第15話 無能


 アキの祖父、レイス・フィードについての話をしよう。


 彼は商業都市出身の商人であったが、ある事件に巻き込まれて街を去った。

 どのように巻き込まれたか、そこで何があったのかは割愛するが、少なくとも彼の行動に非がなかったことは明言しておこう。

 即ち、ただ運が悪かっただけだ。


 そしてその結果、国どころか大陸を超えた移動をすることになる。

 先の時代は海上での安全な移動手段が確立されていなかったため、別の大陸への移動は特殊な種族でなければ不可能とさえ言われていたにも関わらず、だ。


 現地で発見された彼は、脱出艇に詰め込まれるような形で海辺に漂着しており、ひどい怪我と数日間に渡る漂流生活により半死半生の有様だった。

 不幸中の幸いとして、発見されてからすぐに手当てされたため九死に一生を得たものの、回復には数年の時を要した上、治らない傷もあった。


 それ以降の彼の生活は大きな波乱もなく、自らを保護し医者まで工面してくれた女性と恋に落ちた。回復後は職につき、彼女との間には子どももできた。

 ただ、周りの人間が何故漂流していたのか、あの怪我は何だったのかと、いくら間うてもそれに答えることはなかったという。


 何か事情があるということは容易に察せられたし、故郷に帰りたいなどと一言も発さない彼を周囲は気遣い、そのうち何も聞かなくなった。よっぽどひどい目に遭い、元いた場所へは二度と戻りたくはないのだろうと。


 ただ、それからずっとずっと後のこと。たった一人の人間だけは、彼からある言葉を聞くことになる。





 ◆





 目覚めると、見知らぬ天井が目に映った。

 宿の部屋ではない。ゆっくりと辺りに視線を巡らせると、白く清潔な寝台に寝かされた自分の身体が目に入る。部屋自体はそんなに広くない上、物が少ない。すぐに全貌を把握できた。


 寝起きの頭が回りだし、何故自分はこんなところにいるのだろうと考える。何故か痛みを発する頭を押さえると、妙な手触りを感じた。頭をぐるりと一周するように巻かれた布、これは包帯だろうかと思い至ったところで記憶がフラッシュバックする。


 人通りのない路地、自分の喉奥から出た怒声と、謎の男。そしてその姿を大きく変化させた少女。


「そうだ、何で ……っあ!?」


 反射的に立ち上がろうとするが、足がもつれて倒れ込む。その勢いで寝台から落ちて身体を打った。

 身体中に響く異常な痛みに、声にならない声を上げて震えることしかできない。そんな中、部屋の入口を開ける音がした。


 涙目でその姿を認めると、そこにはすっかり見慣れた顔……エルザ・ゴーシュが立っていた。









「話を聞きに来たわけだが」


 あれから少し経って、アキは再び寝台に上がっていた。先ほどまでと違って背を起こし、椅子に座るギルド長と目線を合わせている。


 あの後、倒れる音を聞きつけた看護師が部屋にやってきてアキの容態を確認していった。

 今のところ一応は問題なし、ただし何かあればすぐに呼ぶこと、と少年だけでなくギルド長にもきっぱりと告げ、今は二人きりでの面会を許されている。


 看護師、そう、看護師である。

 現在アキは、治療のために病院へと搬送されていた。


 時間は既に昼。昨夜、日が沈んだばかりの頃にアークと話していたが、今は祭当日。外から聞こえる賑やかな声と対照に、この部屋には重苦しさが立ち込めていた。


「昨日の夜……もう半日近く前だな。空から降って来た人間が水路に落ちたって騒ぎがあった。すぐに病院に搬送されて手当てされたが結構な怪我だったそうだ。こっちまで情報が来た。で、そのご本人様に関くが、いったい何があった?」


 記憶の最後、水音が聞こえたのはそういうことだったらしい。衝撃で意識が落ちはしたが、あの高度から落ちて即死でないとは。

 恐らく、アークが狙って投げたのだろう。 でなければ、アキはとっくに物言わぬ身体になっている。

 最後の最後まで他人を気遣っていた彼女の行動に歯噛みする。


 ギルド長にしたっていつもの余裕が薄れていて、問いかける姿は真剣そのもの。焦っている様が窺えた。

 話を聞くために本人が直接訪れるあたり、本当に結構な騒ぎになっていたのだろう。それも無理はない。明日には祭が開催されるという状況、大勢がごった返す場でそんな事件が起きたのだ。騒ぎにならないはずがない。

 ただ、それ以外にもっと強い感情も覗いている。原因は恐らく……。


「なあ、アークはどうした」

「あの後すぐあいつの家に向かったが、もぬけの殻だった。周辺の住人の話じゃ自分で出かけていったらしいが、今は連絡が取れない」

「……ちくしょう」


 こんな怪我をしている時点で疑いようはなかったが、意識が落ちる直前に見えた光景は現実だったらしい。つまり、アークは今頃……


「何か知ってるって面だな」

「ああ、知ってるよ……今から全部話す」


 そうしてアキは、自分がその目で見たことを全て話した。


 アークと会って彼女に全ての事情をぶちまけ、感情まみれの言葉を浴びせたこと。謎の男の襲撃と、最後に見たのは彼女に近づく男だったこと。


 ぽつぽつと、何とか激情を表に出さないようにしながら語り終えると、それを全て聞いたギルド長は、深く瞑目して黙り込んだ。

 何かしらの反応があると……特に、アークに事情を話してしまったことと、謎の男に関しては問い詰められると思っていた。だからこそ無反応を訝しんでいると、ギルド長が大きく息を吐いて目を開いた。


「嫌な予想は、当たっちまったか」


 予想。ということは、この事態について何か知っていることがあるということか。にわかに殺気立ち、再び起き上がろうとするアキを手で制しながら、ギルド長は語り始める。


「昨日の夜、お前を保護したって連絡とほぼ同時に、街中で大規模な魔術が連続して使われた。一つはお前が落ちた水路のすぐ近く、何の魔術かはわからんが、今の話からしてアークに使われたものだろう。そして騒ぎから少ししてもう一つ。使われた場所はこの街の貴族の屋敷。屋敷の主の名は……ガラン・アーク・ラカ」


 ぴくり、とアキの眉が跳ね上がる。その名前はいったいどういうことだとだと。


「今の話に出て来た男と、ガランの特徴は一致する。大戦時に人体実験を行っていた貴族……それがラカ家だ。ミドルネームのアークは、かつてこの街を興した家だからつけられたもの。要するに、こいつの先祖が実験の首謀者だったわけだ」

「何でその家の名前が、このタイミングで出て来るんだ。実験は終わったんじゃないのか? そもそも、何でそんな家がまだ残ってるんだ」

「非人道的な人体実験が公になってその代の当主こそ処刑されたが、それまでの戦争で多大な功績を挙げていたせいで、家自体は取り潰されなかった。もちろん爵位の降格なんかの処罰を下して、実験施設から記録まで全て破棄された上でな。それからは大人しいもんだった……それがこの有様だ。使われた魔術は結界。透明なせいで周囲からは気付かれていないが、今屋敷の中へは物理的にも魔術的にも干渉できなくなっている。さっきの話と合わせて考えると、やましい所のある貴族が閉じこもったと考えるのが道理だろう」

「……その推測が当たってたとして、そいつは何が目的なんだ。今さら、アークに何をしようっ てんだよ」

「わからん。仕事上顔を合わせることもあるが、あいつがそんな素振りを見せたこともなかった。だが襲撃の黒幕があいつだとしたら、納得できることが多すぎる。内部からの手引きなら、襲撃犯をひっそりと街中に入れることも簡単で、アークの位置や警備の情報も手に入れられる……何で今まで気付かなかったんだ、クソッ」


 恐らく、今までの襲撃はアークを弱らせるためのものだったのだろう。襲撃犯達が何も情報を知らなかったところを見るに、ただ魔族に恨みを持っている連中に情報を流してひっそりと手引きし、使い捨ての人員として扱った。そして度重なる襲撃でアークが疲弊したタイミングを狙い、大詰めとして本人が仕掛けてきた……というところだろうか。


 舌打ちするギルド長の姿は本当に悔しそうで、握りしめた手には血が滴らんんばかりの力が込められている。

 それはそうだろう、彼女のアークに対する姿勢は、日頃の言動と裏腹に真摯なものだ。そんな彼女が血眼になって探していた黒幕が実は内部犯で、その犯行を止められなかったというのだから。


「おい、その屋敷に今すぐ立ち入れないのか。交渉は? それが駄目なら力ずくで結界をぶち破るとか……」

「いくつかの理由で厳しい。まず交渉だが、結界の内側に見張り役がいるにはいるが、まったく取り次ごうとする気配がない。事前に話を通して来いの一点張りだ」

「じゃあ、結界を破って強行突破は」

「正直、本来なら結界が張られてるってこととお前の証言だけじゃ、証拠不十分で実力行使に出るのは難しい。だがそれも考えた……二つの理由で難しい。第一に、あの結界は相当に強力なものだ。大戦時に防衛用に作られたもんだろう、つまり攻城兵器を防ぐほどの代物で、それが料理にクローシュを被せるような形で、屋敷全体を半球状に覆ってる。解析と解除は今の技術じゃ難しいし、破るにはかなり強力な攻撃を叩き込む必要がある。攻撃だけなら手段はあるが、それは使えない」

「何でだ? 手段があるなら何で……」

「二つ目の理由だ。今の街は、祭の影響で人が多すぎる。結界を破るほど高威力の攻撃手段は魔術に限られるが、それは爆破や光線、それも攻城級のもの限定だ。そんな代物を街中で撃てば、どれだけ出力を調整したところで周囲に被害が出る。人がごった返した今の状況で、それは致命的だ。周囲に影響が出ないよう、真上から物理的に破れば被害は最小限に抑えられるだろうが、そんな手段はない。しかも仮に人的被害がなかったところで、何かしらの攻撃があったというだけでパニックが起きるのは確実だ」


 そうなればパニックはあっという間に伝染するだろう。今この街にどれほどの人が集まっているかはわからないが、住人と合わせてその数は数万を下るまい。そんな中で恐慌が起きれば、決して少なくない死傷者が出る。

 仮に避難させるとしても、確たる証拠がない状況で街から人を避難させるのは難しいだろう。事前に大きな動きを見せれば、ガランの側が動き始めるかもしれないことと合わせて危険だ。相手が何を目的にしているかわからず、脅迫もないところを見るに、アークに危害を加える可能性もあるのだから。


 いや、そもそもの話だ。二人はあえて口に出していないが、もう一つの可能性がある。


 それは、アークが既にこの世にいないという可能性。


 アキが最後に見たのは、アークに近付く男の姿だけだ。近付いたその後に、アークに何をしたのかは見ていない。

 だけど、二人ともそれを口に出さない。言えばそれが確定してしまうような気がして、彼女が拐われたという前提で話を進めるしかなかったからだ。


 そうしてしばらく、部屋には鉛のように重苦しい沈黙が下りた。

 何かできることはないかと、この街に来てからの記憶を探るアキ。

 何か、何か手段がある はずだ。まだあの子を助ける手段が。

 そうして記憶の糸を辿り、バラバラのパズルのピースを必死に組み立てて打つ手を模索する中、それが具体的な形を成す前に言葉がかけられた。


「アキ、今すぐこの街を出ろ」


 耳から入ってきた言葉を、最初は聞き間違いかと思った。だがその内容が変わることはなく、ゆっくりと頭に染み込んでいく。

 のろのろと、信じられないという思いで首を回すと、ギルド長が真剣な瞳でアキを見つめていた。


「……何で……」

「目撃者を消すと言ったんだろう、ガランは。お前がまた狙われないとも限らないんだ、追っ手がかからないほど遠い街に行って身を潜めろ。護衛も手配してあるし、当面の金は元の依頼料に上乗せして……」

「そうじゃねえよ!」


 思わず、といった具合に怒鳴る。そういった話をしているわけではないのだ。今アキの頭を占めているのは、そんなことではない。


「俺に、この状況で逃げろって言うのか?」


 自分を助けるために身を挺した相手を置いて、この街から逃げ出せというのか。

 元はと言えば誰のせい、なんて話じゃない。あの瞬間、あの場でアキを助けたのはアークで、アークに助けられたのはアキだ。

 そんな思いを視線に込めて、ギルド長を睨みつける。が、彼女はまったく動じなかった。


「そうだ。すぐに逃げろ」

「ふざけっ……!」

「もう、お前にできることは何もない」


 瞬間、思考に冷や水を浴びせられた。口を開こうとするが、今の一言で固まった身体は言うことを聞かない。

 そうだ。昨日も助けられただけで何もできなかったやつに、いったい何ができるというのか。そんな風に、頭の片隅にある冷静な部分が自分自身を嘲笑っている。

 ギルド長は無言でこう言っているのだ。お前は足手まといだと。


 そうして固まったアキを置いて、ギルド長は立ち上がる。

 昨日とは逆の立ち位置。部屋を出る時の挨拶はなく、ただ少年が取り残された。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る