第10話 熱と因縁


 寒空の下、アキは家の前で佇んでいた。

 熱くなった顔が風で冷えていくのが心地いい。 日頃であれば煩わしいく感じる、季節外れの寒さが今ばかりはありがたかった。


 気が動転してしまったが、よく考えてみればどうということもない。別に裸だったわけでもなし。ただ素顔を見ただけだ。

 そんな風に自分に言い聞かせ、暗示をかけて脈拍を押さえていく。ぐるぐると頭の中を巡る、宝石のような瞳と透き通った鱗を振り払うように。


 そうしてようやく頬の火照りが冷めてきた頃、再び扉が開いてアークがひょこりと顔を出す。 先ほどとは違い、今はまたいつものコートを着込みフードを目深に被っているが。


「お、おはようございます……」

「あ、ああ。おはよう」


 お互いの口から出るのはぎこちない挨拶、冷ましたはずの顔がまた温度を上げようとする。


「と、 とりあえず中に入ってよ」

「おう……」


 どこか気まずい空気に耐えられなくなり、アークの提案に頷き玄関を潜る。

 そこでアキは少々驚いた。思いの外部屋が綺麗だ。外観は掃除こそ行き届いていたもののいいところでボロ家、正直に言うなら廃屋といったところだったのに、中に入ればとてもそんな風には見えない。石造りの壁や床は丁寧に磨かれ、光沢を放っているようにさえ見える。

 部屋のサイズは外から見た通りそんなに広くないが、内装に関しては暖かそうなカーペットや、精緻な細工が施された衣装箪笥など、一級品の物が揃っていた。


 商人としての性からついつい目利きをしてしまう。そんな中、視界の端にベッドとその上で丸まっている毛布を見つけてしまった時、遅まきながらもアキは気付く。


 あれ、気付いたら自然と女の子の部屋に入っちゃってない?


 自覚した瞬間に身が強張った。蛇に睨まれた蛙の如く、背中から冷や汗が噴き出すのを自覚する。

 先ほどまでは心配やら出会い頭の衝撃やらで意識することはなかったのだが、ことここに至って自覚した。自分は今、(見た目は)同年代の少女の部屋にお邪魔しているのだと──!


 アキとて、別に女慣れしていないということはない。 仕事柄多くの人と会話する分、むしろ女性との会話には比較的慣れている方だと言ってもいいだろう。

 ただ、それはあくまで仕事上の話である。 受付嬢の時のような営業用の対応ではなく、 知人としての付き合いとなると話は変わる。

 故郷に同年代の女子などおらず、家を出てからは商人としての勉強の毎日。こういった事態にはまったくもって疎かった。

 アキ少年、一九歳。未だ多感なお年頃である。


 そんな風に唐突に挙動不審になったアキではあるが、アークにしても未だ動揺が抜けておらず、その様子には気付かなかった。

 部屋の隅に置いてあった椅子を引っ張ってくると、二人揃って辺りを警戒する小動物のように、そわそわとしながら腰掛ける。


「え一っと、それで、どうしてここに? というか、何で僕の家を知ってたの?」


 椅子に座ったアークから当然の疑間が放たれる。

 身体に合っていない大きすぎるコートは、座っている状態だと床に擦りそうだったが、そうならないよう手で押さえている。妙に古めかしいし、何か大事なものなのだろうか。

 顔は相変わらずフードで隠れているが、覗いた顔からさっきの記憶が刺激されそうでアキは努めて意識を逸らす。


「あー、場所は受付嬢さんから開いた。ほら、初日にお世話になったあの」

「そっか……そういえばあの人がまだ小さかった頃、こっそりついてきたことがあったなあ。だから知ってたのか」

「受付嬢さんも言ってたけど、昔からの知り合いなんだって?」

「うん、そうだよ。他の子もいたけど時々ー緒に遊んでたんだ。こんなところまで付いて来たのは、あの人だけだったけどね」


 懐かしそうに目を細めるアーク。こういった言動から彼女が自分よりずっと年上だとわかるのは、何だか不思議な気持ちだ。

 エルフや他の長命な人類種にも知り合いはいるが、アークはそういった種族と違い、 精神性が見た目相応……いや、それ以上に幼く見えるからだろうか。それが種族的な特徴なのか、個人の素質によるものかはわからないが。


「で、何で来たかだけど。約束の時間になっても来ないから様子を見に来たんだが」


 アークが固まった。


「えっ……今って、朝じゃないの?」

「いや、もうすぐ昼時になるんだけど」


 ほら、とアキが窓の外を指さすと、薄暗かった路地にも中天にさしかかった太陽からの光が降り注いでいる。

 アークは少しの間その景色をぼうっと眺めていたが、突如としてバネ仕掛けの人形のように跳ね上がり、慌ててアキへと頭を下げた。


「ごごごごごごめんなさい! 寝坊してました!」

「あ、うん。見たらわかるけど」

「本当にごめんね!? 今すぐ支度するから!」

「いや、もう気にしてないしゆっくり、ってお一い」


 もはやアキの言葉は耳に入っていないのか、先ほど家の中に引っ込んだ時と同等、いやそれ以上の慌ただしさで席を立つアーク。棚の中から財布やら何やらを引っ張り出し始めた。


「普段は寝坊なんてしないのに 」と呟いているのが耳に入り、アキも確かにそうだなと思った。

 数日という短い付き合いではあるが、アークはいつでも真面目なものだ。多少抜けているというか、おっちょこちょいな部分はあるものの、寝坊や遅刻をするというイメージはなかったのだが。

 と、そんなことを考えていたアキの視線の先で、 アークの身体がふらりと傾く。

 反応する暇もなく、小柄な身体が尻餅をついた。


「……あれ?」

「お、おい! 大大夫か!?」


 慌てて駆け寄ると、アークは痛がる素振りを見せるでもなく、きょとんとした顔をしていた。まるで、今自分が転んだことを理解していないかのように。


 座り込んだまま動かない様子に不安になり、手を引いて助け起こす。ひんやりとした、金属のような冷たさの鱗が手に触れた。

 立たせて顔を覗き込むと、まだ転んだことがわかっていないのか目を瞬かせている。

 その目はどこかぼんやりとしていて、アキの方に焦点が合っていないようにも見えた。

 もしかして、とアキは思い、すぐさま行動に移す。


「ちょっと失礼」


 返事も聞かず、頭を覆うフードに手をかけると一気に取り払う。先ほどと同じ隠されていない素顔が顕になった。


「……わ、わっ!?」


 ここに来てようやく状況を理解したらしいアークが泡を食ってフードを被り直そうとするが、それを押さえて顔を突き合わせる。照れや他の感情は今はゴミ箱へと放り投げておく。

 いつもは顔を隠していたため正確には判断できないが、顔がほんのりと赤くなっているように思えた。


 次に鱗がない場所、額に手のひらを当てて体温を確かめる。さっき掴んだ手首とは真逆に、額はとても熱かった。


「やっぱり、熱があるな」


 手を離してアキは言う。

 納得した。体調を崩していたというのなら、寝坊をするのもおかしくはない。


「……え、熱?」

「そうだよ、とりあえず寝ろ。ほらこっち」


 信じられないとでも言いたげなアークの手を引くと、抵抗する様子もなくついて来る。 その足取りもよくよく見れば不確かで、もっと早くに気付けなかったことが悔やまれる。

 とりあえず、すぐにベッドへ腰掛けさせ、寝転ぶように促すとアークは素直に従った。まだ瞳はぼ一っとしていて、ただ天井を見つめている。


「……そっか。そういうことか」


 そう呟くアークは、顔の前に手をかざしてそれを見つめる。とりあえず自分の調子は認識できたようだ。

 それを確認して、アキはほうっと息を吐く。 すぐに気付けなかったのは失態だが、それでも様子を見に来てよかった。一人暮らしだというのなら尚更だ。


「とりあえず、水とかあるか? ないなら買って来るけど」

「あ、うん。そこの棚の中に入ってるよ」

「ならよし。じゃあ医者を呼んで来る」

「っ! ちょ、ちょっと待って!」

「何だよ。倒れるくらいだからちゃんと見てもらった方がいいぞ。場所はわかってるしすぐ戻るから」

「あ、いや、ほら。 大丈夫だよ。 僕は頑丈だし、これくらいなら一日休めば治ると思う」

「だけどさ……」

「それにほら、僕の身体は だから。普通のお医者さんじゃ診てもわからないよ」


 言われてみれば確かに、比較的身体の構造が近い稼族ですら治療に必用な知識が異なるのに、それが希少種族であるところの魔族であれば、普通の医者では治療できないかもしれない。

 だが、このまま放置しておくというのはさすがに避けたかった。


「だ、大丈夫。エルザさんに伝えれば、なんとかしてくれるから」

「……わかった」


 逆らえない名前を出され、渋々ではあるが引き下がる。ギルド長であれば問題なく対処してくれるだろう。今は留守にしているから、伝えるのは遅れてしまうが。


 ひとまず、熱がある以外に異常がないようで安心する。意識ははっきりしているし喋りも明瞭だ。ここの急に所冷え込んできたし風邪か何かだろうか。

 素人診断なので安心はできないが、薬についても商業都市この街なら大抵のものが揃うだろう。


「けど、とりあえず水は飲んどけ。食欲あるか? あるなら何か作るけど。」

「ありがとう。ご飯は大丈夫だよ……ふふっ」

「え、何で笑ったの」

「君はやっぱり優しいなって。そう思ったらつい、ね」

「……うるせえ。おとなしく寝てろ」


 本当に無意識の内に世話を焼いていた自分に気付けば、ぶっきらぼうにそう返すしかなかった。

 とはいえ、目の前に病人がいるのだ。これを放っておくことなどできるはずもない。

 そんなアキの内心を読んだのか、 アークは毛布を被りながら声をかける。


「ごめんね、 案内の約束してたのに」

「病人が何言ってんだよ。いいからゆっくり休め」

「うん、ありがとう。君は本当に優しいね」

「……」


 また自分の知らない誰かと勘違いされているようだが、今日ばかりはそれを訂正するつもりもなかった。病人に鞭打つほどアキは考えなしではない。

 ただ、優しいと言われることが何だかむず痒くて、それを誤魔化すように話を変える。


「寝る時くらいフード外さないのかよ。 邪魔だろ、それ」

「あー。でも、顔見えちゃうし……」

「さっきも見たし今更だろ。熱あったら蒸れるだろうし、外しておけよ」

「……気にしないの?」

「は? 気にするって……何を?」

「え……だって、角とか鱗があるよ」

「珍しくもないだろそんなもん。知り合いの蜥蜴人に結構いるわ」

「……でも、僕の見た目、魔族だよ」


 不安げにそう告げられて、少し考える。

 魔族。一〇〇年前の大戦で、他の人類種全てを相手にたった一種族で戦った最強の種族。

 現代でも恐れられていて他の種族からは疎まれやすい。数日前の、地下港で目にした時のように。

 それらのことをほんの少しだけ考えて──


「で?」


 自分には関係ないなと、くだらない考えは放り投げた。

 えっ、と軽く息を呑んだアークを無視して話を続ける。


「現代っ子なもんで、大戦がどうこう言われてもイマイチわからん。そんなことあったんだなってくらいだ」

「お、大雑把だね……」

「両親が東の島国出身で、大陸で起きた戦いとは無関係だったらしいからな。俺は大陸生まれだけど、親がそんな感じだから余計実感しづらい」

「……大陸の外?」

「ん? ああ、何でも商売のためにこっちに渡って来たんだと。それでちゃんと商店作ってるんだからすごいと思うし、その影響で俺も商人になろうと思ったんだけど」

「そっか……そうだったんだ」

「……? まあとにかく、だから魔族がどうこう言われてもなんだかなって感じだ。まあ力は強いみたいだけど、むしろ見た目は人間に近くないか?」


 その言葉を口にした瞬間、アークの瞳が大きく開かれた。何か信じられない言葉を耳にしたかのように、動揺が顔に現れている。

 何かマズいことを言っただろうかと、あまりの反応に驚くアキだったが、アークはその顔を今度は泣いているような、笑っているような、そんな形に歪めた。

 アキはその顔を知っていた。つい先日目にしたもの、迷子の子どもが探し求めていた人に出会った時の表情。アークのそれは、まさに『救われた』者の顔だった。


 何事かと思ったアキだが、アークはすぐに普段のぼんやりとした笑顔を浮かべ、数瞬前までそこにあった表情は消えてしまった。


「……そうだね。じゃあ、お言葉に甘えて」


 そう言って、すっかりさっきの動揺を納めたアークがフードを下ろす。銀糸ごとき光沢を放つ髪が流れ落ちる滝のようにベッドの上に広がった。

 その顔を見て熱くなろうとする自分の顔を精神力だけで押さえつけながら、アキは言葉を掛ける。


「明日までに治ればいいな」

「うん……本当に、そうなるといいな」


 目を閉じてそう言うアークの姿を見て、アキもそうなればいいと強く思った。

 神様に感謝する祭りだそうだし、ついでに彼女にもご利益の一つがあればいい。

 神様が彼女の優しさを見ているのであれば、それくらいのことを願っても罰は当たらないだろう。


「他にして欲しいこととかあるか。起こしちまったし、また寝たいって言うんならその間にギルド長探して来るけど」

「うーん……それより、少し話し相手になって欲しいかな」

「別にいいけど……休まなくていいのか?」

「うん。ちょっと寝れそうにないし、 こうやって、 落ち着いて話をする機会もなかったから」

「そっか」


 風邪を引いた時に感じる心細さは、アキも覚えがある。それを慰めるための話し相手になることくらいならお安いご用だ。


「って言っても、おもしろい話なんてできないぞ」

「僕は外の話とか、君の話を聞いてみたいな。それに、 明日のお祭りの話をするのもいいね」

「俺の話ね……ガキの頃に実家の倉庫で変な箱を見つけて、川に流されかけた話でもしようか」

「えっ、なにそれ」

「おっ、食いつきがいいな。それがな──」



 そうして、二人はくだらない話をした。

 アキが子どもの頃の話や、仕事を始めた時の失敗談に笑い話。アークもこの街で起きた出来事や、明日の祭りについての話など。毒にも薬にもならない、ただ楽しいだけの雑談。

 未だにどこかすれ違ったままの二人ではあるけれど、今この時間だけを切り取れば、 それは仲のいい友達が話している、ただ優しい時間。

 それはどちらにとっても同じことで、二人してこの時間を楽しんでいた。



 それが二人が今のまま、穏やかに過ごせる最後の時間だなんて知らずに。




 ◆




 しばらく雑談に興じたアキは、アークの家を出て元来た道を歩いている。

 結局話し込んでしまったため、それなりの時間が経っていた。

 ベッドの横に水とパンを置いて、額に濡れたタオルを当て、よく寝るようにと声をかけてから来た。傍から見ている者がいたならば生温かい視線を浴びせていただろう面倒見のよさだった。

 ありがとう、と寝たまま挨拶していたアークは、ただ優しい顔でいたが。


 結局、最後までつらそうな表情は見せなかったが、やはり心配で早めにギルド長に知らせようと足早に路地を抜ける。

 朝は薄暗い通りではあったが、真昼ともなれば怪しい雰囲気もいくらか和らぎ、露店も増えてそこに客も集まって来ている。

 どこからか漂ってくる昼時の食事の匂いに刺激され空腹を訴え始めた腹を押えながらも大通りへと出た時、後ろから声が掛けられた。


「あっ、お前!」


 その声と同時、唐突に肩を掴まれる。何事かと思って振り向くと、そこには大柄な蜥蜴人の男が立っていた。


 蜥蜴人は年を重ねるほどに身体が大きくなるらしいが、目の前の男はかなりの大きさだ。アキよりもずっと高いところに頭がある。 背丈は優にニメートルを超え、下手をすればニ・五メートルを超すだろうか。

 当然、そんな男に突然肩を拒まれた側からすればたまったものではない。目の前の巨体に呆気にとられるが、いったい何の用だろうか。


 もしや、またぞろトラブルだろうか。アークと一緒にいるところを見られて、一人歩きしているところを彼女に対する人質として捕らえられるとか。ここ数日のことを考えるとありえそうで笑えない。


 捕まって彼女の居場所を聞かれたとして、 はいそうですかと教えるわけにもいかないし、痛い目にだって遭いたくない。どうにか逃げられないかと思考が飛んだところで再び蜥蜴人が口を開いた。


「よう、久しぶりだな! 元気にしてたか!」

「えっ?」


 バンバンと肩を叩き、大口を開けて笑う蜥蜴頭。加減されているのか、その鱗だらけのゴツい手に叩かれてもまるで痛くはない。


 思っていたような危険な展開でこそないが、これはどういう状況だろうか。

 というのも、目の前の蜥蜴人にまったく見覚えがないのだ。これほどの巨体であればそうそう忘れることもないと思うのだが。


「いやー、久しぶりに来たら随分道が変わってるもんだから迷っちまうとこだった! お前に会えてよかったぜ!」


 そう言われてよく見ると、背中にアキが行商の時に背負うような、これまた大きな背嚢を背負っている。

 港の方の道から来たようだし、今この街に着いたばかりなのだろうか。


「あの、すいません。人違いだと思いますけど」

「ああ? 何言ってんだよ。見間違いなんてあるわけ……あれ、おまえ若くない? 人間って年くったらもっと白髪まみれになるもんじゃねえの?」

「すいません。 俺のこと何歳だと思ってますか?」

「前会った時から数えると、そろそろ一〇〇歳か?」

「人違いですね!」


 どんな老人と勘違いされているのか。ともかく、 誤解を解くアキ少年一九歳。

 年齢を告げると、思いの外早く誤解は解けた。


「いやぁ、悪いな兄ちゃん! あんまり知り合いにそっくりだったからよ、間違えちまった!」

「いえ、誤解が解けたならよかったです」

「いやー、そりゃそうだよな。人間が八〇年前と同じ姿なわけねえよな」


 手を合わせて詫びを入れた後、一人頷く蜥蜴人。威圧的な見た目とは違い、話のわかる人物らしい。


 しかし、アークに引き続きまた誰かと間違われるとは、妙な偶然もあったものだ。


 そんな風に考えていたアキだが、次の一言で目の色を変えた。




「でもこの、確かにあいつと同じなんだけどな」




 

 その一言に脳が揺さぶられたような錯覚すら覚え、アキはその場に立ち竦む。

 今、この蜥蜴人は匂いと言った。 それが記憶を刺激する。


 ……そうだ、アークと初めて会った時、 彼女はアキの匂いを確認してから何かしらの勘違いを始めた。

 人間にはない器官や、人間より遥かに発達した器官を持つ人類種は少なくない。

 爬虫類のような特徴を持つ魔族と、目の前の蜥蜴人。似た特徴を持つ者達が、同じ判断を以て、同じ人間を別の誰かと間違えるということがこの短期間に起こるというのは、何か理由があると思えてならない。


 そう、例えば『アキと似通った匂いを持つ人物』とアキを、二人が同じ判断基準で間違えているのだとしたら。


「……すいません。自分を誰と間違えたか、その人の名前を教えてもらってもいいですか」

「んあ? いいけど……どうした兄ちゃん、急に恐い顔して」


 まあいいや、とそう告げる蜥蜴人が口を開くのを待つ。

 自分ですら気付かない内に、アキは強く拳を握りしめていた。


 どうしてだろうか。ただ人の名前を開くだけなのに嫌な予感がする。目を逸らしていたものに、正面から向き合わなければならないような。普段から目にしていた汚れの、その醜悪な正体を知ってしまうかのような、そんな漠然とした不安感。


 そんなアキの不安を知らず、蜥蜴人の男は至極あっさりとその名前を口にした。



「レイス・フィード。この街に住んでる、俺の古い友人だ」



 瞬間、世界から音が消えた。

 アキの頭の中は真っ白になっていた。

 どうして気付かなかったのだろうか。いいや、どうして気付かないフリができていたのだろうか。それと気付くタイミングなんて、いくらでもあったというのに。


 そうだ、彼と彼女は似ていた。喋り方も、 雰囲気も、お人好しな部分も。

 そうしてアキはようやく理解した。アークが誰と自分を間違えていたかを。自分が何から目を逸らしていたかを。



 アキ──アキ・フィードは。

 レイス・フィードを祖父に持つ少年は、ついに因縁を見つけてしまった。



 見つけた時には、それは終わっていたけれど。





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