第8.5話 眠れない子供たち

「うーん、これはさぞかし困っただろうなぁ」

 破壊された鉄格子の前に立って、黒い影のような男が一人。蝋燭に照らされた薄暗い廊下の中央で、くぁ、と欠伸をこぼした。片足に重心をかけた立ち方のせいで、寝起きのような気怠さだった。

「なんていうか、これはまぁ」

 自分の腕ほどの太さがある鉄格子が熱で捻じ曲げられて、足元の石もところどころ焼け焦げている。その割に、すぐ先の廊下には焦げ跡一つついていない。その状況を確認して。確認というには投げやりすぎる、ぼんやりとした視線で見て、黒い男————ミナトは笑った。それもやはり、どこかぼんやりとした心ここにあらずといった顔ではあったが。

「………意外と大したことないんじゃない?

 数日前にフィアが破壊、脱獄した牢獄を眺めておいて、ミナトはくるりと踵を返す。そうしてようやく、自分の後ろに人が立っていることに気が付いて目を丸くした。

「あれ?もうばれちゃった?」

「お前、どうやってここに」

「おかしいなぁ、本当はもっと固まってるはずだったんだけど。手加減間違えちゃった?」

「何を言ってる?」

 ミナトの後ろに立つ魔法使いたちは揃って困惑した表情を浮かべる。彼らはこの牢獄、戦争犯罪人を隔離・実験する牢獄の看守たちであり、当然侵入者に対しては攻撃をすることが許されている。けれど彼らが攻撃をためらったのは————一瞬で目の前に現れた男の存在に即座に反応できなかったからだ。彼らは戦闘訓練を受けた熟練の魔法使いだが、それでも感情は当然にある。それゆえ、目の前に突然人間が現れたという現象に混乱してしまう。それが例え、彼らの生死を分ける致命的な一瞬だったとしても。

「移動用魔方陣の使用はここではできない。どうして、」

「あー、なるほど。君たちは随分平和ボケした子たちなんだね」

 慎重に様子を伺う看守たちの言葉を遮って、ミナトはからからと声を上げて笑った。ちっとも楽しいことなんてなかったけれど、とりあえず笑ってみせた。悪役のように、虐殺者のように。

「ダメだよ、目の前に知らない魔法使いがいたら、とりあえず殺さないと」

 ミナトは姿勢を変えない。片足に重心をかけたまま、両手も後ろに回していて友好的に微笑んでいる。それなのに言葉と同時に熱が、風が、冷気が、背後から吹き荒れた。

「—————俺はそうやって教えられたよ」

 魔法使いが臨戦態勢をとるのも見届けずに、ミナトは眠るように目を閉じて。

 —————そうして、地下には光と音が爆ぜた。


「あっけないなぁ」

 積み上がったがれきの上で夜空を見上げて呟く。魔法の世界に月はない。夜になるとわずかな星の光が見えるだけで自分の指先さえ見えなくなる。魔法使いはそれゆえ、ほとんどの場合は夜になると動かなくなる。

「………ここにいたの、ミナト」

「あっ、リアノ。おかえり」

 自分にかけられた声に反応して、ミナトが顔を上げる。そこには不機嫌そうな顔をしたリアノが立っていた。暗闇の中でも彼女だけはきちんと闇に溶け込みそうなミナトの姿を見つけ出すことができる。もちろん周りも確認できるので、瓦礫の積み上がった場所を見てもきちんと牢獄と判断することができた。

「なんで牢獄に?もうここに用はないでしょ」

「そうなんだけどねぇ。兵器をどうやって閉じ込めてたか、見てみたくなってさ」

「ふーん。で、成果は?」

「分かったような分からないような」

「変なミナト」

 数時間前まで牢獄の入口を囲んでいた高い壁はそのすべてが倒れていた。破壊の限りをつくしておきながら、暗い夜にはなんの音もない。ここでまだ生きている命はミナトとリアノの二人きりだ。

「でもなんで牢獄を壊したの?見るだけでも良かったのに」

「え?特に理由はないよ?」

「………そう」

 この牢獄は地下に蟻の巣のように地下に伸びていた。ここまで崩壊させてしまえば、そこにいた看守たちがどうなってしまったかなんて想像するのも簡単だ。

「そんなことより勧誘の調子はどうだった?」

「………仲間になる気はないってさ」

 ミナトが座る瓦礫の足元に座って、リアノは大きく伸びをする。彼女自身、それなりの距離を移動しているので疲れてしまっているのだ。真面目に話してはいるが、ミナトと合流する目的を果たしたので緊張の糸は緩んでいる。

「…………死ねばいいのよ」

「えっ?」

 リアノがマントを脱ぎ捨てて怨嗟の言葉を吐く。脈絡が読み取れずに首を傾げると、暗闇を真っすぐに見つめたまま続きの言葉を呟いた。

「何もしないなら死ねばいいわ。幸せになりたいなんて馬鹿みたい。所詮戦争兵器の人殺しじゃない。何者にだってなれないのに」

「うん」

「人間になれないなら戦えばいいのに。ミナトに使われればいいのに」

 火花が弾けるような音がして、一瞬リアノの周りに光が散る。それは少女の年相応の、けれど無機質に強張った横顔を照らしてまた消えた。

「落ち着きな、リアノ」

「私は落ち着いてる」

「うんうん、別に勧誘が失敗しても怒ってないよ、俺。

 平和的に仲間になってくれたら嬉しいけど、それ以外の方法はいくらでもあるし」

 突如弾ける明かりに目を細めて、ミナトがおざなりに手を伸ばす。そのまま自分の足元に座り込んだリアノの頭をぽんぽんと軽く叩いた。

「だからそんなに怒らないでって。リアノは慣れてるかもしれないけど、俺には眩しいよ」

「………どうせ私の魔法なんかでミナトはどうともならないでしょ」

 すとん、と。座り込んだ膝の上に額をつけて、くぐもった声が抗議する。それでもミナトの手は振り払われたりしなかった。

「私は結局失敗作だもの」

「それはそうだけど」

 はぁ、とため息をついて、ミナトはずるずると瓦礫から滑り落ちた。

「はい」

「なに」

「もう寝な?疲れたんでしょ」

 地面に足を投げ出してぽんぽんと太もものあたりを叩く。ミナトからリアノの表情を伺うことはできなかったけれど、にこりと貼り付けたような笑顔を浮かべながら。

「膝貸してあげるから、ね?」

「………子ども扱いしないで」

「あ、でも寝るんだ」

「うるさい」

 すとん、と無抵抗に横倒しになったリアノの体にさっき投げ捨てられたマントをかける。リアノがゆっくりと目を閉じると、薄ぼんやりした光がゆっくりと消えた。

「疲れたのよ」

「そうだね」

「ミナトは………寝ないの………?」

「俺はいいかな」

 リアノはもう長いことミナトと一緒にいるのだけれど、彼が寝るところは見たことがなかった。とかく人間味を感じない魔法使いなのだ、この人は。リアノがもっとずっと幼い時からそれは変わらない。そのあり方が完成された武器の在り方なのだとリアノは理解していた。こうやって優しく声をかけるのにだって、リアノがいないと叶わない目的があるからに他ならない。それなのに。

「………人並にとか、幸せにとか、全部、馬鹿みたい」

 まっすぐな目で、こちらの言葉を跳ねのけた赤い瞳が瞼の裏にちらついた。だからどうにもならないくらい苛々する。でも。

 ————馬鹿みたいなのに、少しだけ羨ましいと思ってしまうのだ。

 そんな自分の感情にも蓋をしてしまいたいのだけれど。

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フォルテナの壺は満ちない せち @sechi1492

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