1-28 裏切り者

「シャイン!」


 ロワールの警告の声を聞くまでもなく、シャインは背後を振り返った。


「あら~皆さんお揃いだね」

「まあ、総出のお出迎えで恐縮ですわ」


 ジャーヴィスの報告では船酔いにかかって身動きできない――とされている水兵のラティとティーナだ。


 白いシャツとズボンを着た作業服姿のラティとティーナは至って元気そうだった。相変わらずつけまつげをつけ、紅を差して化粧をしているので、ドレスを纏えば誰もが振り返る見目麗しい女性のようだ。だがその作り物のかおの下にある本性を彼らはついに見せた。


 シャインが彼らを凝視したのは無理もない。

 ラティが艦長室にいるはずのディアナを連れ出し、その首筋に短剣を突き付けて立っていたからだ。


 ディアナの顔は青ざめ唇は真一文字に結ばれている。

 かろうじて出そうになる悲鳴を堪えているのだろう。


「どうしてディアナ様を?」

「……シャイン様」


 シャインの視線に気付いたディアナが声を漏らす。


「おっと。動いたら手元が狂って、その綺麗な肌に傷がついちゃうからね」


 声色は女でも体は男。

 ラティはがっしりとディアナの肩を掴み、その耳元へ囁いた。

 小さく含み笑いをその顔に浮かべながら。


「はい。ディアナ公爵令嬢のお命が惜しかったら、お下がりくださいな。グラヴェール艦長」


 微笑みながらティーナが手にしていた六連発銃をシャインへ向けた。

 それはエルシーア海軍では使用していない武器だ。

 元より武器は武器庫に保管されシャインが鍵を持っている。明らかにティーナが自分で船に持ち込んだものだろう。


「お前達の目的は何だ」


 シャインは鐘楼の前に立っていた。

 ティーナとは五歩ぐらいの距離しか離れていない。

 彼らの注意を逸らすことができれば反撃の可能性があるが、今の状況だとティーナが引き金を引く方が早い。


「目的……そうですわね」


 しみじみとため息をつきながらティーナが首を傾げた。

 銃の狙いを油断なくシャインの心臓につけながら。


「引き金を引いてあなたの命を奪う方が余程簡単なのですけれども……主人の命令はそうじゃなくて」

「主人?」


 ティーナが開いた左手を頬に添えて艶っぽく小首を傾げる。


「あなたにの恨みはございませんわ。いえ、大きなくくりで考えるとあるのかしら。ただ私達は、ロワールハイネス号の処女航海を『失敗』させるのが仕事でしたの」

「なんだって?」


 シャインは息を飲んだ。


「今まで起きたロワールハイネス号のトラブルは、お前達の仕業だったのか?」

「トラブルったってそんな大した事じゃなかったでしょ?」


 ラティが甲高い声で笑った。


「船乗りなんて迷信の塊。まあ、それを利用して命名式の邪魔をしたり、ロープの一本や二本切れたぐらいで大騒ぎしちゃってさ! そこのシルフィード航海長がみんなして脱走計画を企てていることを知った時は、海に出ることなく仕事を終わらせることができると思ったのにね」


 ラティがぎりと歯を噛みしめた。


「あの糞真面目なジャーヴィス副長が、『ロープを切ったのは自分だ』って言い出したものだから慌てたよ」

「まさか、命名式の時、俺を狙撃したのは」


 シャインの問いにラティが頷いた。


「はいはい~アタシさ。まだあの時は正式にロワールハイネス号の水兵に登録されてなくてね。まあ祝酒のビンを割り損なって命名式を失敗するのは、船乗りなら絶対に避けたいことだからね。効果絶大で笑いが止まらなかったよ」


 ラティの言葉にシャインはすべてを理解した。

 命名式での狙撃事件。転属願いを出した水兵達を、ジャーヴィスがどうやって説得したのか。


「なんて酷い人たちなの!」


 ラティとティーナの仕業に耐え兼ねたのか、ロワールが紅の髪を振り乱しながら二人を睨み付ける。


 ロワールの怒りをシャインは自分も感じることができた。

 彼女は乗組員の身の安全が脅かされることを一番恐れている。


 ティーナとラティから視線を外さずに……けれどシャインは嘆息した。

 彼らにロワールハイネス号の処女航海を失敗させろと命じたのは誰なのだろう。


「なるほど。一つ聞きたいが、俺は一体誰に恨まれているんだろうね?」

「それは存じませんわ。私達には関係ありませんもの」


 ぴしゃりとティーナが言い放つ。

 ここで『主人』とやらの話を語るつもりはないようだ。


 シャインは顔をしかめながら腕を組んだ。

 右手の掌の切り傷からまだ血が流れている。シャインは右手を握りしめた。


「操舵索を切断したのも君達が?」

「ええ。そのために船酔いのフリをして船室にいましたの。ああそうだわ。シルフィード航海長とクラウス士官候補生にも今回はご協力いただきましたの」

「どういうことだ?」


 ティーナに突然名前を出されたシルフィードとクラウスがその場で固まっている。


「い、いやあの……俺はただ……」

「艦長、すみません!」


 クラウスが青ざめながら口走った。


「ラティが言ってたんです。ロワールハイネス号のトラブルの原因は、副長が水兵達を船に戻すために言った嘘だって。だから、処女航海で本当のトラブルが起きる前に、操舵索を切断して船を操船不能にして、これを理由にアスラトルへ帰港させれば、再出港までの時間が稼げる。その間に転属希望の書類を出せば、ロワールハイネス号には乗らなくて済むからって……」


「グラヴェール艦長。クラウスの言う事は本当です。俺も……正直怖かったんです。この世に『絶対』っていうもんはないですから。だからラティとティーナに協力して、二人は船酔いで寝込んでいるって、ジャーヴィス副長に嘘の報告をしたんです」


 しおらしげにシルフィードが頭を下げた。


「そのせいで船を操船不能にしちまいました! 本当に申し訳ないことをしてすいません!」

「……」


 シャインはその場でがっくりと膝をついて、顔を伏せたシルフィードを見つめた。

 彼を責める気はない。

 元より今は差し迫った問題を解決する方が先だ。

 シャインは視線をシルフィードから再びティーナとラティに向けた。


「大体状況は理解した。すべては俺に起因することでディアナ様は関係ない! 彼女を解放しろ」

「……」

「……」


 ラティとティーナが視線を合わせる。

 ティーナの視線が一瞬背後に向けられたその時。


『シャイン、今よ!』


 脳裏にロワールの声が響いた。

 同時にロワールハイネス号の甲板が横波を受けて右舷側へ大きく傾く。

 その傾きから体勢を保とうとティーナが両足を踏ん張る。


 ティーナの銃口が甲板へと下がった。その隙をシャインは見逃さなかった。

 元の水平に戻ろうとする甲板の揺れに合わせてティーナに向かい飛びかかる。


「きゃっ!」


 シャインは右手の掌をティーナの目に押し付けていた。先程、幻から意識をはっきりさせるために細剣で傷つけた掌からは、まだ血が流れていた。ティーナの視界を奪い彼が怯んだ所で、銃を握る手首に手刀を放つ。


「シルフィード! 銃を拾ってくれ」


 甲板に落ちたそれを素早くシルフィードの方へ蹴り、足払いをかけてティーナを甲板へ腹ばいにさせた。


「ちょっと艦長! 動くんじゃないよ! このお嬢さんの命が惜しくないのかい」


 ラティの声にシャインは顔を上げた。

 ティーナの両腕を背中側へねじり上げながら。


「君こそ抵抗しない方がいい」


 シャインの声は冷ややかだった。いや、ラティを見上げるシャインは余裕のある笑みを浮かべていた。


「茶番は終わりだ」

「えっ?」


 撃鉄を上げる不吉な音がラティの背後で響く。


「頭を吹き飛ばされたくなければ、ディアナ様を離せ。裏切り者のネズミめ」


 落ち着き払ったその声はジャーヴィスのものだった。

 後部甲板の扉から現れたジャーヴィスはラティの後頭部に銃を突きつけ立っていた。眉間を寄せ冴えた刃のような光を宿した瞳は険しく非常に近寄りがたい雰囲気を伴っている。


「あ~ら副長。いつお目覚めに?」


 唇を歪ませ引きつった笑みをラティが浮かべた。


「うるさい。早くしろ!」


 ジャーヴィスが容赦なくラティの後頭部に銃口を強く押し付ける。


「わ……わかったよ!」


 ラティがディアナの首から短剣を外し、その背中を思いっきり前方へ突き飛ばす。


「きゃっ!!」


 よろめいたディアナが甲板へ倒れる寸前で、その体をシャインは受け止めた。

 抱きしめたディアナの肩越しに、ラティが振り返りざまジャーヴィスへ短剣を突き出すのが見えた。


 けれどジャーヴィスは察していたのか、その突きをひらりと躱し、ラティの後頭部を銃の握りの部分で殴りつけた。


「うぎゃ!」


 ラティがうつぶせに甲板に倒れる。


「シルフィード! ロープを!」


 ジャーヴィスに鬼の形相で睨まれ、シルフィードが雷にでも打たれたかのように飛び上がる。


「は、はいっ!!」


 ティーナとラティはシルフィードとジャーヴィスの手によって、その身をロープで拘束された。


「ディアナ様、お怪我はありませんか」


 シャインはディアナに手を貸しながら彼女を甲板に立たせた。

 青い夜空を思わせるドレスに白い長手袋をつけていたディアナは、クラウスの伝言を聞いて、シャインとの昼食のために身支度をしていた最中だったのだろう。


「はい……大丈夫です。ただ、あまりにも突然だったので……」


 ディアナの顔色が悪い。今にもその場で倒れそうだ。


「クラウス!」


 シャインはクラウスを呼び寄せた。


「ディアナ様。クラウスがお部屋までお連れします」


 ディアナはひしとシャインの航海服の腕を握りしめた。


「すみません。足が震えてしまって……もう少しだけ、このままで」


 ディアナの声も肩も震えていた。彼女が感じた恐怖を想像するのはがたくない。


「この二人は私が見張っています」


 ジャーヴィスにうながされてシャインはディアナを安心させるために彼女の手を握りしめた。


「じゃあ一緒に部屋に参ります」

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