第6話 疼く記憶と神の道
『アキ。君に、覚えておいて欲しいことがあるんだ』
ふわふわと意識が揺蕩う感覚に、ここが夢の中であることを自覚した。
随分と懐かしい声がする。まだ幼かった頃よく耳にしていた優しい声だ。
視界がぼやけて相手の顔もわからないが、誰かの膝の上に座り頭を撫でられていた。
その相手はアキに語りかけているが、夢の中のアキは幼い子どもで、心地良い声の主に身を委ねて夢と現の間を漂っている最中であり、言葉の意味を理解してはいなかった。
声の主はそう言ってアキを撫でる。それが心地良くて、幼いアキは一層深く夢の世界へと落ちていく。
子どものアキが夢に落ちる程、現実のアキに近付いていく。何か、とても大事なことを忘れている気がしてならない。だが、今現実へと戻ればそれは容易く手の内から零れてしまうだろう。
それが嫌で、夢の中の自分自身にもう少しだけ耐えてくれと訴えかけるが、幼子は眠気に耐え切れず、ついに意識は閉ざされる。
そうして夢と現実の意識が統合される直前、微かに声が聞こえた気がした。
『僕は──』
◆
窓の外から聞こえる賑やかな音でアキは目を覚ました。
既に日は昇っている。いつもより少しばかり遅い時間に起きてしまったようだが、旅の疲れなどを考えれば十分早い方だろう。
流石ギルド長の推薦した宿というべきか、快適な部屋のおかげで随分と疲れが取れている。
ベッドの上で大きく伸びをしてから妙な頭の重さに首を傾げた。夢を見ていたと思うのだが、 その内容をまったく覚えていない。 それに、何かを忘れている気がしてならないのだ。
何か、とても大事なことだった気がするのだがどうにも思い出せない。つい昨日の記憶のようでもあるし、ずっと昔の思い出だった気もする。
そのまましばらく唸り続けていたが、どうにも思い出せないので出かける支度を始めた。体を動かしていれば自然と思い出すかもしれない。
そうと決まれば早く行動しようと立ち上がる。商業都市に来たからには行ってみたい場所があるのだ。昨日は慌ただしく行く暇もなかったが、滞在している期間が未定なのだし早い内に行っておきたい。
着替えながら窓の外に目を向けると、まだ早い時間にも関わらず昨日と同じ様に活気付いた街並みが広がっている。深夜には静かになっていたようだが、早朝からこの活気というのは他の街では中々見られない光景だろう。
そんな喧噪の中を白い鱗の蜥蜴人が通るのを見かけ、アークが迎えに来ると言っていたが、待ち合わせの時間を決めていなかったことを思い出す。
あの様子では早い時間にやって来そうだが、流石にまだ来ないだろう。日が昇ってはいるがまだ早朝だ。表通りの喧噪のように店を開いている者ならともかく、観光客はまだ眠っている時間帯である。
昨日と違って時間に余裕もあるし、現在位置もわかっているので散策しながら一人で出掛けてもいいのだが、ギルド長に一緒に行動するよう釘を刺されている以上それはマズいだろう。地獄耳なあのババアの所には確実に情報が入る。
それに、昨日のひどく楽しそうにしていたアークのことを思うと、流石に置いていくことは気が引けるという思いもある。
仕方がないので朝食を摂りながら待つことにする。昨晩の夕食のことを思えば朝食にも期待が持てる。食べ終わったらお茶でも飲みながらのんびり待てばいい。
考えをまとめて支度を整えたアキは、部屋の扉を開き
「おはよう! 気持ちいい朝だね!」
──目と鼻の先で待ち構えていたアークを見て悲鳴を上げた。
◆
「ごめんよ、あんなに驚くとは思ってなくて……」
朝起きて扉を開けると目の前に自分を慕う少女が! という、オトコノコなら誰もが夢見るシチュエーションを体験しアキの心臓は早鐘の様に鳴った。嬉しさではなく驚愕によって、ではあるが。
申し訳なさそうに謝ってくるアークに案内されながら、アキは今日も街を行く。アークは今日も昨日と同じコートを羽織り、顔を隠す様にフードを下ろしていた。
あの後、悲鳴を聞いて駆けつけて来た女将さんに平謝りして宿を飛び出して来たためにまだ朝食も扱っていなかった。
「いや、もういいよ。俺も大げさに驚きすぎたし」
言葉の通り、特に怒ってはいない。 ただ、寝起きに何か考え事をしていたはずなのだが、さっきの衝撃で頭から抜け落ちてしまった。何を考えていたのか、記憶にしこりが残ってしまった。
「にしても、何であんなとこで待ってたんだよ。しかもあんなに早くから」
「待ちきれなくて、起きてすぐ迎えに来たんだ」
「……いつから?」
「二時間くらい前からかな」
「おおう……」
軽い気持ちで放った問いに、重い言葉を返され言葉に詰まる。その時間では日も昇っていない。 せいぜいアキが起きるのとほぼ同時に部屋にたどり着いたのではないかと思っていたのだが、そんなに長い時間待っているとは思いもしなかった。
「案内できると思ったら楽しみすぎてね、ちょっと早めに来ちゃったんんだ」
「ちょっと早めってレベルじゃない。っていうか案内するのがそんなに楽しいか?」
「相手が君だからね」
「……そういうもんかな」
「そういうものだよ」
「……わかった。それでいいから扉の前で待つのはやめよう、心臓に悪いから。だいたい今日くらいの時間に出て来るから、次来る時は食堂で待っててくれ」
「うん、わかった」
「次は早く来すぎるなよ?」
「うん、わからなかった」
「なら良し……いや良くねえ。何言ってんだおまえ」
「冗談だよ、冗談」
笑いながらそう言うアークだが、本当に冗談なのだろうか。どうもそうは思えないのだが。
「それで、今日はどこに行くんだい?」
◆
街の外ではあまり見かけない、パンのような食べ物を道中の露店で買って頬張りながら、二人は街の中心区へと向かっていた。
表面を固く焼いたパンの中からごろごろと出て来る辛口に煮込まれた野菜に舌鼓を打ちつつ、どんどん密度を増す人波に沿って歩いて行く。おそらく大多数の者が同じ目的地を目指しているのだろう。
「やっぱり、この街で一番人が集まる場所って言ったらあそこだよね」
同じものを買ったはずなのに、アキよりも先に食べ尽くしたアークが言う。もう少し味わって食べればいいのに、昨日の食事でもそうだったが彼女は早食いの癖がある様だった。
「まあ、この街ができた理由だしな。それを見たかったから使いを受けた部分も大きい」
「そうだね、僕は毎日見てるけどいつ見てもおもしろいよ」
「へえ、そりゃ期待が高まるな」
「階段と昇降機があるけど、どっちを使って行ってみる? 階段はちょっと長いけど途中の眺めがいいよ。昇降機は珍しくてとっても楽だ」
「なら、噂の昇降機が気になるからそっちに乗ってみたいな」
「りょーかい。じゃあこっちだよ」
そう言ってより多くの人波が流れる方へとアークは向かい、アキはその背を追っていく。
しばらく歩くと簡単な受付所があり、そこで立入の手続きをしてくれた。
受付を抜けた先には巨大な人口池の様な物がある。その石材で作られた池の横には。池と同じサイズで底が見えないほどの深さの縦穴がある。
街のど真ん中で見るにはあまりにも奇妙な光景ではあるが、これがこの街を商業都市たらしめる設備であり、アキが行きたい場所への移動手段である。
池には大きな円形の筏が浮かんでいた。鉄製で、中央部分に大きな穴が空いている。
筏には五十台を軽く超えるだろう大量の荷車が、受付近くに設置された桟橋からの上へと渡って来ていた。
荷車だけでなく、大量の乗客も筏の上に乗っているというのに、それら全てを支えきり大きく揺れることもない。見た目以上に頑丈で安定した造りだ。
アキ達も荷車に習い桟橋から筏に移る。乗客用のスペースに移ったタイミングでちょうど声がかかった。
『間もなく、当機は動き始めます。多少の揺れがございますので、乗客の方は安定した姿勢を取り転倒されないようご注意ください』
魔術か何かで辺りへと響き渡った言葉の後、筏に掛けられていた桟橋は撤去された。
それから少し待つと、池が仄かに光り始める。
『大変お待たせいたしました。それでは当昇降機、下降を開始します』
再びの声と同時、がくんとした揺れが筏に発生する。アキは知識として知ってはいたが初めての感覚に少し戸惑ってしまう。
周りを見ると、街並みが少しずつ上に上がっている。
いいや違う。下がっているのはアキ達の方だ。
池の水位がかなりの勢いで下がっている。面積が広いために比較的ゆっくりとした速度ではあるが、これだけの量の水がどこへ消えていくのは驚愕の一言に尽きる。
すぐに地上の景色は見えなくなり、池を形造っている石材ばかりが目に入るようになった。上を見ると、池の縁がぐんぐんと遠ざかっているのがわかる。
やはり知識として知っているのと、実際に体験するのではまるで違うと興奮するアキを、アークは楽しそうに眺めている。
それから数分後、かなり水位が下がった頃、水面が放つ光はその輝きを増していた。
正確には水面が光っているわけではない、水中に仕掛けられた魔法陣が光っている。
魔法陣に仕掛けられた効果は転移。一方通行ではあるが、空間を繋いで指定した物質のみを対となっている魔法陣に転送することができる『魔法』の一種だ。
この魔法陣の場合、水のみを隣の穴の底、もう一つの筏中央に設置された魔法陣へと送ることができる。
そう、隣の穴もまた人口の池であり、全く同じ構造のそこには、まったく同じ筏が浮かべられている。
つまり、こちらの魔法陣を起動すると反対側の池に水が転送される。水は自重によって転移門へと吸い込まれ、また自重によって筏から隣の池へと落ちる。それによってこちらの水位は下がり、あちらの水位は上がる。逆もまた然り、実にシンプルな水力昇降機だ。
もっとも、 シンプルではあるが失伝された『魔法』である以上、今再現することはできないのだが。
そして今、昇降機は止まり魔法陣の輝きもまた消えた。水位が魔法陣よりも下がったことで転送が止まったのだ。つまり、目的地にたどり着いたということである。
池の外縁、というより壁と表現した方がいいだろう。その一部に鉄製だろう巨大な扉があり、今まさに開かれようとしていた。
そして、再び案内の声が響く。
『大変お待たせいたしました。 当機、 アーク地下港へと到着いたしました』
◆
商業都市アークは峡谷に囲まれた土地にある。
峡谷はそこまで険しいものではないが、ひたすらに広く移動には労力がかかる。大戦時の砦として街が活発化し始めた理由の一つである。
そんな場所であるから、小さな商団であればともかく、大規模な商団であればある程荷物の重さや人数の問題でコストとリスクは跳ね上がる。
では、何故そんな場所にある街が商業都市と呼ばれ交易で栄えているのか。その答えはもう一つの理由にある。
もう一つの理由、それは軍艦すら利用できる地下水路の存在だ。
大陸の中心に位置しながら、大陸中に蜘蛛の巣状に伸びた水脈を利用し貿易を可能とする都市、それが『商業都市』にして『水の都』、アークなのである。
「元々はね、大戦中に物資の補給路として利用されていたんだって」
そして現在、二人はその地下港を歩いていた。
アークの説明を聞きながら、アキは辺りを見回している。
辺りはまるっきり地上の港と同じ様相で、多くの船が出入りし荷の積み下ろしを行っている。
今歩いている場所は木製の足場ではあるが、場所によっては天然の洞窟を加工した足場を利用している箇所もある。
遥か高くに位置する洞窟の天井が見えなければ、とても地下だと思えない光景だ。その天井にしたって明るく発光し、洞窟内だというのに地上の昼間と変わらない明るさになっている。
「見ての通り、ここは天然……と言っていいのかわからないけど、人の手が加わる前からあった水脈でね。そこに加工を施すことで港として利用してるんだって」
「話では聞いたことがあったけど、実際に見るとすごいな。明かりとか洞窟の強度はどうなってるんだ」
「明かりについては流石に魔石灯を使ってるよ。ほら、上を見たら四角いブロックが見えるはずだよ」
言葉の通り新た天井を見上げてみると、 なるほど。所々に埋め込まれた魔石が見て取れる。
「強度については……どうなんだろうね?」
「いや、 俺に聞かれても」
「『水神の通り道』って言われてるくらいだし、神様が何とかしてるんじゃないかな」
「『水神の通り道』? 何だそりゃ」
聞いたことのない言葉をそのまま聞き返すと、アークは一瞬だけ眉根を寄せて苦しそうな顔をした。だが何かまずいことを聞いてしまったのかとアキが戸惑う内にその表情は消え、何事もなかったかのように話を再開する。
「君は、この街が水神を信仰してることは知ってる?」
「あ、ああ。それくらいなら。ここら一帯の土地の神様なんだろ?」
「そうそう。それでその水神様が、自分を信仰する巫女を背に乗せて通るための道っていうのがこの地下港なんだって。だから遥か地中なのに空気があって、生き物が通れるようになってるっていう話があるんだ」
「へー……それは初めて聞いたな。でも何だってわざわざ巫女を連れて通るんだ?」
「世界中の水を巡る為、っていう話だね。 どういう理屈かはわからないけどそう聞いたことがあるよ。実際、ほとんどの水脈は海か大河に繋がっていて、そこから船が出入りしてるわけだからね。世界中を巡るっていうのは本当のことなのかも」
「そりゃまた、豪快な話だな」
アキも大陸の端にある港街の船が、海岸沿いの洞窟からアークの港まで出港するという話を聞いたことはある。だが、実際にこの空間が海と繋がっていると思うとどうにも不思議な感覚だ。
今もまた、新たな船が港を離れて洞窟の奥へと消えて行く。
巨大にすぎる洞窟と、魔石の灯りを反射する水面の上を走る船の様子は神秘的の一言に尽きた。
その光景を眺めていたアキだが、ふと耳に異音が入ることに気付いた。小さな声ではあるが、何かが聞こえる。
辺りを見渡すと、貨物の山の影、他の人間からは死角になる位置で小さな女の子が蹲っているのが見えた。
女の子は涙を流してその場を動かず、ただしゃくり上げている。
それを見てアキは思案する。あんな所にいるということはどこかの船の関係者だろか、周りの者に呼びかけるのがいいか、受付の者に連絡するのがいいか、それとも……。
そんなことを考えているアキの横を、一人の人影が通り過ぎた。
人影──アークは、泣いている女の子の前にしゃがむとこう言った。
「こんにちは。どうして泣いているんだい? 困ったことがあるなら、僕で良ければ力になるよ」
それを見て、アキの記憶が刺激された。 またこの感覚だ。何かを思い出しそうで思い出せない、もどかしい感覚に歯噛みする。
そして、今はその感覚に構っている暇はなさそうだ。
怪しい黒フードに話し掛けられて大泣きを始めた女の子と、それを見て慌てて泣き止ませようとして更に泣かせるアークを見ながら、アキはまた面倒事に巻き込まれたと頭を掻きながら近付いて行った。
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