシルフィードを睨み付けた。


「と、とんでもねぇです! 俺はあんなに美味しいパンケーキを食べたのは生まれて初めてですぜ。クラウスの奴なんか、感動して『副長は冷たい人なのに、こんなにあったかくて素晴らしい料理を作るんだ~~』って、鼻水流しながら泣いてましたぜ。そうそう。昨晩のじゃがと季節野菜のスープ、仔牛の香草焼きだって、俺達はおかわりを巡って、互いの血を流すほどの争奪戦を繰り広げたんですぜ。俺は負けちまいましたけど」


 ジャーヴィスは深く息を吐いた。

 褒めているのかけなしているのか分からないシルフィードの感想は別として。


「艦長は最近私の料理を食べてくれないんだ。処女航海の時はまだ普通だったんだが」


 シャインの食事はとかく不規則なのだ。ジャーヴィスは料理が一番美味しい出来立てを艦長室に届けるのだが、当の本人がその意図をくみ取ってくれない。


一時間後、料理の皿を下げに部屋に入ると、丁度食事中だったりする。冷め切った料理を平然とシャインは食べるのだが、ジャーヴィスはその姿を見るのが料理人として悲しくもあり、切ないのである。


 ただ航海中は風が変わったりして、一晩中甲板に出ずっぱりになり、まともに食事を摂れないことがある。


 シャインも十四才の頃から船に乗っているから、食事は食べられる時にするという食生活になってしまったのだと思われる。


「それが、副長の機嫌が悪い理由ですか」


 ジャーヴィスは今にも殺人光線を出しそうな視線をシルフィードに向けた。

 大男が唇を引きつらせて体を硬直させる。


「当然だ。絶対スコーンより、私が焼いたパンケーキの方が美味しいに決まっている!」

「そうですよ。グラヴェール艦長は……ほら、新任だし、初めての捕物の命令を受けてきっとそれで頭がいっぱいなんですよ。ここは副長、あなたがしっかりしないと」

「う、うむ……」


 ふざけた外見とは裏腹にシルフィードがまともな事を言ったので、ジャーヴィスは再び握りしめていた右の拳を解いた。


「確かにそうだな。艦長と同じ立場なら、私も捕物のことで頭が一杯になると思う」


 ジャーヴィスはふと思い出した。

 海賊ストームの捕縛はできれば一週間以内、とシャインが言っていた。


 命令を出したのはツヴァイス中将だが。シャインは彼の頼みを断る理由がなかった、とも言っていた。

 理由はないが、理由が何かあったのか――?


 ジャーヴィスは空を仰いだ。

 雲間に光が筋状に差して海面をきらきらと輝かせている。

 

「今の私にできるのは、艦長の作戦が成功するよう祈ることだけしかなさそうだ」


 ここでいくら叫んでも仕方がない。


「俺もそう願いますぜ」

「シルフィード。すまなかったな。私の癇癪に付き合わせて」


 シルフィードは大きめの口を少し歪めてにやりと笑んだ。


「俺で良ければいつでも構いませんぜ」


 ジャーヴィスは軽く拳でシルフィードの厚い胸板を小突いた。


「よし、シルフィード。全員甲板へ集めてくれ。アバディーン商船の定期便をロワールハイネス号で襲撃する作戦を、皆に説明する」

「了解しました」


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