第9話 受付嬢と訪問
「……来ないな」
外壁での会話から数日後、アキは宿の食堂で、すっかり日課となった朝のお茶を味わいながら呟いた。
あれからも、毎日二人で街へと繰り出し観光と洒落込んでいる。
アキとしても最初は少しぎこちない対応だったが、しばらくするとすっかり慣れてしまい、この数日は完全に今の状況を楽しんでいた。買い食いをしたり、街の名所や祭りの準備を見て回ったり、商人同士での繋がりを作ってみたりと、充実した日々だったと言える。
そんな中でも、二回ほどアークを狙った襲撃があったが、以前よりもずっと小規模なものだったのでアークが手を出すまでもなく、衛兵の手で騒ぎになる前に片がついているので問題はなかった。それに慣れてしまっているのは考えものではあるが。
そして今日。いつもの時間に宿で待ち合わせをしていたのだが、アークが時間を過ぎても来ていない。流石に最初の時ほど早く来ることはなくなったが、必ず待ち合わせより早く来ていたというのに、今はかなり約束の時間を過ぎているのに一向に来る気配がなかった。アキの食後のお茶も既に二杯目が空になっている。
これがただの寝坊であれば別にいい。いや、良くはないのだが、ここ数日で何度も彼女が襲われている姿を見ていることが、アキとしては気掛かりだった。
港で見たあの戦闘能力であればそうそう危険が訪れるとは思えないが、それでも女の子にもしものことがあったらと思うとやはり心配にもなる。
なので、早いところ顔を見て落ち着きたいのだが。
「俺、あいつがどこにいるか知らないんだよな……」
そう、いつもアークの方から迎えに来ていたので、彼女がどこからここに来ているのかを知らないのだ。試しに知り合いらしい宿の女将さんに尋ねてみたが、家の場所は知らないと言う。これでは連絡の取りようもなかった。
まあ、確実にわかるだろう方法はあるが……。
「嫌がってても仕方ない、か」
溜息を吐きながらアキは席を立った。
◆
宿を出たアキは気持ち早足で街を歩き、目的の場所へとやって来た。
と言っても、別に特別な場所へ来たわけではない。ただ商業ギルドを訪れただけである。
ギルド長であれば家の場所くらいは知っているだろうし、もしかしたら今アークがどこにいるかがわかるかもしれないと思ったからだ。
「自分からあのババアに会いに来るなんてな」
背に腹は替えられまいと、扉を潜って中へと入る。まだ早い時間ではあるが受付はそれなりの人数で賑わっていた。
職員の誰かに取り次ぎをしてもらおうと思っていたが、少し待たなければいけないかもしれない。 仕方がないので受付の列に並ぼうとしたところで、後ろから声をかけられる。
「あれ、あなたはこの間の……」
誰かと思い振り返ってみると、そこには商業ギルドの制服に身を包んだ女性が立っていた。
どこかで見たような気がして僅かに記憶を探り、その時のインパクトの強さからすぐ思い出す。
「あ、受付の」
この街に来た初日、書類の手続きを担当してもらった受付嬢だった。今日は違う仕事をしているのか、入口から入ってきたところのようだ。
「あー……」
しかし見知った顔ではあるものの、どう会話すればいいのかわからない。仕事はできるし話し方も丁寧な人なので好印象ではあったのだが、その後の暴走具合や退場際のインパクトは、少なくとも今コミュニケーションの取り方に悩むくらいには強烈だった。
アキのそんな様子に気付いたのか、彼女は赤面しながら頭を下げる。
「先日は申し訳ございませんでした。つい取り乱してしまい……」
「い、いえ、気にしてませんよ」
実際は会話に躊躇する程度には気にしていたのだが、それはそれ。大人の対応力でスルーした。今は理性的なようなので問題ない。
「……あの後、大丈夫でしたか?」
「先輩に怒られました……」
「あー……」
「アークちゃんに春が来たかと思うと、いても立ってもいられなくなってしまい……」
しょんぼりと肩を落とす受付嬢さん。アキとしてはやっぱりそうなったかと思う他なかった。
「それで、今日はどういったご用件でしょうか。見ての通り受付は混んでますが、迷惑をかけたお詫びもありますし、簡単なことなら私で対応しますよ」
「あ、ありがたいです。実は少しギルド長に用がありまして」
「そうですか……申し訳ございませんがただ今会議で外に出ておりまして、昼までは戻って来られないんです」
「そうなんですか……」
当てが外れてしまった。まだそれなりに早い時間だし、昼までとなると少し時間がかかってしまう。ここで待っていて宿に来たアークとすれ違う可能性もあることだし、どうしたものだろうかと思ったが気付く。
目の前の受付嬢はアークのことをちゃん付けで呼んで随分と親しげな様子だし、もしかしたら何か知っているのではないだろうか。
「あの、すいません。 アーク……あの子について、ちょっと聞きたいことがあるんですけど。もしかして仲が良かったりしますか?」
「恋バナですか!?」
「違いますから落ち着いて 」
それが原因で怒られたんじゃなかったのか。
「し、失礼……アークちゃんとは、私が子どもの頃からの付き合いですね。よく面倒を見てくれたお姉さん、という感じです。まあアークちゃんは見た目が変わらないので、私の方が年上みたいになっちゃいましたけど」
「なるほど ……それなら、自分と似た人間がアークと仲良くしてたところとか見たことありませんか。あいつ、自分と誰かを勘違いしてるみたいで」
「……いえ、見たことがありませんね。少なくとも私の記憶にはありません……はっ! ま、まさかの双子による三角関係……!」
「違います」
またよくわからない暴走を始めたことはともかく、それだけ昔からの付き合いとなれば何か知っているかもしれない。
宥めながら誤解を解き、今アークを探している事情を説明する。
それで、アークの居場所か、家がどこか知らないかを聞いてみたが、話を聞いた受付嬢はなぜか少し難しげな表情だった。
「……居場所はわかりません。アークちゃんは普段から結構あちこちを動き回ってますから」
「そうですか……それなら」
家の場所を知らないかと尋ねようとしたところで、受付嬢が言葉を挟む。
「アークちゃんのこと、どう思いますか」
「……はい?」
「何でもいいんです。ただ、アークちゃんと一緒に街を回っていると聞きましたので、 彼女について何か印象的だと思っていることがあれば、と」
よくわからない質問だった。少なくとも、普通ならこのタイミングで投げかけられるものではないだろう。
ただ、受付嬢の顔が真剣だったので、アキも少し真面目にアークについて考えてみる。
自分にとってのアークの印象は……。
「……いいやつ、ですかね」
結局、考えて出て来た言葉はごく短いものだった。 さすがにこれだけでは端的に過ぎるかと、もう少しばかり言葉を探る。
「結構迷惑かけられてる気もするんですけど、いいやつだってことはわかります。困ってる人を見かけたら放っておけない性質というか、誰かを助けることに躊躇がない……うん。やっぱり、 いいやつですね」
だからこそ、この間のように人を助けたのに誤解されている状況が気に食わないのだが。
そう考えて気付く、アキはあの状況が気に入らなかったから、今までもやもやとした気持ちを抱えていたのだ。
唐突に女の子へ襲いかかる輩も、よく知りもしないアークに恐怖の目を向けた連中も、それらを見ることしかしなかった自分も。
だからといって今できることもなく、結局はその気に食わなさも腹の中に溜まるのだが。
その言葉を聞いて、受付嬢はしばらくじっとしていたが、ふと微笑むとからかうような声を出す。
「ちなみに、女の子としての魅力とかは」
「結局そこなんですか?」
「あはは。すいません。アークちゃんがあんなに楽しそうにしてるのは久しぶりで、つい気になっちゃいました」
そう言う彼女の声には既に先程までの緊張感はなく、むしろ最初よりも柔らかい声音になっている気がした。
「アークちゃんの家ですね。知っているのでお教えします。本当は職員がこういうことしちゃ駄目なんですけど」
「えっ、じゃあ……」
「いえいえー、ご迷惑をおかけしましたし、アークちゃんもきっと会いたがっていると思いますから。何より明日はお祭りです。今日の内から準備して、明日二人で回るときっと楽しいですよ」
わかりにくい場所なのでメモしますね、とペンを走らせる受付嬢だが、最後に一言付け加える。
「……ギルド長には、内緒にしてくださいね?」
そう言って可愛らしく舌を出す彼女を見て、ギルドの関係者はこんなのばかりなのかとアキは引きつった笑いを浮かべた。
◆
結局、笑顔という名の圧力に押し込められギルドを出てからしばらく、案内書きに従って歩いていると、何やら薄暗い路地へと入り込んでいた。
祭りの準備で浮足立っているはずの街の喧噪も、遠く聞こえるばかりで非常に活気に欠ける。位置的に言えば地下港からもそう離れていないはずなのだが、とても同じ街とは思えない空間だ。
商業都市らしくぽつぽつと商店が開いているが、どこかアングラな香りがするというか、まともな店と言えるものが見当たらない。
今通り過ぎた何かの店には、怪しい紫の火を灯す髑髏のランタンなどが飾ってあったし、向こうには、朝から退廃的な雰囲気を振りまいているカップルが酒と思しきものを飲んでいる店がある。
控え目に言っても空気が最悪だ。地獄と言ってもいい。
本当にこの道で合っているのかと不安になるが、案内書きを見ると間違いはない。しかもよくよく見ると端の方に『少し歩きにくい雰囲気です!』と小さく文言が書いてある。 本当にいい性格をしていた。
ただ、一応ギルドの職員が案内する場所ではあるのか、治安が悪いわけではないらしい。
誰かに絡まれるということもないし、時々アキと同じ一般人らしき人達が買い物をしている場面にも出くわす。むしろ昨日までの襲撃の方が治安の悪さとしては上だろう。
エルフの青年と店番の蜥蜴人が、商品らしき骨を片手にやりとりしているのを横目に、 更に奥へと向かって行く。
いよいよ人通りが少なくなり、周りもより一層と薄暗くなってきた頃、ようやく目的地と思えるところにたどり着いた。着いた、のだが。
「……ボロくねえ?」
その建物は、誰がどこからどう見てもボロボロだった。石材で作られたらしい、小屋と呼んだ方がいいくらいの大きさの建物だ。
掃除はされているのか、周りの建物に比べると比較的綺麗には見える。ただ、かなり古い物なのか表面は雨風で風化して色が落ち、ところどころ亀裂も走っている。廃墟と言われた方が納得できるような有様だ。
本当にここであっているのだろうかと案内書きを見るが、何度確認してもここがアークの家だと書いてある。
しばらくその場で立ちすくんでいたが、 こうしていても仕方がないと、玄関をノックする。木製のドアが叩いた箇所からギシギシと包みを上げ、より一層不安を煽る。
これでアーク以外の人物が出てきたらどうしよう。と、扉を開けて怪しい魔術師や厳ついギャングが出て来る様を想像し、いつでも逃げ出せるよう微妙にへっぴり腰で返事を待つ。
『はぁい……』
しばらくして、ドアの内からどこか間延びした、聞き覚えのある声が聞こえてきた。 目的地はここで合っていたようだ。場所の間違いがなかったことと、トラブルに巻き込まれたわけではなかったということにほっと息を吐く。
それにしても、まだ家にいたということは、約束を放り出して今まで寝ていたとでも言うのだろうか。 心配していた分少し腹立たしい気持ちが芽生え、文句でも言ってやろうかと待ち構えていると、扉が開いてアークが顔を覗かせる。
「おはよう、エルザさ……ん?」
「あっ」
びきり、と音を立ててアークが硬直する。 アキもまた、同様に動けなくなってしまった。
予想通りに寝起きだったようで、アークは眠たげな目をこすっていた。それは問題ない。が、当然寝る時はコートを脱いでいるらしい。つまるところ、今のアークはいつものようにフードを扱っておらず、正面からアキと視線がかち合った。
黒曜石のように暗く厳かな光沢を備えた角や、宝石の如き輝きを放つ蒼い瞳が、 少年の視線を捕らえて離さない。
更に、服装もシャツと上から羽織ったカーディガンといった格好で、普段は隠れている首元や腕がよく見えてしまっている。そこには人間らしい柔らかさはなく、蜥蜴や竜を思わせるゴツゴツとした骨格と外皮が見て取れる。
人間とは違う生き物である証、身体を覆う白金色の鱗は、薄暗い場所にも関わらず仄かに輝きを放ち、少女の身に神秘的な空気を纏わせていた。
そんな、普段とはかけ離れた雰囲気を持つ少女と見つめ合い、しばらくの時間が経過して……
ぱたん、扉が閉じられた。
『何で!?!?!?』
僅かな間を置いて、内側から絶叫が響き渡る。
その声にようやくアキの硬直も解けるが、 時既に遅し。声は止むことを知らない。
『えっ、何で? 何でいるの? エルザさんじゃなくて、 君が!? うわっ、うわぁー!? と、とりあえず少し、少しだけ待って! 準備して片付けるからぁー!!』
ドンガラガッシャンと何かが崩れるような音が聞こえ、その後はひっきりなしに駆けずり回っているのか何の言葉もない。時折あー、だのうーだの唸り声は聞こえるが、アキはそれどころではなかった。
顔を手で覆い隠す。触れた頬は自分でもわかるくらいに熱を持っていた。
そのままその場にしゃがみ込み、深く深く息を吐く。脳裏を過るのはたった今見たばかりの少女の姿。 普段はよく見えない顔と神秘的な魔族の証。人間と同じ部分、人間と違う部分。それを見た時、自分は何を思った?
「……受付嬢さんのせいだ」
そうに決まっている。あの人がやたらとそんな話に持って行こうとするから、今こんなことを考えているのだ。
火照った顔の責任を他人へと押し付け、中から響く慌てた声を聞きながら、 アキは最後にもう一度、 大きく息を吐いた。
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