第7話 迷子と襲撃


「すいませーん! この子のお父さんいませんかー!」

「おとーさん……どこー……?」


 アキとアークに八歳くらいの人間の女の子を加えた三人組は現在、地下港を歩き回っている。

 泣きじゃくる女の子を二人がかりでなんとか宥めすかして事情を聞いたところ、一緒に船に乗って来た父親とはぐれてしまったとのことだった。

 周りにいた者に聞いてみても父親らしき人間を見かけたとの談はなく、昇降機近くに配置されている港の役員に聞いてみればわかるだろうと、元来た道を歩いている。 観光の途中ではあるが、アキとて泣きじゃくる女の子を見捨てるほど冷血漢ではなかった。

 今二人がいるのは港の端の方で、中心部にある昇降機まではそれなりに距離がある。二人がここまで来ていたのはアキがあちこちを見て回りたいと言ったからだが、 なぜ女の子が一人でこんな場所にいたかと言うと、船から降りた際の人混みの多さに押し流されて父親と離れ、おっかなびっくり歩いているうちにこんな所にたどり着いたのだとか。


 現在の商業都市は数日後に開催される祭り目当てに、普段より観光客の来訪が多くなっている。大方この子も『花火』を見に来た口だろうが、この船と人の数では小さな子が迷子になるのも当然だろう。

 父親以外に知り合いもおらず、心細さに震えている時に現れたのが怪しげなフード頭であれば警戒するのも仕方ない話である。


 女の子は現在、少しは警戒を解いて付いてきてくれているものの、よっぽどアークが恐かったのか彼女からは少し距離を取り、アキの上着の裾を摘んでいる。

 アキとしては子どもの相手はあまり得意ではないしアークに任せてしまいたいのだが、この様子では無理だろう。アークが悲しそうな顔をしているが、こればかりはどうしようもなかった。


 とはいえ、善意で声をかけたのにこうも恐がられっぱなしでは少しかわいそうかと思ったので、少しフォローを入れることにするアキ。


「あー……このお姉ちゃんは確かに怪しいけど、悪い奴ではないよ? 君に声をかけたのも善意だと思う」

「そ、そうそう! 僕は怪しくなんかないよ!」


 いい笑顔でサムズアップするアーク。だが悲しいかな、未だに被りっぱなしのフードで顔が隠れているためにロ元しか見えず、しかもそこに並んでいるのは牙と呼んでも差し支えないほどに鋭い歯列だ。大仰な仕草と合わせて胡散臭いことこの上ない。

 案の定、女の子はアキの身体を盾にして上着を掴む力を強くした。


「あ、あれ!?」

「わざとじゃないとしたらすごいな、おまえ……」


 これではいつまで経っても警成など解いてもらえないだろう。仕方ないと肩をすくめて次なる助け舟を出す。


「君、名前はなんて言うんだい」

「……知らない人に教えちゃいけないって、お父さんが」

「へえ、それは立派なお父さんだね。教育が行き届いてる。さぞかし君のことを大切に思ってるんだろうなぁ」

「う、うん! そうなの! お父さんはいつも優しくてかっこいいの!」

「うんうん。そうだろうね。でも、そうだとしたら大変だね……」

「?」

「君のことをそれだけ大切にしてるお父さんなんだ。今頃すっごく心配してるんじゃないかなあ……」

「あっ……!」

「俺達も早く見つけてあげたいけど、難しいね……君の名前がわかればもっと早く見つけられると思うんだけど……」

「わ、私、メリーって言います!」

「そっかー! これで探しやすくなるぞー!」


 メリーちゃんのお父さーん! と、周りに呼びかけながらアークに目をやる。

 こちらを何とも言い難い目で見ていた。 犯罪者予備軍を見つけたかのような、後ろ暗い取引を目撃してしまったような、そんな闇を見る目だった。

 おまえのために信用を得ようとしたのになんだその目は、と言ってやりたいがぐっと堪える。ここで怒鳴って女の子……メリーからの信用を失っては意味がないのだから。


「メリーちゃん。ところで甘いものとか好きかな」

「? うん、好きだよ」


 いよいよもってアークの目がゴミを見る様なものになってきた。アキも額に青筋を浮かべ噴火寸前であるが、怒りを堪えながらもその耳元に口を寄せ、メリーに聞こえないようにしながら囁きかける。


(……おい、飴かなんか持ってないのか。恐がられたくないんだろ!)

(……あ、そっか!)


 ぽん、と手を打ちポケットを漁り始めるアークに我知らず溜息が出た。まったく、お人好しな癖に不器用が過ぎるというか何というか。

 尚、出会って一日そこらでそんなやつ相手に自分が随分と絆されていることに、アキ本人は気付いていない。


「メ、メリーちゃん。飴持ってるんだけど、よかったら食べないかい?」


 と、飴を持っていたらしくメリーに声をかけるアーク。差し出された手の上には確かにいくつかの飴が載っているのだが……。


「……おい、それ本当に飴か?」


 アキが思わず尋ねるのも無理はなく、その飴は食べ物とは思えない色をしていた。

 塗料をぶちまけたかのような毒々しい蛍光色。一色だけならまだしも、それが何重にも重なっていたとあってはとても尋常な物とは思えない。


「飴だよ。ほら」


 そう言って躊躇することなく飴を口に含むアーク、そのままコロコロと口の中で飴を転がし、「おいしいよ?」と微笑んでみせた。

 ここまで言うからにはちゃんと飴なのだろうが、どうしても手を出すことを躊躇ってしまう。飴ということで興味を見せたメリーも若干引き気味だ。

 とはいえ、アークが口に入れたことで逃げ辛い空気ができてしまった。こうしていても埒が明かないと思い、アキもその飴を手に取り思い切って口に放り込む。


「……?」


 覚悟をしていたような、ひどい味はやって来なかった。ごく普通の甘い飴だ。なるほど、見た目に捉われすぎていたかと思ったところで衝撃が来た。


「かっ……!?」


 味覚がぶん殴られる。甘味、辛味、酸味、 苦味。あらゆる味が渾然一体となって舌を蹂躙する。ただ不味いだけならまだ救いようがあったのかもしれないが、時折覗く旨味がより一層脳を揺さぶる得も言われぬ味を作り出していた。

 率直に言って、食べ物の味ではない。


「ぐえええーっ!!」


 もはや食べ物に対するリアクションではない奇声を発しながら、アキは勢いよく飴を吐き出した。胃の中身もぶち撒けた方が口の中がマシになるのではないかと思ったが、流石に公衆の面前でそれは踏み止まった。もっとも、唐突に奇声を発した時点で奇異の目は向けられているのだが。

 アキは涙目で叫ぶ。


「何だこれ!? 絶対ロクなもんじゃねえだろ!」

「あ、あれ!? 駄目だったかい!?」

「何をどうしたらいけると思ったんだよ! っていうかおまえすげえな!? よくこれを平然と食えたな!?」

「そ、 そんな! 『パーティで大ウケ間違いなしのびっくり飴』だって聞いたのに!」

「おまえそれ罰ゲーム用にって流行ったクッソ不味い飴じゃねえかよ!?」


 どうりでひどい味なわけだと舌を出す。これを平然と食べられる味覚がわからなかった。

 と、馬鹿なやりとりをしているとメリーが小刻みに震えているのが伝わってきた。すわ、また大声で恐がらせてしまったかと思ったがそのわりには怯えた様な動きではない。

 そっと顔を覗いてみると、メリーは笑うのを堪えていた。意図していたやり方ではなかったが、アークに対する警戒も随分と解けたらしい。

 アークもそれに気付いたのか、納得いかないと言わんばかりの雰囲気から一転、朗らかな笑みを浮かべている。

 そうして一行の間に温かい空気が出来上がりつつあったその時、その声は聞こえた。



「見つけたぞ魔族女ァ!!」





 ◆




 いつの間にか、行く道を塞ぐように全員が似た服を着こんだガラの悪い一団がいた。 先の言葉はその先頭に立つ猫系の獣人が放ったものらしい。

 つい昨日見たものとよく似た光景を前にアキは嫌な予感がした。そして嫌な予感ほどよく当たるものだ。


「おい、オマエ。オマエだよそこの黒コート」

「……僕に何か用かな。君たちとは初対面だと思うんだけど」


 やはり、昨日と同じく彼女を狙った一団らしい。立て続けにこんなことが起こるとは、ギルド長がやたらと気にかけていたのも頷ける。


「ああ、初対面さ。だがちいっとばかしオマエに用があってな。大人しく言うことを聞いた方がいいと思うぜ? そっちの二人にも怪我させたくないんならよぉ」


 そう言って男が手を上げると、後ろに並んだチンピラ達が揃って武器を構える。棍棒やメリケンサックなどの刃がついていない武器ではあるようだが、それらは立派な凶器だ。

 突然の事態に固まっていた周りの一般人達が、 悲鳴を上げながら逃げ惑い始める。


 時刻は昼間で、ここは商業都市の玄関口と言ってもいい場所だ。そんな所で大っぴらに騒ぎを起こすなど、正気の沙汰とは思えなかった。

 だが起きてしまったものは起きてしまったものだ。アキは身をこわばらせながらも周りに目を向ける。


 逃げ道は塞がれている。昇降機へと向かう一本道はチンピラ達によって塞がれていて、逆側に向かおうがそこは行き止まりだ。先には広大な水路が続いているだけ。加えて敵の数が多い。昨日は五人程度だったが今日は二十人近い人数がいる。あの中を突破するのは難しいだろう。

 最後に、アキの服を握りしめた小さい手を意識する。急に敵意をぶつけられて思考が追い付いていないのだろう。メリーは目を丸くしたまま身動きが取れていなかった。


 二人に怪我させたくなければ、ということは一緒に行動しているところを見られていたのだろう。下手に動けばこの子が危険に晒されかねない。

 港には衛兵がいるし、この騒ぎならすぐに駆け付けてくるだろうがそれまでどうするべきか、アキは目の前の危機を回避すべく思考を回す。


 その時。


「この子をお願い!」


 鋭い声が放たれた。

 反射的にメリーを背中に庇う。その僅かな間にアークは飛び出していた。

 細い足に蹴られた地面が爆発したかのように音を立て、彼女の身体がぶれて掻き消える。

 次の瞬間、アークが現れたのは並ぶチンピラ達の端に位置した犬獣人の眼前。反応できず間抜け面を晒す男へと引き絞られた拳を振りかぶり。


「──ちょっとごめんね!」


 着弾。

 腹に埋まった小さな拳を中心として凄まじい音が鳴り響き、大柄な獣人の身体が宙を舞った。

 周りの者は誰も動けなかった。それほどの速さであり、尋常ではない重さを持つ一撃だった。

 拳打を受けた獣人は後方に吹き飛んだ勢いそのままに地面を二転三転。木箱にぶつかりようやく止まるが、鼻血を垂らして白目を剥いている。誰がどう見たって失神していた。


「あ……やりすぎちゃった……」


 ぽつりと溢された言葉に、倒れ伏す犬獣人を見ることしかできなかった者達が一斉に視線を少女へ殺到させる。チンピラ達もアキも、周りの通行人も、誰もが皆冷や汗を流していた。

 あの細い身体のどこにそんな力を秘めていたというのか、この光景を作り出した本人は、少し気まずげな表情を浮かべるだけで特別なことをしたという意識もない。彼女にとっては正味、ただ目の前の相手を叩いたというそれだけの行動だったのだから。

 未だに硬直したまま動けない男達に対して、アークは気負うでもなく声を掛ける。


「それで、まだやるのかな。僕としてはやりすぎちゃったこともあるし、今なら何も言わずに別れられると思うんだけど」

「う、うるせえ! まだこっちにゃ人数がいるんだ! やるぞオメエら、 賞金は俺達のもんだ!」

『お、おう!』


 先ほども叫んでいたリーダー格と思われる猫系の獣人が恐怖を振り払うかの様に叫ぶと、動揺に駆られるチンピラ達はそれでもそれぞれの武器を構える。

 アークはそれを見て溜め息を吐くと、再び拳を構えた。


「じゃあ、ちょっと大人しくなってもらうよ……っと!」


 再びの炸裂音。先の光景を再現するかのように、先頭で叫んでいた男が吹き飛ばされる。


「ぎゃあ!」

「頭ぁ!? くそ! 囲め囲め! こっちが何人いると思ってやがる!」

「だ、駄目だ速すぎ……ぐあぁっ!?」


 傍から見ていて、その戦闘は一方的な蹂躙だった。地面を蹴る音が響くたびにアークの身体が疾風と化してチンピラ達へと突貫、手足が振るわれればそれに応じて大柄な男達の身体が冗談の様に宙を舞う。

 その様はまるで竜巻だ。木々を根こそぎ抉り取る暴風に巻き込まれれば、木の葉ごときがどうなるかなどわかりきっている。事実、既にチンピラの数は最初の半数以下になり、あちこちで伸びた間抜け顔を晒している。 まだ立っている者にしても腰が引けてしまって、逃げていないのが不思議な状態だった。


 その光景を見てアキは舌を巻く。なるほど、これが人類種最強と謳われる魔族の戦闘能力か。華奢な見た目からは想像もつかないスピードとパワー。初めて会った時に見せた身体能力はこの片鱗でしかなかったわけだ。


 ここは任せて大丈夫そうだと、あまりの事態に目を白黒させるメリーを連れて後ろへ下がる。せっかくアークが守ってくれているというのに、この子に怪我をさせたら意味がない。

 そうしながらリーダー格の男の言葉を思い出す。「賞金」と、そう言っていた。 アークに賞金がかかっている? ここ最近多いと言っていた襲撃はそのせいか。しかしいったい誰が、何の為に……。


 その時、アキの耳がわずかな水音を捉えた。乱闘の音が響く中でその音が聞こえたのは偶然だっただろう。背後から聞こえた音の方向に目をやると、ぬっと水中から男が身体を引き上げたところだった。


「なっ……!?」


 港に泊められた船の間から現れたその男の身体には、ぬらぬらと妖しく光を照り返す鱗があった。魚人だ。あの乱闘を避けて水中を回り込んで来たのだろう。服装と手に持ったナイフから、チンピラ達の仲間であることは間違いない。

 その魚人はナイフを持ったのとは逆の手をこちらへと伸ばしている。狙いはアキではない、その背中に庇われたメリーだ。


(マズっ……!?)


 さっきまで自分達がアークと行動を共にしていたのは見られている。恐らくこの子を人質にするつもりだろう。そんなことをされればあの心優しい少女のことだ、絶対に要求を飲んでしまうに決まっている。

 いくらアークが速かろうと、今から叫んでは間に合わない。ならば、今アキが取れる行動は──


「させねえ!」


 背中に庇っていた女の子を思いきり引き寄せる。手荒になってしまうが今は許して欲しい。その勢いのまま、踊る様に女の子と自分の位置を入れ換えた。

 ぐるり、と回転する視界の中に呆気に取られる女の子と、こちらの行動に反応した魚人の顔が映る。敵は隠密行動をかなぐり捨て、本気の走りでこちらに突っ込んで来る。


 ──想定通り。アキは近くに置いてあった積み荷に手を伸ばすと、そこにあった一メートル程の長さの細い角材を手に取った。

 それを、自身の回転と相手の突貫の勢いを合わせ……顔面へと叩き込む!


「がぎゃあ!?」


 まさか反撃されるとは思ってもみなかったのだろう。もろにヒットした棒から確かな手応えが返ってくる。相手の口から泡の様な唾液と共に鋭い牙が飛んでいった。

 棒術。アキとて多くの街を股にかけ商いを行う者だ。多少の護身術の心得はある。特別な才はなかったが、汎用性の高い棒術に関してはそれなりの練度で身に付けている。

 あくまでそれなりに、ではあるが。


「こっの、クソガキぃ……!」

「チィッ……!」


 相手の魚人はまだ気絶していない。これはアキの腕前がどうこうというよりは種族の差だ。一般的な人間の力は、魚人に比べいくらか見劣りしてしまう。

 それでもかなりのダメージが入ったのは確かなようで、ふらつく目は焦点が合っていない。だが、同時に理性の箍も外れてしまったのか手に持つナイフをこちらへ突きつけている。もはや人質を取ることなど考えてはいないだろう。

 今のカウンターが成功したのは相手がこちらを殺す気がなかったからだ。こうなっては力で負けている相手に対する不利な戦闘でしかない。どうする、後ろの女の子を守るためには──


「伏せて!!」


 背後からの叫び声。すっかり聞き慣れてしまったその声に指示されるまま、半ば反射でその場に伏せた。その直後。




 ズバチィッ!!!!!! と、雷鳴の如き音を放つ一撃が魚人の身体を吹き飛ばした。




 今日聞いた中で最も凄まじいその音と共に、魚人の身体が文字通り横へと「飛んだ」。

 砲弾もかくやという速度のその飛行は、いったいどれだけの力があれば実現したのか。男の身体はまるで石ころの様に水上を五回は跳ね、最後には盛大な水柱を立ち上げて水面へ沈んだ。


 アキの視界に、細く伸びる白銀の鞭があ映る。先の一撃を生んだとは思えないほどに美しいそれは、アキの背後に続いていた。

 目でその鞭を辿ると、根元にはやはりアークがいた。彼女のコートの内側からその鞭が現れている。

 美しい白銀の鱗で覆われた鞭、その正体は彼女の尻尾だった。今の短い時間で周囲のチンピラ達も片付けてしまったのか、もはやその周囲に立っている者は一人もいない。


 しゅるしゅると音を立てながら尻尾がコートの中へと戻っていく。明らかにコートの中に収まらないサイズだったはずだが、いったいどのように収納しているのだろうか。

 助かった。その実感が湧き大きく息を吐いた。メリーも無事だ。尻餅をついたまま驚いてはいるようだが怪我も見当たらない。

 メリーに声をかけて助け起こしていると、 アークが勢いよく駆けて来た。慌てた様子で捲し立てる。


「大丈夫!? 二人とも怪我してない!?」

「こっちは平気だ。怪我もないよ」 

「よかった……ごめんね、水の中にもいたなんて気付かなくて」

「仕方ねえよ、あんなとこから出て来るなんて思わない。それより、おまえこそ平気なのか? 結構な人数だったけど」

「僕は平気だよ! すっごく強いんだから!」


 そう言って力こぶを作って見せる様は微笑ましいが、その細腕にどんな力が秘められているかを見せられた後では引きつった笑みを浮かべる他なかった。


「そんなことより、この子を守ってくれたんだよね」

「あ、ああ。まあさすがに見捨てるわけにもいかないし……」

「ありがとう! やっぱり君は最高にかっこいいよ!」


 唐突な褒め言葉にアキは思わず赤面する。 なんだってこの少女は、こうもストレートに好意をぶつけてくるのだろうか。だいたい、 アキと少女を守って戦ったのはアークの方だろうに。


「いや、こっちこそおまえに守ってもらったわけだし……ありがとな」


 気恥ずかしくなって、ぶっきらぼうに感謝の言葉を述べる。

 アークはその言葉を聞いて何故だかきょとんとした顔をしていた。まるで言葉の意味がわかっていないとでも言うように。


「……守った? 僕が、君を?」

「何で疑問系なんだよ。そうだよ、おまえが守ってくれたんだろうが。俺もこの子も、おまえが守ったんだ。だから、ありがとう」


 なぜか驚いたような顔をするアークにもう一度礼を告げる。それでもアークは茫然としたまま動かない。さすがに不審に思い、更に言葉をかけようとしたがその前に周囲がざわつき始めた。


「おい、今の……」「あの人間っぽい子、尻尾があったぞ」「ってことはあの子、魔族なんじゃないか」「何でこんな所に」「今の騒ぎもあいつが原因なんじゃ」「おい、早く衛兵呼んで来いよ」


 不穏な空気と恐怖の混ざった言葉にアキは絶句した。周りの連中は何を言っている? そこらに倒れ伏したやつらが何を口走っていたのか聞いていなかったのか。チンピラ達は確かにアークを狙っていたが、それが何故彼女が原因かのように言われているのかわからない。

 彼女は自分の身と、アキ達を守ろうとしただけだ。なのに何故、あいつらはアークにあんな目を向けている。

 魔族が他の人類種に疎まれていることは知っていたし、実際そういうことを言っている連中を見てきたこともあった。だが、認識が甘かった。強い力を振るっていたということはあるだろう。だが、目の前で起きた事態に対して出て来る言葉がそれか。誰か、彼女が守るために力を使ったことを理解している者はいないのか。


 頭の奥が白くなった。喉を突いて言葉が飛び出そうとしている。だが、アキの肩へと置かれた手がそれを止めた。

 それは今まさに敵意をぶつけられているはずの少女の手で、アークは周りの言葉をまるで気にしていないかのようにアキへと囁きかけた。


「ごめんね、この子のことお願い。また明日」


 何を、と返す間もなく彼女は駆け出した。そのままどこへ向かうのかと思えば、大きく跳躍し水面へと飛び込む。

 ドプン、と勢いのわりには静かな音を立てて彼女の身体が水中へと没する。

 慌てて水辺へ駆け寄ると、 人間大の影が高速で水中を動き、 やがて視界の外へと泳いでいくのが見えた。


 そうして影が消えた後には呆然とするアキとメリー、未だざわめきの収まらない群衆が残されていた。



 ◆



 結局、アークはその場に戻って来なかった。

 あの後はあっという間だった。アークが去ってすぐに明け付けた術兵達によってチンピラ達は連行されていった。最後に吹き飛ばされた魚人も含めて誰も死んではいなかったらしく、アークがあの状況でも手加減していたのだろうという事実に驚かされる。拘束して詳しく話を聞くとは言っていたが、はたして情報は得られるのだろうか。

 それからチンピラ相手に暴れていた魔族がいると、あの場にいた者達が口々に言うが、それについて衛兵達は言葉を濁していた。 街の衛兵ということはギルド長から話がいっているのだろう、アークに対する捜査などが出なくてアキはそっと胸を撫で下ろしていた。


 ただ、アキ自身は衛兵から質問を受けてしばらく港に残ることになった。騒動の中心にいたのだから仕方ないのだが、わかっていることが少ないのであまり捜査の助けにはならなかっただろう。唯一、アークに賞金がかかっているかもしれないということだけは伝えられたが。


 メリーはといえば、あの後すぐ父親と再会できた。父親も娘を探し回っており、役員に事情を説明していたところで騒ぎが起こったらしい。

 騒動に娘が巻き込まれているのではないかと顔を青くして現場に駆け付けて無事再会が叶ったとのことで、不幸中の幸いである。

 親子が泣きながら抱擁を交わした後、メリーの口からアキが彼女を守っていたと父親に伝わると、彼はいたく感謝しアキを抱擁した。メリーが当初の怯えもどこへやら、アキをひどく気に入って抱きしめていたのも良い心象を与えたのだろう。途中で止めなければ足の甲に口付けをしていただろう勢いであった。


 一通り感謝を述べた父親は、 何かお礼がしたいと言ったがアキは断った。メリーを本当に守ったのは自分じゃないから、と。父親はそれでも礼をしたそうだったが、最終的にはアキの頑固さに折れた。ただ、祭りが終わるまではこの街にいるから何かあれば頼って欲しいと言い、アキも渋々それを了承してこの話は幕を閉じた。

 欲を言えばメリーを守った少女の話をしたかったのだが、先ほどの民衆の反応を見た後では、いかに善良そうな親子と言えど魔族についての話をする気にはなれなかった。


 そして現在、陽が傾き始めた地上で、親子とアキは手を振り合い別れていた。


「ありがとうお兄ちゃん! お姉ちゃんにもよろしくね!」


 最後まで頭を下げ続ける父親と、手を振るメリーの姿が見えなくなるまで手を振り返し続け、その姿が人波に消えてからだらりと手を下げる。

 メリーは最後までアークのことを気にしていたので、アキから感謝を伝えておくと言ってある。

 それにしても、今日もまた疲れた。 非常に濃い一日だったと言っていいだろう。とりあえず宿に帰って休もうと、そんなことを考える頭の片隅で声が響く。


 少女に向けられる悪意の声。彼女を狙う悪人達。それがどうしても頭から離れない。

 大戦について詳しくは知らないアキだから、魔族がどういった扱いを受けているのか知ってはいても理解していなかった。ただの女の子が、周囲からどう扱われているのかという実感がなかったのだ。

 頭にこびりついて離れない思考を何とか切り離そうと歩きながら、それでも考えてしまうことがある。


 アークが愛してやまない自分とは違う『誰か』は、きっと彼女の味方だったのだろうと。どうしてか、胸の奥がズキリと痛んだ。

 また明日、とアークは言った。なら、明日の朝になればまた会えるのだろう。

 それまでにこの痛みが消えるとは、とてもではないが思えなかった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る