2-5 不協和音

 日もすっかり落ちた19時ごろ。

 商港には、停泊中を示す船が掲げる白い光が、ぽつぽつと灯っている。


 その船の間をぬってシャインは、港湾事務所から拝借してきた小船ボートをロワールハイネス号の船体へそっと寄せた。


「17時30分帰艦の命令だぞ、何をしていた!」


 副長ジャーヴィスが舷門げんもん(船中央にある出入口)で仁王立ちして怒っている。


「すまない、すっかり話し込んじゃって……」


 その声にぎょっとしたジャーヴィスは、甲板に上がってきたシャインに慌てて塞いでいた場所を譲った。


「艦長すみません。てっきり、シルフィード達かと思ったので」

「いいんだ。俺も遅くなっちゃったし。そうか、まだ帰ってきていないのか」


 シャインは当直をしていた若い水兵に、小船を船尾に回しておくよう頼むと、薄暗い甲板を歩き出した。その後をジャーヴィスが追う。


 シャインの足は甲板の障害物を平然と避けてゆく。どこに何があるのか体で覚えてしまっている。ふとシャインは足を止めた。


「戻ってきていないのは、シルフィードと、エリックと、スレインだよね」

「は、はい。どうせ、あのお調子者のシルフィードのことです。きっと酒場で飲んだくれているに違いない! これから行って連れ戻してきます」

「ああ、彼らはいいんだ」

「……はぁ?」


 ジャーヴィスが何事か、理由を尋ねようとしたときだった。

 水をかく櫂の音が聞こえた。船体にどすんと何かが当たる鈍い音がしたかと思うと、シャインは思いきり顔をしかめた。


「酔ってることは確かだ。船にぶつけたのは感心しないがね」


 甲板に三人の水夫が上がってきていた。停泊灯に照らされたその姿は、間違いなく、シルフィード航海長達だった。


 例の筋肉を強調する服――海賊ルックに身を包んだ航海長は、ジャーヴィスの突き刺すような視線にたじろぎながら、シャインの元へやってきた。


 つんと安酒のにおいが鼻に付く。ほろ酔い程度に飲んでいるらしい。

 見る間にジャーヴィスの眉間の縦ジワが深くなった。


「飲みすぎだ」

「ご苦労様。首尾はどうだったかい?」


 シャインはジャーヴィスを遮り、シルフィードに話しかけた。

 シルフィードは少し疲れている様子だったが、白い歯を見せて、にやりといつもの笑みを返した。後ろにいるエリックとスレインも、同じように微笑している。


 エリックは細身の二十代の青年で、ちょっとチンピラ風を装っている。

 一方スレインはシルフィードのような筋肉質の体型で、ヒゲ面のイカツイ大男だ。


「取りあえずめぼしい酒場や市場で、海賊ジャヴィールのことを、あることないこと話してきました。しかし……」


 シルフィードは冴えない表情で言葉を続けた。


「どの酒場もおかの人間ばかりで、海賊が出入りしている様子はありませんでしたぜ。海賊ストームという名前も、知っている人間はいませんでした」

「ありがとう。じゃ、後で報告書を出してくれ」

「了解しました」

「あ、そうだシルフィード」


 シャインはスレイン達と共に下甲板へ行こうとしたシルフィードを呼び止めた。


「なんでしょうか」

「君の出身は確か、ジェミナ・クラスだったね」


 大男はこくりと頷いた。


「ええ。十二才まで水先案内で生計を立ててました。ジェミナ・クラス港のことなら何でも聞いて下さい」


 シャインはシルフィードを見上げた。

 彼はロワールハイネス号の乗組員の中で一番背が高い190センチ超えのだ。

 おそらく、父アドビス・グラヴェールと同じくらいに。


「ルシータ通りを知っているかい? あそこに海賊達が出入りしている酒場があるらしいんだ」

「ル……通りですって!?」


 シルフィードの緑の垂れ目が驚きのあまり大きく見開かれた。


「ちょっと危険な所らしいが、明日行ってみて様子を探ってこようと思うんだ。場所を教えて――」

「グラヴェール艦長! 駄目ですって!! あんた、命取られますぜ!」


 シルフィードが温和な表情を豹変させて叫んだ。


「あそこは――盗人や殺人、強盗に海賊――脛に傷を持つ連中が、真昼間からうろついているんですぜ。まっとうな住人なら決して足を踏み入れない所なんです! まさかと思いますが、軍服なんか着てあの通りに入ったら……」


 シルフィードが右手でナイフを握り、突き刺す仕草をした。


「夜明けのジェミナ・クラス港に、あなたのが浮ぶことになりやすぜ」

「……」


 シャインは両腕を組んだ。

 シルフィードが脅かそうとして言っているわけではないということは理解している。


「そうか。教えてくれてありがとう。ルシータ通りへ行くことは見送った方がよさそうだね」

「見送るって――艦長、絶対一人では行かないで下さい! ホントに命の保証ができねぇんですからね」


 シャインは頷いた。


「今夜の所は、皆が集めてくれた情報を整理することにする。じゃシルフィード、早速報告書を書いてくれ」

「わ、わかりました」


 すっかりほろ酔い気分が覚めてしまったシルフィードは、右手を額に軽く当ててシャインに挨拶すると、下甲板へと降りて行った。



 ◇



「グラヴェール艦長」


 シルフィードが立ち去ると同時に、沈黙を守っていたジャーヴィスが口を開いた。


「なんだい?」


 ジャーヴィスの顔も先程よりずっと青ざめていた。夜の闇のせいではなく。


「シルフィードの言ったことは本当です。私も噂程度しか知りませんが、ルシータ通りに間違って入ってしまった住人が行方不明になる事件は、いくつか聞いたことがあります」

「わかった。ルシータ通りでの情報収集はやめておく」


 ジャーヴィスが大きく息を吐いた。


「そうしていただいた方が賢明です。不要な危険に身を晒すことは愚者のやることです」

「それは……俺の事かい?」

「あなた以外にがいますか? いいですか、艦長」


 ジャーヴィスは普段の高飛車な彼らしくなく、心からシャインの身を案じているようだった。


「副長の立場でこんなことを申し上げるのは間違っていると先に謝罪します。ですが、それでも一言言わせて下さい」

「許可する」


シャインは頷いた。


「ありがとうございます」


 礼を述べたジャーヴィスは押し殺した声で呟いた。


「今回の任務はおかしいです。何故、後方支援の我々が、海賊を捕らえる命令を受けなければならないのですか? しかも命令者はツヴァイス司令官だそうですね。我々はアスラトル軍港に属します。特別なことがない限り、彼から命令を受ける義理は全くありません」


 シャインはジャーヴィスの言う事に沈黙で返した。

 そう。すべて彼の言う通りだ。


 ツヴァイスの命令を受けたのは、シャイン個人の一存だ。

 あの『船鐘シップベル』について知りたいことがある。それを教えてもらう見返りに――。


「君の言う事は尤もだ。けれどアスラトル発令部の許可は下りている。ツヴァイス司令直々の依頼で、ジェミナ・クラスの人員では人手が足りないと言う事で協力の要請を受けた。俺には断る理由がなかった。それだけだよ」


 シャインはジャーヴィスの脇を通り抜けた。


「皆の報告書は部屋に置いてくれているんだろうね?」

「はい。しかし、艦長――」

「話は以上だ。俺は部屋に戻る」


 シャインは無言で足を進めた。

 ジャーヴィスは何を気にしているのだろう。


 ツヴァイスは海軍内でアドビス・グラヴェールと犬猿の仲であるということぐらいしかマイナスイメージはない。


 寧ろ、ツヴァイスはアドビスに継ぐ実力者でもある。四十になったばかりの最年少の中将で、しかも大型軍艦を四隻擁する「海賊拿捕専用艦隊ノーブルブルー」の艦隊司令官でもある。


 シャイン自身もツヴァイスに会うまでその人柄は良く知らなかったが、今回の命令について不審な点は感じられなかった。寧ろエルシーアの国益のために、彼は海賊の情報を独自に集めて、自らの職責を果たそうとしている。


 やはり、原因はアレだろうか。

 アレに違いないだろうな。

 ジャーヴィスは『海賊ジャヴィール』を演じるのが嫌なんだろうと思う。


 艦長室に戻り、シャインは応接用の長椅子に腰を下ろした。

 行儀が悪いが机に脚を投げ出す。今日は丸一日歩いて過ごした。

 椅子に座ると立つのが億劫になるほど倦怠感を覚えた。


「さてと。折角皆が集めてくれた情報を精査しないとな」


 シャインは長椅子から立ち上がると、ちらりと執務机を一瞥した。

 そこにはジャーヴィスが用意してくれた紙の束が置いてある。

 今夜は長い夜になりそうだ。


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