第8話 選択と拒絶

 世界の命運を分けるような話し合いが放置された備品倉庫の中、年端もいかない少年少女の間で交わされているなんていう異常事態に、けれどフィアは動揺しなかった。冷静に自分とリアノと名乗った少女の距離を考えて、魔法で吹き飛ばす前に波蝶の首が切り裂かれてしまいそうな事実に分からないくらいのため息をつく。この状態でできることと言えば、精々時間稼ぎくらいしかなさそうだ。

「………つまり君は俺をテロリストに勧誘しに来たわけか?」

「テロリストって言葉は嫌いだけど。まぁそうゆうことよ」

「目的は?」

「目的?自分を不幸にした世界にやり返したいだけ」

 それに何か問題でもあるの?と小さく首を傾げるリアノ。仕草だけは純粋な少女のようだった。

「貴方のことは知ってるわ、百年戦争の立役者。有名だもの、魔法使いというより大量破壊兵器だって話はみんな知ってるはずよ」

「それなら国でも扱いきれなくて牢屋にぶち込まれたところまでも知ってるだろ」

「誰が国王でもそうするんじゃない?裏切られたら国ごと消し飛ぶし。感情も意思もある殺戮兵器なんて手に余る」

「光栄だな、それなら俺を仲間にするのはやめた方がいい」

 会話をしているように見えて、フィアはリアノの隙を探していたしリアノもそれに気付いていた。会話の形をとりながら次の瞬間には殺し合いに発展する状況だけれど、二人は魔法使いであったからその緊張感を顔に出すことはしない。この程度の修羅場には慣れてしまっているのだ。

「でもだからこそ貴方を誘う価値があるのよ、被験者番号一番」

「その言い方は、」

「部外者は黙ってくれる?」

「うぉ」

 波蝶にとってのフィアは一緒に旅する少年であって、大量破壊兵器なんて呼び方は到底許せるものではなく、番号で呼ばれることだって黙って聞き逃したくなかった。呼び方を直そうと上げた声は鋭いナイフで封じ込められる。

「………手荒なことをするな」

「私があなたの言うことを聞くと思う?」

「聞かないなら殺す」

「その時はお友達も道連れね」

 少しだけ首を傾けて笑うリアノ。波蝶を自由にする気はないし、勧誘している割に敵対的な姿勢のままだ。仲間になろうと伝える割に挑発するような態度でいる理由はフィアにも波蝶にも分からないが、魔法使いは、特に年端もいなかい頃から戦場に出ていれば、まともな感性を失うことだってよくあるので、そこをあえて指摘する気にもならなかった。

「………ああ、返事をすればいいのか」

 一瞬の沈黙の後、フィアがぽつりと呟いた。戦闘姿勢を崩さないリアノをじっと見ていて、そういえば自分は勧誘に対する明確な返答をしていないことを思い出したのである。

「断る。お前の仲間にはならない。俺は波蝶の世界に行く」

 どれだけ荒っぽい手段をとっているとはいえ、これが勧誘の形態をとっている以上、フィアが断ればそれで話が終わる可能性もある。脅されているに近しい状態でそんな判断にいたるあたり、刃物を持った得体の知れない魔法使いはフィアにとって大した脅威になりはしない、ということも関係しているけれど。自分より弱い相手に「脅迫されている」と感じる魔法使いはいないという話なのだ。

「………断るの?」

「うん、断る。まだよく分からないけど、俺は波蝶と世界を見たいんだ。それに」

 リアノの声が強張っても、フィアの意識は自分の感情を言葉にする方に向く。言葉を発する機会なんてずっとなかったから、どう伝えればいいか分からないけれど。

「—————波蝶の見ている世界を見たい」

 フィアと波蝶の住んでいる世界が違うことなんて、平和な世界の少女でしかない波蝶にだって分かっている。同じ考え方を持つこともできないと、本当のところはきちんと理解しているのだ。彼女が知っているのは彼の名前だけ。それでも、彼は自分のことを信じて変わろうとしてくれている。

「よく言うわよ」

 ぐ、と首筋に刃物が食い込む。魔法使いの少女が静かに、けれど確実に激怒しているのを肌で感じて、さすがの波蝶も体に力が入る。

「国一つ滅ぼすために作られたんでしょ?人の形をした兵器のくせに、どんな世界を見るって言うの」

「それはまだ分からない。でも目の前のものを見ないのは勿体ないって波蝶が教えてくれたんだ」

 それはつい数日前に、鉄格子の向こう側に波蝶が放った言葉だった。何もかもを諦めてしまったような赤い瞳が気に入らなくて、なんでもいいからこの空っぽの目を光らせてくれとなかばやけくそで投げかけた言葉が、フィアの口からするすると零れる。

「それにこれまで俺を助けようとする奴なんてどこにもいなかったのに、波蝶が来てくれたんだ。そんな波蝶がいることに安心したんだよ」

 まだ見ていないものがあるなら、自分に手を差し伸べる別の世界からやってきた物好きな少女がいるのなら、こんな世界だって捨てたものじゃないと思うのだ。自分が決して恵まれた生まれではないことを理解していても、フィアは世界を壊したいほど恨んだりなんてしていない。その事実に気付いたから、人質になっている波蝶は緊張の糸を緩めて体から力を抜いた。

(なんだフィア、意外と図太いじゃん)

「あっそう。じゃあ勝手にすればいいわ」

 そうして。あっさりと、波蝶の首から刃物が離された。同時に小屋の中の明かりが再びすべて消えてしまう。黒い絵の具をぶちまけたような闇が視界を塗りつぶした。

「そうやって幸せごっこしてればいいじゃない、被検体のくせに」

 ぱちん、と指を鳴らしてフィアが指先に小さな炎を出した時には、既にリアノの姿は消えていた。暗闇の中にぼんやりと浮かび上がったフィアは、けれどリアノを追いかけるより波蝶に近付くことを選んだ。

「怪我は?」

「ない。ちょっと首が締まったくらい」

「よかった」

「………ないって言ってるじゃん」

「一応見とく」

 波蝶の前に膝をついて念入りに傷がないかを確認するフィア。刃物に毒が仕込まれている可能性だってあったし、勧誘を断った腹いせに波蝶を殺そうとするのなら、なるべく早く動いた方がいいという彼なりの判断だったが、そんな事情を知らない波蝶は鬱陶しそうな顔を隠そうともしなかった。良くも悪くも分かりやすい少女なのだ。

「………うん、大丈夫そうだな」

「だから大丈夫って言った」

「ごめんごめん。あー、びっくりした」

「その割にはびっくりしてなさそう」

「うーん、政府の追手じゃなさそうだし。それになんか、」

 言葉を区切って首を傾げる。違和感をおぼえた本人にもどう表現したらよいか分からないという顔だった。

「俺じゃないところに怒ってそうな感じがした、っていうか」

「ふーん?」

 何はともあれ、窮地は脱したようだったので二人は小屋の壁に背中を預けて、お互いの耳に届くくらいの大きさでため息をついたのだ。


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