第7話 暗闇の襲撃者
「まず最初に伝えなくちゃいけないことがある。俺は戦争犯罪人なんだ」
「ほぉ」
「人とか殺して牢屋に入った」
「雑な説明だなぁ」
「これ以外の言い方が思いつかなかった、ごめん」
潔い仕草で頭を下げるフィアをベッドの上から見ながら、波蝶はどういうリアクションをすればいいのか考え込んでしまった。十四年の人生経験の中で人を殺して頭を下げる人間なんてドラマの中でしか見たことがないので。そもそも戦争という言葉だって社会の授業で習ったくらいのもので、現実感はまるでない。
「………でもフィアの現実ってそっちなんだもんなぁ」
「ん?」
「いや、独り言」
すっかり熱は引いていたのでこの前よりはまともな思考が働くようになっている。だからこそ、これからどうするかという当たり前の心配事が浮かんできた。
「えーっと、だからつまり、俺は脱獄囚だし追いかけられるんだよ。
別の国に逃げればなんとかなるかもしれないけど、どうだろうなぁ、あっちの国の奴を殺したわけだし歓迎はされないかもなぁ」
「それは大変なことだ」
「………ほんとに分かってるか?」
いぶかしげな表情を浮かべるフィア。鉄格子ごしに赤い目だけを見ていた時には分からなかったが、彼は意外と表情豊かだ。
「分かってる分かってる。ところでこれ、なんていう食べ物なんだ?
私の世界では食べたことないんだけど」
「あー、これはリリンって果物。口に合うか?」
「美味しい」
「それは良かった」
ようやく熱が下がった波蝶のためにフィアが外から持ってきたのは、乾燥させた果物のようなものだった。備品倉庫という名前だけあって、ある程度の備蓄がある小屋に逃げ込んだおかげで無計画な脱獄犯二人は快適な生活を送ることが許されている。フィアがどれくらい飛んだのかは分からないが、三日寝ていても追手が姿を現すこともなかった。
「でも逃亡者であることは変わらないんだよな~、どうするか」
口の中に残りの果物を詰め込んで、波蝶はベッドのふちに座ったフィアの顔をじっと見つめる。視線を感じたフィアがこちらに視線をよこして、見つめ合うこと数秒。
「—————私の世界に来ればいいんじゃない?」
するりと口から飛び出した言葉は、波蝶にとって思ったよりもしっくりくるものだった。
「………波蝶の世界って、カガクの世界?」
「うん」
「それ、俺が行って大丈夫な奴なのか?」
「たぶん?」
残念ながら魔法使いが科学の世界で暮らしている実例なんて知らないから、語尾が疑問形になってしまうのは仕方がない。
「でも、少なくともフィアのことを殺人犯だって思う奴はいないよ」
言葉遣いは物騒だけど、本当に人を殺している犯罪者なのかもしれないけれど、足を怪我した波蝶のためにずっとそばにいてくれた。あんなに簡単に脱獄できるくらい強いのに、それさえしないくらい諦めた目をしていたまだ波蝶と同じ年くらいの少年だ。
「うまく言えないけど、フィアが追いかけられる理由とかがない世界ならやり直せるんじゃないのかなぁ」
なんでもはっきりと言葉にしたがる波蝶にしては、歯切れの悪い言葉だった。目を合わせているのも居心地が悪くなってベッドのシーツに視線を落とす。
「………フィアにとっては、でもここが故郷だもんな」
「俺の故郷はもうどこにもないよ」
「へ?」
聞こえた言葉に驚いて勢いよく顔を上げる。フィアは困ったような怒ってるような、曖昧な笑顔を浮かべていた。赤い瞳が三日月の形に歪む。
「俺の故郷は、えーっと、波蝶にも分かるように言うと、大きい国同士の争いに巻き込まれて魔法で消し飛んだんだ。その時に家族は死んだ」
「え、」
「妹は一緒に逃げたけど、俺が実験されてる間にどこかに逃げたから居場所は分からないな。どこかで生きてればいいけど」
つらつらと流れる言葉に悲壮感はない。事実を出来事として伝えているだけの淡泊な口調だ。
「だからつまり何が言いたいかっていうと、波蝶の世界に行ってみようと思う」
「そんな簡単に決めていいのか!?妹とか………」
「俺が兄として現れたらあっちの生活に支障が出るだろ」
戦争犯罪者の妹、と言われれば確かにそうかもしれないのだけれど。
「でもそんなにあっさり諦めなくても」
「いいんだよ」
にこりと、今度は明確な笑顔を浮かべてフィアはやっぱり爽やかに言ってのける。
「もうずっと前から諦めてることなんだ」
—————結局のところ、波蝶が赤い瞳を見た時に感じた印象は何も間違っていなかったのだ。
フィアはもうどうしようもないくらい諦めてしまっている。故郷も家族もたった一人の妹も自分の自由だって諦めるくらい、どうにもならない生活をしてきたのだ。それはきっと人生を根底から諦めるくらいの諦観で、「違う世界の存在」なんていうものでしかそれを覆すことはできなかった。
フィアは、魔法の世界の戦争犯罪人のフィアのままでは、きっとこのまま諦め続けるしかない。
「………あぁ、うん。そっか」
だから波蝶は結局、呟いて大きく伸びをした。三日も寝ていたら体が固まってしまったようで、肩のあたりからぱきぱきと軽い音がする。
「私の世界に行こうフィア」
その言葉は華奢な骨が鳴るよりももっと軽い調子で口から飛び出した。波蝶は何も分からなかったとしても、一度自分が決めたことなら軽やかに進んでいける少女だったのだ。
「………ありがとう」
「ま、安心しろって!私の友達も紹介してあげる、うららっていうんだけど、」
そこまで言いかけて、不意に。
備品庫の中を照らしていたランタンのオレンジ色の光が消えた。
「え?」
「伏せろ!」
「うぇっ!?」
突然のフィアの大声に驚いて、それでも波蝶はベッドの上にべたりと前屈をするような体勢で伏せる。体が柔らかい彼女だからできた回避方法だ。瞬間、首筋のあたりを何かが通過して鳥肌が立つ。
「こんなんばっかりかよ魔法の世界は!」
「叫んでる場合か!?」
「じゃあどうしろっていうんだよ!」
周囲が完全な暗闇なので襲撃されていることは分かっても誰に襲撃されているかは分からない。とにかくベッドの上にいては的になりそうだとそのまま横に転がって、固い木製の床に背中から落ちてみる。
「いたっ」
「波蝶下手に動くな!」
「ごめんって!」
何分平和ボケした世界で生きているので突然暗闇で襲撃された時の対処方法なんて何も分からないのだ。おまけに魔法も使えないから足でまといであることに変わりはない。だからまぁ、当然と言うべきか。
「う、ぉ」
「—————動かないで」
首筋に冷たい何かが当てられて、床を蹴って逃げようとした波蝶の動きが止まる。何が当てられているかは見えないけれど、たぶん碌なものじゃないことは雰囲気で分かるので、いやそれより。
「………女の子?」
「だから何?あなたの首と胴体を切り離すくらいできるわよ」
「物騒だな魔法使いはっ………あいたたた、ごめんごめん」
いくら命を握られていても元気よく喚くのは波蝶の性格上しょうがないことだったのだけれど、襲撃者はその態度も気に食わなかったらしい。結果的により首に何かが食い込む結果になって素直に謝る。
「そんなことしてみろ、お前の首も落ちるぞ」
「あぁ、待って。貴方と争うつもりはないの」
「襲撃しといて争うつもりはない?よく言えたな、波蝶を離せ」
「この子を話したら私のことを殺すでしょう?」
「おおう………」
暗闇の中で飛び交う物騒な会話に困惑する波蝶。こうも目の前で命のやり取りをされると危険を感じるより現実感のなさの方が勝ってしまう。
「とりあえず明かりはつけるけど、変な真似はしないでね」
言葉と同時に消えたはずの光が灯る。どういう魔法なのか、球状の光がフィアと襲撃者(と人質になった波蝶)の間にぼんやりと浮かんで、ようやく部屋の状態を映し出した。三日間お世話になったベッドが無残に切り裂かれているのを発見して、この世界はどれだけ危険な場所なのかとため息をつきたくなる。
「私はリアノ。回りくどいことは嫌いだから単刀直入に言うわ」
少し視線を動かして背後にぴたりと立つリアノという魔法使いを見る。黒いマントを着た長い髪の女性だ。波蝶の首にナイフを押し当てて、殺気を隠そうともしないフィアの視線を一身に受けながら彼女は怯える様子も見せなかった。
ただじっと、正面に立つフィアを見つめて言葉通り単刀直入に言い切った。
「私たちの仲間になって、世界を滅ぼしてみない?」
————それはやはり、唐突に耳に飛び込んでくるにしては荒唐無稽な、けれどよく切れる刃物のような危うさを孕んだ勧誘だった。
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