第20話 幽鬼と決着


 国の記録によると、ラカ家は建国時から存在していた最も古い貴族の一つであると記されている。

 一族は当時でも珍しかった神と人との渡し役、所謂『神使』や『巫女』とよばれる人材の輩出や、現在の商業都市地下に作られた祭壇で神との対話を行う役目を持っており、まだ神と人との距離が近かった時代では重要な位置に立っていた。

 神が現世から姿を消し人々の記憶からも失われるようになるにつれ、一族の役目も減っていったが口伝や少ない資料も残っているし、一度築かれた地位も簡単には崩れなかった。


 もっとも、貴族として栄えていたのはガランの曾祖父の代までで、その曾祖父が起こした不祥事によって家は零落、現在では都市の運営に関わる政務の一部を担う小貴族に過ぎない。

 元から持っていた屋敷や財産の一部──一部でも莫大な資金なため、元の家の栄えようがどれほどのものだったか窺える──などが残るばかりである。


 ……というのが、外から見た時のラカ家の現状だ。


 そして現当主であるガラン・アーク・ラカについてだが、彼はその不気味な風貌こそ恐れられていたものの、至って普通に生活し、都市の運営にも貢献していた。その仕事ぶりはエルザ・ゴーシュが認めるほどのものであり、僅かな違和感を感じていた彼女がその違和感に目を瞑らざるを得ないほどだった。


 だが、彼はその裏で今回の計画を練っていた。都市運営に関わる立場を利用し警備に穴を作り、豊富な資金で魔族に恨みを持つ使い捨てのならず者を集め、使えそうな人材は広い屋敷を利用し匿った。


 更に処分を免れていた人体実験の資料や大昔の記録、果ては神の力すら用いてある計画を練った。人知れず何年も、何十年も。


 一体、何が彼をそこまで駆り立てたのか……。






 ◆







 燻る煙の向こうから、 生者とは思えないほど細く白い身体にひどく立派な服装を身に着けた、どこかちぐはぐな印象の幽鬼が変を現す。 たった今、強烈な爆風により吹き飛ばされたばかりだというのに、その姿は髪が僅かに乱れただけで身体には傷一つついていない。


 幽鬼はアキ達をじっと見つめ、 煙など気にも留めず歩みを進める。鬼火が宿ったかのようなその視線からアークを庇うようにアキが立ち塞がり、彼女の手を握りしめる。それを受けたアークは驚いたように軽く肩を跳ねきせた後、その手をぎゅっと握り返した。


 そんな彼らの様子を見て何を思っているのか、 内心の読めない表情のまま、ガランは二人から少し離れた場所で立ち止まった。


「……何故、ここに来た?」


 幽鬼の口から出た言葉は地の底から響いてきたかのように低く、しわがれていた。見た目で年齢を判断しづらいこともあり、ともすれば老人のようにも聞こえる声。


 ガランの行動はアキにとって意外だった。襲撃の時の強引さから考えると、即座に攻撃されてもおかしくないと思っていたのに、相手は対話の意思を見せている。どういう心積もりかはわからないが、まずは時間稼ぎに努めることにする。アキの目的はアークの奪還であって、わざわざリスクを背負って戦う必要もないのだ。


 僅かに目線を動かして周囲の様子を把握。背中にアークを隠したまま、いつ攻撃されても動けるよう警戒心を解かずにガランと相対する。


「何でって言われてもな。デートの約束してた女の子が来なかったんだ。心配にな って迎えに行くのは、男として当然じゃないか?」


 口を突いて出て来る軽口は、自分の意識を平常に保つための儀式だ。何せアキは目の前の幽鬼に一度殺されかけている。アークが助けてくれなければ確実にあの場で圧死していただろう。


 昨日の痛みはまだ鮮明で、それだけに相対しているだけで今にも膝が笑い出しそうだ。だけど後ろに守るべき少女がいるから、萎えそうな心に火を注ぎ、吐き出す言葉を燃料に意思を燃やす。


「何を言っている?」


 アキの返答を聞いたガランは、今までの無表情を崩し眉をしかめる。軽口に不快感を覚えたかとアキが警戒心を強める中、ガランが放った言葉はアキの想像の埒外にあった。





「実験材料と逢瀬に臨むなど、貴様は何を言っているのだ?」





 その言葉の意味を、アキは理解できなかった。

 今、こいつは何と言った 。


「どいつもこいつも……物の価値をわかっていない。これを今の不完全な形ではなく、真の魔人として完成させることがどれほどの偉業か理解できないのか」


 そうしている間にもガランの話は続く、よほど腹に据えかねていることであったのか、自身の言葉で隙ができたアキを目の前にしても動く気配はない。


「大戦の最中、人類種は魔族というたった一つの種族にいいようにしてやられたのだぞ。何故その重大さを理解しようとしないのだ。やつらが気まぐれに暴れ回れば、今の世界などまた書き換えられてしまうというのに。その点、私の祖先は優秀だった。人類に何が足りないのかを理解し、即座に対応したのだからな」


 そう言ってガランが指さしたのは、アキの後ろにいるアークだ。


「力には力を。実にシンプルでわかりやすい結論だ。魔族という力に対し、それを超え るように設計された人造の魔族をぶつける。単純ゆえに開違いもない。そのさえあれば戦争に負けようがない。ここにあった実験の記録を見つけその計画を知った時、私は幼いながらも思想に共感したものだ……だというのに!」


 今までの静かな語りから一変、ガランは急に自らの髪を掻きむしり、激しく身を捻りながら怨嗟の声を上げる。


「他の者の反応と来たらどうだ!? 当時の者達は人道に背くなどとほざき、計画を凍結したばかりか人類を救おうとした偉大な曽祖父を処刑にした! 今のやつらなど魔族の脅威も忘れ貴重な実験材料を街で放し飼いだ!どいつもこいつも考える頭のない虫ばかり!そいつを作り出すためにどれほどの実験が重ねられたかわかっているのか!?」


 そう言って口角から泡を飛ばす様は半狂乱のそれで、今までの膿んだ泥のような姿からは想像できないほどの怒りを放っている。ぎゅっと、アキの手を握る感触が強くなった。アキは真っすぐ前を向いたまま、鱗に覆われたその小さな手を優しく握り返す。


「やつらは兵器相手に人間のような扱いをし、せっかくの宝を持ち腐れにする無能どもだ! だから私は計画を立てた! ラカ家がやったことは間違っていなかったと! 間違っているのは貴様達だと証明するための計画をな!」


 一息にまくし立てると、ガランは息を荒くし黙り込む。しばらくの間、地下空洞には静寂が満ちた。


 ガランが喋っている間、ずっと黙り込んでいたアキが不意に口を開く。


「……それで、その計画とやらでおまえはこれから何をするつもりなんだ?」


 その言葉を聞いたガランは、自分の主張をアキが理解したと思ったのか、引きつった笑みを顔に張り付け、しかしいくらか落ち着いた態度で説明を始める。


「単純なことだ。過去の術式を元に改良した儀式を用いて、今度こそ完全な魔人を完成させる。前回は土地神の魔力の一部を流し込む術式だったが、 今回はその魔力に馴染んだ器を拡張し、神だけでなく土地の魔力諸共全てを注ぎ込む! そしてを塗り潰して産まれるのは魔族も、魔人も超えた存在……現人神とでも言うべき最強の兵器だ! それを見た者達は心の底から畏怖し、理解するだろう。我ら一族の手によって、人類は真の安寧を手に入れたのだとな!!」


 とっくに大戦は終わっているだとか、そんな物を作って平和を謳うだとか、そんな矛盾は一切無視して亡霊は嗤う。


 ああ、まさしくそれは亡霊だった。過去に縋り、未来を想起せず、他者を否定することでしか自己を確立しえないがらんどうの怪物。


 アキはガランがどうしてこうなったのかは知らない。何かのきっかけがあったのかもしれないし、生まれつきこうだったのかもしれない。

 だけど、手を繋ぐ二人の前で嗤う存在はどうしようもなく狂って、自分が正しいと思い込んでいて。

 だから亡霊は、アークと繋いだ方とは逆の手を血が滴り落ちんばかりに握りしめている少年に気付けなかった。


「……そうか」


 ただ一言、そう呟いてアキは結んでいた手を解き、一歩前へと踏み出す。それを見たガランは大きく手を広げ、歓迎するかのように歪んだ笑みを浮かべる。


「私の志を理解できたようだな。わかったのならそれを渡せ、今なら新たな歴史が誕生する瞬間を見ることが「黙れ」


 ゴキンッ! と、鈍い音が鳴り響いた。


 発生源はガランの顔のすぐ横。振り抜かれそうになった拳が、顔面に直撃する寸前のところで障壁に阻まれ空中で制止している。


 唐突な攻撃に、ガランは怒りを露にしながら引きつった声を出す。


「キ、サマ! 何を!」


 拳を引き戻した少年は無言だった。思いっきり障壁へと叩きつけた拳が痛みを発しているが、衝撃を緩和する魔道具を身に着けていなければ拳が砕けていてもおかしくなかった一撃だ。こんなものは大したことではないだろう。

 そう、今もアークが受け続けている痛みに比べれば、全くもって大したことではないのだ。


 今の一発でガランも再び戦闘体勢に入った。戦いは不可避のものとなったのだ。だけど、アキに微塵も後悔はなかった。


「アーク、悪いけどちょっとそこで待っててくれ」


 祭壇の陰にアークを残し、自分は一歩前に出る。両の拳に力を込めて、目の前の敵を睨み据えた。


「今からこいつをぶん殴る」






 ◆






 アキが最初に取った行動は全力の疾走だった。

 地を踏み前に進んだ一瞬の後、今までアキが立っていた場所を魔力で出来た半透明の障壁が通過する。もしそのままの位置に立っていたなら、アキの身体はとっくに弾き飛ばされていただろう。


 その光景を見てガランは歯噛みする。

 どうやってここまで来たかはわからないが、一人で来たということはエルザがこちらに来ることはないのだろう。認めたくはないが、あの女傑が相手であれば始まる前から決着がついている。だからこうまで周到に計画を立て、エルザに気付かれないよう事を進めていたのだ。


 だがエルザが来なかったということは、あの少年だけがイレギュラーだということだ。それさえ取り除いてしまえば計画に支障はない。


 しかし、それも簡単にはいきそうになかった。

 今の攻撃を、アキはいたって普通に回避した。それも攻撃が繰り出されてからではなく、ガランが魔術を行使する予備動作よりなお早く行動をとって、だ。

 相手方にエルザがいる時点で仕方のないことではあるが、手の内は知られているらしい。


 その予想は正しく、アキは作戦決行前にギルド長からガランの魔術について聞いている。

 ガランの扱う魔術というより、ラカ家が代々行使する魔術は結界魔術だ。屋敷の防衛に使われていた大戦時の結界も、結界を専門に扱う一族だからこその防衛機構だったと言える。


 ただ、あれほどの強度と規模は大戦時の技術と事前に用意された膨大な魔力を使っていたからこそ。個人の身で行使する結界魔術は発動までに時間がかかる。


 座標と結界の大きさを指定、魔力を変質させ具現化、 動かす場合はまた座標の指定と、いくつもの手順をこなさなければならないからだ。しかも他の物質と座標を重ねて出現させられないため、相手の胴体を座標に指定して具現化し輪切りにするような使い方もできない。座標指定、具現移動のプロセスを経ないと攻撃は行えないのだ。


 更に言えば術者の力により作り出せる障壁の総体積が左右されるため、それ以上の大きさの障壁は作れない。今ガランが攻撃に使った障壁の大きさは一メートル四方ほどの比較的小さい物だった。


 故に、結界魔術は攻撃に向いていない。術者が攻撃を放つ前に移動していれば回避は難なく行えるからだ。

 術者本人が敵の行動を先読みして移動先に障壁を展開しておく、という使い方ができればまた別の話だが、ガランは魔術研究者であり戦闘型の魔術師ではない。実戦に慣れていない身ではそんな芸当は行えなくて当然だ。 今もまたを障壁をアキ目掛けて射出したが、 気まぐれな猫のように不規則な走りをするアキに、狙いが散漫で大した速度もない攻撃が当たることはない。


 そして、ガランが攻撃に意識を割いた隙を突いてアキが魔石を投擲する。

 棒を握りしめて走る不安定な姿勢で投げられたそれは、ひょろひょろとした頼りない軌道を描きながらも狙い違わず宙を進み、避ける仕草も見せないガランへと着弾。派手な雷撃を撒き散らし地下空洞を光で理める。

 地上で受付嬢が使っていたものと同種の魔石は、人体に当たればその意識を容易く刈り取るだけの力を秘めている。


 当たっていればの、話だが。


 瞬きの間だけ暗闇を消し飛ばしていた雷光が消えると、そこには無傷のガランが立って いた。


 結界魔術は攻撃に適した魔術ではない。だが、防御に適した魔術ではある。


 ガランの周囲、半径二メートルほどの空間に半球状の障壁が展開されていた。

 動かすことが難しい魔術であれば、そもそも動かさなければいい。術者が魔力をコントロールしたっぷりと厚みを持たせた障壁は生半可な攻撃をものともせず、この程度の魔術では傷一つ付けられない。こと防御という点に置いて、結界魔術は無二の性能を誇るのだから。


 これがある限りこの空間からの脱出は難しい。恐らく今は逃げ道を塞ぐため、転移の魔法陣の周りにも障壁が展開されているだろう。


 常に自身の周囲に障壁を展開しているため攻撃に回せるリソースは少ないが、これを展開している限りガランが傷を負うことはない。


 障壁を破るためには今使われた物と同等の魔石では火力不足だ。一番初めに使った爆炎の魔石を連続で叩き込めば破られるかもしれないが、それは難しいだろうとガランは考える。


 魔石は高価な物であるが、アキのバックにエルザがついているのならばその問題は解決 できるだろう。だが、高価な理由、その希少性から言って、そう多くの数を持っているとは思えない。

 その予想は正しく、障壁が傷ついていない様子を見てアキは歯噛みしていた。ギルド長から聞いていたことではあるが、実際にその堅牢さを目の当たりにすると気が重たくなる。


 魔力純度の高い特殊な鉱石に、魔術を封じ込める技術を持った術者、作成にその二つが必要不可欠である魔石はそもそも市場に出回る数が少ない。商業都市においてもそれは例外でなく、それが強力であればあるほど入手難易度は跳ね上がる。

 アキが持ち込んだ爆炎の魔石は三つ。最初に一つ使ったために残りは二つ。連続で直撃させたとしても障壁を破れるかどうか微妙なラインである。

 今投擲した魔石と同等の物であれば残りは五つ。だがその威力では障壁を破ることは叶わない。それが意味するところは一つだった。


 再びアキが魔石を投擲。ガランを囲む障壁にぶつかると冷気を放ち周囲を凍てつかせるが、やはりガランに影響はない。そしてガランも返す刀で障壁を飛ばす。それは走り続けるアキに当たることはなかったが、先ほどより障壁とアキの距離が縮まっている。


 一見してお互いに決定打が見えない戦いではあるが、長引けば不利になるのはアキの方だ。


 結界魔術を使っていればその場を動く必要のないガランに対して、アキは回避のために走り続けていなければならず、体力の消費は比にならない。しかし休むために足を止めればその瞬間攻撃に捕捉され、衝撃緩和の術式が刻まれた装備も意味を為さず押し潰されるだろう。

 ただでさえ重症から回復して間もない状態からの強行軍。ここにたどり着くまでに本調子ではない身体を酷使して体力をすり減らしていたのだ。ガランの魔力が尽きるよりもアキの体力が尽きる方が早いのは自明の理だった。


 そして今、断続的に繰り出されるガランの攻撃がアキの外套の端を掠めた。


 ガランがアキの動きに慣れてきたことと、疲労により精彩さを欠き始めたアキの動き。それによって徐々に攻撃が追い付き始める。


 重心を引っ張られ僅かにバランスを崩したアキだが、立ち止まることはせずにそのまま駆け抜けた。舌打ちする暇すら惜しみ、なんとか空気を取り込もうと苦しい胸で無理矢理息を吸い込む。体勢を立て直すとすぐに魔石を投げつけるが、今度のそれは壁に当たることすらなく手前の地面に落ちて衝撃波を散らした。


 ガランはそれを見て嘲笑する。もはや敵に余裕はなく、この勝利が揺らぐことはないと。


「まったく、何がしたかったのかは知らないが余計な手間をかけさせてくれる。これだからの価値がわからない人間は困るんだ」

「……っ!!」


 その言葉を聞いた瞬間、疲労で濁り始めていたアキの目に再び光が灯る。


 握りしめた棒を砕かんばかりに力が込められ、食いしばった歯の隙間から漏れる声はまるで獣の唸り声。今にも倒れて荒い息を吐きそうな状態だったというのに、そんなことは無視してさらに加速する。


 間隔を空けて飛来する障壁を躱す、躱す。

 緩急をつけて走り、唐突に反転。微妙なカーブを描きながらガランの動作を確認。しゃがむ、跳ねる、後退、また跳躍、前転、棒を使った高跳びの真似ごとまでして休みなく動き回る。

 酸素を求める顔は汗まみれだが真っ青で、今すぐ倒れ込んでも不思議ではない。だけど目に宿った光は消えず、勝機を探る目線がガランから離れることはない。


 足掻くその様を見て、苛立ちはしてもガランの考えは何も変わらない。何のためにああまで必死になるのかはわからないが、必死になったからと言って何かが変わるわけでもない。このまま終わらせて一刻も早く儀式に取り掛かる。


 熱を持った意思と冷めた欲望の競り合いは、しかし唐突に終わりへ差し掛かる。


 ついにアキの足が限界を迎え、意思と関係なく力が抜けた。


「しまっ……!?」


 ただ筋肉が疲労の極致に至り、僅かな休息を求めただけの現象。

 だが、戦いにおいてその僅かな隙は致命的だった。


 これが好機と、大きくバランスを崩したアキを襲う攻撃。それでもアキは走っていた慣性に従って転がるように回避しようとするが、残された足を掠める衝撃にもんどりうって地を舐める。無様に転がって、それでも棒だけは手放さなかった。


 いよいよ終わりだと追撃に移ろうとしたガランだが、 それよりアキの行動が早い。転がったまま懐に手を入れると即座に魔石の同時投擲。その数は三つ、追撃のチャンスを潰されたガランは顔を青ざめさせて防御に専念する。前方の障壁に追加で魔力を注ぎ、強化したタイミングで魔石が着弾する。

 この三つが爆炎の魔石であれば、強化しても防ぎきれなかっただろうが……。


 風、土、水。三種の魔術が暴れ回る。それは先程までの単発の攻撃より遥かに強く、障壁に衝撃を与える……が、それだけだった。


 咄嗟の反撃は防御を貫くこともできず、残されたのは無理な姿勢で攻撃に移ったため、満足に行動できないという現実だけ。そして、敵がその隙を見逃すはずもない。

 防御も回避もままならないアキに対し、ガランは絶好の好機を逃すものかととどめの一撃の準備に入る。


 防御に回していた魔力の一部を攻撃に転換、今までのものより遥かに大きい障壁を生成。

 一辺五メートルはあろうかという正方形の障壁はまさに壁と呼ぶに相応しく、仮に今アキが動けたとしても攻撃範囲から逃れることはできないだろう。

 その分防御用の障壁が薄くなるが、最後の反撃を潰した今、攻撃を受ける心配はない。残した防御もただの保険だ。


 最後に放った攻撃が最初と同じ爆炎であればまだ逃げ回る機会もあっただろうに、そうしなかったということはもしやあれ一つしか持っていなかったのだろうか。だとすればとんだ取り越し苦労だったものだ。


 そうして浮かんだ苛立ちも、目の前の敵を磨り潰せば消えるだろう。その後には人類種の救世主となる輝かしい未来が待っている。そんな妄念を抱き、歪んだ笑みで障壁を射出しようとして、


 アキが笑っていることに気付いた。


 こちらを見て、少年が笑っていた。

 それを見た瞬間、ガランの背中を怖気が走る。

 あの笑顔は死を前にした恐怖や狂気で浮かべられるものではない。ごく普通の、何でもないただの笑みだ。

 この状況でそんな表情を浮かべていることこそが異常。満身創痍な状態で援軍もなく、どこを探しても逆転の要素は皆無、その状態で何故笑う?

 ここに来て初めて、ガランは目の前の少年に得体の知れない恐怖を覚えた。

 そんな混乱の中にあったから気付かなかったのだ、少年の笑みが向けられる先は、ガランを素通りしているということに。




 そして、ガランの身を凄まじい爆発が襲った。




「がっ……!?」


 薄くなっていた防御の障壁に音を立てて亀裂が入り、隙間から流れ込む熱風が肌を舐める。その衝撃にたたらを踏んで転びかけ、何とか踏ん張って吹き飛ばされることだけは防いだが、体制は崩れ衝撃に脳を揺さぶられる。幸いにしてそれ以上亀裂が広がることはなかったが、ここに来て初めてのダメージに驚きの声が漏れた。


 固定してあった障壁は亀裂だけで済んだが、意識が乱れたことにより展開途中だった攻撃用の障壁は宙に溶けて消えていく。

 今の衝撃は紛れもなく最初の攻撃で使われた魔石と同等の破壊力であり、ガランが警戒し続けていたはずの攻撃だった。

 被害で言えば深刻なものではない。深手を負ったわけではないし、時間はかかるがひび割れた障壁を再展開することも可能だ。


 だが、ガランを襲った動揺は尋常ではない。当然だ、一番に警戒していた攻撃を、勝利を確信したその瞬間、完全な意識外から食らわされたのだから。

 混乱の中にあって、ガランはまずアキが何かしたのかと疑った。だが、アキは今の一瞬で起き上がろうとしているものの何かができた状態ではない。では何がと、後ろを振り返ってみればそこに当然の答えがあった。


 そこには、アークがいたのだから。


 祭壇の陰にいる少女は立ち上がることはできないまま、だけどその腕は何かを投げた後のように、振り抜かれた状態で固定されている。

 この戦いが始まる直前、アキとアークは手を繋いでいた。その時に魔石を渡していたのだ。


 アークの身体は左半身を中心にところどころが異形に変化したままで、戦うことはおろか歪んだ足では走って逃げることすらできない。しかし変化の少ない右腕であれば動かすことができる。


 ギルド長と別れて一人でガランを相手取ることになった時、アキは手持ちの装備では結界魔術に対抗できないかもしれないと考えていた。ではどう対抗するか、その答えはシンプルに一人ではなく二人で対抗するというもの。


 アキが走り回ってガランの注意を引き、アークが視界に入らないよう立ち回る。そしてガランが攻撃のために防御を薄くしたところでその隙を突く、そんな博打のような行き当たりばったりで示し合わせもない作戦に、しかしアークはアキの意図を読み取って合わせてくれた。


 助けに来た相手に助けてもらうという何とも情けない構図だが、アキの目的は二人で無事に帰ること。そのためならアークの力だって借りてみせる。そしてアキは、この作戦が必ず成功すると確信していた。

 それは、アークに対する信頼ともうーつ。


「この……実験体ごときがああああ!!」


 驚きから一転、不意打ちを食らったと理解したガランは激昂し、その手に握られた黒い小箱、アークと土地を繋ぐ魔力パスに介入する魔道具を使おうとする。儀式の前にこれ以上アークに負担をかければ儀式に耐えられなくなるからと、使うことをしていなかったはずの手段。しかし戦力として数えていなかったモノにまんまと一杯食わされて、怒りのままに行動するガランの頭からそんなことは吹き飛んでいる。


 しかし、小箱が使われることはなかった。それよりもアークが二度目の投擲を行う方が早かったからだ。


 アークの手を離れ、放物線を描いて宙を舞うそれがひび割れた障壁に当たれば、今度こそ防御は消し飛びガランも重大なダメージを負うだろう。


 目の前に迫った危険により怒りが急速に冷めて、ガランは慌てて状況を確認する。投擲された攻撃は確実にガランへ直撃する軌道を描いている、今のままの障壁で防ぐことは不可能。そして、倒れていたアキは立ち上がり棒を振りかぶって突っ込んで来る。


(この状況で魔石の投擲ではなく自らの突貫を選択した……今度こそ魔石がなくなったか。ならばこれに耐えさえすれば再びこちらが優位に立つ!)


 それを見てガランは瞬時に決断する。ひび割れた障壁の再展開には時間が足りない、よ って今ある障壁をコントロール、無事な部分の力をアークの側に回し、爆発に対する防御を取る。一方でアキの側に回すのは最低限の障壁。そうすることで場所によって厚みを変えた障壁が完成した。


 ガランの考える通り、アキが持ち込んだ魔石は残り一つ。これで障壁を破れなければアキ達に二度とチャンスは回ってこない。


 アキの突撃にも気を払うが、あの姿勢では振り下ろし以外の選択肢がない。 最初と同じ、出力が低い障壁でも簡単に防ぐことができる。しかし、魔石によって障壁が破られればそこには生身の肉体が残るだけだ。そうなればどんな攻撃でも脅威になり得る。故に、魔石の爆発に最大限の警戒を。この瞬間も魔力を前方に集中させ続ける。

 魔石と障壁の距離が縮む。極度の集中からか、やけにゆっくりとその軌道が見える中、一瞬だけ頭の片隅をノイズが走る。


 ──本当にこれでいいのか?──


 何を根拠にそう思ったのかわからない、ただ漠然とした思考。だがそれについて考えようとする前に事態が決定的に動く。


 ゆるやかな放物線を描いて飛んでいた魔石、それが終着点、すなわち障壁へとぶつかり。




 カツンと、小さな音を立てて弾かれた。




「は」




 息が漏れた。

 爆発はない。衝撃に備えて固くなっていた身体には何も伝わって来ない。またしても驚愕に揺さぶられる思考の中、今しがた弾かれた物が目に映る。


 ガランが魔石だと思っていた物、それはただの石ころだった。


 つまるところ、単純なフェイント。

 注意していれば気付けたかもしれない。だが、不意打ちの直後で気が乱れていた瞬間を狙った的確な一投はガランに思考の隙を与えなかった。


 次々と敵を翻弄する行動の数々。アキは戦いを本職とする戦士ではない。だから、魔術師相手にまともに挑めばこの戦いに勝利することはできないとわかっていた。

 ならば相手を自分の得意分野で翻弄する。アキは戦士ではなく商人。を生業とする者なのだから、純粋な戦闘力で劣っているのならば心理の隙を突く。


 最初に見せつけた爆発。散発的で手がないように見せかけた攻撃と、意識外からの一撃。 防御を破られる可能性を見せつけてからのフェイント。それらも全て布石。 そして、最初の最初。この場に来てからずっと隠し持っていた……いや、堂々と見せつけていた最大の武器が真価を発揮する。


「いい加減……ぶち破れろッ!!」


 連続して混乱に春まれ反応できないガランの背後、前方に比べ薄い壁に、アキの持った先ほどまでとは握り方が違う、が打ち込まれ……爆発する!


 重厚な爆発音が響いた後、パキキキキキキキキキッキキキッッッ!!!!!! と、甲高い音を連鎖させ粉々になっていく障壁。その隙間を縫うように紅蓮を纏った風がガランの身体を襲った。


「ぎゃああああああああああああああああ!?」


 ただでさえ先ほどの爆発でひび割れ薄くなっていた上、大部分の魔力を反対側に回していた障壁は爆発に対し僅かばかりの抵抗を見せた後、今度こそ完全に砕け散る。


 ついに炸裂したクリーンヒット、その威力は障壁によって減衰こそしているが、ガランを吹き飛ばすには十分だった。

 熱風に肌を焼かれ衝撃で転がるガラン、その手に握られていた黒い小箱が痛みで手離され、持ち主共々床を舐める。

 痛みに目を見開き喉から絶叫を迸らせるガランだが、今何が起きたかは理解している。


 棒が障壁に触れるその瞬間、ガランが見たのは本来なら石突がある位置にだった。


 ガランはアキの棒術による攻撃を脅威だとは思っていなかった。何故ならアキがこの場に現れて最初に放ったその攻撃を、既に余裕で防御していたからだ。

 そして、それが既にアキの術中だった。


 最初に威力のない攻撃を放ち、棒術は大したことがないと意図的に認識を刷り込んだ。棒術に危険はなく、痛手になり得るのは投擲による攻撃だけだと、ここまでの行動全てを布石にして。

 走り回るのに邪魔になる物をわざわざ抱えている必要はないのに、最初に攻撃を加えてからは多少移動にこそ用いたものの、攻撃に使ってはいない。しかし、それはこれみよがしに攻撃力がないことを示すアピールだ。


 アキが持ち込んだ魔石の最後の一つ、それは最初から棒に組み込まれていた。石突を叩けば爆発する爆裂槍ブラスティングロッド、それがアキ最大の武器であり、それを最後まで悟らせないためのブラフ。


 そして、ついに目論見は成功し、ガランを守る物はもはや何もない。だが……それでもまだ終わってはいなかった。


 転がったガランにまだ意識は残っている。火傷や打撲の被害は無視できず、すぐに行動できる状態でもない。だが、ある程度爆発の勢いを障壁で殺したため動けなくなるほどの傷は負っていない。少し時間を置けばまた結界魔術を使うことも可能になるだろう。事実、膝立ちの状態ではあるが起き上がりつつある。


 しかし、それ以上に問題なのはアキの方だ。


 爆裂槍を切り札として取っておいたのはガランの力を削ぎ、確実に障壁を破るためではあったが、もう一つ最後まで使わなかった理由がある。


 それは、この一撃が自爆技であったからだ。


 棒が直撃する至近距離での爆発。それもガランとは違い間に遮蔽物など挟まず、アキが直接爆風を浴びることになる。当然、受ける被害は甚大だ。

 いくら確実にガランの警戒の外側から攻撃するためとはいえ危険すぎる策。下手を打てばアキのみが行動不能に陥りガランは無傷ということすらあり得たのだ。


 それ故に、本当であれば今の一撃で仕留めることが最上だった。だがそれは叶わずガランはまだ戦う意思を持っている。手持ちの武器が全て尽きた状態で、再び結界魔術を相手に立ち回ったとしても勝出る見込みは皆無だ。


 つまり、ここが戦士ではないただの商人の眼界点。所詮その場しのぎの綱渡りに過ぎない曲芸の数々だったということで、




 だから、ここから先の行動は商人としてのものではない。




 爆風によって立ち込める煙、それを引き裂いて小さな影が躍り出る。


 その身体はボロボロで、赤い外套は千切れて端切れを残すばかり。剥き出しになった皮膚は火傷と打撲で斑になった、見るからに死に体のその姿。


 だけど、少年は立っていた。


 自分より明らかに重症な少年が全力で走る様にガランは目を見開く。未だ立つことすらできない自分に対し、相手のどこにそんな力が残っていたのかと。


 ──衝撃を緩和する魔道具を身に着けていたから?


 否。生身に比べれば多少の違いはあるがその程度で抑え込める威力ではなかった。


 ──未だ開示されていない策があったから?


 否。アキが考えていた策は全て出し切っている。それ以上などどこにもありはしない。


 ならば、何故立っていられるのか。その問いに答えるとするなら……それは思いと言う他になかった。

 もし普段のガランに話していたならば一笑に付されていただろうその答え。だが事実として、少年はそれだけを支えに駆けて行く。


 今ここで拳を握っているのは戦士でもなく、商人でもない。男の子としての……アークの友達としてのアキ。その少年の意地、ただそれだけの思いだった。


 障壁を展開することも、腕を上げることも間に合わない敵のその間合い。そこに勢いよく踏み込んで、岩のように握りしめた拳を大きく後ろへ引き絞る。


 もはや息を呑むことしかできないガラン、その脳裏を埋め尽くす何故という疑問。何故こんなことになったのか。何故自分が追い詰められているのか。一体、何故 ?


 その疑問をアキが読み取ったわけではない。 だけど少年がこうまで意地を張った理由。それ自体が全ての答えだ。


「歯を食い縛れよクソ野郎──」


 アキが見据える先はガランの背後。動けないまでも目を逸らすことはしまいと、泣きそうな顔をしながらこちらを見つめている心優しい少女。ガランが抱いたそもそもの思考も、今の戦いの結末も、こうなった理由はたったの一つ。





「──過去ばっか見てねえで、ここにいるあの子のことをちゃんと見やがれええええええええええええええええええ!!!!!!」





 ゴガンッツッ!!!!!! と振り抜かれた拳が深々とガランの頬にめり込んだ。


 勢いはそこで止まらず、幽鬼の身体が捻じ切れそうな勢いで宙を舞う。僅かばかりの浮遊を挟んで背中から地面に落ち、もんどり打って二転三転、そこまでしてようやく細い身体が止まる。


 仰向けに倒れた顔は白目を剥いていて、そのまま起き上がる気配もない。


 その様子を見届けて、全身に響く痛みに苦労しながらもアキは改めて前を向く。

 こちらを見つめる少女と目が合うと、その顔を不格好に歪めて笑みを浮かべた。






 ──商業都市感謝祭、当日深夜。アーク奪還作戦、これにて全戦闘終了。







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