第14話 怒りと終わり


「おっ、アークちゃん! 明日はまた屋台出すからよ、食べに来てくれよな!」

「うん、楽しみにしてるよ!」


 大通りの喧騒から少し離れ、裏通りの方へと二人は歩いていた。

 大通りでは人が多すぎて静かに話すこともままならないからだが、裏通りとは言っても大通りから少し離れた程度の場所では、まだまだ出店の準備をしている人が多い。今アークに声を掛けた男も、屋台の組立に精を出している一人だった。

 ひらひらと、気軽に手を振り返すアークは普通に歩いているように見える。


「しばらく寝てたらすっかり元気になってね。心配かけたし、元気なところを見せに来たんだ」


 そう言ってくるりと回ってみせる様はなるほど、何も知らなければ健康体のそれにしか見えないだろう。ただ、よくよく注意して見るとその視線がほんの少し、僅かにではあるが自分から逸れていることがわかってしまう。

 先の話を裏付ける仕草を見つけてしまい、再び胸が絞め上げられた。


「……そっか。そいつは良かったな」

「そうそう。だから明日のお祭りはめいいっぱい楽しもうよ!」

「そんなにはしゃいで大丈夫なのか? まだ本調子じゃないだろ」

「そんなことないよ。ほら、元気元気!」

「そう、か」


 アキの返事は歯切れが悪い。当然だろう。あんな話を開いたばかりで、これまで通りに接しろという方が無理な話だ。

 花が咲くような笑顔の裏に、何を抱えているのかを知ってしまった今、その行動全てが痛ましく思えてしまう。


 もう自分は全部知っていて、祖父のことも自分のことも、事情を全部説明した方がいいんじゃないかという気がしてくるが、ギルド長の言葉とアークの気持ちを考えるとそんなことはできない。


 いっそ仲良くならなければ、こんな気持ちにもならなかったのかもしれない。そんなことも考えるが、それも無理な話だ。

 そもそも向こうから飛び込んで来たのだし、こんないいやつを嫌いになれというのも難しい。


 そう、いいやつ。いいやつなのだ、こいつは。


 長く一緒にいたわけでもないが、それでもアークが善人だということはわかりきっている。

 困っている人を見過ごせず、道行く迷子に手を差し伸べられる『人間』。街の人と喋っている姿を見ると、どれだけ彼女が慕われているのかが手に取るようにわかる。

 だからこそ、そんな女の子が理不尽な目に遭っているのが我慢ならないというのだ。


 そんな考え事をしていたからだろう。次のアークの言葉に、咄嗟には反応できなかった。



「もう。君ってば、昔から本当に心配性だなあ」



 昔から。


 違う。それは自分じゃない。それは──。

 一拍遅れて、思考を激情が埋め尽くす。どうしようもない、破滅的な衝動が身体の内を吹き荒れる。


「いい加減にしろよ……」

「えっ」

「いい加減にしろっつってんだよ!!」


 気付けば、自分の口からこれほどまでに大きい音が生み出せるのかというほどの、夜を切り裂くかのような怒鳴り声を出していた。

 頭の片隅、僅かに残った冷静さが今すぐ止まれと警告を発するが、そんな物はすぐどうしようもない熱に溶かされ消えた。

 残ったのは感情を吐き出すだけの救えない男と、突然の豹変に驚く少女だけ。


 こんなことをしても何にもならないと理解している。それでも、この感情をぶち抜けてしまう。


「俺は違う。俺はおまえの探してた人間なんかじゃねえ」

「ま、待って。何を……」

「お前が探してたのは、俺の爺さんだよ!」


 ──駄目だ。


「俺の爺さんはな」


 ──やめろ!



「──とっくの昔に死んでんだよ!!」



 言った。

 言ってしまった。


 ずっとずっと、ただ一人を待ち続けていた少女に。やっと貴方に巡り合えたと、無邪気に喜んでいた少女に。その待ち人はもういないと、自分は違う人間だという残酷な真実を叩きつけた。


 今までの否定とは違う明確な拒絶の言葉に、しかしアークからの返事はない。顔を見る度胸もなかった。

 それなのに口が勝手に回り続ける。いいや違う、これはアキ自身の意思だ。

 つまるところ、これはただの八つ当たりだ。




「そうだもういないんだよだから最初から言ってたんだよ人違いだってなのに全然聞いてくれないからここまでズルズル来ちゃったよババアから全部聞いたよほら見ろ俺の言った通りじゃないか何でもっと早く教えてくれないんだよ言えない理由があったって知らねえよ最初っから巻き込まれっぱなしなんだから少しは説明してくれてもよかっただろだいたい俺関係ないんだよ爺さんのこととか八〇年前のこととか知るわけないだろ俺まだ十九歳だよ俺どころか親も生まれてねえしお前も何で気付かねえんだよ待ってたってんなら人違いなんかしてんじゃねえ人間がそんな変わってないわけないだろそんだけ時間があったら赤ん坊もジジイになるわそれとも現実逃避かどいつもこいつも願い事はいつか必ず叶うなんて甘すぎる展開信じたお花畑な脳みそしてんのかそもそも何年かしたら死ぬって何だよ人体実験ってお前三流の考えた筋書きかまだ素人の方がまともなもん書くわ衝撃の事実のバーゲンセールかよ勘弁しろもう何にもわかんねえよぽんぽん情報入れられて容量超えてんだ頭ん中がガキが散らかした部屋みたいにぐちゃぐちゃだ簡単に整理できるわけねえだろふざけんな何で何も知らねえやつらに襲われて文句の一つも出てこねえんだ僕は関係ないんですって言えよ自分のせいじゃねえのに何で黙って受け入れてんだてめえをそんなにしたやつらが悪いんだろうがぶん殴ってやりたいって言えよ俺は全員ぶん殴りたくて堪んねえんだ何できついのに平気なフリしてんだ味感じてねえって何だ飯食ってた時のあれは全部演技かぶっ倒れたってのにこんなとこまで出て来てんじゃねえちくしょう何でそんなにへらへら笑ってんだいつもいつもニコニコニコニコ人形かお前は苦しいってんならもっと苦しそうな顔してろよそんなんで気付くわけねえだろ人助けする前に自分の身体を気遣えってんだ隣で何も知らずに呑気してた俺は何なんだよ道化じゃねえんだ自分で自分が惨めで仕方ねえよ頼むから何か言ってくれよ!!!!!!」




 ぜえぜえと肩で息をする。この一日で味わった理不尽な憤り。赤黒く灼けた内臓の如き淀み全てを吐き出したかのような言葉の羅列は、しかし心を軽くするどころか重石となってのしかかる。


 アークは、これだけの言葉を浴びせられたにも関わらず身じろぎ一つしなかった。そのことがかえってアキの心を苛む。

 今さら後悔したところでもう遅い。お前がこの少女にしたことは、は変わらないんだぞと、無言の空気が責め立てているようにすら感じられる。

 そのまま静かで重苦しい時が流れ、やがてどちらかが動きを見せようとした時。


 カツン、と。

 その場の空気を塗り替えるかのような硬質な音がした。

 焚火に水をぶち撒けたかのように、白熱した思考が鎮火する。思わずといった風に音の方を見ると、いつの間にか一人の男が立っていた。


「なっ……」


 口から驚きの息を吐き出すが、いつの間に、とか、誰だ、とか。そんな思いがちゃんとした言葉になることはなかった。何故なら、現れた男が纏う異質な雰囲気がそれを許さなかったからだ。


 じっとこちらを見据えている青い眼は、周りが落ち窪んでいる上に青白い肌と相まって、まるで顔に開いた二つの穴ぐらの中に鬼火が漂っているように見える。

 アキよりも頭一つ分は背が高いだろう。しかし、痩せている身体のせいで大きいというよりは細長いと言った表現が合う。

 服装は高級そうな、どこか上流階級然としたものではあるのだが、手入れされていないであろう、伸ばしっぱなしの白髪が胸の辺りまでをも覆い隠し、その落ち着いた服の印象を打ち消している。


 全体としてちぐはぐな男であり、いつからそこにいたのかわからないことも合わせて、幽鬼のような存在感を放っていた。


 男の放つ異質な空気に呑まれ、何も言葉を発せないアキだったが、もう一人は違った。

 アークは最初こそ驚いた顔をしていたものの、男の顔を認めるなり、今までにない険しい表情を浮かべる。


「……何の用だい」


 その声を聞いて、アキが思わずアークへと振り向いたのは仕方ないことだった。それほどに、今まで隣にいた少女から発せられたとは思えないほど、暗く淀んだ声だった。


 口調こそ今までと変わっていないものの、その声の響きは今までと一変し、冷たいものになっている。

 怒りや憎悪ではなく、だが明確に相手を拒絶する声音へと。

 その声に含まれた響きはどちらかと言うと……怯えが近いだろう。


 この状況、間違いなくアークを狙った襲撃だろう。だが、今までのものとは何かが違う。


 カツンと、もう一度硬質な音が発された。 発信源は男の手元。そこに握られた小箱を爪で叩いた音だった。


 黒く黒く、黒一色で塗り潰された、光を吸い込んでいるかのような暗さの、片手に包めるほど小さな箱。闇と見紛うほど黒いそれは、一点、頂点にだけ別の色彩、大きな青い宝石が埋め込まれ、そこだけが月明りを反射している。


 一見して何に使うかもわからないもの。恐らくは魔術を行使する為の道具だろう。そんな物をこれ見よがしにひけらかしているとは、アークの反応と合わせいよいよもって穏やかではないと考える中、ふと気づく。



 先ほどまで聞こえていた街の喧噪が、今はぷつりと途切れている。



 比喩なしに、自分の心臓が跳ねる音が聞こえた。

 理性は呼び掛ける。落ち着け、すぐそこは大通りだ。何かあったとしても、自分はともかくアークが全力で駆ければ一〇秒とかからずここを抜け出せる。

 そんな自分を落ち着けるための思考を、しかし本能の警鐘が塗り潰す。




 即ち、もはや手遅れだと。




「アーク、逃げ……!」


 その瞬間、ぱかりと小箱が口を開いて、




「ぎっ、ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!」




 夜闇を貫く悲鳴。その発生源はアキのすぐ隣。 一瞬の後、アークが地に倒れ伏した。


「っ、アーク!!」


 慌てて駆け寄り、その細い身体を抱き起こす。痙攣を繰り返すアークの様は、もはや尋常なそれではなくなっていた。


 どんな時でも被っていたフードは簡単に外れ、隠したがっていた顔が露になっている。

 限界まで開かれた喉から迸る叫び。血を吐くような、という表現が正しく当てはまるそれは、実際に血が出ているわけではないものの、口角から溢れ出る泡がまるで血のように頬を濡らす。見開かれた瞳から零れた涙と混ざって、ぽたりぽたりと地面に垂れた。

 背を弓なりにのけぞらせ、 獣のように咆哮を上げる様はまるで人間をやめたかのような恐ろしさを感じる。


 いや、比喩抜きに人間離れしていっている。頭部の角が少しずつ伸び、鎖が擦れるかの如き音を立てながら肌を覆う鱗が広がっていく。

 まるで彼女の人間性を否定するかのようなその現象は、見た者の背筋を凍りつかせるには十分だった。


 明らかに本人の意思とはかけ離れている変貌の数々、その原因がどこにあるかなどわかりきっている。

 腕の中で小刻みに震えるアークを抱き寄せながら、幽鬼の如き男を睨み据える。もはや殺気すら混じえたアキの視線を、しかし男は意にも介していない。ただ、その手に握られた小箱が怪しく口を開いている。


 あれが変貌の原因であることはまず間違いない。どういう理屈かは知らないが、ひとまずあの箱を何とかするべきだろう。

 外部に助けを呼ぶべきかとも考えたが、周囲の声が一切聞こえない以上、ここから叫んで声が届くかもわからない。ならば自分が何とかするしかないと、そう算段をつけた。


 痙攣を続けるアークに心中で詫びながら地面にそっと横たえる。相手が何をしているのかわからないが、この状態のアークを放置しておけない以上、速攻勝負を選択。とにかくすぐにあの箱を奪うことだけを考える。


「う、おおおおおおおおお!」


 焦りに突き動かされるまま、地を蹴り男へと飛び掛かる。彼我の距離は数メートル、何かされるより先に手が届くはずだと考えて、



 ゴガン! と見えない何かに激突した。



「がっ……!?」


 完全に無防備だった状態で頭を打ち、脳が揺さぶられる。それでも何とか倒れないように踏ん張るも、次の行動に移ることができない。

 ぼやけて滲む視界の中、男が腕を振り上げるのが見えた。次の瞬間、アキの身体を凄まじい力が襲う。


「──っ!?」


 唐突に発生した正面と背後からの圧迫。二方向から同時に押えつけられ、身体から空気が絞り出された。

 身体が宙に浮き、悲鳴を上げることすら許されない拘束に軋みを上げる。

 息苦しさに端ぎながらも何とか前を睨み、気付く。


 空間に歪みが……僅かに光を放つ透明な壁が出現している。

 アキは今、二枚の壁によって押し潰されようとしていた。 何とか逃れようともがくが、壁はびくともしない。それどころか、更に圧力は増していく。


 もはや逃げ場はないが、あまりの苦しさに手足が滑稽な動きで踊り出す。まるで巨人の手で握り潰されようとしているような、人間大の昆虫のような有様だった。


「この場には誰もいなかった。誰もな」


 不意に男がそう呟いた。その目がアキを見据えている。

 つまりは口封じ、目撃者を消す為の行動。

 何だこれは、今まさに殺されようとしているのか。今朝までは普通に過ごしていたのに、こんなに呆気なく自分は死んでしまうのか。

 そんな思考は痛みの前にすぐ散らされた。圧はいよいよもって高まり、致命のラインを超えようとする。

 ごぷり、と口から溢れた赤に終わりを悟り、



「……あー、く」



 体内に残った最後の空気で、自分でも何故そう呟いたのかわからない言葉を吐いた。


 次の瞬間、


 パキィイン!


 と、ガラスが割れるかのような音と共に、背中にかかる圧力が消え去った。


 後方から突き出された白銀の槍が、背後の壁を貫いた勢いそのまま、前方二枚目の壁も貫通する。

 砕けた壁は虚空に溶け、アキの身体は死の抱擁から解放された。動けないまま地面に落下する身体を、鞭のように折れ曲がった槍が絡め取る。


 今にも消えてしまいそうな意識の中で、胴体に巻き付く槍の正体に気付く、鱗に覆われたこれは、いつか見たアークの尻尾だ。自身も倒れているというのに、それでも尚アキを助けようと言うのか。

 意識を必死に繋ぎ止めて、せめて彼女の状態を確かめようと視線を向け──動きが凍り付いた。


 先ほどまで彼女がいた場所に、その姿は半分しかない。正確には、少女と判別できる要素が、だが。


 それを何と表現すればいいだろうか、蛇と人間とを、それぞれ縦に切って無理矢理くっつけた、と言うのが近いかもしれない。


 歪んだシルエットの右半分は人間の少女に見えるが、左半分はそこから大きく逸脱している。

 銀の鱗に覆われ、肥大化して棘だらけの形状をした皮膚。

 腕があるはずの位置についている、ぐにゃぐにゃに捻じくれた指の名残のような突起。

 半ばから螺旋を描くように曲がり、尻尾と融合した足。

 それらが服を……彼女が大切にしていた、古臭いコートを突き破って大気に晒されている。


 左側が爬虫類のそれそのものへと大きく変異した顔は、真っ当な生物にあるまじき左右非対称さと、無機質さを増した巨大な瞳を持ち不気味さが際立つ。

 右側に関しても変化は現れている。角は大きく伸びているし、耳元まで裂けた口から覗く長い二股の舌と牙は捕食者のそれだ。それでも、元の顔がわかるくらいには原型を留めていた。

 まさに怪物と呼ぶに相応しい、蛇と人とを無理矢理繋ぎ合わせた出来の悪いパッチワークの如き姿。それでも、それをアークだと判別できる要素は残されてしまっていた。


 その時、その姿を見て自分がどんな顔をしているかアキはわからなかった。ただ、アー クと目を合わせたまま動けなくなる。

 声を出そうにも、痛みに打たれ酸素を求め続ける身体からは呻き声しか出ない。


 彼女は地に倒れ伏したまま、そんな少年を見つめ返す。

 そして、激痛に耐えるような表情から一転……いつものようににこりと笑った。


 尻尾が大きく振られる。その勢いで破れていたコートがついには弾け、動きに合わせて宙に舞った。

 布切れと化したそれに追従して、アキの身体も尻尾の抱擁から解き放たれ、夜の空へと飛び立っていく。


 一瞬で視点が周囲の建物より高くなり、放物線を描いて飛ぶ中、倒れたアークへ近づく男が見えた。

 その光景も、落下が始まると共に建物の陰へと隠れ見えなくなる。


 ぐちゃぐちゃに乱れた思考と、流れて行く景色の中。どぽんと言う水音を最後に、目の前が真っ暗になった。





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